第79話 深夜の探索と落とし物
アランとの話し合いの後、ステラから報告を聞いたレティシアは、皆が寝静ままるのを待っていた。
それぞれが部屋へと向かい、寝たことを気配で確認した彼女は、音を立てないように支度を済ませる。
そして、誰にも見つかることもなく、部屋の窓から外に出ることに成功した。
『……レティシア、ステラは本当に止めた方がいいと思う』
夜の街を歩きながら、ステラは忠告するように、レティシアに声をかけた。
彼女たちが歩く表通りは、水晶で灯りが照らされているが、それでも薄暗く感じられる。
買ってもらったばかりの首輪に付いた青い宝石を揺らしながら、ステラは不安げな表情を浮かべた。
それでも、黒いフード付きのロングマントを着たレティシアは、気配を消して透明魔法を使う。
そして、できるだけ足音を消して足早に宿屋から離れて行く。
『仕方ないでしょ? ルカはアランの護衛だし、ノエはテオの稽古に付き合って、疲れているんだから』
『そうだけど……ステラはルカが怖い』
そう言ったステラは、何かを思い出したかのように、ぶるっと身を震わせた。
『それりもステラ、この先なのよね?』
『ええ、この先で不審な男たちが集まって話していたの。その時に、彼らから魔の森で感じた欠片と、似たモノを感じたの』
レティシアはステラに言われた路地裏に入ると、辺りはさらに暗く、深夜なのもあって誰もいない。
辺りを警戒しながら、彼女は周囲に光が漏れないように陰影魔法を使い、灯光魔法を使った。
辺りが明るくなると、2人はじっくりと魔法の痕跡がないか、あの紫の破片が落ちてないか隅から隅まで探す。
だが、魔法の痕跡も、紫の破片らしき物も見当たらない。
『何もないわね……』
『あの時、レティシアと視覚と聴覚を共有すべきだったわ。ごめんなさい』
『ステラ、別に謝らなくていいわよ。まだ私たちが契約を結んで、日が浅いもの。忘れていても仕方ないわ』
『……そうだけど……』
ステラはまだ言いたいことはあったが、気にしていない様子のレティシアを見て、それ以上何も言えなくなった。
そのため、少女から視線を逸らすと、彼女は記憶を辿り、男たちが立っていた場所や、歩いていた場所を念入りに探していく。
すると、壁と地面に挟まるようにして、キラッと光るものが目に付いた。
『ねぇ、レティシア、これはなんだと思う?』
レティシアはしゃがむと、ステラが指し示す銀色の物に手を伸ばし、それを手に取った。
その瞬間、灯光魔法に照らされた月と太陽の魔方陣が描かれたバッジを目にし、彼女は思わず眉間にシワを寄せ、首をかしげる。
『……前にもこれと同じ物を拾ったことがあるけど……これは魔塔に所属している、魔導師のバッジよ』
(……でも変ね……これってそんなに落ちやすいものかしら?)
冷静な頭でレティシアは疑問に思いながらも、バッジを空間魔法の中に仕舞った。
これは確かな証拠ではあるが、当時に疑わしい証拠でもある。
おもむろに彼女は立ちあがり、思考するかのように顎をなでた。
暗い路地裏は静けさに包まれ、虫の声さえ遠くに聞こえる。
白を基調とした建物が多い中、この路地裏の建物の色が、元から灰色だったのではないかと錯覚すらしてしまう。
昼間でも日があまり当たらない場所なのか、それともこの場所特有なのか分からない。
けれど、風が吹き込めば、背筋がゾクリとなでられ、気味の悪さに鳥肌が立つ。
しかし、突如として静寂は終わりを告げる。
夜の闇を切り裂くような甲高い女性の悲鳴が聞こえ、咄嗟にレティシアは振り返った。
一瞬で彼女の表情は険しいものに変わり、転生で得た経験が思考よりも早く動き出す。
短く鼻で息を吸い込み、微かに風の匂いに混ざる血の臭いが鼻につく。
彼女は頭で考えるよりも先に、足が動き出し、悲鳴が聞こえた方向へと駆け出した。
『レティシア! ステラは、行ったらダメだと思う! 戻ろう! レティシアが抜けだしたことを、ルカが気付く前に戻ろう!』
ステラはレティシアを追い駆けながら、必死に呼びかけた。
しかし、レティシアが足を止めることはなく、声がした方向に進んで行く。
悲鳴が聞こえたからか、表通りにある建物の部屋には灯りが灯され始めている。
黒いロングマントは風になびき、パタパタと音を鳴らす。
血の臭いはさらに濃くなり、走っていたレティシアとステラの表情がより一層険しくなった。
噴水がある広場に辿り着くと、人の気配は感じられない。
レティシアとステラは辺りを見渡しながら、噴水に近寄る。
すると、噴水の近くで横たわる人影が見えた。
レティシアは倒れている人の近くまで行くと、無残な姿の女性が倒れていた。
彼女は女性の首に触れて脈を確かめ、外傷の付近を確かめていく。
(遅かったわね。一見すると刃物で切り付けられたような傷口だけど、よく見ると刃物でできた傷じゃないわ……傷口からして、犯人は人じゃない……これは魔物の刃ね)
すでに女性が助からないことを確認したレティシアは、空の方を向き、星の位置を確かめた。
これによって、現時刻がだいたい何時なのか推定することができる。
それから、彼女は冷静な眼差しで、辺りを隈なく調べていく。
周辺を調べていると、噴水の近くにある花壇の中に、光る物を見つけた。
レティシアは持っていたハンカチを取り出し、花壇の中からそれを拾う。
銀色に光るそれには、月と太陽の魔方陣が描かれたいた。
先程、路地裏で拾ったものと同じである。
怪しむようにバッジを見つめていたレティシアは、人の気配が近寄ってきたことで、バッジを元にあった場所に戻した。
レティシアは浮遊魔法を使い、ステラと共に高い位置まで上がると、集まってきた人々の動きを眺めた。
地上では叫び声を聞いて駆け付けたギルド職員や、騎士たちが女性の周りに集まる。
横たわる女性の生命確認をする者や、動揺して震えている者までいる。
彼らの1人が花壇に手を入れ、何かを取り出して叫んだ。
「おい! これ、魔塔のヤツらが着けてるバッジじゃないのか!?」
声が深夜の広場に響き渡り、人々は一斉にその方向を向いた。
「どこにあった!?」
「この花壇の中だ!」
その声に、周囲の人々はさらに驚きの声を上げ、互いに困惑した顔を見合わせた。
彼らの間に広がる緊張感が、深夜のリグヌムウルブの街を包む。
だが、この状況があまりにも不自然にすら感じられ、レティシアは眉を顰める。
(何かがおかしいわ)
そう思いながら、レティシアは空中を歩いて宿屋に向かった。
上空の風が彼女の頭を冷やし、さらに冷静にさせる。
地上では人々が建物から出て、噴水のことを話していた。
宿屋にたどり着くと、彼女は静かに窓から入り、彼女の荷物が置かれている場所に向かう。
そして、荷物を前にして座ると、先程のことを考え始める。
(1日に2つも同じ物が落ちているなんて、なんか変よね? そもそも、魔塔のバッジはそんな簡単に落としたりする物? バッジが落ちていた場所だって不自然だったわ……それに……)
使用していた魔法を解くこともなく、レティシアは考えふけっていた。
灯りが点いていない部屋は暗く、けれど月明かりが静かに入り込む。
しかし、床に座る彼女に、音もなく人影が忍び寄っていく。
それはまるで闇と同化してたかのように、突如姿を現す。
すると、ステラは『ひぃっ』っと短く小さな悲鳴を上げた。
そして、慌てた様子で隠れるようにレティシアのマントに入り込んだ。
レティシアが突然身を震わせ、額から汗を流すと、彼女はゆっくりと後ろを振り返った。
そこには、しゃがんでいた人影が、首をかしげて彼女を見つめている。
その赤い瞳は月明かりに照らされ、怪しげに揺れる。
レティシアが退路を確認しようとしたが、赤い瞳の視線はそれを許さない。
「ルカ、こんばんは」
まるで自然にこぼれたかのように、魔法を解いたレティシアはあいさつした。
しかし、冷たい視線を向けるルカは、ニッコリと作り笑いを浮かべる。
そして、彼は彼女にも分かるように「空間消音魔法」と唱えた。
「ねぇ? レティシアは、俺と初めて会った時のことは覚えてても、俺が毎回のように言ってることは、覚えてくれないんだね? なんでなんだろう? 覚えられない理由を教えてくれるかな?」
「わ、私にもいろいろと調べたいことがあるの。い、今はステラがいるんだから、ルカが付きっきりで私に付いてなくてもいいのよ。そ、それに、私に何かあったら、ルカは私の居場所が分かるでしょう?」
ルカの右耳に着いているピアスを見て、ほんのり顔を赤らめたレティシアは下を向いた。
一線を引かれたかのようにルカは言われたが、同時に彼女が安心材料を提供する。
ルカは髪をかき上げて小さくため息をつくと、彼女の頭をくしゃくしゃとなでた。
「ああ、おかげでちゃんと付与の効果を、直に確かめれたよ」
ルカの右耳には、赤い宝石が付いたピアスがキラリと光る。
それは昼間、武器屋で買い物をした際、会計するためカウンターに向かったレティシアが買ったものだ。
宿屋に戻ってから話し合いが終わり、ルカが落ち着きを取り戻した後。
レティシアはステラの首輪とアランのピアスに、必要な付与を施した。
それが終わると、赤い宝石が付いたピアスに、付与を施してルカに渡した。
付与の効果は、彼女の意識と連携し、常に彼女の位置が分かるもの。
そして、彼女に危険が迫った際は、知らせるというものだった。
これは最初の人生で生きていた地球のGPSを元に、彼女が考えたものだ。
「収穫はあったか?」
「そうね……少しだけ私の中で整理がしたいわ」
「分かった、報告できるようになったら報告してくれ」
ルカはそう言うと、空間消音魔法を解き、アランが眠る部屋へと向かう。
気配が遠ざかると、ステラはマントの中から顔を出し、辺りを見渡してから外に出た。
『……また、怒られるかと思ったわ』
「私もよ……ルカの目を盗んで行動するのは、本当に難しいわ」
レティシアはそう言うと、立ち上がって窓の近くに移動した。
宿屋の窓から見える通りには、ギルド関係者や騎士たちが走り回っている。
微かに聞こえる彼らの声から、ちょっとした騒動に変わっていることが推察できた。
『ステラ、外に出て適当に歩き回ってくれるかしら? その時、視覚と聴覚を共有してくれると助かるわ』
『分かったわ。行ってくる』
ステラは窓から出て行くと、目的もなく、深夜の街を歩き始めた。
白い毛並みは軽やかに風になびき、首輪に付いた青い宝石が左右に揺れる。
ステラとの聴覚共有から、人々の話が鮮明に聞こえ、レティシアは耳を傾けた。
しかし、聞こえてくる会話に違和感を覚え、彼女の眉間には深いシワができる。
『ねぇ、ステラ。さっき女性が倒れていた場所まで行ける?』
『行けるわよ』
ステラはレティシアに言われて、噴水がある広場に向かう。
彼女たちがいた時よりも、人が多く集まっているようにも感じられる。
それでも、ステラは人混みを避けて端っこを歩き、広場に出た。
ステラの視覚共有から、レティシアは魔塔の魔導師たちや、騎士たちの姿が見える。
レティシアはその中に、ラウルの姿がないか探したが、ラウルの姿はどこにもない。
『ステラ、そのままどこかに隠れて、彼らの話を聞いてくれると助かるわ』
レティシアはそう言うと、力が抜けたようにその場に座り込んだ。
(体が重たいわ……魔の森から帰っても、一向に良くならない……)
右手で額を押さえるように俯いた彼女からは、短くも荒い呼吸が聞こえる。
『レティシア? 大丈夫?』
『ええ、大丈夫よ。なんでもないから、心配いらないわ』
その後、ステラは結局朝方まで噴水の近くで待機し、広場に来る人たちを監視していた。
けれど、その中にラウルの姿はなく、代わりに冒険者ギルド関係者や騎士たちが周辺を巡回していた。




