第30話 手紙と涙
神歴1490年1月29日。
窓の外では雪が降り、窓には結露が溜まっていた。
けれど、部屋では魔法道具が使われ、寒さを感じることはない。
その中で、レティシアが自室でアンナと過ごしている。
レティシアはふっと窓の方を見ると、窓に映る瞳は儚げだ。
すると、ドアをノックする音が聞こえ、アルノエがレティシアの部屋を訪ねてきた。
大切そうに箱を持って入ってきたアルノエは、アンナとレティシアの方を見る。
彼はアンナの方を真っすぐ見て口を開けたが、アンナはそんなアルノエに話しかける。
「今日は寒いので、体が温まるお茶をお入れしますね!」
アンナは微笑みながら、ほんのり頬を染めてお茶の用意を始めた。
しかし、アルノエは咳ばらいを1度だけして、少しだけ言い難そうに話し出す。
「アンナさん、申し訳ないのですが……。お茶の方を入れ終わりましたら、本日は私とレティシア様の2人にしていただけませんか?」
そう言われたアンナの顔には、困惑の色が見える。
アルノエがアンナに退出を求めたのは、今回が初めてのことだった。
アンナは戸惑いながらも、アルノエに聞き返す。
「えっ? ど、どういうことでしょうか……?」
アルノエは真っすぐにアンナの目を見て話す。
その眼差しは真剣だ。
「すみません。レティシア様と少々大切なお話があります。なので、アンナさんには退室をお願いしたいのです。食堂の方へは、私が責任をもってレティシア様を連れて行きます。ですので、アンナさんが心配しなくとも大丈夫です。他のお仕事へとお戻りください」
彼の声は無機質で、その声色には感情の色彩が一切なく。
言葉が淡々と紡がれていくようだった。
「あ、はい……わ、分かりました」
アンナは、いつもの彼と違ったことに驚きつつも、目を伏せながらそう言った。
戸惑いからか、お茶を入れる手が、微かに震えている。
何かしらの事情があるのだと分かっていても、アンナの胸は小さく傷んだ。
アンナはお茶を入れると、肩を落としながらも一礼して、レティシアの部屋を出て行った。
アンナに初めて退出を求めたアルノエを、レティシアは不思議そうに見ていた。
(何かあったのかな? どうしたんだろう)
レティシアはそう思った。
アルノエはレティシアの近くまで来ると、彼女の視線の高さまでしゃがむ。
彼は真っすぐに彼女の目を見ると、ゆっくりと話し出す。
「レティシア様、失礼しました。少しだけ団長たちとも相談したのですが、今回ダニエル様の滞在中は、私どもとお出掛けしませんか?」
アルノエの声は先程とは違い、どこか暖かく、それでいて落ち着いていた。
(どういうこと?)
レティシアは、予想していなかったことを言われて、首をかしげながら思った。
「ルカ様がいらっしゃらないので、遠くへは行けませんが、街に行ったりと、少しだけ屋敷の外にも外出してみませんか? 外出してみたら、いい気晴らしになるのではないかと、私なりに思いまして……、どうでしょうか?」
アルノエがレティシアにそう提案した。
すると、レティシアの顔がパァーッと満面の笑みになる。
「いいよ! ばしょ、アルノエ、きめて!」
レティシアが嬉しそうな声で言うと、アルノエの口元がわずかに緩む。
「かしこまりました。では、後程エディット様にも、私の方からお話いたします」
「ありがと!」
弾むような声でレティシアが言った。
(今世で、生まれて初めて外に行くのかぁ! 今からワクワクする!)
レティシアはそう思うと、嬉しさから鼻歌を歌いだす。
宙に浮く足をジタバタとさせ、どこか楽しそうだ。
けれど、アルノエの表情は沈んでいく。
彼は肩を落とし、右手でうなじを触る。
どうやら、レティシアがここまで喜ぶとは、思っていなかったようだ。
アルノエは後悔した表情をし、少しだけ気まずそうにしている。
持ってきた箱を見つめ、彼はしっかりと箱を握った。
「あのぉ……それで、伝える順番が逆になってしまったようなのですが……」
アルノエは言い淀みながら、箱をレティシアの前に出すと、さらに言葉を続ける。
「こちらは、ルカ様がレティシア様へと……。その……お贈りになった物です……」
そう言ったアルノエの声は、弱々しかった。
しかし、レティシアはルカからの贈り物だと聞いて、目を輝かせて笑顔になった。
彼女は、目の前に置かれている箱を急いであける。
中には綺麗に包まれた包みと、1通の封筒が入っていることに気が付く。
レティシアは柔らかい表情を浮かべ、封筒を静かに見つめる。
そして、ゆっくりと封筒に手を伸ばし手に取った。
レティシアは丁寧に封筒から手紙を取り出すと、ゆっくりと手紙を開く。
手紙には丁寧に書かれた、綺麗な文字が並んでいる。
彼女は手紙の文字に触れながら、静かに手紙を読み進めていく。
『親愛なるレティシア・ルー・フリューネへ
レティシア、君は元気にしてるだろうか?
俺は変わらず元気に過ごしてるよ。
君が贈ってくれたタッセルは、無事に受け取ることができたよ。
鮮やかで深みのある藍色は、少しだけ君の瞳を思い出す。
今は剣に付けて大切にしてる。
ありがとう。
実は、君に謝らなければないことがある。
どうしても外せない用事があって、君の元へ行くことができない。
そのことを、どうか許してほしい。
その代わりじゃないが、俺の希望で信頼してるアルノエに、レティシアの護衛を任せることにした。
レティシアも、彼のことは信用して大丈夫だ。
彼には、テレパシーのことも伝えてある。だから、何かあったら彼に伝えるといい。
アルノエの他にも2人、君の護衛に付けた。後でアルノエから他の2人も紹介させる。
それから、宝石と本以外で、レティシアがほしがりそうな物が分からなくて。
誕生日のお祝いに短剣を贈ることにした。
本当なら、魔力を注げば大きさを変えられる短剣にしようとしたけど、レティシアは付与術が使えるから。
君が好きにできるように、何も付与がされてない物を選んだ。
少し早いけど、お誕生日おめでとうレティシア。
遠くからでも、いつも君の無事と幸せを願ってる。
ルカ・オプスブル』
(あぁ……。ルカ……本当に来れないんだね……。それでも、こうして祝ってくれるのは、誕生日を忘れてなかったってことだよね)
レティシアはそう思いながら、手紙の文字を指で触る。
文字からは、まるで彼の声が聞こえてきそうで、レティシアの視界が歪む。
ルカらのプレゼントを喜ぶ気持ちと、彼の優しさを嬉しく思う気持ち。
そして、彼に会えない寂しさが入り混じる。
泣いてはダメだと、思えば思うほど。
レティシアは泣きそうになり、下唇を噛んだ。
泣くのを我慢しながら、彼女は箱に入っていた包みを開ける。
包みを開くと、手紙に書かれていたように短剣が入っていた。
レティシアは短剣を手に取ると、鞘から短剣を抜く。
光が当たりブレイドは、鋭くキラリと光る。
短剣にしては、かなり鍛えられていた。
レティシアは短剣を光にかざして、ブレイドの状態を見ている。
思わず、唾を飲み込んでしまうくらい、魅惑的な鋭さを持ったブレイドだ。
ブレイドを見ていたレティシアは、ガードの部分に付いた宝石に気が付いた。
それは、柘榴のように赤いガーネットだった。
レティシアはそのガーネットが、ルカと重なる。
彼女はガーネットを見つめながら、ルカの笑顔が脳裏に浮かぶ。
彼の温かさ、優しさ、そして彼のいない寂しさが彼女の心を満たす。
それでも、レティシアは大切そうに鞘に戻すと、そっとガーネットが付いたガードを触った。
彼女は1度目を瞑ると、大きく息を吸い込み、時間をかけてゆっくりと吐き出す。
『アルノエ、ルカからのプレゼントを持ってきてくれて、ありがとう。テレパシーのことも聞いていたのね』
テレパシーを使ってレティシアは話した。
その目には、薄っすらと涙が浮かんでいる。
アルノエはレティシアの顔を見て、グッと拳を握る手に力が入った。
「はい、存じておりました。言い訳にしか聞こえませんが、ルカ様から直接レティシアに報告すると言われていました。なので、このように話し掛けられるまで、こちらから申し上げられず、大変申し訳ございません」
アルノエはそう言うと、深々とレティシアに頭を下げた。
ルカが指示したのなら、アルノエにはどうすることもできない。
騎士として生きた過去があるレティシアは、そのことを分かっている。
『いいよ。それと、堅苦しいのはなしね。常にそばにいる人が、堅苦しいと息が詰まるから』
レティシアはそう言って、泣きそうな顔で笑ってみせた。
「かしこまりました。あ、いえ、はい……」
そう言ったアルノエは、耳まで真っ赤に染まった。
慌てて赤くなったアルノエを見て、レティシアは笑ってしまう。
アルノエは頭を恥ずかしそうにかきながらも、レティシアが笑っている顔を見てホッと胸をなで下ろした。
レティシアは窓に近づくと、そっと窓に触れる。
(ルカ……ありがとう……。どうか、無事に帰ってきてね)
レティシアはそう思いながら、窓から見える遠くの空を見つめた。
彼女が窓に触れていた部分からは、水が滴る。
それはまるで、彼女の代わりに泣いているようだった。




