第84話 星空に揺れる希望
魔の森は、季節が移り替わるように木の葉を色鮮やかに染め上げた。
秋の味覚が森の中に実り、冷たい空気が落ち葉の香りを運ぶ。
今日が何日か分からないステラにとって、森の状況が彼女に月日を知らせる。
風に揺らされた木から葉が落ち、漂うようにして地面に落ちていく。
肌寒いこの時期、日が落ち始めてから本格的に寒さが増す。
それでも、夏服に身を包んだレティシアを、ステラはどうすることもできない。
空はオレンジ色から深紅色へと変わっていく。
木々の間から差し込む夕日の光が、より一層木々を色濃く染める。
ドスンッと大きな音共に魔物が倒れると、レティシアが短剣の血を飛ばすかのように、上から下に振り下ろした。
辺りは戦闘後ということもあって静けさが漂い、血の臭いで溢れている。
レティシアが素材を剥ぎ取り始めると、今度は皮を剥ぎ取る音や、肉を切り裂く音がテンポよく流れた。
風が吹き抜け、微かに落ち葉が舞い上がり、木々が揺れ動く。
少しずつ冷え始めた空気が、肌に触れて冷たく感じられる。
ステラは血の臭いに釣られて魔物が来ないか周りを警戒し、慣れた手付きで作業するレティシアを見ていた。
汚れすぎて元の色が分からなくなった髪は、複雑に絡まり、血で固まっている。
そこに光沢はなく、痛んでいるようにも見えてしまう。
ブラウンだった瞳は青に変わり、黒く濁っているようにも感じられた。
それでも、レティシアはアランたちと森に来てた時のように、採取を続けている。
そのことから、ステラはまだ完全に彼女の自我が、消えていないのだと感じていた。
だが、そこには確かな確証がなく、その些細な行動がステラの希望でもある。
レティシアが食べれそうなキノコを採ると、その匂いを嗅いでいる。
そして、空間魔法を広げると、彼女はその中に放り込んでいく。
その様子を見ていたステラは、食べないなら、なぜ採ったのかという疑問が沸く。
だけど、いつもの薬草採取と同じだろうと、少しだけ冷めた気持で見てしまう。
『レティシアが、それを食べてくれたら、ステラも助かるんだけどね……。それにしても、また操られている魔物が増えたよね?』
レティシアが仕留めた魔物を、ステラは食べながら数日前からの異変を口にした。
魔の森に入った日から、相変わらずレティシアが話すことはない。
けれど、彼女はステラの問いかけに対し、1度だけ静かに頷いた。
青い瞳はステラを映しているようにも見えるが、本当にステラを映しているのかさえ疑わしい。
そう思えてしまうのも、目に生気がないように感じるからかもしれない。
ここ数日で、操られている魔物との戦闘が格段に増えた。
そして、休息も食事もまともに摂っていないレティシアの体が悲鳴を上げ始めているように見える。
ステラは彼女の疲れ果てた姿を見て、心配せずにはいられない。
だが、ステラには魔物が増えた理由に、心当たりがある。
それは、以前アランが率いる討伐隊が魔の森に入った時と、今の状況が同じだと感じたのだ。
しかし、むやみに討伐隊の集団に向かえば、一目見ただけのレティシアの姿はまるで獣だ。
そして、幻獣であるステラは最悪の場合、討伐隊の討伐対象になってしまう。
実際、レティシアは何度か冒険者たちに魔物と間違われている。
そのことを考えると、安易に近寄ることはできない。
しかし、彼女だけではレティシアを魔の森から連れ出すことができない。
そのため、ステラはどうにかして、ルカたちと合流する必要があった。
だが、そこには大きな問題が存在する。
その問題とは、ステラがルカたちと合流しようとしているのを、レティシアが悟った時だ。
彼女がステラを置いて逃げてしまう、その可能性があった。
そのことでステラは頭を抱え、出した結論は、戦闘の最中に痕跡を残すことだった。
日に日に弱っていくレティシアを見ながら、ステラにできることは、ただ野営ポイントに近付き、人の食事を奪うことだけ。
それも手間取って時間が掛かれば、レティシアが移動を始めてしまう。
その結果、ステラがたとえルカたちのいる野営ポイントに入っても、わずかな時間でルカたちに気付いてもらうしかないのだ。
『ステラはおなかがいっぱい! 今度はレティシアのご飯ね! レティシア、ステラに乗って』
ステラはそう言って、姿勢を低くしてレティシアが乗るのをただ静かに待った。
森は静寂に包まれ、深紅色の空には青色が混ざり始め色を変えていく。
暫くすると、ゆったりとした動きでレティシアがステラにまたがった。
その動きが、まるで無駄なエネルギーを使わないようにしているようにも思える。
ステラはレティシアが落ちないように森の中を進み、鼻から感じる匂いを頼りに、人がいる方へと向かう。
彼らに食事を分けてもらうのが、1番の目的だ。
そうしなければ、レティシアが水以外を口にしない。
辺りはすでに薄暗くなっているため、ステラはある程度離れた所でレティシアに降りてもらう。
少し開けた木々の隙間から月明かりが差し込み、木の幹に座ったレティシアを神秘的に照らす。
ステラはレティシアに悲しげな視線を向けると、体を小さくしてから森の中を走った。
暫く走った場所に、匂いと気配からして野営している人たちがいる。
彼女は、見つからないように茂みに身を潜め、食料がある場所を探した。
食料を匂いで探し出すと、彼女は素早く走り、食料がある所に向かう。
焚火の炎が辺りを明るく照らし、彼女の影を大きく作り出す。
ステラの視界の端に焚火が見え、彼女はレティシアをそこに座らせたいと思った。
だが、早く戻らなければレティシアが移動してしまう、そう思えばステラには焦りが生まれる。
その結果、彼女の行動は食事を分けてもらうというよりも、お礼の代わりに魔物の素材を雑に置いて、食事を強奪していた。
料理に使う素材が入った袋を咥え、ステラは急いでレティシアの元に戻る。
1分、1秒、それすらも惜しく、ステラにはレティシアを置いてきた場所が遠く感じてしまう。
そのため、木の幹に座ったままのレティシアを見つけた時、ステラは心の底から胸をなで下ろした。
『レティシアのご飯取ってきたよ。少しでも食べて』
ステラは食事をレティシアの近くに置いたが、軽く視線を向けたレティシアは袋を見て反対方向を向いた。
『……食べたくなったら、食べてね』
鼻先で袋をレティシアの近くに押し、ステラは近くで彼女が食べるのを待っていた。
しかし、いくら待ってもレティシアが袋に手を伸ばす気配がしない。
まるで木の幹に座る人形のようだとステラは思うと、体を元の大きさに戻した。
彼女はレティシアを包むように丸くなると、そっと軽く目を閉じた。
10月の魔の森は冷えるため、ステラは少しでもレティシアの体を温めようとした。
たとえ今のレティシアが何も反応しなくとも、彼女の体は確実に衰弱している。
早いところルカたちと合流しなければ、レティシアの生命にも係わってくる。
そう考えるだけで、冷え込む夜がステラには、とてつもなく長く感じてしまう。
(早くルカと会わないと……きっとルカなら、レティシアを探しに来ているはずよ……そして、彼ならステラが残した痕跡にも気付いてくれている)
レティシアのロイヤルブルーの瞳は空に輝く星空を映すが、瞳に本来の輝きは感じられない。
彼女が何を思い、この星空を眺めているのか、それはステラにも分からない。
もしかしたら、彼女の行動は意味を持たないのかもしれない。
だけど、森に入ってから時折、夜になるとレティシアはこのように動かず、空を見上げている。
薄っすらと瞼を開けたステラは、不安げにレティシアを見つめた。
この状況がいつまで続き、いつまでレティシアの体がもつのか予想できない。
突然ある日、魔物との戦闘中に彼女の動きが止まり、魔物にやられる可能性もある。
その恐怖が、ステラの精神を少しずつ蝕んでいく。
そのことが分かっているからこそ、できるだけ正しい判断しようと、ステラは考えることを止めない。
(ねぇ、レティシア……あなたはどこにいるの? なんで呼びかけても、答えてくれないのよ……ステラはあなたの使い魔だよ? 答えてよ……)
まるでプログラムされた機械のように動くレティシアに、ステラはずっと付いて来た。
レティシアが話すことはなく、彼女との意思の疎通も難しい。
それでもステラは明るく振る舞い、子どもに話しかけるようにレティシアに接してきた。
だけど、レティシアの体だけではなく、ステラの心にも限界がきているように見えた。
ステラの目に涙が浮かび、それが星空を映して美しく輝いていた。




