第9話 赤と黒の訪問者
翌日の昼過ぎ、この日はいつもとは違い、エディットの部屋には大量の本が持ち込まれていた。
昨日、ジョルジュはエディットに許可を得た後、すぐさま息子のモーガンに連絡を取った。
そして、至急フリューネ領土にある屋敷に来るように呼び出した。
オプスブル家からの返答は、今日の夕方にフリューネ家に到着するというものだった。
この報告を、エディットと一緒にいたレティシアは昨日のうちにジョルジュから受けている。
そのため、今日のレティシアはいつものように寝たフリもせず、庭から帰った後は、エディットの部屋で静かに本を読んでいる。
(それにしても、オプスブル領からフリューネ領って、連絡を受けてすぐに出発しても、1日半くらいで来られる距離じゃないよね……)
ふとレティシアは本のページをめくりながら思うと、先日に見たヴァルトアール帝国の地図を思い浮かべて考え始めた。
(地球にいた時の交通手段で考えたら、直行距離で時速80kmの車を使っても約2日かかる距離を、馬を使っても1日半で来るのはまず無理ね。あと考えられるのは、地球にあった飛行機に似た乗り物があるか、それとも自力で魔法を使って飛んで来るか……。でも魔法の長距離移動も、魔力消費量を考えると非現実的ね。あれ? もしかして、本当は考えていたよりもこの大陸自体が案外小さいのかしら……? それとも、計算が間違えているの?)
レティシアは長期記憶で全ての記憶があるが、計算式が頭の中に入っていても、無数にある全ての答えを知っているわけではない。
なので、計算だけは記憶に答えがなければ、自力で計算するしかない。
彼女は計算し直すと、先程の答えで間違っていなかったと再確認した。
(大陸自体が小さいわけじゃないのなら、馬以外に私が知らない乗り物が、この世界に存在しているか……。過去の前世でもあったワープかゲートのような魔法が、この世界にも存在していると考えた方が現実的だわ。ワープかゲートを使えば確かにあの距離を1日半で、移動できる。――後は、その規模ね。人が通るだけの規模なのか、それとも馬車とか大きい物が通れる規模なのかによって、私も使えるのか使えないのか変わってくる。過去の前世で使っていたワープを使おうとして使えなかったことも考えたら、実際に実物を1度確認する必要があるわ)
レティシアが考えを巡らせてると、リタが彼女に紅茶を出す。
どうやら、いつの間にか本を読む手が止まっていたようだ。
『リタ、ありがとう。私、リタの入れてくれる紅茶が好きよ』
「レティシアお嬢様、お褒めいただきありがとうございます。今後もエディット様とレティシアお嬢様に喜んでもらえるよう、日々精進していきます」
昨晩、リタはパトリックと一緒にレティシアの部屋を訪れ、エディットの部屋での失態について謝罪した。
確かにレティシアは2人が声を荒らげたことに多少は驚いたが、少しも2人の発言や態度を気にしていなかった。
しかし、レティシアは過去の人生で使用人として働いていた過去がある。
だからこそ、2人の行動をただ笑って許すことは間違っているのだと思った。
そのため、彼女は少しだけ強い口調で、次がないように気を付けてほしいと伝えた。
紅茶が入っているティーカップを手に取ると、レティシアはリタの様子がいつもと変わらなかったことにホッとする。
それから、窓辺に座りながら刺しゅうを指しているエディットを見つめた。
レティシアは時折エディットのその様子をみて、胸が温かいような気持ちになる。
(もうちょっと大きくなったら、お母様に刺しゅうのやり方を教わろう……。別に刺しゅうができない訳じゃないけど、お母様に教わりながら一緒に刺しゅうがしてみたい)
レティシアは手元にある本に視線を戻し、再び本を読み進めていく。
夕方頃。
予定通りの時間にモーガンが到着したと聞き。
レティシアはリタに抱き抱えてもらって、エディットと一緒にモーガンのいる玄関ホールへと向かう。
けれど、エディットの足取りが少しだけ緊張しているようにレティシアは感じた。
廊下の壁は白く、けれど3人の影が壁に黒く映り、重たい足音が鈍く響く。
玄関ホールに到着すると、先程到着したであろう長身の男性が、険しい表情をしてジョルジュと会話をしていた。
ふっとレティシアが男性の背後に目をやると、帽子を深くかぶった少年が立っている。
エディットたちに気が付いた少年は、男性をツンツンと肘で突っつき目配せをし、レティシアたちが来たことを男性に伝えた。
男性はジョルジュとの会話を一旦やめると、少年の方を一瞬だけ見たが、すぐにエディットたちがいる方を向いてジョルジュと少しだけ話しているようだ。
それから、男性はエディットたちの方へと向かって歩き出すと、少年も帽子を脱ぎながらその後に付いて行く。
レティシアはエディットの様子を、左斜め後ろから観察するように見ていた。
すると、ほんのわずかな目の動きなどから、少年とエディットが会ったことがないことがレティシアには分かる。
レティシアはジョルジュの髪色が白髪だったことから、訪ねてくる息子のモーガンも白髪かと予想していた。
しかし、モーガンだと思われる長身の男性の髪色が、焦げ茶よりの黒だったことにレティシアの気持ちが高ぶってしまう。
今までの過去の転生した世界にも、決していなかったわけではない。
レティシアは黒系の髪を見ると、最初の人生を思い出して苦しかったことが多かった。
それでも、それと同じくらいに、日本のことが懐かしいと思う気持ちがあった。
男性が連れていた少年も髪色は黒だが、長身の男性よりさらに黒く。
一言で表すなら “漆黒”
良くないことだと思いながらも、レティシアは長身の男性と少年を何度も交互に見比べてしまう。
何度も見られていることに気が付いた少年は、少し片眉をあげて不快そうな表情をした。
けれど、感情が高ぶっているレティシアは、そのことに気が付いてないようだ。
(うわぁ……綺麗な漆黒だわ……。鼻筋や顔も整っていて、将来は結婚相手に困らなそうね)
この世界で初めて黒髪を見て感情が高ぶったレティシアだったが、よくよく長身の男性と少年のを観察する。
すると、ジョルジュと髪の色は違ったが、2人ともルビーのように赤い瞳をしていたことに気付く。
その瞳の色で、彼らがジョルジュの身内だという考えにたどり着いた。
なぜなら、赤い瞳の人間はこの国に少ないと、レティシアが以前に読んでいた本に書いてあったからだ。
実際この屋敷でも、ジョルジュ以外に赤い瞳の人を、レティシアは見たことがない。
レティシアは静かに2人を見ながら、歴史書の内容を思い出していた。
神歴1431年10月19日ヴァルトアール帝国。
深夜に爆発音が聞こえると、黒い煙が立ち込め、ヴァルトアール帝国に魔族が攻め込み、人族を襲い始めた。
帝国騎士団と各地の騎士団が集結し、魔族と交戦するも、魔族を退かせるだけという結果となった。
負傷者156名、死亡者259名、行方不明者652名の甚大なる被害を出した。
そのような事件があったことから、このヴァルトアール帝国では、黒い髪も、赤い瞳も、忌み嫌われる。
その理由は、魔族の上位には、黒髪をした赤目が多いのも魔族を連想させるからだ。
このヴァルトアール帝国に魔族はいない。
過去には帝国にも魔族が住んでいたこともあるようだが、それも魔族に攻め込まれて以降は帝国に魔族は住まなくなった。
補足として、歴史書に事件の行方不明者は、魔族に連れていかれた可能性があると書かれていた。
(歴史書の補足に、不確定なことまでも書いてしまうくらいには、当時の傷がまだ癒えないんだろうなぁ。長寿が当たり前の帝国だと、たった57年前のことだもんね……)
レティシアはそう思うと、それでも見た目で判断するのは違うと思った。
「久しぶりねモーガン。ごめんなさいねぇ、せっかくのルイズとの時間を邪魔してしまって? ところで……、そちらは?」
いつもふわふわしているエディットが、長身の男性であるモーガンに対し、高圧的な態度を示しながら、少年を上から下まで見てモーガンに聞いた。
「エディット様お久しぶりです。こちらは、私とルイズの息子のルカです」
モーガンはエディットの態度に内心戸惑っていたが、そのことを悟られないように答えながら、ルカと呼ばれた少年の肩に手を置くと、ルカは口を開く。
「エディット様、お初にお目にかかります。私オプスブル侯爵モーガンの嫡男、ルカ・オプスブルでございます。私はまだまだ勉強不足であると思いますが、少しでもエディット様のお役に立ちたいと思い父と参りました」
そう言い終わると、ルカとモーガンは共に深々とエディットに対して頭を下げた。
エディットは、ルカをまるで品定めをするかのように見た後、短く「そう」と返すとリタに目配せをする。
すると、レティシアを抱いてエディットの後ろに控えていたリタがエディットの隣に並び立つ。
「娘のレティシアよ」
いつもより高圧的なエディットの振る舞いに、レティシアは不思議に思っていた。
けれど、今はまだ乳児でも、前世の記憶を持った転生者であるレティシアは、不思議に思っていても、そのようなそぶりを見せないように努力する。
ただ、あいさつは大切だと思ったレティシアは、エディットの態度から考えると、甘く見られたらダメな相手なんだと認識せざるを得なくなった。
そんな相手に、舌っ足らずな口調で会話する訳にはいかないと思う。
だが、普通の1歳児がどこまで話すのか分からない。
何が正しいのかどうしたらいいのか分からず、彼女は困惑する。
そして悩みに悩んだ結果。
レティシアはテレパシーを使うことにする。
『フリューネ家長女レティシア・ルー・フリューネです。今、皆様にテレパシーを使って直接語りかけています。私がテレパシーを使えると言うことは、どうかまだ内密に』
モーガンとルカの頭の中に直接喋りかけてレティシアが伝えると、モーガンとルカは目を大きく開けて驚きを隠せない様子でいる。
普段のレティシアは、特定の相手にしかテレパシーを使わない。
その相手とは、エディット、リタ、ジョルジュ、そしてパトリックであり、彼らとは日頃から頻繁に会話している。
そのため、彼らはレティシアが使うテレパシーに彼らは慣れていた。
その3人が今は、なぜか困惑した様子のモーガンとルカに対し、勝ち誇ったような態度をとっている。
そんな3人に対し、レティシアは横目で冷たい視線を向けていた。
(テレパシーは、失敗だったわね……。3人とも大人気ない。テレパシーは頭の中に直接話しかけるから、慣れてないと不快に感じる人もいるって説明したのに……)
そう思ったレティシアは、3人の態度に呆れるしかなかった。




