第61話 不吉な予感と秘密
ルカが頭を抱えてベッドに座り込んでいると、レティシアはあることに気が付く。
(もしかして……あの乗合馬車の……。多分そうだわ! だからこそルカは関わりたくないんだ!)
レティシアはそう思うと、パッとルカの方に視線を向けた。
(ルカはロレシオに、テオがいなくなったことを聞いて、すぐにあれがテオだと思ったのね。そう考えれば、あれだけルカが怒ったのも納得ができるわ。あれがテオなら、ルカにとっても、私にとっても、厄介でしかない。また会おうって書いたけど、こんなすぐにとは言っていないわよ! もう! 信じられない!)
レティシアはルカが怒った原因が分かり、頭を抱えたい気持ちになる。
そして、彼女は力が抜けたようにベッドに座ると、肘を膝に乗せて下を向いた。
レティシアにとって、テオドールは友達であり、彼に支えてもらった時期もある。
それでも、彼の軽率な行動で、ルカが仲間を疑い、裏切られたと感じたことは変わらない。
彼女はそのことを考えると、どうしても許せないと感じた。
沈黙が流れ、誰1人として声を出さないでいると、ルカが深いため息をついて話し出す。
「……ロレシオ、疑って悪かった」
『いえ、疑われるようなことをした俺に責任があります』
ルカはロレシオの返答を聞くと、頭を抱えていた手を膝の上で組んだ。
それから彼は、真っすぐにロレシオの方を向く。
「それでだ、ロレシオに聞きたい」
『なんでしょうか?』
「テオドールの親は、切羽詰まった様子で、ロレシオの所に来たんだよな?」
ルカに尋ねられたロレシオは、質問の意図が分からず首をかしげた。
しかし、ルカの顔が真剣なため、ロレシオは何かしら意味がある質問だということも理解できる。
『はい。そうですが、それが何か?』
「それは居なくなってすぐか? それともある程度探してからか?」
『そうですね……。居なくなったことに気付いて、すぐだったと思います』
ルカはロレシオの声を聞いて、床に視線を落とした。
それから、彼はできれば予想が外れていることを願いながら、レティシアに尋ねる。
それは、彼が確信に迫るための質問だ。
「レティシア、マルシャー領を離れる日取りを、マルシャー家の他に、誰かに言ったか?」
「マルシャー領を離れることは、精霊たちにも言ったけど、日取りまでは言っていないわ……。それに、出発する前にテオの家にメモを置いたけど、すぐに彼が追って来たら私でも分かったわ」
「……そうか」
予想が当たったことに、ルカは落胆して目を瞑った。
しかし、問題はこれからのことだと思いなおす。
彼は肘を膝の上に置いて、親指で顎を支えるように手を組んだ。
そして、ゆっくりと前を見て話し出す。
その声は、とても落ち着いていて、冷静だった。
「そうなるとだ、できれば考えたくなかったが、俺の考えが正しければ、テオドールは皇帝陛下と皇后陛下の子どもだ」
部屋の中なのに、外の音が良く聞こえた。
重い沈黙が流れ、ルカが深く息を吸い込むと、今度は短く吐き出した。
「もしそうなら、皇帝陛下が、なぜレティシアと精霊たちが会話できることを知っていたのか。そして乗合馬車の中で、俺とレティシアが微かに感じた精霊の気配も納得がいく。前もって出発日を陛下から聞いていたんなら、乗り込むのも難しくなかったんだろう。それに、精霊たちがテオドールの存在を隠していたのなら、俺とレティシアやアルノエが彼の存在に、気付くことはないからな」
ルカはそう言うと、体を起こして後ろに手をついた。
彼は天井を見上げると、思わず本心が口からこぼれる。
「あぁ~本当にめんどくせぇ~」
彼は今後のことや、テオドールの対応を考えると、思考を止めたい衝動に駆られていた。
それくらい、彼にとっては面倒くさいのだ。
相手が皇子ともなれば、適当な扱いもできない。
それに加え、正体を知っていれば、護衛しなければならなくなる。
悪態をつきたい気持ちを、ルカは必死に堪えた。
「でも、それなら変じゃない? 皇帝陛下と皇后陛下の子どもなら、ルカは会ったことがあるんじゃないの?」
レティシアは眉間にシワを寄せてルカに聞いた。
度々ルカが城に行っていることを知っているからこそ、純粋に彼女が疑問に思ったことだ。
彼女は、ルカが体を起こして膝の上でまた手を組むのを見て、彼の言葉を待つ。
「いや、実は生まれたことは知ってたが、会ったことがないんだ……他の皇子たちには、何度か城で会ったことはあるけど……」
(精霊が見えたことを、周りが知ったら他の皇子たちが蹴落としに出るわ……それを回避するためにも、皇后陛下の故郷で見つからないよに、住まわせていたのね)
レティシアは隠していた理由を考えると、呟くように言う。
「精霊が見えるから、隠していたのね」
「多分な……。ニルヴィス、ロレシオ、少し俺の方で陛下に確認が取りたい。事実が分かったら、また報告する。だが、もし予想と違ってたら、悪いが馬を乗り潰してでもテオドールを迎えに来てくれ」
『分かりました』『分かったよ~』
ルカは通信を切ると、すぐにもう1つの通信魔道具を懐から取り出した。
通信魔道具を1度睨むように見つめると、彼は通信をつなげる。
すると、待っていたかのように、通信はすぐさまつながる。
その瞬間、ルカは舌打ちをしそうになった。
『やぁ、君からの連絡が来ると、思っていたんだよ』
レティシアは聞こえる声が、どこか楽しげだと感じた。
映像はないのに、通信魔道具の向こう側で、声の主が笑顔だと想像ができる。
もしかしたら、この人が元凶だと思うと、彼女は声の主の態度を不愉快に感じた。
「皇帝陛下、お聞きしたいことがございます」
『なんだね? なんでも聞いてみるといいよ。ルカ君』
ルカは皇帝に言われると、苦虫を嚙み潰したような顔をした。
彼は皇帝の見下すような態度も、いつまでも彼を小馬鹿にするような態度も気に入らない。
さらに今回は、皇帝の行動でレティシアが危険に晒される可能性もある。
そのことが、ルカを余計に不愉快にさせる。
「では、お聞きします。テオドールは陛下の息子でしょうか?」
『そうだが? あの子なら、そっちに向かっただろう?』
「あなたって人は! 自分が何をしたのか、分かっているのですか?」
ルカは苛立って、腹立たしい気持ちを込めて聞いた。
すると、通信魔道具の向こう側から、楽しげに笑う声が聞こえてくる。
ルカは拳を強く握ると、できるだけ冷静になろうと気持ちを落ち着かせる。
『なぁに、もちろん分かっているさ。だからこそ、君の仕事にも、あの子を連れて行ってほしいんだ。それと安心していいよ。私からレティシアの本当の名前も、家の事情も、何1つ話していないからな。だからオプスブル家が怒るようなことは、していないさ』
「良いんですね? 俺もレティシアもアルノエも、決して彼を護りませんよ?」
ルカは通信魔道具を燃えるように赤い瞳で睨みながら、それでいて凍えるくらいに冷たい声で言った。
しかし、それでも向こう側から、皇帝の笑う声が聞こえると、彼の不快感はさらに増す
それでもルカは深く息を吐き出し、拳を握る手を緩め、状況を変えようと思考する。
『ああ、いいさ。それであの子が死ぬようなら、それまでだ。いつまでも精霊が見えるからと言って、隠しておけないからな。レティシア、それは君にも言えることだ』
突然話を振られたレティシアは、鼓動が大きく跳ね上がった。
確かに、彼女とテオドールの状況は似ている。
それでも、彼女とテオドールの状況は違う。
『オプスブル家は、いつまでフリューネ家のかわいいお姫様を囲うのかな? エディットが死ぬまでか? それとも、一生彼女に隠れて生きてもらうのか?』
レティシアはエディットの名前まで出てきて、黙って話を聞いていられなくなった。
失礼だと分かっていても、彼女は腹立たしいと感じて横から口を出す。
「それなら、なぜ皇帝陛下は未だに私を次期当主として、認めないのでしょうか?」
レティシアは、通信魔道具を睨みながら聞いた。
すると、また通信魔道具の向こう側から笑い声が聞こえ、彼女は眉を顰める。
過去の転生でも、皇帝に似たような人を彼女は見たことがあった。
そのため、皇帝にも考えがあり、これも彼の計画一部だとも考えられる。
しかし、彼女は帝国を支える貴族の1人だ。
そのことを、尊重すこともなく、ただ見下している皇帝が彼女は気に入らない。
『レティシア、君も面白いね~。それはね~君にその資格がまだないからだよ。事実を知った上で、君が望むなら、私も君を次期当主として認めよう』
「事実とは、いったいなんのことでしょうか? お母様の病と、何か関係があるのですか?」
『いや? エディットの病とは無関係だよ。病の件に関しては、私も早く解決してもらいたいところだ。レティシア、君はエディットから託されたのだろう? なら、ルカ君の仕事が終わったら、彼と共に帝都に来るがいいさ』
「分かりました。では、いつか皇帝陛下にお会いできる日を楽しみにしております」
『私も楽しみにしているよ』
皇帝はそれだけ告げると、一方的に通信を切った。
(何よあの人! それに何よ! 私が知らない事実って!! お母様は、帝都の屋敷に行けなんて一言も言ってなかったわ! ルカの様子からしても、何も知らないだろうし……。何を知っているのよ陛下は!)
レティシアは怒りに任せ、拳を握ると爪が手のひらに食い込む。
「レティシア……すごく言い難いんだけどさ……陛下が言ってたことがなんなのか、分からないけど……陛下の様子から考えたら、そこまで重大なことじゃなくて、くだらないことだと思うぞ……だから、あまり深く考えるな」
ルカはレティシアが拳を強く握ったのを見ていた。
そのため、少しでも彼女の気持ちを軽くしようと、彼は優しく言った。
彼は立ち上がると、レティシアの頭をクシャっとなでる。
そして、入り口近くのベッドまで行くと、そこに置かれた紙袋を手に取った。
袋を開けると、中には食べやすいように包まれた軽食が3つ入っている。
彼はアルノエの方に歩くと、袋の中から1つ手に取ってアルノエに渡す。
「ありがとうございます。ルカ様、この後オレがテオドールを探しに行きましょうか?」
ルカはレティシアの方へと向かいながら、首を左右に振った。
そして、レティシアにも渡すために、袋からまた1つ包みを取り出しながら落ち着いた声で答える。
「いや、いいよ。アルノエはニルヴィスたちに、先程のことを報告してくれればいいよ。テオドールは俺が探すから」
「あ、ありがとう。私も行った方がいい?」
「レティシアもここで待ってて。疲れたから、少しだけ1人になりたい。あと……レティシアに怖い思いをさせて、本当にごめん」
配り終わったルカは、そう言いながら、またベッドに腰掛けると、包みを開けだした。
「ルカ? もしかして、皇帝陛下に言われたことを、気にしているの?」
レティシアはルカの表情から、何も読み取れなかった。
だが、彼女は彼との付き合いは長い。
そのため、彼の雰囲気から異変に気が付いた。
彼女は、自分の問いに対して、ルカの手が止まるのを見た。
そして、彼が眉を下げて、手元に視線を落とすと、なぜか彼女の胸が痛んだ。
「そうかもな……。エディット様に言われたから、マルシャー領でレティシアに隠れて生活してもらった。でも、正直に言ってしまえば、俺は安心してたんだ。俺の目が届く範囲に、レティシアがいてくれたから……それでいいとも思ってたし、心のどこかで、これからも……それでいいと思ってたのかもしれない……」
「あら? それなら気にすることなんてないわ。そもそも、陛下が貴族の後継者に口を出しているんだもの。陛下がサクッと私を認めていたら、私がコソコソする必要もなかったのよ。それにルカは私に言ったじゃない、護ってくれるって。目が届く範囲にいるのは、当たり前よ」
「……そうだけど」
「当主でも、次期当主でもない今。私が精霊と話せることが分かれば、教会側は弟がいると言って、私を連れて行くだけよ? それなら、全て陛下が悪いんじゃない」
レティシアはルカが気にしないように、彼女が思っていることを言った。
それから、ルカに手渡された包みを開けると、鶏肉の香ばしい匂いと、ライ麦の優しい香りが広がる。
レティシアはそれを笑顔で頬張ると、ルカの方からククッと笑う声が聞こえた。
そのことに、彼女は少しだけホッとして、口の中に広がり始めた肉とライ麦が美味しいと感じた。
「レティシアは、やっぱり変わらないね」
ルカは静かに呟くと、レティシアと同じように包みを開けて食べ始めた。
それでも、彼は味がないように感じてしまう。
彼には、皇帝の言葉がとても重かったのだ。
「これ、美味しいわね! アルノエ、私が好きそうな物を、買ってきてくれてありがとう」
アルノエは、嬉しそうに笑いながらレティシアが話すと、やっと安心ができた。
彼は彼女が直面している問題に対して、支援はできても、解決することはできない。
それでも、彼はルカと同じように、彼女のことを護りたいのだ。
彼の表情は和らぎ、彼は彼女に向かって優しく笑いかける。
「いえ、喜んでもらえて良かったです」
「食事が終わったら、俺はテオドールを探しに行く。その間、レティシアは汗でも流してくるといいよ」
ルカが言うと、レティシアは食べながら頷いた。




