第60話 不吉な予感
乗合馬車が最初に立ち寄る村に着くと、日が暮れ辺りは暗闇に包まれていた。
それでも、村は乗合馬車を歓迎するように、店には灯りが灯されている。
新鮮な果物の甘い香りや、スパイスの刺激的な匂いが風に乗って運ばれる。
レティシアたちは、先に宿屋に向かうことにし、店先を通り過ぎて宿屋へと向かう。
宿屋に着くと、3人はもしもの時を考え3人部屋を借りた。
2階の部屋はとてもシンプルで、3つのベッドが等間隔に並ぶ。
寝るためにだけ泊まる部屋だ、それで困ることはない。
アルノエはそのまま荷物を置くと、宿屋の1階にあるシャワー室へと向かう。
ルカは窓辺のベッドまで行くとベッドに腰を下ろし、レティシアは真ん中のベッドに腰掛けた。
レティシアは右手を軽く前に出すと「空間消音魔法」っと唱え、話し出す。
「ねぇ? 襲撃を受けてから、馬車の中が変じゃなかった?」
「はぁ……空間消音魔法を使ったと思ったら、やっぱりその話か」
少しだけ面倒くさそうにルカが答えると、レティシアは眉間にシワを寄せる。
「その言い方は何よ。他になんかあるの?」
ルカはそのまま後ろに倒れ込むと、目を瞑った。
「いや?」
「なら答えてよ。変だったわよね?」
正直に言えば、ルカはこの話をしたくない。
それでも彼は、彼女の性格を考えると、諦めて口を開く。
「変だったな。微かに精霊たちの気配がした」
「そうよね? ルカがそう感じたんなら、間違いないわね」
レティシアは思考するように顎に手を当てると、ルカが続きを話し出す。
「ああ、でも俺の勘が言ってるんだよ。 “関わるな” って、関われば俺にとって良くないことが起こる気がする」
レティシアはルカの言葉を聞いて、そっと顎に当てていた手を下ろした。
彼女はこういう時の、彼の勘を信じている。
そのため、彼女は考えるのを辞めたのだ。
「そう、それならこの話は終わりね。私も考えないようにするわ」
「そうしてくれ。俺は仕事に集中したい。そのために、できるだけ余計な厄介ごとは避けたい」
「分かったわ」
レティシアはそう答えると、魔法を解除してベッドに倒れ込んだ。
少しだけ黄ばんだ天井が、建物の古さを語る。
彼女は、目を閉じると静かにアルノエの帰りを待った。
馬車の移動で疲れていたレティシアは、いつの間にか眠っていた。
彼女は美味しそうな香りに誘われて、ゆっくりと目を覚ます。
「……寝てたわ……ごめんなさい」
レティシアは、まだ眠そうに目をこすりながら言うと、体を起こした。
窓辺に立ってアルノエと話していたルカは、入り口に近いベッドに置かれた袋を指さしながら話す。
「それ、今日の夕飯。これから、ニルヴィスたちと連絡を取るけど、レティシアは先にご飯を食べておくか? アルノエがレティシアの好きそうな物を、買ってきてくれてる」
「ん-ん。一緒に話を聞くわ……」
ルカはレティシアが目を擦りながら答えて、ベッドの端に座るのを見ていた。
そして、彼は彼女にも聞こえるように、彼が使うベッドに座る。
それから、空間消音魔法をかけてから、通信魔道具を使ってニルヴィスと連絡を取り始めた。
ルカの通信がつながると、映像が映し出され明るい声が聞こえる。
『やっほ~。ルカ様たち、無事に1つ目の村にたどり着いたんだね~』
「ああ、とりあえずな。騎士団のブローチに連絡があったが、どうした?」
『ん-。ルカ様が気にすることじゃないと思うよ? それでも聞く?』
顎に人差し指を当てながらニルヴィスが聞く。
すると、ルカは不吉な予感がして、少しだけ面倒くさそうに答える。
「いや、いい。特に報告することがないなら切るよ」
『は~い! ルカ様またね~』
ニルヴィスが明るく答えると、勢いよくドアが開く音がした。
次の瞬間、ロレシオの慌てるような声が通信魔道具に届く。
『ルカ様! お待ちください! お聞きしたいことがございます!』
ルカは通信を聞きながら、ストンと感情が抜け落ちたように無表情に変わる。
そして、彼は映像に映るロレシオを見つめている。
「その聞きたいことってさ? 俺にとって厄介ごとじゃないよな?」
ロレシオは映像に映るルカの瞳が、とても冷たくどこか怒りが含まれていることに気が付く。
そのことから、ロレシオは何も言えなくなり、下を向いてしまう。
しかし、彼は恐怖心と今の状況を変えなければいけないと、思い悩んだ。
『ルカ様、切っちゃっていいよ~。ハッキリ言うけど、ロレシオのことは気にしなくていいよ~』
「ああ、じゃあまたな」
ルカがそう言って切ろうとした瞬間、震える声でロレシオは言う。
『テオドールがいなくなりました』
ロレシオが告げた瞬間、話を聞いていたレティシアは、咄嗟にルカに向かって身構えた。
レティシアが無意識に身構えるくらい、ルカから殺気が漏れ出していたのだ。
目には見えない恐怖が、肌にまとわりつくような感覚をレティシアは感じる。
(テオドールのことも気になるけど、ロレシオなんで言うのよ! それは、今の私たちが聞いたところで、何もできないわよ! それに、ルカの仕事の支障になるじゃない!)
「……で? そこから離れた俺になんの関係があるんだ? そもそも俺は聞いたよな? 厄介ごとじゃないよな? って、それなら厄介ごとの時点で、そっちで解決してから、俺に報告すべきなんじゃないのか?」
『そうなのですが、ルカ様に言ったのにも理由が』
「ロレシオはさ、皇帝陛下から受けた俺の仕事と、テオドールがいなくなったことを比べた時に、テオドールの方が大切だったんだな」
ルカはロレシオが話し切る前に、被せるようして冷たく言い切った。
画面に映るロレシオの顔から、どんどん血の気が引いていく。
それでも、ルカはそのことを、気にするつもりはない。
『ち、違います!』
「いいよ、もう分かったから。テオドールがこっちに来ていないか、こっちで探してみるよ。ニルヴィス、悪いが後のことは頼む」
ルカはニッコリと映像に向かって笑いかけるが、赤い瞳は変わらず冷たかった。
『りょ~か~い』
『ルカ様、待ってください!』
「黙れ」
食い下がるようにルカの名を呼んだロレシオを、ルカはたった一言で黙らせた。
だけど、レティシアはその一言で、さらに恐怖に震える。
(怖い……こんなルカを、私は見たことも感じたこともない……本気で怒っているんだわ……)
「ロレシオ、お前はいつから俺やレティシアに忠義を誓わなくなったんだ? ブローチに魔力を流してみろよ? ちょくちょくレティシアの情報が皇帝陛下に届いていたみたいだが、お前が裏切り者じゃないのか?」
ロレシオは言われるまま、恐怖でガタガタと震える手で魔力をブローチに流した。
だが、ブローチはフリューネ家の紋章が薄っすらと出ているだけ。
それでは証明にはならず、待っていても紋章がハッキリと浮かび上がることはなかった。
『ち、違います、こ、これは……』
ルカは静かに映像に映るロレシオを見つめていた。
ロレシオの顔からは、完全に血の気が引いて青白くなっている。
ルカはブローチと彼の顔を見て、嘲笑うように鼻で笑う。
「何が違うって言うんだ? それが事実だろ?」
レティシアと出会ってから、ルカは変わろうとしていた。
特にこの5年間は、レティシアが気にしなくてもいいように、仲間に向ける警戒を緩めていた。
恐怖ではなく、信頼で関係が結ばれるようにも努力した。
その結果がこれだと思うと、彼は裏切られた絶望感と、全てが無駄だったと感じた。
「ル、ルカ……待って……」
レティシアは勇気を振り絞ってルカに声をかけた。
その結果、先程までロレシオに向いていた殺気が、全てレティシアに向けられる。
レティシアの体は小刻みに震え、恐怖から背筋には不快な汗が流れる。
心臓は痛むほどに大きく脈を打ち、髪の先までもが彼の存在に脅え。
耳から聞こえる鼓動は、うるさいくらいに恐怖を叫ぶ。
(怖いわ……怖いけど……)
「ルカにこんな殺気を向けられたら、ロレシオだって忠義が鈍るわ……それに紋章だって薄っすらと出ているじゃない」
ルカはレティシアの言葉を聞いて、どうでもいいように首をかしげる。
レティシアと出会う前のルカと騎士団の関係性は、これが普通だったからだ。
信頼よりも恐怖が騎士団には充満し、誰も彼とは正面から向き合わなかった。
いや、向き合えなかったのかもしれない。
その事を考えれば、彼にとっては単に昔に戻っただけの話だ。
それゆえ、彼女の言葉に対して、彼は納得できない。
「だから?」
「だから……って……」
レティシアは、ルカの言葉を聞いて思わず絶句した。
耳に届いた冷たい声に恐怖を感じたが、それと同時に悲しみが襲う。
彼の境遇を理解しているからこそ、小さな不安が芽生える。
「だからって、ルカが何に対して怒っているのか分からないけど、私にまでそんな殺気を向けるんだから、ルカこそ私を裏切るつもりじゃないの!?」
恐怖から、レティシアは思わず思ってもいないことを口にした。
すると、ルカの殺気がどんどん薄れていく。
「ニルヴィス、後で再確認しろ。ハッキリと浮かび上がらなければ、いつも通り頼む」
『は~い。任せて~』
ルカはニルヴィスの返答を聞いて、レティシアに真剣な表情を向ける。
「レティシア、何があっても俺から離れないって、ここで約束して」
レティシアは腕を組むと、ルカから顔を背けた。
彼女は、どうにかして彼を落ち着かせたかった。
彼がなぜ怒っているのか、彼が何を怖がっているのか、彼女には分かる気がした。
だからこそ、今のままではダメだと彼女は思う。
「いやよ。今のルカとそんな約束なんて、できないわ」
「……そっか」
ルカはそう言うと、静かに目を伏せた。
彼は、このまま彼女が帰ってしまうのだと考えた。
結局、小さな願いすらも無駄だったと、彼は落胆する。
「でも、ここで帰ったりしないわよ。それは安心していいわ」
未だに震える体でレティシアが、ルカの方を見ずに言った。
そうして安心したのか、ルカから出ていた殺気が完全に消えた。
ここでレティシアがテオドールを探すのに、帰ることを選択すれば1人。
もしくは、テオドールが来ていた場合、2人でマルシャー領に帰ることになる。
この村に着くまでに、襲撃を受けたのだ。
帰りも襲撃される可能性も、十分に考えられる。
フリューネ騎士団の団長であるロレシオが、そのことも考えず、護るべき主を危険に晒そうとしたのだ。
フリューネ家を護って来たオプスの頭領であるルカが、怒るのも当然のことだと言える。
ルカの殺気が収まると、必死にブローチに魔力を流して続けていたロレシオのブローチに、ハッキリとフリューネ家の紋章が浮かび上がった。
それをニルヴィスが確認すると、ロレシオの肩にポンと手を置いた。
『ルカ様、ロレシオのブローチにちゃんと紋章が出たよ~』
「そうか、ならいい」
『良かったね~ロレシオ。ところでルカ様は、なんであそこまで怒ったわけ? 皇帝陛下と何かあったの?』
「皇帝陛下は……レティシアが精霊と話すことを、知ってた。レティシアだって精霊たちと話す時は、周りを警戒している。それにもかかわらず……、知ってた。そして、今の皇帝陛下は精霊が見えない」
ルカが理由を話すと、今後は部屋の中に緊張が走る。
レティシアが精霊と会話できることは、誰かが話さない限り、精霊が見えない皇帝がその事実を知ることはない。
そのことを考えれば、必然的にその事実を知っているロレシオが疑われるのも当然だと言える。
『お、俺は、皇帝陛下と関わって居りません!』
「それなら、なぜテオドールのことを言ったんだ?」
『それは、テオドールの親から切羽詰まった様子で、もしかしたらレティシア様を追って行ったかもしれないと、言われましたので……考えなしでした。申し訳ございません』
ルカは深いため息をつくと、頭を抱えた。
彼はテオドールを探すつもりではある。
けれど、もしこの村でテオドールが見つかれば、その後テオドールをどうするか悩んだ。
アルノエはレティシアとルカの護衛役として連れている。
そのため、テオドールが見つかったからと、アルノエをマルシャー領に帰すことはできない。
だからといって、マルシャー領から誰かが来るのを、のんびり待つような時間もルカたちにはないのだ。
ルカは勘が当たったことに腹立たしさ覚え、床を睨み付けた。




