番外編*忘れぬ光に咲く星の雫~
神歴1467年7月。
黒と青を溶かし込んだような空が広がり、そこに白い光を放つ無数の星々が煌めいていた。
静かな夜の空気を震わせるのは、遠くで鳴る楽器の音色。
それと混ざるように笑い声や話し声が響き、まるで静寂を許さないようでもあった。
大広間にはドレスが揺れ、程よいリズムが刻まれている。
しかし、バルコニーでは、男性の長く重たいため息が響いた。
彼の胸元には、ヴァルトアール帝国の皇子だと誰でも分かる紋章がキラリと輝く。
「このようなパーティーは、些か息が詰まる……時間は有意義に使うべきであろうに……」
ロッシュディ・デュ・ド・ヴァルトアールは室内を見渡しながら呟き、再び深く息を吐き出した。
煌びやかな照明は、この帝国が魔法に秀でた国であることの象徴しているように思えた。
壁際にずらりと並ぶ長テーブルには、豊かさを誇示するように豪奢な料理が並び、少しばかり優越感に浸る。
だが、それが自らの功績ではないことを、誰よりも彼自身がよく知っている。
彼はそっと紋章をなでると、明るく照らされた大広間に背を向け、空に視線を向けた。
「はぁ、疲れたぁああ!!」
不満に満ちた声が聞こえると、ロッシュディは声がした中庭の方に視線を向けた。
吹き抜けた風によって銀の髪がなびき、月明かりに照らされた姿は幻想的で、一瞬にして心を奪われた。
揺れる毛先は黒くも見えるが、風に揺れるたびに黒ではなく、青だということが分かる。
手には髪飾りが握られており、結っていた髪を解いたのだと、すぐに理解できた。
足元に視線を向ければ、靴は履いておらず、少し離れた所に二足の靴が転がっているのが見えた。
ロッシュディは手すりに頬杖を付き、暫く少女の動向を静かに眺めた。
しかし、少女が踊るようにしてクルクルと回り出すと、思わず笑みが零れ、彼女から目が離せなくなった。
時折、小さく少女の口が動き、笑みを浮かべる彼女の姿は、まるで妖精にも思える。
「そなたの歌声を近くで聞いてみたい……」
歌っているのだと思い、ロッシュディは何気なく呟いた。
だが、少女がこちらを向いた時、視線を逸らすことができず、時が緩やかに進む感覚に襲われる。
少女のロイヤルブルーの瞳は息を呑むほど美しく、自然に口からは「美しい……」と言葉がもれる。
星空を凝縮したような瞳は全身の毛を逆立たせ、耳の奥に届く胸の高鳴りは、瞬きすら忘れさせた。
「ロッシュディ殿下、こちらにいらっしゃいましたか……」
エミリア・イネス・マルシャーは、ロッシュディを見つけると、軽く息を吐き、礼儀だけを形にして声を掛けた。
しかし、彼からの反応は一切なく、仕方ないと諦めて彼の近くへと歩みを進める。
わずかに踵が痛み、靴擦れを起こしているのだと気付くが、弱みは見せたくないと思った。
「シリウス陛下が怒っていらっしゃいましたよ? 婚約者を放置するなど、言語道断と……」
冷静に努めて言うが、それでも反応がなく、エミリアは内心で小さくため息をつく。
聞こえているのかすら分からず、真横で改めて「何を見ているのですか?」と問いかけるが、答えは返ってこない。
しかし、彼の視線の先を追うと、見知った顔があり、素で「あら……」と言ってしまい、咄嗟に口元を押さえた。
「エミリア! 今日会えないと思っていたけど、婚約おめでとう!!」
元気な様子で大きく手を振る友人の姿に、エミリアも自然に頬が緩んで心がふわっと軽くなる。
昔から変わらないなぁと思いつつ、少しだけ複雑な思いが胸を支配する。
エディットの自由な心は場の空気を明るく染め、誰にでも差し伸べる手は、いつだって温かい。
些細な変化にも気づき、自分よりも他人を大切にできる彼女を……今日は、少し眩しいとすら感じてしまう。
「エディット、ありがとう。私もあなたに会いたかったわ」
月明かりは2人を照らし、一間の静寂を2人に与える。
けれど、ハッとした様子でエディットが周りを見渡し、足早に歩き出した。
「ちょっと待ってて! 今すぐにそちらに行くわ!!」
エディットの声を聞き、咄嗟にエミリアは少しだけ視線を動かした。
そして、隣に居る人物がわずかに視界の隅に入ると、すぐさま努めて明るく振る舞って答える。
「エディットいいのよ! それよりも、あなたのご両親が探していましたよ! そろそろ、帰るそうです!」
「そうなのね! エミリア、次はいつ会えるかしら? また、リタも含めて3人で遊びましょう!」
エミリアはエディットの言葉を聞き、少しだけ胸を押さえてしまう。
これからは立場も変わり、エディットとは昔のように話せない可能性の方が大きい。
それでも、政治が絡んでいる以上、状況が変わらないことも知っている。
複雑な思いは胸を締め付け、幼い頃の思い出が胸の奥を熱くさせる。
喉が詰まりそうになるが、悟られないように笑みを浮かべる。
「ええ、私が皇宮に入る前に、また時間を作るわ!」
「お父様たちが呼んでいるみたいだわ。エミリア、またね! 婚約者様とこの後も楽しんで~」
エディットの姿が見えなくなるのを見届けると、ロッシュディは無意識に息を吐いた。
ほんのり胸は空虚感が支配し、走り去った少女の姿が頭から離れない。
けれど、それよりも……何もないところに向かって頷く少女の姿が、脳裏にこびり付いている。
「今の子は、そなたの知り合いか?」
エミリアは聞かれた瞬間、胸がドキッと強く鼓動を打ち、思わず息を止めた。
ひんやりと背筋は冷たく感じられ、どう答えるべきか瞬時に考える。
偽りを言えば、今以上に興味を持たれる可能性も考え、仕方なく事実を述べる。
「ええ、妹のリタが彼女の侍女をしていますわ」
「そうか……なるほどな」
ロッシュディの言葉は、どこか含みを感じさせ、エミリアの額には汗が滲んだ。
何度も強く叩きつける鼓動は、緊張と不安が入り交じり、見えない恐怖が渦巻く。
口の中は潤いを求めるが、こめかみには一筋の汗が伝るのを感じた。
自由なエディットが鳥籠に囚われれば、彼女の輝きは失われる。
そして、血は繋がっていなくとも、エディットを妹のようだと思っているからこそ、それだけは避けたい。
そのために、自分はここに居るのだと拳を握ると、エミリアはロレシオに冷たい視線を向けた。
「殿下、ご忠告しますわ。フリューネ侯爵家に対し邪な考えを持てば、皇家は滅びます。そのことを努々お忘れなきように……そして、私が政略結婚の相手に選ばれた理由も、どうか……くれぐれもお忘れなきようお願いします」
ロッシュディはちらっとエミリアの方を見た後、再びエディットが去った方を見つめた。
フリューネ家か――と考えると、視線を落として手のひらを静かに見つめる。
思わず鼻で笑うと、拳を握り「ああ、分かっておる」と答え、心の底から笑いが込み上げる。
(今は状勢も考え、諦めるとしよう……だが、いつか……必ず……)
彼は密かにそう思うと、その場に背を向けて大広間に入って行った。




