第77話 不敵な笑み
レティシアとステラが契約を結んだ日。
野営ポイントから出発した討伐隊は、辺りが暗くなっても歩みを進めた。
それは彼らに幻獣であるステラが加わったことで、格段に安全が確保されたことも大きい。
そのため、アランが率いる討伐隊はリグヌムウルブの街に、日付が変わる頃たどり着いた。
だが、魔の森から戻って数日が過ぎると、今度は新たな問題に直面することとなった。
なぜなら、アランを狙った刺客が、レティシアたちが泊まる宿屋に次々と送り込まれたからだ。
予想していたことではあったが、引き続き魔の森と同様に気配や魔力探知を使って、常に警戒し続けなければならない。
そのため、ルカとレティシアは、常にアランの護衛に付き、アルノエはテオドールの稽古へと出掛けることとなった。
それは、アランが昼間に襲われた場合、近くにテオドールがいれば足手まといになると考えた結果だ。
そのことから、比較的自由に動けるステラが街へと出掛け、情報収集している。
そんな状態が、かれこれ2週間も続き、彼らはそんな生活にも慣れ始めていた。
神歴1496年7月25日。
いつものように情報収集に向かうステラを、レティシアは見送るためにドアに向かっていた。
彼女はステラを抱き抱えながら、小さな幻獣の白い毛並みをなでている。
「ステラ、いつも悪いわね。今日もお願いするわ」
『ステラに任せてレティシア!』
ステラは明るく言うと、レティシアの腕の中から飛び降りた。
そして、彼女は当たり前のようにドアへと向かう。
部屋のドアをレティシアが開けると、子犬のように元気よく駆け出していく。
その後ろ姿を見ながら、レティシアは手を振って見送ると静かにドアを閉めた。
(名前が気に入ったのね。初めて会った時は、一人称が私だったのに、ふふふっ、ステラったら、かわいいわ)
部屋の中を見渡したルカは、ステラがいないことに気付いた。
そして、ドアの近くで軽く口元を隠して笑うレティシアに、彼は声をかける。
「ステラは、もう行ったのか?」
レティシアは、ソファーに向かいながら答える。
「ええ、元気に出掛けて行ったわ。ステラに何か伝えたいことがあるなら、彼女に伝えるわよ?」
ルカは首を左右に振ると、手に持っていた薄い黒の上着を羽織りながら聞く。
「いや、大丈夫だ。アランと買い物に出掛けるけど、ララも一緒に行くか?」
「そうね……私も買っておきたい物があるし……一緒に行くわ」
レティシアは答えると、足早に荷物が置かれてる部屋の一角に向かう。
鞄から薄手の上着を取り出した彼女は、それを羽織り、肩からショルダーバッグをかけた。
彼女と一緒に移動していたルカは、彼女の荷物の中から同じ色のリボンとヘアブラシを手に取った。
そして、彼女の髪に手を伸ばし、手入れされていない髪に優しくヘアブラシを通す。
髪を丁寧に2つに分け、左右に三つ編みをし、1番下をリボンで結んだ。
彼は「できたよ」と言うと、彼女は少しだけ恥ずかしそうに「ありがとう」と告げた。
街は冒険者たちや、魔物の討伐に参加していた者たちが帰還したことで賑わい、熱気となって街に広がる。
人々の熱気と肌に纏わりつくような暑さが、宿屋とは違って外に出たレティシア、ルカ、アランの3人を襲う。
しかし、レティシアは密かに魔法を使い、彼女が過ごしやすいように魔力を纏っている。
「ねぇ、アランとルカは何を買うの?」
「あー、おれは次の討伐に向けていろいろとね。ララは?」
アランは、暑そうに指で襟元を摘まんで前後に振り、少しでも胸元に涼しい風を入れようとしていた。
彼の首には汗が浮かび上がり、その滴が徐々にシャツに染み込んでいく。
一瞬だけその不快感に彼は顔を歪めたが、すぐに笑顔を取り戻した。
「とりあえず、冒険者ギルドで魔物の素材を売ってお金を作りたいかなぁ? 後はステラのために、魔力で伸び縮みする首輪と、普通にアクセサリーとかもほしいわね」
「んじゃ、先に冒険者ギルドに行って、魔物の素材を換金するか……街に帰ってきた日は、時間的にステラの使い魔登録しかできなかったもんな……それにしても、今日もあちぃいな」
「そ、そうだね。アランありがとう! ルカは何を買うの?」
レティシアは、一瞬だけ暑がるアランの返答に困った。
彼女と同じように魔力を纏えばいいとも言えず、咄嗟に右隣りを歩くルカに話題を振る。
しかし、ルカは彼女の右手をチラッと見てから、また進行方向を向くと呆れたように話し出す。
「俺は冒険者が良く行く武器屋に行きたい。どこかの誰かさんが、俺が準備して渡した指輪を壊したからな」
そう言われたレティシアは、申し訳なさそうに小さくなった。
彼女の左隣を歩いていたアランは「自分で地雷を踏みに行くなよ」と小声で言うと、彼女はさらに委縮してしまう。
冒険者ギルドにたどり着くと、レティシアたちは建物の中に入り、真っすぐ受付のあるカウンターの方へと進む。
冒険者たちの装備が、ガチャガチャと音を鳴らし、それに混じって小声で話す声が聞こえる。
真ん中を歩く3人に、冒険者たちは蔑んだような視線を向け、揶揄する声と冷笑する声が交じり合う。
それでも3人は少しも気にする様子もなく、カウンターまで進むと受付の女性にレティシアが声をかける。
「魔物の素材を買い取ってほしいのですが、こちらのカウンターで大丈夫ですか?」
レティシアの言葉に、冒険者たちはドッとバカにするような笑い声を湧き上がらせた。
受付にいた人族の女性は、幼いレティシアのことを見て怪訝そうな顔をする。
けれど、彼女の両隣にいるルカとアランを見ると、すぐに作り笑いを浮かべて取り繕った。
「ええ、大丈夫よ。薬草じゃなくて、魔物の素材でいいのかな?」
「はい、魔物の素材で大丈夫です。それなりの量があると思いますが、お願いします」
レティシアはショルダーバッグから麻袋を取り出し、ドンッと音を鳴らしながらカウンターの上に置いた。
さらに麻袋に入りきらなかった魔物の素材を、バッグから次々に取り出し、カウンターの上にあったトレイに並べていく。
すると、大剣を背負った人族の男性が、レティシアの元へとニヤニヤしながら近付いてくる。
「おいおい、お嬢ちゃんよ~それ全部、本当は盗んだんじゃないのか? お友達の2人も強そうに見えないけどなぁ?」
男性の肩回りや腕の筋肉は盛り上がっており、彼は顎髭を触りながら3人を見て嘲笑う。
しかし、レティシアは男性の方を向くこともなく、素材をバッグから出し続けていた。
次々に積み上げられる素材に、受付にいた女性の顔は次第に驚きの表情へと変化していく。
全て出し終わると、彼女は作り笑顔を受付の女性に向ける。
「では、全て買取の査定お願いします」
「は、はい、査定してまいりますので、少々お待ちください」
受付の女性は慌てたように言うと、麻袋の上にトレイを乗せ、重たそうに持ち上げた。
そして、ふらつきながらカウンターの後ろにある部屋へと入っていく。
「おいおい、無視するなよ~お兄さんが悲しくなっちゃうじゃん、よぉ」
苛立った様子の男性は、レティシアの肩を掴んで振り向かそうと力を入れた。
けれど、彼女の近くにいたルカが瞬時に男性の手首を掴んだ。
「今すぐ、彼女から手を離せ」
ルカはレティシアの肩を掴んでいる男性の手を睨みながら言うと、長身の男性はルカのことを見下ろしながら挑発するように口を開く。
「あぁ? 離さなきゃどうなるんだ?」
その瞬間、男性の手を掴んでいたルカの手は、わずかに力が入った。
(前回も思ったけど、この国の冒険者は、見た目だけで相手を判断するわね)
レティシアはそう思うと、呆れて自然にため息がこぼれた。
彼女は掴まれた肩を見てから男性の方に振り返り、彼の顔を見ながら透き通る声で話す。
「私の記憶が間違っていないのなら、ギルド内で問題を起こした冒険者は、冒険者登録を抹消され、2度と冒険者として活動できなくなったはずよ。それでもいいなら、この手を離さなくてもいいわよ? 私はお勧めしないけどね」
レティシアがハッキリと告げると、みるみるうちに男性の顔は怒りで赤く染まっていく。
しかし、周囲からはレティシアたちに向けて「生意気なガキだな」「強がっちゃって」「怖くて、手足が震えてんじゃね?」と嘲笑う声が広がる。
けれど、レティシアやアラン、そしてルカからは、周囲が言うような様子は見受けられない。
「私もお勧めしませんね。それと、お兄さんは彼女から手を離すべきですよ? 少なくとも、彼女は先日行われた魔物の討伐に、参加していた討伐隊の1人です。なので討伐部隊に参加できないあなたより、彼女の方が実力は上だと、私は思っています」
掲示板がある方から、そういう声が聞こえると、ギルド内がざわついた。
レティシアの見た目から、彼女が討伐隊に参加していたのだと想像することもできなかったのだろう。
しかし、彼女は間違いなく討伐に参加し、貢献した1人である。
彼女の肩を掴んでいた男性は、驚きと困惑が混ざった表情を浮かべ。
咄嗟にルカの手を払うようにして肩から手を離し、耳まで赤く染めた。
彼は一歩、一歩と後退し、振り返ると急いで群衆に紛れていく。
男性が群衆に消えると、レティシア、ルカ、アランの3人は声がした方に視線を向けた。
魔塔のローブを身に纏った男性が現れると、わずかにレティシアは眉を顰めた。
三つ編みに結われた黒く長い髪が、歩幅に合わせて動き、ローズピンクの瞳が甘く揺れる。
彼は先日もこのギルドでレティシアのことを助け、さらに魔塔討伐隊として参加した人物だ。
(ガルゼファ王国の第1王子、ラウル・アル・エヴァンス。彼も冒険者ギルドに来ていたのね……それにしても、タイミングがいいような気もするけど、どこかで様子を見ていたのかしら?)
「また助けていただき、ありがとうございます」
レティシアはそう言って頭を下げると、ラウルは彼女の方を見ながらニッコリと笑った。
「いえいえ、知っている方がいると思ったので近寄ったのですが、何やら揉めている様子でしたので、口を挟んだだけです。どうか気にしないでください」
「アラン様に御用ですか?」
レティシアがラウルに尋ねると、彼は1度だけ首を左右に振った。
「いえ、私はそちらの彼……」
ラウルはそこまで言うと、レティシアの隣にいたルカに目を向けた。
「ルカさんと話がしてみたかっただけです。この後、少しだけお時間の方よろしいでしょうか?」
名前を呼ばれたルカは、目を細めてラウルの様子を窺うような視線を向けた。
レティシアとアランの2人は、ルカがどのように反応するのか静かに見守っている。
「アランとララが一緒でもいいなら、俺は別に構わない。ララとアランもそれでいいか?」
「私は別にいいわよ」
「おれも別に構わないよ」
「ありがとうございます。それでは、査定が終わるまで、私も一緒に待ちます」
胸に手を当てながらラウルが頭を下げると、長い三つ編みが腰からずれ落ちた。
そして、顔をあげて3人を見つめるローズピンクの瞳は、深淵を覗き込むように薄暗く輝く。
その後、かわす言葉もなく4人は査定が終わるのを待っていた。
この建物の中で、彼らのことを嘲笑う者は、もう誰もいない。
しかし、ラウルを除いた3人は、ラウルに対して警戒を緩めたりなどしなかった。
それは魔の森でのことを考えれば、自然なことかもしれない。
査定を終えたギルド職員が戻ると、予想していたよりも多く査定額を提示され、受け取ったレティシアの懐は潤った。
そして、彼らは冒険者ギルドを後にすると、昼時ということもあって料理店へと向かうこととなった。
彼らが料理店に足を踏み入れると、木製のテーブルと椅子が並び、温かみのある内装が目の前に広がる。
所々壁には花が飾られ、店の隅々まで活気に満ち溢れ、笑顔で対応する店員の額には汗が浮かぶ。
調理場からはシェフが腕を振るう音と、鍋やフライパンがぶつかり合う音が聞こえ。
それと同時に、焼き魚や煮込み料理の香ばしい匂いが鼻をくすぐりおなかの虫を鳴らす。
店内はほぼ満席に近く、客らの笑い声や会話が店内に響いている。
席に案内された4人は、それぞれが静かに好みの物を頼んだ。
しかし、注文を終えても、彼らが会話を始める様子もなく、ただ時間だけが過ぎていく。
食べ終えた客が席を立つと、店員がテーブルの上を片付け、新たな客を席へと案内する。
それでも4人がいるテーブルには重苦しい空気が流れ、彼らの席に注文された料理を運んだ店員の顔には困惑の色が見えた。
ラウルは祈りを捧げてから食べ始めると、まだ料理が来ていない3人は顔を見合わせてしまう。
けれど、次々に料理が運ばれ、顔を見合わせた3人は頷き合うと、祈りや手を合わせて無言で食べ始めた。
テーブルの上で微かに鳴る音は、周囲の音によって掻き消されてしまい、異様な光景にさえ見える。
店内の賑わいを見れば、料理の味に対する評価は相当高いことだろう。
だが、レティシアの表情からは、到底美味しそうに食べているとは見えない。
彼女は食べ終わると、他の3人が食べたことを確かめ、テーブルの上に広がる静寂を破る。
「ラウル様は、ルカに話があって私たちを待っていたのではないのですか? 話がないようでしたら、私たちは食事も終えたことですし、これで失礼しようと思います」
「……」
(何も話さないなら、なんで冒険者ギルドで私たちを待っていたのよ)
心の中でレティシアは悪態をつくと、椅子から立ち上がろうと腰を浮かせた。
すると、ラウルは固く閉じられていた口を、ゆっくりと開く。
「雪の姫は、私が考えていたより気が短いんですね」
レティシアは意味が分からず、少しだけ首をかしげてしまう。
だけど、彼女とは対照的に、ルカはラウルに対して強い殺気を含んだ視線を向けている。
「何を知ってる?」
低い声でルカがラウルに尋ねると、ラウルはチラッとレティシアに視線を向けた。
そして、薄っすらと笑みを浮かべ、ルカの方に視線を戻す。
「そうですね……それは先にルカさんと話をしなければ、私がどこまで話していいのか分かりません」
(ラウルは、最初からルカと2人で話したかったのね)
「雪の姫が何か知らないし、興味もありません。けれど、ラウル様は初めからルカと2人で話がしたかったのですね。それなら、なぜラウル様は、私たちを冒険者ギルドで待っていたのですか? ルカは私たちが同席してもいいか聞いたはずです。私たちがいて話せないようなら、私はこれで失礼します」
レティシアは言い切ると、迷う様子もなく立ち上がった。
それに加えて、もう1つ椅子がずれる音が聞こえると、アランも席を立つ。
彼女は歩き出すと、振り返ってルカに告げる。
「ルカ、私たちは先に行くわよ」
「いや、俺も行く」
ルカはラウルを睨み付けながら立ち上がり、レティシアたちの後を追うように歩き出す。
すると1人取り残されたラウルは、やれやれといった様子で首を左右に振る。
「ルカさん、雪の姫……御二人は必ず私の元に来ますよ……必ずね」
ラウルがそう言うと、レティシアの足がピタリと止まった。
その瞬間、賑わっていた店内に、一瞬だけ静寂が訪れたような感覚に陥る。
彼女は目を見開き、時が止まったかのように微動だにしない。
先程まで彼女の隣を歩いていたアランは、振り返って足を止めた彼女を見て、首をかしげてしまう。
けれど、軽く彼女は息を吐き出すと、時を進めるかのように話し出す。
「それは、私の件に関して? それとも、この魔物討伐の件に関して?」
「今はどちらとも……っとだけ」
ラウルが曖昧に答えると、レティシアは振り返る。
その顔には確かな覚悟と、決意に満ち溢れていた。
彼女は真っすぐラウルの目を見ながら、その決意を告げる。
「ラウル王子、私はあなたが何を知っているのか知りません。ですが、もしあなたが……、いえ、魔塔が私たちの敵だった場合、私は魔塔を許したりなどしません。そして、もし私の前にガルゼファ王国が立ち塞がるなら……その時は」
レティシアは不敵な笑みを浮かべると、彼女の目がわずかに淡く光る。
「私と命を懸けて、戦いましょう」
レティシアは堂々とした態度で言うと、完璧なカーテシを披露して見せる。
そして、彼女は振り返ると、背筋を伸ばし、前だけを向いて出口へと足を進めた。




