第78話 雪の姫と闇の精霊
料理店を後にしたレティシアは、元々予定していた武器屋へと向かっていた。
彼女は固く口を閉ざし、普段は聞こえない足音を鳴らしながら、つかつかと歩く。
彼女が力強く地面を踏むと、三つ編みにしている髪が弾む。
それはまるで湧き上がる怒りの矛先を、地面にぶつけているかのようでもあった。
(なんで偉い人は、こっちが聞いていることを全部話さないのよ! 隠し事をして、こちらの反応を楽しみたいの!? それにラウル王子が、お母様の件に関わっていたのなら、それはヴァルトアール帝国を攻撃しているのと変わらないわ。お母様が絡んでいる以上、フリューネ家が黙っているわけにもいかない!)
武器屋にたどり着くと、ルカは水晶が付いた武器を探しに向かった。
この時、いつものレティシアなら、彼に付いて行くところだ。
しかし、先程のこともあって、少しでも彼女は気持ちを落ち着かせたかった。
そのため、彼女は入り口近くに置かれている小物を見て回る。
棚には色や質感が違う、使い魔のために作られた首輪が並ぶ。
レティシアは首輪を手に取ると、素材や大きさを確かめながらステラに似合う物を探す。
そのうち、強張っていた彼女の表情は、いつものかわいらしい少女の顔へと戻っていく。
彼女は1つの首輪を手に取り、その首輪に付いた青い宝石を眺めた。
黒いチョーカー調の首輪にぶら下がる青い宝石は、シルバーに似た光沢の物で丁寧に装飾されている。
また、シンプルな留め具は赤い宝石が1つだけ付いている。
(これ……かわいいわね……使われている素材も丈夫そうだし、これにしようかしら……付与術を施せば、ステラでも使えそうだし)
レティシアは首輪を手に持ったまま、店内に置かれた装飾品を見て回る。
そして、片耳用のピアスに目が留まり、彼女は手を伸ばした。
しかし、伸ばした手は、同じように手を伸ばしていたアランとぶつかってしまう。
「あっ……ごめん……アランは、それが気に入ったの?」
「ん? あー、少しだけ良いなぁっと思っただけだよ。でも今は、ララが付与してくれた “これ” があるから使わないけど」
アランは、話しながら左耳に着けているピアスに触れた。
「そう、それなら、それにしましょう」
「えっ? いや、別にいらねぇよ?」
レティシアはアランの言葉を無視し、銀白のフープピアスに2本のスティックチャームが付いた物に再度手を伸ばす。
元々彼女は、アランのピアスに新たな付与術を刻もうと考えていた。
そのため、彼が気に入った物の方が、彼女にとっても都合がいい。
彼女はピアスを手に取ると、また店内を見て回るために歩き出す。
そんな彼女を見つめるアランの瞳は微かに揺れ、彼はレティシアの後を付いて行く。
彼は一瞬だけ立ち止まり、深く息を吸った後、頭をかきながら彼女に話しかける。
「なぁ、少しだけ聞きたいんだけどさ、さっきの店で最後に言ってたことって本気?」
「ええ、私は冗談であんなことを言ったりしないわよ?」
「いや、でもさ……あれは」
「アラン、ここで話すようなことじゃないと思うの」
レティシアは、アランの言葉に被せてハッキリと言った。
彼女の声は鈴のように透き通っていたが、声のトーンは鉛のように重い。
「……それも、そうだな」
アランはレティシアに対して思うことがあったのか、彼女のことを探るように見ていた。
彼のブルーグリーン色に輝いていた瞳は、深い森に迷い込んだように暗く、出口を探しているようにも感じられる。
暫くすると、買い物を終えたルカが荷物を持って、2人の元へと歩いてきた。
「俺の方は良さそうなのが買えたけど、そっちは?」
「思ったより早かったのね。それじゃ、いま持っているのを私も払ってくるわ」
レティシアが会計のために2人の元を離れて行くと、2人は彼女の背中をじっと見つめた。
店内に漂う鉄の匂いと混じるように、2人の間には重たい空気が流れ、息苦しさえ感じられる。
「ルカ、帰ったら3人で話がしたい」
「ああ、俺もララが暴走する前に、そうした方がいいと思う」
買い物を終えて宿屋の部屋へと戻ると、アランは「空間消音魔法」と唱えた。
そして、いつも彼が使う1人掛け用のソファーに向かうと、腰を下ろして言う。
「ララ、そこに座ってくれ。さっきの話の続きがしたい」
アランの声は固く、どこか張り詰めた空気が部屋の中に流れる。
レティシアは言われた通り彼の近くに座り、持っている荷物をソファーに置いた。
「いいわよ? アランは何が聞きたいの?」
「まず、君がラウルに言っていた自分に関することってなんだ?」
アランに尋ねられたレティシアは、ルカの方を確かめるように見る。
すると、ルカは静かに頷き、彼女の向かい側に座った。
それが合図だったのか、彼女は軽く息を吐き出し、ゆっくりと話し始める。
「ヴァルトアール帝国で、人が結晶化するっていう話、アランも知っているでしょう?」
「ああ、確か……突然発症したかと思ったら、どんどん体が結晶化して、最終的に亡くなる奇病だよな?」
「ええ、そうよ。私のお母様も、その奇病に罹っているの、もう5年も前からね……今は延命治癒を受けて、生き長らえているわ」
アランはレティシアの話を聞いて、一瞬だけ言葉を失くした。
普段の彼女からは、母親が大変なことになっていると考えられなかったからだ。
「……そうだったのか……知らなかったとは言え、聞いて悪かった」
「ううん、大丈夫よ」
「なるほどな……まぁ、問題なのはその後だ……君はガルゼファ王国と戦争する気か?」
手を組んで膝の上で頬杖ついたアランは、レティシアに真剣な眼差しを向けた。
きっと、本来彼はこれが聞きたかったことなのだろう。
しかし、そのことを彼が尋ねることを想像していたのか、レティシアには驚いた様子もなく、落ち着ているように見える。
「もしも、どちらにも魔塔が絡んでいて、ガルゼファ王国が魔塔を庇うなら仕方ないわね」
「ララ、君はまだ幼いから、そうやって簡単に考えてるのかもしれないけど」
「簡単には考えてないわ。戦争が憎しみと悲しみしか生まないことも、次の争いの火種にしかならないことも、無関係な人が巻き込まれることも分かっているわ」
レティシアはアランの言葉を遮って、彼女の意見を述べた。
今はまだ8歳の少女かもしれないが、違う世界の違う人生で、彼女は戦争を経験している。
だからこそ、争いで何も解決しないことも知っている。
しかし、争いで解決できることもあることを、彼女は知っていた。
「それならなぜ!」
「もし、魔塔が作ったものが原因なら、私は領民を魔塔から守らなければならない。魔塔が事実を認め、製作及び使用の中止しないのなら、これ以上被害が広がる前に、武力を持って戦うしかないわ。でも、こちら側の誰も巻き込まないやり方は、私が1人でも国を落とすしかないと思うの」
『それなら、ステラも力を貸すぞ。借りは返さなければならないからね』
窓枠に座りながらステラは言うと、金色の瞳がギラリと光った。
軽い身のこなしで窓枠から飛び降りた彼女は、堂々とした態度で歩く。
その姿は、小さな体なのに、数メートルもありそうな雰囲気を醸しだす。
彼女はソファーまで来るとレティシアの膝に飛び乗る。
そして、レティシアは膝の上に座った彼女に「ステラ、お帰りなさい」っと言うと優しくなでた。
彼女たちの間には、穏やかに時間が流れているように見える。
けれど、アランとルカは眉間にシワを寄せ、ただ黙って彼女たちを見つめている。
「ステラ、君の気持ちも分かるが、これは君が力を貸すべきことじゃない。ララの立場が悪くなる」
『ステラとララは主従関係よ? ララがやることに、ステラが力を貸すのは当然のこと。それに、魔の森の魔物は、あの破片に操られている。それ相応の報いは、受けてもらう』
「はぁ……分かったよ……でも、もしそうなった場合は、先に話し合いだ。それともう1つ……ララ、本当の君は一体誰なんだ?」
「アラン! それは」
「ルカは黙っててくれ! おれの国に、戦争しようとしてるやつがいるんだ! おれは、ちゃんと正体を知っておきたい!」
ルカはアランを止めようとしたが、逆に大きな声を出してアランはルカの言葉を遮った。
その声には、ハッキリと一線を引いたように王子としての重みがあり、ルカはそれ以上食い下がることなどできない。
アランが見つめる中でレティシアは立ち上がると、敬意を払いながら淑女の礼をした。
「本名を名乗るのが遅くなり誠に申し訳ございません。私の本当の名は、レティシア・ルー・フリューネでございます」
「はっ……やっぱり、あの皇子と同じで名前まで偽名だったのか、まだあの皇子の方が偽名にしても、かわいげがあるじゃねぇかよ……。それにしても、フリューネ家か……そりゃあ、王子相手でもルカが睨むわけだ」
呆れたように笑い、腑に落ちたようにアランが言うと、レティシアは眉間にシワを寄せた。
「アラン様、それはどういうことでしょうか?」
「あー、いい。いつも通りで構わない。フリューネ家の姫様は、教えてもらってないのか? 親交が深い王家に伝わる話だよ。オプスブル家とヴァルトアール皇家は、雪の姫を大切にしてる。そして、雪の姫に手を出せば、大地があれる……って、まぁ……本当の話か嘘かも分からないし、そもそも、雪の姫は何代も生まれてないって、聞いてるけどな」
「……雪の姫とか、何も知らないわ」
レティシアは唖然とした様子で呟いた。
そのことが意外だったのか、アランは不思議そうに彼女のことを見つめる。
「話は聞いてなくても、元になった話を読んだことがないか? フリューネ家の書庫とかになら、普通にありそうだけどな……闇の精霊と光の精霊、そして雪の姫と少年の話だよ」
この時、レティシアは昔フリューネ家の書庫で、1度だけ読んだ童話を思い出していた。
それは、いつも一緒にいる精霊たちの話。
争いが起きて大地が死んでいくと、雪の姫はそれをとても悲しんだ。
雪の姫は自分の命と引き換えに、少年と一緒に争いを止める。
光と闇の精霊は、雪の姫の死をとても悲しんだ。
そして、全ての力を使い、彼女が愛した大地を元に戻した。
その結果、光の精霊は力を使い果たして人となり、闇の精霊は、精霊のまま弱って生き残った。
雪の姫に置いてかれた少年と、光の精霊に置いてかれた闇の精霊。
少年と闇の精霊は約束を交わし、雪の姫と光の精霊が残したモノを、守って生きていくお話。
「……見たことがあるわ」
「その話に出てくる、雪の」
「アラン!!! 頼むからそれ以上は言うな!!」
「ルカ?」
ルカがアランの言葉を遮るように大きな声を出すと、レティシアは驚いてルカの方を向いた。
今にも泣きだしそうな表情を浮かべながら、ルカはレティシアのことを見ると、弱々しく言葉がこぼれたように言う。
「いいんだ……レティシアはそんなこと、知らなくていいんだよ……」
(もしかして、フリューネ家が雪の姫の末柄? それなら、闇の精霊はオプスブル家? そして光の精霊がヴァルトアール皇家?)
「そういうこと? だからオプスブル家は、同じ侯爵であるフリューネ家を守っているのね? 守れなかったから……」
ルカは呟くようにレティシアが言うと、固く目をギュッと閉じて下を向いた。
彼女にだけは知られたくなかった、遠い過去の出来事。
遠い過去の出来事は、記憶と力を引き継いだ彼の自由を縛り、人生を狂わせた。
しかし、彼がレティシアを護る理由に、過去は何も関係ない。
祈るように握られた拳は色が変わっていき、体は小刻みに震える。
「そう……なのね……でも、私には関係ないわ。ルカはルカだし、私は私よ? ルカが闇の精霊と一緒でも、一緒じゃなくても、ルカは私にとって大切な人よ。それに断言するけど、私は雪の姫の生まれ変わりじゃないわ」
「まぁ、君が雪の姫の生まれ変わりでも、生まれ変わりじゃなくても、ルカが君を守ってる時点で、その話を知ってる他国の王家から見たら、君は雪の姫様なんだよ。それに、ルカは闇の精霊と契約してるからな……なぁなぁ、姫ちゃんは知ってるか? 闇の精霊の力を使って、たまにルカが気配を消してること!」
『アランよ、ステラは人族でも、獣人族でもない。そなたが王子であることも、私には無関係なこと、気にも留めぬ。然れども、そなたがレティシアの大切なる者を傷付けようとするならば、私はそなたを決して許さぬ』
レティシアの膝の上で寝そべっていたステラは、目を細めて威嚇するように告げた。
親しみやすようにと変わっていた口調は古風なものに戻り、そこにはフェンリルとしての威厳が感じられる。
金色に輝く瞳は、まるで刃物のように鋭く、これが警告ではなく脅迫だと語る。
「分かったよ、悪かったって……。レティシア、ルカ……2人ともすまない……最後は調子に乗った」
(やっぱり闇の精霊のおかげだったのね……それなら、ルカに透明魔法や陰影魔法が見破られたのも、納得できるわ)
レティシアはそう思うと、ルカの様子を盗み見るように見た。
しかし、アランは心配そうにルカを見ると、レティシアとの会話を続ける。
「とりあえず、それなら今後も偽名は確定だな。皇子はレティシアの本名を知らなそうだし、何より今の状況でフリューネ家に手を出されたら、おれがいろいろと困る」
「ええ、お願いするわ」
レティシアはおもむろに立ち上がると、ルカの前までいき、その場にしゃがんだ。
そして、俯いている彼の手に優しく触れ、彼女はそっと手を重ねる。
ルカの手は強く握りしめられ冷たくなっており、それだけ知られたくなかったのだと、ルカの手に触れたレティシアは思った。
彼女は眉を下げて微笑むと、彼に優しく語りかける。
「ルカ、大丈夫よ。ルカと初めてあった日、ルカに言われたことを、私は忘れていないわ。ルカが私を守ってくれる理由に、オプスブル家は関係ないのでしょ?」
ルカはレティシアの小さな手を両手で握ると、何度も何度も頭を上下に振った。
彼女の優しい声も、鈴のように透き通る声も、あの頃と何も変わらない。
だけど、5年前フリューネ家を出た日から、確実に2人の関係は変わっている。
互いに1番の理解者だった2人が、あの日からオプスブル家とフリューネ家と立場を移していた。
これ以上、ルカはどうしようもない立場や関係で、彼女と距離ができるのはいやだったのだ。
レティシアは、ルカが落ち着くまで彼の傍に居た。
その後、ステラから話を聞いたレティシアは、その日の晩にこっそり宿屋を抜け出すことを決めた。




