第83話 心の葛藤と秘密の告白
「なぁなぁ、知ってるか? 魔の森に入ると、小さな赤い獣がいるんだってさ。それで、その獣に手を出すと、殺されるらしいんだよ」
エディットが亡くなり、レティシアの姿が魔の森に消えて2ヵ月が経った頃。
冒険者たちの間で、赤い獣の噂がまことしやかに、囁かれるようになっていた。
そんな噂を耳にしたルカとアランは、その獣がレティシアだと推察した。
そこに確かな確証など、何ひとつ存在しない。
それでも、わずかな可能性に賭けことしか、彼らに残された選択肢がなかったのだ。
なぜなら、ルカのために彼女が残したピアスはその役割を放棄し、彼女が騎士団から渡されたブローチは宿屋に置いてかれた。
彼女の居場所が分からない以上、彼女を1人にしてしまった彼らには、彼女の身を心配する気持ちと後悔しかない。
そのため、1ヵ月遅れではあったものの、討伐隊を組み、魔の森に足を踏み入れる決断を下した。
本来であれば、1ヵ月前に魔の森の討伐は行われるはずであった。
だが、噴水で起きた事件を皮切りに、戦争の空気が流れ、不穏な空気が続いた。
ガルゼファ王国との関係悪化に伴い外交交渉が行われ、王家が関わる討伐は無期限に延期とされていた。
しかし、レティシアが魔の森に消えたことで、今回行われる討伐の目的には彼女の捜索も含まれている。
そのような理由で、今回集められたのは、彼女のことを知っている前回と同じ隊員だ。
前回負傷した隊員もいたことから、アランは断られると考えていた。
けれど、話を聞いた隊員たちは、2つ返事で承諾している。
それは、レティシアが彼らにとって大切な仲間であると、彼らが思っていたからだ。
ところが、魔の森を進むアランたちは、前回よりも苦戦を強いられていた。
そのことに、黒い服に身を包む赤い瞳の少年は、苛立ちを隠せずに不満を態度に出す。
「何してる、こんなことも対処できないのか? それとも、大の大人が子どもに守ってもらわないと、戦うことすらできないのか?」
吐き捨てるように言ったルカの声には、怒りや焦りが感じられる。
けれど、誰も彼の言葉に反論しようとしなかった。
事実、彼の実力は今回選ばれて隊員たちより上であり、隊員らは守られている。
そして、隊員たちが彼の置かれている状況を理解していたのも大きい。
しかし、アランは不満げにルカを見つめ、彼に話しかける。
「ルカ、言葉には気を付けろ。前回より襲撃の回数も、魔物の種類も変わってるんだ。焦る気持ちも分かるけど、だからといって隊員たちに当たり散らすな」
「はっ! 焦る気持ちが分かる……ね? アランには、分からないだろ? お前は守る側じゃなくて、守られる側だからな。少しでも俺の気持ちが分かるなら、前回と同じ役立たずを呼ぶんじゃなくて、役に立つやつらを連れて来てただろ!」
ルカが怒鳴るように言うと、アランはルカの胸ぐらを掴んだ。
互いの瞳には、燃えるような怒りの炎が見え、その場は騒然となった。
2人の実力を考えれば、いがみ合う2人の間に、誰も手を出して止めることなどできない。
そのため、彼らを止めようと、必死に隊員たちが声をかける。
それでもアランはルカを離さず、彼に向かって怒鳴り返す。
「役立たずはお前だろ! お前の焦りが、連携の邪魔してるんだ! 少しは冷静になれよ!!」
「俺は冷静だ。少なくとも、お前たちが生きてるのがその証拠だろ? アラン、お前こそよく考えて指揮を執れ。俺はお前たちの実力に合わせる気はない、だから俺の邪魔するな」
ルカは力技でアランの手を退け、服に付いた埃を払うように掴まれていた胸元を叩いた。
殺伐とした空気が流れ、隊員たちの顔には不安の色が広がる。
ルカほどの実力があれば、この魔の森を1人で進むのもそう難しくないのだろう。
けれど、彼はアランの護衛の任務に就いている。
そのため、先を急ぎたい気持ちとは裏腹に、足止めを食らっている状況だ。
「それなら、隊員たちを責めるんじゃなくて、おれを責めろよ……おれが原因だって言えよ……そうすれば、おまえの気持ちも軽くなるだろ……」
弱弱しくアランが言うと、先へ進もうとしていたルカは足を止めた。
彼は目を固く閉じ、握った拳は白く変わり、白い手の甲には血管が浮き出ている。
固く閉じられた口元からは、悔しさが滲み出ているようにも見えた。
アランは確かに、レティシアを王都に連れて行こうとしたルカを止めた。
しかし、アランの出した条件が受け入れられず、結局レティシアを置いていく判断をしたのはルカだ。
互いにやり場のない後悔が滲み、どちらも誰かに責められた方が気持ち的に楽なのかもしれない。
「ルカ様、アラン様、御二人がいがみ合う時間は、我々にはありません。どうか、2人とも冷静になってください。ハッキリ申し上げますと、今の御二人は、どちらも足手まといでしかありません」
いつもは無口なアルノエが落ち着いた様子で言うと、2人が彼の方を向いた。
レティシアがいなくなった話を聞いた時、1度アルノエは宿屋を飛び出している。
そのため、その彼に言われたことで、2人は驚いた顔をした。
アランとルカは、呆れたように顔を見合わせると、眉を下げて困ったように笑う。
きっと彼らの中に沸いたわだかまりは、完全に払拭できていない。
それでも、アルノエが小さなきっかけを作ったことは、間違いないのだろう。
アルノエの一声で、討伐隊は先に進むこととなった。
しかし、実力者の2人が揉めたことにより、重たい空気が彼らには流れる。
だが、襲撃を受けた際、苦戦を強いられた時よりも、隊員たちには余裕が見えた。
それは些細な違いだったが、それでも討伐隊の指揮を執っていたアランは、何度もルカの方を見てしまう。
けれど、アランがルカを見るように、ルカもアランを気にするように何度も彼を見ていた。
日が沈み、野営ポイントに着いた討伐隊は野営の準備を始めた。
前回は小さな女の子が、彼らを手伝い、彼らと楽しげに話していた。
そのことを思い出したのか、ルカの目には涙が浮かび、顔を背けて茂みの中に入っていく。
涙が零れ落ちないように、上を見上げたルカの視界には、星空が広がる。
立ち止まった彼は小刻みに震え、その背中はとても小さく見えた。
夜風は彼を優しくなでるが、それすら彼に孤独を伝えてしまう。
「目が届く範囲にいるのは……当たり前って……言ったのに……おまえは、どこにいるんだよ……」
囁くように言ったルカの悲し気な声は、風に乗って消えていく。
しかし、足音が聞こえると、彼は静かに振り返る。
「なんか用か?」
先程とは違い、ルカの冷たい声はその場に留まったように重い。
けれど、足音の主は、まるでそれを気にしていないかのように、1つにまとめている赤い髪を揺らして歩みを進める。
「少し話がしたい……だから、少し歩こう」
返事は返さなかったが、ルカはアランが追い越すと、彼の後を歩き始めた。
月明かりが照らす足元は暗く、まるで木の根や低木が2人の行く手を拒んでいるようだ。
それでも獣人であるアランと、闇の精霊と契約しているルカには関係ない。
木に残された爪痕をアランがなでると、彼は話し出す。
「この爪痕も、ステラが残したんだろうな……」
「そうだな……彼女は賢い、俺たちが森に入った時のことを考えたんだろう」
「……悪かったな……あの時、ルカの言う通り、ララも連れて行けばよかった……」
「いや……最終的に、彼女を連れて行かない判断を下したのは、俺自身だ……アランは悪くない……」
「……ルカはさ……全部背負い過ぎなんだよ。おれが出した条件が呑めなかったから、彼女を残したんだろ? それなら、ルカじゃなくて、おれの責任だよ」
「いや、だから」
「なぁルカ、おれはルカよりも年下だし、彼女のようにルカとの付き合いも長くない」
アランはルカの言葉を遮って言うと、木に触れていた手は拳を握った。
そして、彼は吐き出すかのように話を続ける。
「だけど、君に何度も助けられた……今回もそうだ……だから、あの時……少しでも君たちに及ぶかもしれない危険を、回避したかった。でも、それはおれが、あの瞬間だけを考えていたからだ。その結果がこれだ……だからさ、おれが悪いんだよ……分かってた……ルカが条件を呑めないこと……だから……だから……ごめん……」
実際、城にレティシアを連れて行かなかったことは、正解でもあった。
闇の精霊と契約しているルカの近くには、城に滞在している精霊師が付きまとったからだ。
そして精霊師の近くには、教会に所属している聖女がいた。
そのことを考えれば、レティシアを連れて行っていた場合、何かしらの事件に彼女が巻き込まれていた可能性もあった。
「アランは悪くないさ……今回はタイミングが悪かったんだ……彼女にとって、母親が何よりも大切だと分かってた……」
悲しげに言ったルカの言葉は、普段の彼から想像もできないほど弱々しかった。
それは、彼の話をアランがレティシアに伝えた時のように、消えてしまいそうである。
アランは振り返ると、いつも頼りにしているルカの姿が、とても幼く見えた。
「……タイミングだって分かってる、でも……彼女は、ルカも大切にしてたじゃん」
「違うよ……気付いたんだよ……彼女がいなくなって初めて……気付いた……彼女の気持ちも……俺の気持ちも……」
目を伏せながら言ったルカの声は、風に搔き消されそうなほど切なかった。
アランにはレティシアの気持ちなど分からない。
しかし、アランは短い期間でも、レティシアとルカがどのように関わっているのか見て来ている。
そのため、彼は思っていたことを口にする。
「彼女の気持ちってなんだよ……それに、今さら自分の気持ちに気付いたのかよ。誰が見ても、ルカの気持ちなんて分かってたよ。皇子のことも牽制してたし」
やや呆れ気味にアランが告げると、ルカは微かに笑った。
けれど、その微笑は儚く、夜の風に消えていく。
「……そうだな。でも、あの時は分からなかったんだよ……彼女に寄せるこの気持ちが純粋な依存なのか、それとも遠い過去の縛りなのか……それが分からなかった。だから、彼女がいなくなって気付いた……だから言える……多分、彼女は俺に特別な感情を抱いてるわけじゃなくて、彼女は俺に同情してるんだよ……だから、大切にしてくれた……守ろうとしてくれた……」
「ルカの気持ちを彼女に伝えたら、変わるんじゃないのか?」
アランの言葉を聞いたルカは一瞬黙り込み、そして目を伏せた。
「……いや、俺の気持ちを、彼女に伝えるつもりはない」
そう言った彼の声は風に消え入りそうだった。
「伝えて距離を取られたり、よそよそしくされた方が、多分俺は耐えられない……だから伝えるつもりも、彼女との将来も考えてないさ……」
「嘘だな……ルカは彼女が気付いてくれるのを期待してる。でもな? 彼女がおまえの気持ちや、彼女がおまえに寄せる気持ちの正体に気付くには、おまえ以上に時間が掛かると思う。だからこそ、今後のことも考えて、おまえの気持ちを伝えた方がいいと思うよ」
「そうだな……今後のことも考えれば、伝えた方が俺も気持ちに余裕ができる。でも、俺の気持ちはいいんだ……このままで、いいんだよアラン」
ルカの目は遠くの空を見つめ、口元は固く結ばれ、顔全体が彼の心の葛藤を物語っている。
そのため、アランはそれ以上ルカに対し、何も言えなくなった。
何を彼に伝えても、そう簡単に明言したことを変えるような人じゃないことを、アランは知っているからだ。
「……そっか」
アランは竜と人のハーフだが、獣人族の中には番を探し求める種族もいる。
実際、竜人も番を探す傾向があるため、幼い頃からアランは番についても教わってきた。
人族であるルカには、番という概念は存在しない。
けれど、ルカにとってレティシアが彼の番に当たるのだとアランは考えると、アランが失くしてしまった番の笑顔が脳裏に浮かぶ。
この国の闇に静かに消えていった1人の獣人族を、知らない者も多い。
しかし、アランは彼女のことを1日でも忘れたことなどなかった。
「大丈夫だよルカ……必ず探し出すから……君までおれと同じ過ちも、後悔も背負わせたりさせない……」
風に搔き消されるほど、か細い声で言ったアランの声はルカには届かない。
だけど、確かな決意がブルーグリーンの瞳に、ハッキリと見えた。




