第47話 静寂の庭園
あの後、ルカは直接フリューネ家に来たこともあり、1度オプスブル領へと帰った。
それは、留守の間に溜まってしまった報告を聞くためと、モーガンを連れてくるためだ。
そして、1週間後の2月13日の今日、彼はモーガンに話し合いの場を作らせ、フリューネ家へと戻ってきた。
話し合いの場には、レティシアも同席し、彼女は久しぶりにエディットと顔を合わせた。
そのことにより、彼女の精神面は落ち着きを取り戻したようにも見えた。
しかし、話し合いの場でレティシアとルカは、エディットの頼みによって退室を余儀なくされる。
そのことで、レティシアは不満を感じ、一方でエディットに異常が見られなかったことに安堵した。
それでも、彼女の心情は複雑であった。
レティシアとルカは屋敷の外に出ると、灰色に染まる空が彼らを見守る。
幼い足が不満げに地面を蹴り、それでも前に進む。
その後ろを、彼女を見守るように少年が静かに付いて行く。
庭園に向かう道のりは静かで、2人の足音がわずかに聞こえる。
時折、鳥の声が聞こえ、2人の足音は掻き消される。
『ねぇ、ルカ。変だと思わない?』
不意にレティシアが聞くと、思考を巡らせていたルカは少しの間をおいて答える。
「何が?」
『護衛をルカがするって話で決まっているのに、わざわざ私たちを退室させる理由は?』
ルカは左手で右肘を支え、右手に顎を乗せると目を細めた。
彼の頭の中では、先程の思考の続きを始める。
エディットたちが何を話しているか、それは彼にも分からない。
しかし、彼の立場でそれは許されることではない。
だけど今の状況は、彼が初めてレティシアの護衛をした時と状況が似ている。
あの時も、どんな話が繰り広げられたのか、彼は聞いていない。
そのことに対して、彼は少しばかりの苛立ちを覚える。
「子どもに聞かせられない話があるんだろ? 初めて俺がおまえの護衛に付いた時もそうだったし、なんか気になることでもあるのか?」
レティシアはルカに聞かれると、考えるように顎を指で触る。
(子どもに聞かせられないってのは、ルカが頭領だと知らないからよね……? お母様の体調に変化は見つけられなかった。でもオプスブル家から話し合いの場を設けなかったら、そもそもこの話し合いもされなかった? それは、なぜ……? 本当にお父様から手紙が届いていないの? それじゃ、なぜ去年の帰り際に今年も来るって言ったの? もしかして……、お母様がお父様のことを許して、お父様に気持ちが戻った……の? いやいや。愛人と子どもがいる人だよ? ……それとも、元々そこら辺の感覚が私と違うの……?)
考えれば考えるほど、彼女の中に不安が波紋のように広がる。
『……ルカ、後でこの話し合いの内容を、私も聞ける?』
「俺に、あの人たちが隠し事をしなければな」
(声がとても冷静ね……彼らが隠す可能性があるってことを、ルカも視野に入れているのね……)
『……分かったわ。もし聞けたら、教えてほしい。ルカが教えられる範囲で大丈夫だから……』
レティシアはそう告げると、再び先程のことを考えながら庭園に向かう。
その表情は険しく、どこか悲しげにも見える。
庭園に着くと、レティシアは宙に向かってはぁーっと息を吐き出す。
体温で暖められた空気は、冷たい空気が保持できる水蒸気の量を超え、細かい水滴となって姿を現す。
それは彼女の周りにほんのわずかな霧を作り出し、彼女の存在を儚いものに変える。
その瞬間、この世界から切り取られたようにも見えた。
(いつもより、静かに感じる……)
レティシアはそう思うと、小さく呟くように静かに言う。
「もうすぐ、はるね……」
「ああ、もうすぐおまえの誕生日だ……」
(1歳の誕生日から、見えない違和感がずっと付きまとう……今年はルカがまた隣に居てくれる……大丈夫、ノエもニヴィもレオも居てくれる……大丈夫……大丈夫よ……)
ルカは今にも泣き出しそうなレティシアを見ると、彼女の顔に不安の色が見えた。
どうしようもない現状に、彼は苦しくなって瞼を閉じる。
しかし、彼は目を開けると彼女に近寄り、彼女を抱き上げる。
そして彼女と同じように、宙に向かって息を吐く。
静かに時間は過ぎ、庭園の風景が彼らの視界を埋めた。
冬の終わりを告げる裸の木々、まだ眠る花々と寒さに負けずに咲く花々。
灰色の空は悲しげに見つめ、遠くに感じる。
それら全てが、彼らの心に深く刻まれ、2人はただ静かにその光景を眺めた。
「レティシア……」
「んー?」
レティシアを呼んだルカの声は、どこか緊張と不安が入り交じっていたが、微かに決意も見えた。
しかし、彼女の顔を見た彼は、開きかけた口を思わず閉じた。
なぜなら、彼女の表情が、どこか寂しそうで消えてしまいそうだったからだ。
今は伝えるべきじゃないと思い、彼は自分の気持ちを隠すように彼女から視線を逸らした。
「いや、なんでもない……また今度ちゃんと伝えるよ」
「そっか」
「そろそろ部屋に戻ろう。話し合いも終わってる頃だろう」
「そうだね」
ルカはレティシアに何かを伝えようとして辞めた。
そんな彼の表情からは、それが何か読み取れず、またそれをレティシアは、気にする様子もなかった。
2人が応接室に戻ると、誰も残っておらず、話し合いが終わっていた。
応接室はほのかにまだ暖かく、テーブルに置かれていた食器は片付けられている。
それを2人は確かめ、騎士団の執務室に向かう。
執務室へと続く廊下は、どんよりと薄暗く感じる。
それでも、レティシアを抱えたルカの足は、止まることも、速度を落とすこともない。
騎士団の執務室にたどり着くと、中にはジョルジュとモーガンが居た。
2人は中に入ると、先程の話を騎士団の3人と聞くこととなった。
「で? ジョルジュ、手紙は届いてたのか?」
ルカはソファーに足を組んで座り、幼い少年の顔から、頭領としての顔に変わった。
ジョルジュに渡された資料を見ながら、彼は淡々と聞く。
その声は、幼いながらも頭領としての重みがある。
そのことが、精神面で彼が成長したことを示す。
「手紙は、届いて居ります」
「なんで連絡が遅れた? 俺と連絡が取れなくても、お前には騎士団に報告する義務はあったと思うけど?」
資料から視線を上げたルカは、同じように赤い瞳のジョルジュを見据える。
彼は首をかしげると、彼の赤い瞳に映る老人がわずかに視線を下げた。
ルカはそのことに苛立つが、それを顔に出すことはない。
しかし、手を後ろで組んでいたジョルジュが、視線を上げると口を開く。
「私もエディット様に言われた仕事がありましたので、騎士団への報告が遅れました」
ルカの隣で、ジョルジュの言葉を聞いたレティシアは思う。
(久しぶりにに会ったジョルジュの顔に、疲労の色が見えるけど、それでも報告しなくていい理由にはならないわ)
ルカはジョルジュの返答を聞き、左手の指で顎を挟んで思考する。
報告が遅れた理由と、その言葉に偽りがないか考えを巡らせた。
そして、視線をジョルジュに戻すと、彼は問いかける。
「手紙の内容でそうなったのか?」
「はい。手紙にはアンナのことが記述されており、専属侍女にするべきかどうかについても触れられていました」
「なるほどな。それで俺に連絡が取れなくて、違う専属侍女を要請しに行ったのか?」
「いえ、そちらは以前にレティシア様が拒否なさいましたので、そのようなことは御座いません。ただ……アンナのことが難しいようでしたら、レティシア様を騎士団の宿舎に滞在させるべきではないと……。レティシア様が騎士団の宿舎にご滞在なさって居たことを、ダニエル様は快く思っておらず、騎士団を別に移転するべきだと提言なさっていらっしゃいました。そのことで、帝都に行ったりして居りましたら、報告が遅くなりました」
話を聞きながら、ルカはダニエルの考えそうなことを考えていた。
しかし、どう考えても彼が1人で考えて行動しているように感じられない。
そして、ジョルジュが帝都まで行った理由が、親書であることだと分かる。
親書があれば、ダニエルが何か言ったところで、フリューネ騎士団を動かすことができないからだ。
彼は手に持っていた資料に視線を移すと、読み進めていく。
「皇帝陛下から、親書を頂けたんだな?」
「はい。先日親書を頂けたところに、ルカ様がご帰還されました」
「なるほどな」
(ふーん。力じゃ勝てないから、騎士団を排除していってところかな?)
レティシアはそう思うと、ジョルジュの様子を窺う。
瞬きの様子や、瞳孔まで見つめる目は、彼女の年齢に結び付かない。
それだけ見れば、この部屋の中で彼女はルカに続いて異質だ。
「いつ頃来る予定なんだ?」
ルカはそう言った後、隣に座るレティシアを一瞬だけ見た。
子どもらしくない視線を、ジョルジュに向けた彼女に思わず感心する。
それと同時に、あの頃と変わらず、彼女が自分と同じように異質な存在だと彼は思う。
「3月3日から滞在されるご予定です。この日取りは、レティシア様の誕生日の2日前からとなって居り、それは前回と同様です」
「そうか、3人にもすでに言ったが、今回表向きは俺がレティシアの護衛に就く。だけど、3人にも引き続きレティシアを護衛してもらうつもりでいる」
「承知いたしました」
「それでだ……」
ルカは資料から目線を上げると、淡々と話していた声の雰囲気がさらに重みを増す。
彼の赤い瞳は、まるで獲物を逃さいと言うように、ジョルジュを捉える。
「――エディット様の様子はどうだ?」
ルカが聞くと、ジョルジュの瞳孔はわずかに開く。
その瞬間を、ルカは見逃さなかった。
そして、ただ静かにジョルジュの返答を待つ。
「私からは、申し上げることは致し兼ねます」
「ふーん? なら、もう下がっていい」
「失礼いたします」
ジョルジュはそう言って頭を下げ、空気と化していたモーガンと共に執務室を後にした。
(やっぱり、お母様の体に何かしらの変化があったのね……)
レティシアはそのように思うと、理由が分からない不安な気持ちが、より大きく膨らんでいることに気が付いた。




