第72話 警戒の解ける瞬間
昼食後、ある程度落ち着き、移動を開始しなければならない時間となった。
空はまだ明るく、木漏れ日が地面に踊る影を作り出している。
アランが率いる討伐隊の隊員は、彼が立ち上がると静かに彼の言葉を待つ。
緊張が広がる中でゴクリと誰かが喉を鳴らし、アランは軽く隊員たちを見渡す。
堂々と胸を張り、ブルーグリーンの瞳で隊員たちを映し、アランは大きく口を開く。
「そろそろ出発するぞ! 帰りも気を引き締めていけ!」
アランの言葉で、隊員たちは重い腰を上げて行動を始める。
隊員たちの動作にはまだ疲労の色が見えたが、到着した時とはどこか違う様子が感じられる。
そして、アランが移動を始めると、彼の右隣りをルカが歩く。
急いで立ち上がったレティシアは、走ってアランの元へ向かい、彼の左隣を進む。
彼女の行動を疑問に思ったアランは、レティシアに「どうした?」と尋ねた。
すると、彼女は前を向いたまま答える。
「テオのことはアルノエに頼んだから、アランは自分の心配をしてちょうだい。この隊の要はアランなんだから」
レティシアが表情を変えずに言い切ると、アランは申し訳ない気持ちになった。
テオドールのことを時折護りながら戦っていたことで、彼女に心配を掛けたのだと彼は思ったからだ。
そして、彼女が自動防御壁を付与したピアスに、彼は無意識に罪悪感から触れてしまう。
「……分かったよ……それと、心配を掛けて悪かった」
レティシアはアランが話しながらピアスに、触れたのを見逃さなかった。
彼女は彼の行動が気になり、彼の左耳に付けてるピアスをよく見る。
すると、2度効果を付与したピアスが、残り1回しか付与が残っていないことに気付く。
その瞬間、彼女は無意識に彼女が作った回復薬が入っているショルダーバッグに触れて思う。
(アランに掛けた保険が、後1度だけって……もっと早くに気付くべきだったわ)
その後、魔の森を進んでいた討伐隊は、魔物と遭遇した。
けれど、これまでとは違い、討伐隊から攻撃を仕掛けることができた。
その結果、本来の戦い方ができ、隊員たちに気持ちの余裕が生まれてくる。
そのことから、隊員たちの疲労に染まった顔色が、少しだけだが良くなっていく。
道中で本来の戦い方ができた討伐隊は、日が暮れる前に予定通り野営ポイントにたどり着いた。
彼らは野営の準備を手慣れた手付きで整え、仲間と話し笑い合う。
野営ポイントでは緩んだ空気が流れ、隊員たちの顔には疲労ではなく笑顔が浮かぶ。
レティシアは楽しそうに笑う隊員たちを見て、少しだけ不安になった。
そして、この状況で襲撃を受けたら、対応できないと彼女は過去の経験から思う。
そのため、少しでも早く敵に気付けるように、魔力探知の範囲を広げた。
だが、それは同時にレティシアの負担が大きくなることを意味する。
ただでさえ、彼女は休むこともなく、魔の森に入ってからずっと魔力探知で周囲を警戒してきた。
その結果、夜は熟睡することもせず、常に魔力を消費し続ける。
疲労は蓄積され、倒れる寸前でもあった。
だけど、彼女が魔力探知の範囲を広げたことに、気が付いた人物がいた。
ルカは彼女の限界が来てることも、彼女の行動で薄っすらと気が付いている。
そのため、彼は彼女のことを心配し、テレパシーを使って話しかける。
『レティシア、ちょっと休め。俺が魔力探知の範囲を広げてるから心配はいらない』
『今から休んだら、明日の朝まで起きない自信しかないわ』
『大丈夫だから、少しは休んでいいよ』
『ごめん……それじゃ、お言葉に甘えて、少しだけ休むわ』
『ああ、おやすみレティシア』
『ルカ、ありがとう……おやすみなさい』
レティシアはそう言うと、テントの中に入った。
すでに体は気怠く、全ての魔法と警戒を解いて彼女は横になる。
体は沈むように力が抜け、意識はすぐに深い眠りについた。
紫がかった藍色とオレンジ色が混ざり合った夢見がちな空は、深い群青色に変わり星を綺麗に映し始める。
野営ポイントに響いていた話し声や笑い声は、次第に落ち着いて行く。
時折あくびをする声が聞こえ、ほのぼのとした雰囲気が流れる。
寝る準備を始める者、すでに眠っている者を焚火の音と森に吹く風が深い眠りに誘う。
ルカは、気が緩み切った討伐隊を静かに見つめる。
討伐隊はルカ、レティシア、アルノエ、アランのように、魔力を使って魔力探知しない。
そのため、4人に比べれば、疲労は少ないとも言える。
それなのに、わずかばかりの情報で、こうまで気が緩むのかと呆れた。
何事もなければいいと願いながら、彼は焚火に薪をくべる。
しかし、その願いは虚しく、範囲を広げた魔力探知に反応が現れる。
彼は瞬時に大きな声で叫んだ。
「敵襲だ!! 数50! 敵襲! 8分後に来るぞ! 起きろ!!」
ルカの声で野営ポイントには緊張が走り、隊員たちの顔には焦りが見える。
それでも、ルカとアルノエはテントを回り、皆を起こしていく。
しかし、ルカがテントの外から声をかけても、反応がない者がいた。
それは、完全に寝てしまったレティシアだ。
朝まで起きないと言っていた彼女の耳には、ルカの言葉など届かない。
何度も襲撃を知らせる声が響き渡り、その場の緊張感感は高まる。
1度完全に緩んでしまった気持ちを、完全に立て直すことは難しい。
だからこそ、レティシアもルカもこの状況を危惧していた。
時間は無情にも時を刻み、止まることを知らない。
ルカはレティシアを自分の力で、隠すことも考えた。
もし、起きた彼女が、討伐隊と同じようになっては危険しかない。
敵の数と状況を考えれば、隠している力を使っても仕方がないとも言える。
だが、ここまで積み重なってきた疲労で、力をコントロールできるのか彼には分からない。
成功すれば、敵は完全に倒し切ることができる。
しかし、失敗すれば、討伐隊も彼の攻撃に巻き込まれてこの世から消える。
彼は短い時間悩んで、彼女を起こすことに決めた。
それは、ルカが彼女を信頼しているからこそ、出した結論だ。
彼は心の中で「ごめん」と呟き、彼女にテレパシーを使った。
『レティシア、起きろ! 敵襲だ』
レティシアはルカのテレパシーが聞こえ、勢いよく起き上がった。
そして、突然起こされた苛立ちを堪え、そのまま急いでテントの外に出る。
状況を確かめるように、彼女は辺りを見渡し、大きな声でルカに聞く。
「ルカ! 敵の到着まで後どのくらい!?」
「悪い! 後5分もない!」
彼女は危惧していた状況になったのだと瞬時に察した。
寝起きという状態と、眠気が彼女を苛立たせる。
一度休息に入った体は睡眠をほしがり、気を抜けば眠ってしまいそうだ。
彼女は髪を結ぶと、この状況を早く終わらせるために告げる。
だけど、その言葉にはルカへの信頼も含まれる。
彼女はルカが、彼女の攻撃や魔法が失敗した時に仲間を護ってくると思ったのだ。
「ルカ!! みんなをできるだけアランの近くに集めて! 後は私がやるわ!」
レティシアは気持ちを落ち着かせるために、目を閉じて深呼吸する。
そして、魔力探知を使い敵の位置を確かめ、その方向に歩き出す。
瞼によって遮られた視界が、彼女の思考をクリアにする。
いつもより時間が掛かったが、それでも完全に彼女は敵の位置を把握した。
彼女は心の中で「半分八つ当たりで、ごめんね」と、これから倒す魔物に謝り、目を開けて魔法を唱える。
「氷連射弾魔法」
透き通る声が空気を震わせた瞬間。
瞬時に無数の氷が出現し、弾丸のように早い弾が追従するかのように魔物に向かう。
そして、氷の弾は魔物に触れ、その体を貫いていく。
倒し切れなかった魔物は、進行を止めずにレティシアに向かって襲い掛かる。
それでも、彼女はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、次の攻撃に出た。
「全てを凍てつくせ凍結魔法!」
レティシアが魔法を唱えると、空気は凍えるように冷たくなる。
微かに植物たちに霜が降り始め、彼女を中心に半径2キロにいた魔物だけが凍り付いていく。
離れた場所にいる隊員たちは凍りつくことなく、彼女の攻撃から守るように彼らの前にルカが立っている。
けれど、戦いが終わっていないかのように、彼女は攻撃の手を緩めない。
「これで終わりよ! 氷連射弾魔法!」
凍り付いた魔物たちに向かって氷の弾が放たれ、凍った魔物たちを貫いていく。
貫かれた魔物は、ガラスが割れるようにして砕け散り、その場には白い冷気が上がる。
レティシアは魔力探知の範囲の中に、魔物の気配がなくなると、その場に膝をついて座り込んだ。
その光景を見ていたルカは、魔法を解くと慌ててレティシアの元に走った。
彼は彼女の体を自分の方に抱き寄せると、トロンとした彼女の瞳と目が合う。
眠気の限界なんだと、彼は彼女の目を見て気付く。
彼女の唇が動き、彼は聞きこぼさないように耳を澄ませる。
「ルカ……ごめん、本当に寝るわ……今度こそ明日の朝に起こして……」
ルカはレティシアの体から完全に力が抜けたのを、彼女の重さから分かった。
スースーッと気持ちよさそうな寝息が聞こえ、彼は彼女の体を抱きしめて小さな声で言う。
「ああ、起こして悪かったよ……ゆっくり休んでくれ」
ルカは感じる体温と重さに、少しだけ泣きそうになった。
彼女の判断と、魔法の技術を知っているからこそ、彼女の邪魔はできない。
しかし、仲間を彼女の攻撃から護っていたのもあるが、それでも見ていることしかできなかったことを、彼は情けないと感じた。
護りたいのに、結局は護られ続けている。
だけど、極限状態で頼ってもらえたことも嬉しくて、感情がぐちゃぐちゃに混ざり合う。
もっと彼女に寄り添いたい、もっと彼女と共に歩んでいきたい。
なぜそう思うのか、彼には分からない。
それでも、伝わる体温が、この先も変わらず隣にあると考えた。
ルカは小さな体を優しく抱き上げると、彼女が使っているテントへと歩き出した。




