第34話 選択の結果
レティシアが短剣に付与術式を刻んだあの日。
あれからアルノエがレティシアの部屋を、訪ねてくることはなかった。
アンナは時折、目を潤ませて悲しそうな顔をしながら、ドアに切ない視線を送り、ため息をつく。
彼女はアルノエが来ない理由を、レティシアに聞いたことがある。
しかし、レティシアは知らないと、アンナに言った。
レティシアには思い当たることはあった。
けれど、それをメイドであるアンナが知るべきではないと思った。
その結果、レティシアは知らないフリしかできなかった。
神歴1490年2月23日。
アンナが居なくなった部屋では、レティシアがベッドの上で寝転がっていた。
彼女は天井を見つめると、深いため息をつく。
(あれから10日は経っているはずなのに、まったく音沙汰がない……もしかしたら、ルカと連絡が付かないのかな? ルカに何事もなければいいけど……)
レティシアは横になって膝を抱えてると、そう思った。
広い部屋は時計の音が響く。
けれど、まるでこの世には彼女しかいないと感じるくらいに静かだ。
少し時間が経った後、突然ドアをノックする音が部屋に静かに響いた。
レティシアは勢いよく上半身を起こすと、ドアの方に意識を向ける。
ドアの向こう側からは気配を感じることができず、レティシアの背中にツーっと汗が伝う。
静寂な時が流れ、やがてドアの向こうから息を吐く出したのが聞こえた。
「レティシア様、アルノエです。入ってもよろしいでしょうか?」
アルノエは、初めてレティシアの部屋を訪れた時と同じように振る舞った。
彼の声は、微かに絵本を読み聞かせるような落ち着いたものだった。
レティシアは安心したように微笑むと、ドアに向かって答える。
『うん、大丈夫だよ』
「ありがとうございます。失礼します」
そう言ってアルノエは大きめの箱を、脇に抱えて部屋に入った。
気配を消していなければ、緊張で震えていたと彼は思う。
久しぶりに訪れたレティシアの部屋は、彼の悩みなど関係ないとでも言うように彼を温かく向け入れる。
アルノエはドアを閉めた後、レティシアが脇に抱えている箱に目を向けていることに気付く。
「遅くに申し訳ありません。明日の朝、レティシア様が訓練場に行けることになりました。なので、その報告に参りました。それと、こちらは明日の朝に着てほしい服です。さすがに早朝でしたらアンナさんもまだ居ませので、こちらで準備いたしました」
アルノエはそう言いながら、ベッドの近くまで来ると持っていた箱をベッドの上に置いた。
そして、レティシアが箱の中が見えるように、箱の蓋を開ける。
すると、彼女は小さな体で、開けられた箱の中を覗き込んだ。
レティシアは箱の中に入っているドレスをゆっくり取り出す。
触れたドレスの感触から、ドレスの素材がしっかりしていることが分かる。
レティシアは目の前でドレスを広げ、どんなドレスか確かめた。
広げた白色のドレスは、軍服のような雰囲気を醸し出している。
ダブルブレストのボタンがドレスの前面を飾り、襟元には青いリボンが優雅に結ばれ。
肩には青のコードが掛かり、スカート部分はフレアになっている。
その下には青いフリルのスカートがちらりと見え、ふわりと広がる。
『アルノエ、ありがとう! 私1人でも着られるように、頑張るね……』
レティシアはそう言いながら、ドレスの背中側を見ると、腰のあたりに大きなリボンが着いている。
そのドレスをレティシアはかわいいと思う。
しかし、同時に1人で着られるのか不安になった。
「……上から着てもらえたら、首元や後ろのリボンはオレがやります。腰にあるリボンは、後ろからおなか部分を締めて結ぶようになっているので、レティシア様にはまだ早いと思いますし……」
アルノエは眉を下げて、レティシアを見つめながら言った。
もしかしたらレティシアが着てくれないと思うと、彼はこれを作ったニルヴィスを思い出して胸が痛くなる。
彼は彼女が1人で着られないことを分かっている。
それでも、彼女に着てほしいと思った。
彼女は静かにドレスを見つめ、アルノエを見ると話し出す。
『わざわざ、私のために作ったの?』
「はい。ルカ様からの連絡を待っている間に、騎士団には女性がおりませんので、女性用の隊服を……、レティシア様のですが、急遽作ってもらいました。それもあって、だいぶ日が経ってしまったのです。お待たせしてしまい申し訳ございません」
そう言ってアルノエはレティシアの頭を下げた。
けれど、レティシアは嬉しそうにドレスを抱きしめると、アルノエの方を見て嬉しそうな顔をする。
『ん-ん! 大丈夫! ありがとう、アルノエ!』
「いえ。あの……その……デザインを考えたのも、作ったのもニルヴィスなので、後で彼にその言葉を伝えてください。きっと喜ばれると思いますよ」
言い難そうにしていたアルノエは、最後まで言うと柔らかく微笑んだ。
アルノエの話を聞いたレティシアは、腕の中にあるドレスを見ながら考えをそのまま伝える。
『ニヴィが考えたんだね。すごいなぁ……』
「ニヴィは、そういうのが得意なので。ところで……レティシア様、オレのことも宜しければ、ノエっと呼んでもらえますか?」
レティシアはアルノエが自信なさげに聞くと、少しだけ首をかしげた。
彼女には、彼がなぜそのようなことを言ったのか分からない。
しかし、特に気に留めなかった彼女は答える。
『うん! いいよ! ねぇ、ノエ。あの2人がルカの言っていた2人であってたの? 手紙には、ノエから紹介があるって書いてあったけど』
「はい。ロレシオ団長とニヴィ……いえ、ニルヴィス副団長が、今回ルカ様に言われて動いております」
『んー。私のお父様はそんなに強いと思わないけど、3人が私の護衛に付いて大丈夫なの?』
レティシアは顎に指を当てながら、首をかしげるとアルノエに疑問をぶつけた。
すると、アルノエは悩むようなそぶりをした後、レティシアの方を見て話す。
「他の方々も強いので、問題はありませんよ。そうでなければ、そもそも我々の隊は名乗れません。ちなみに……、レティシア様とルカ様が午前中に見学なさっていた彼らは、主に屋敷の外回りや街の巡回警備に当たっています。明日、その辺りについて詳しい説明があると思います」
『そうなんだ……問題がないのならいいけど』
「はい、何も心配することはありませんよ。それに……例えばですが、もし屋敷が襲撃されたとします。その時、我々3人がレティシア様を護衛していた方が、エディット様もルカ様も安心します」
アルノエは、少しばかりまだ不安そうなレティシアを、安心させるように落ち着いた声で話した。
レティシアは安心したような顔をしてアルノエに笑いかけて言う。
『そっか! それならいいの。ありがとうノエ』
「いえ、では明日の朝、前回と同じ時間にまた来ます。着られる範囲で構いませんので、そちらを着てお部屋でお待ちください」
アルノエはそれだけ言うと、振り向いてドアの方へと歩いて行く。
レティシアは、ドアの方に進むアルノエの背中に向かって声をかける。
『ノエ! ルカのことと着替えありがとう! おやすみなさい!』
アルノエは振り返ると、レティシアが嬉しそうに満面の笑みを向けている。
彼は嬉しくて、思わず彼女に優しく笑いかけた。
そして、これからは覚悟を持って、彼女のそばに居なければと思う。
「いえ。レティシア様、おやすみなさい」
アルノエはそう言うと、振り返った瞬間に笑顔は消え。
その顔からは、決意の意思を感じる。
彼は真っすぐに前を向くと、レティシアの部屋を出た。
暫くして、レティシアはアルノエが遠のいたのを、確かめるように彼の気配に意識を向ける。
大丈夫だと分かると、レティシアは急いでいつもの日課である鍛錬の準備を始めた。
1度仮眠を挟んでしまえば、魔力の回復が明日の朝まで間に合わない。
そのため、いつもより早い時間帯から、レティシアは鍛錬することにした。
(部屋に誰かが入って来られないように、魔法で開かないようにすることも、今度からは考えて鍛錬しないとね……)
レティシアはそう思いつつ、ベッドの上に置かれている宝石に目を向け、鍛錬を始めた。




