第46話 再会と誓い
訓練場には冷たい風が吹き込む。
けれど、それは2月にしては暖かいようにも感じられる。
訓練所の周りにある木々が風に揺れ、まるで2人の再開を喜ぶように、ほのかに枝を左右に揺らす。
その近くで小さな女の子が、少年に抱き付いている。
『ルカのバカ~! すぐ会えるって言ったのにっ、全然すぐじゃないじゃん!! もう! どこに行っていたのよ……バカバカ! 全然連絡くれないしっ……通信魔道具……くれた意味ないじゃん!』
ルカはレティシアに抱き付かれ、彼女が胸元をたたきながら不満を口にするのを静かに見つめた。
彼は不満すら彼女から直接聞けることが嬉しい。
溢れそうになる気持ちを堪えて、彼はあの頃と変わらない手付きで優しくなでた。
そして、彼は声が震えないように、できるだけ心を落ち着かせて話す。
「――仕事で、他国に行くことになって、連絡手段も限られてたんだよ……連絡できなくてごめんね、レティシア。遅くなったけど、ちゃんと会いに来たよ」
ルカはそう言った後、レティシアと初めて会った日のように、彼女の頭にそっとキスを落とした。
すると、彼女は静かに両手で服を握り、胸に額を当てて静かに涙を流す。
前の時と反応は違うが、それすら彼は嬉しいと感じてしまう。
ニルヴィスは走ってルカとレティシアの近くまで来ると、ゆっくりと歩いた。
彼らの時間を、彼は少しでも大切にしたいと思った。
だけど、ルカが彼の方を見ると、彼は諦めたように声をかける。
それはいつもより丁寧で、少しばかり緊張が含まれている。
「ルカ様、おかえりなさい」
ニルヴィスは彼らに近寄ると、ルカがレティシアを護るように抱き上げた。
それは、まるでナイトが姫を護るようでもあった。
その瞬間、ニルヴィスは少しだけ安心し、同時に小さく胸が痛んだ。
それでも赤い瞳が彼を映すのを見ると、ニルヴィスは笑って見せる。
「この服、ニルヴィスが作ったの?」
「はい。訓練に参加することが決まった時に、ボクが作りました」
「かわいい。レティシアのためにありがとう」
ニルヴィスはルカの言葉を聞き、泣きそうになった。
努力が認められ、彼が作ったものが役立ったことの嬉しさ。
しかし、同時に2人の間には、踏み込めない絆があるのがはっきりと分かる。
「いえっ! ルカ様が無事に帰ってきて良かったですっ!」
ルカはニルヴィスが泣きそうなことに気付いて、思わず困ったように笑みが零れた。
レティシアと出会えたことで、確実に彼の周りが変わっているのだと感じる。
「心配を掛けたみたいだね」
しかし、ルカはニルヴィスから少しだけ視線を下げた。
どんなに周りが変わろうとも、彼は自分が置かれている現状から、逃げることも、立ち止まることも許されていない。
ルカはゆっくりと視線を上げると、再びニルヴィスを真っすぐに見つめた。
彼の目は、全てを見透かすようで、頭領として堂々としている。
「さて……こっちに、なんの連絡もしないで来たんだけど、執務室に行ってもいいのかな? 話が聞きたい」
「はいっ! 大丈夫です!」
レティシアは、ルカの服を掴んで鼻をすすった。
いつもと雰囲気が違うニルヴィスに、彼女は違和感を覚える。
けれど、それも仕方ないことなのかと思うと、ルカの方を見た。
ルカがレティシアの頬に触れると、彼女はそっと触れた指が優しく涙を拭うのを感じる。
その手が温かくて、彼女は安心する。
「レティシア、そろそろ泣き止まないと、泣き顔をみんなに見られちゃうよ? いいの? レディーなんでしょ?」
『うるさいっ! ルカのバカ! 意地悪になった!!』
「そうだね。レティシア……ただいま」
レティシアは恥ずかしくなって、頬を少しだけ赤く染めた。
だけど、ルカが彼女を抱きしめると、帰ってきた実感に彼女の視界は涙で溢れる。
彼女はルカに答えるように、服を握る手を放し、彼の首に腕を伸ばすと抱きしめる。
『……おかえりなさい……ルカ……』
レティシアは、ルカに抱えられながら執務室に入った。
すると、ルカの姿を見たロレシオとアルノエは、すぐさま胸に手を当て一礼する。
「「ルカ様、おかえりなさいませ」」
「ただいま」
ルカは返事すると、ソファーにレティシアを座らせた。
そして、彼女の隣に座ると、彼はハンカチを取り出す。
ルカは彼女に微笑みかけて涙を拭うと、口を開く。
けれど、その声は優しい微笑とは違い、固いものだ。
「それで? 今年は来るの?」
「その、本日そのことで会議を開いたのですが、まだエディット様から何も報告がございません」
ルカはロレシオの言葉を聞くと、少し目を細めてハンカチを持つ手が止まる。
何も報告がないことを、彼は不自然だと感じた。
それから、その理由を考えるが、国外に居た彼には見当がつかない。
しかし、何も報告がないなら、彼がここにいる意味はなくなる。
「ふーん? んじゃ、今年フリューネ家は警戒する気がないって判断でいいのかな?」
「それも、まだ連絡がございません」
「誕生日まで1ヵ月しかないけど? 遅くないか?」
「近頃、エディット様とジョルジュ様が、ご不在なことが多く、そこら辺のやり取りがなかなかできて居りません。それは我々の失態です。申し訳ございません」
片眉を上げて不機嫌そうに聞いたルカに対し、ロレシオが頭を下げた。
だけど、その姿をまじまじと見ていたルカは、呆れたように今度はため息をつく。
「はぁ……んじゃ、レティシアにはどこまで話した?」
「騎士団ができた経緯は、話せて居りません……ですが、我々が誰に仕えているのかは、お話ししました」
「……他は許可が下りてないから、話してないってところか……」
「申し訳ございません」
ロレシオは拳を握ってルカに頭を下げると、彼の隣でニルヴィスとアルノエが頭を下げたのが分かった。
彼は唇を噛むと、拳を握る手が汗ばんでることに気付く。
しかし、突き刺すような視線が、呆れを通り越して面倒だとでもいうような雰囲気に変わるのを感じる。
その瞬間、ロレシオは自分の不甲斐なさに悔しさが込み上げる。
「まぁ、いいよ。君たちが謝ることじゃないしね。エディット様がレティシアを大切にしてるってことは分かってる。だからあの子がオプスブルに送られたんだろ?」
「はい」
(あの子ってアンナのこと? 精霊たちがルカに報告したのね……)
いつの間にか泣き止んでいたレティシアは、眉間にシワを寄せてそう思った。
「帝都でのことは、どうなってる?」
そう尋ねたルカの声は、冷たく温かみを感じられない。
「何の進展もございません。未だに原因が分からないままです」
ロレシオは真っすぐにルカを見つめて言った。
彼は聞かれたことに対して、事実を伝えることしかできない。
だけど、彼の視界には幼いレティシアの姿が映る。
幼い彼女と、まだ幼い少年の視線が、ロレシオに突き刺さる。
彼は、冷たい汗が背筋に流れたのが分かった。
「こっちも他の者たちから、なんの報告がない。まぁ、俺と連絡が取れなかったのが、そもそもの原因だろうから、そこは謝るよ」
ルカはそう言った後、レティシアの頭を優しくなでた。
彼は先程までとは違い、彼女にふんわりとした表情を向けて聞く。
「レティシアは、俺に報告しておきたいこと、なんかある? 聞きたいことでもいいよ?」
レティシアは顎を指で触りながら、質問の意図を考える。
(最後に合った時は、話せないって言っていたルカが、聞いてきたってことは……少なくとも、彼は私が答えにたどり着いたと考えてるのかもしれないわね……。それなら、多分答えは間違っていないわ)
レティシアはロイヤルブルーの瞳をルカに向けた。
その瞳は、わずかな迷いもなく、彼を真っすぐに見つめる。
『ルカは帝国の闇だね? その事実に間違いはない?』
「「「!!!」」」
レティシアの質問に対して、ルカ以外の3人に一瞬で緊張が走った。
次第に執務室には、肌に刺さるようなピリピリとした雰囲気が漂う。
それでもレティシアは、特に気にする様子はない。
ルカは真っすぐに見つめるレティシアの瞳に、彼の姿を見つける。
彼は目を細めて、彼女の質問の真意を探るように、鋭い視線を向けた。
それでも彼女の瞳は、揺らぐことはない。
彼は彼女にそうだとも、違うとも言えない。
だけど、表情には出さなかったが、彼女が答えにたどり着いたことを嬉しいと感じる。
『まぁ、間違っていないと思っているよ。だからルカの答えは必要ないわ。多分まだ話せる状態じゃないと思うし、私がルカの立場なら身内以外には、話さないから。それで聞きたいことは特にないかな? 報告って言っていいのか分からないけど、それでもいいなら伝えておきたいことが少しだけあるわ』
「話を聞くよ」
(3人の様子とルカが否定しなかったことから、諜報、暗殺とかに関わっているのは確定だね。そうなると、この先何かあった時は、ルカに情報を取集してもらった方がいいのかも)
『ありがとう。1つは、前にも報告してもらってけど、去年のお父様の行動は “初めて来た時と同じだった” だから、今年も高い確率で来ると私は思っているわ。これに関しては、確定じゃないけど何かしらの目的があって来ていたのなら、今年も来ないのは、その目的が達成できたことになると思うの。目的が分からない今の状態で、できればそれは避けたいから、そういった願いも含まれているわ。2つ目に、私はお母様から避けられている。理由を考えたけど、分からなかった……でも私に対して何か隠しているとしか思えないの。3つ目、今年お父様がこの屋敷に来て、接触してきたら、お父様と話すつもりよ。お父様が私と会いたがっていた理由を、いい加減に知りたいからね』
ルカは深い思索にふけりながら、腕を組んでレティシアの話を聞いた。
しかし、その表情は話が進むほど曇り、最後の方は険しくなっていた。
本音を言えば、ルカは直接レティシアがダニエルと話すのは危険だと思っている。
けれど、レティシアから今回は譲らないという意思を感じて、彼はため息をつく。
そして、ルカは諦めたように彼女を見つめる。
「……分かった。今回の護衛は俺が付くってことでいい?」
『その方が、あっちも油断してくれると思うから、お願いしたいわ』
「ああ、分かった。それなら表向きは俺が護衛に付く。3人は引き続き裏からレティシアの護衛を頼む」
「「「承知いたしました」」」
『ルカ、後ね……私……宿舎で寝泊まりしているから』
レティシアは頬を触りながら、不安げに言った。
「その報告は、ちゃんと受けてるから心配してない。3人にはどこまで話した? おまえのことだから、書庫の入室許可はしてんだろ?」
『魔力量が見えることと、書庫のことと、夜な夜なやっていることは……』
「そっか、それならいい。書庫のことを話してないのに、レティシアが夜な夜な書庫であんなことをしてるって分かったら、さすがに3人が可哀想だからね」
ルカの言葉を聞いたレティシアは、愛想笑いをしてルカから目を逸らす。
アルノエとニルヴィス、そしてロレシオまでもが、同じようにルカから目を逸らした。
4人は気まずい空気が、早く過ぎ去ればいいのにと思った。




