第29話 気持ちと贈り物
神歴1490年1月13日。
フリューネ家から遠く離れたエルガドラ国では、ルカが1人の少年を連れて武器屋にいた。
武器屋の内部は、店の奥の部屋から聞こえる鍛冶の音と金属の匂いで満たされている。
壁や棚には様々な種類の武器がずらりと並べられ、その輝きは店内の薄暗さを消している。
「なー! ルカ、午後でもよかったんじゃね? なんで午前中なんだよ」
そう言った少年の髪は、ほんのり波を打って燃える炎のように赤く揺らめいていた。
深い森の中で、生き物の喉を潤す秘密の泉のようなブルーグリーンの瞳で、少年は不満げにルカを見ている。
短剣を見ていたルカは、短剣を棚に戻すと、ため息をつきながら自分の腰に手を当てて振り返る。
「あのな。おまえが、どうしても来てくれって頼むから、この国に来たんだ。俺は来たくて、来たわけじゃない。それなのに、俺の条件は守らないのか?」
ルカは少年に冷たい眼差しを向けながら言うと、再び棚に並んでる短剣に視線を向けた。
すると少年は、不貞腐れたように唇を尖らせる。
「なんだよ、おれだって好きでルカを呼んだわけじゃない」
「ぐちぐち言うなら、俺は帝国に帰る。俺にだってやりたいことがあるんだ。そもそも、俺にも自由な時間をくれるって、条件だっただろ。それが全く守られてない。それなら、今日ぐらいは、おまえが我慢しろ」
苛立ちを押さえるように、ルカは持っている短剣の柄を握りしめた。
今のルカには、1人で自由に出歩くような時間はない。
そして、彼は出来ることなら、ヴァルトアール帝国に帰りたいと思っている。
しかし、それが今はできない状況なのだということも、ルカは理解している。
この後、時間があるかも分からない。
だからこそ、ルカは今日だけでも自由に行動がしたかったのだ。
「へいへい……、んだよ……、怒ることねぇじゃん。――それで、なんで武器屋?」
少年は、頭の後ろで手を組むとそう聞いた。
「別にいいだろ」
「短剣なら、ルカ持ってるじゃん。なんで?」
「本当に、おまえは黙っていられないのか?」
ため息をついて冷めた声でルカが言うと、少年は頬を膨らませた。
「機嫌わりぃな、黙りますよ黙りますよ。なんだよ、気になってわりぃかよ」
ルカは短剣を手に持つと、軽く振ってはその重さを確かめる。
すでにルカは、仕事用に複数の短剣を持っている。
そのことを知っている少年は、興味深そうにその様子を見ていた。
ルカが短剣を棚に戻すと、少年はルカに話しかける。
「なぁ、なんで今の棚に戻したんだ? 振ってた感じからして、重さは良かったんだろ? 何が気に食わなかったんだ?」
眉間にシワを寄せたルカの口からは、重たい息が吐き出され。
ルカはため息混じりに言う。
「はぁ、頼むから、本当に黙ってくれよ……」
ルカの声からは、煩わしさが感じられた。
「んだよ、聞いただけだろ」
舌打ちをしながら、少年は拗ねたように言った。
ルカは、さっきまで手に持っていた短剣に目を向ける。
近いようで遠い存在を見つめるように、切なげな瞳だった。
「……いらないんだよ、付与術式が書かれていたら、邪魔になる」
そう言ったルカは、棚に並んでいる別の短剣に手を伸ばす。
彼の目には憂いが感じられ、少年はその様子から贈り物だと思った。
「ふーん。誰かに贈るの?」
「……別にいいだろ」
相手のことを考えていたのだろう。
ルカの手が一瞬だけ止まると、少年は何察したのか、歩きながら話し出す。
「――なるほどね。この国だとさぁ、好きな子とか、大切な人に、短剣を贈るんだよ。自分の髪か瞳と同じ色の宝石が付いた短剣をね。もし、迷ってるなら参考にしたら? おれはルカが本気で怒る前に、あっちを見てくるよ」
「ああ、アラン、あまり離れるなよ」
淡々とした様子で言ったルカは、目の前に置かれている青い宝石が付いた短剣から、少しだけ離れた所に置かれている短剣に視線を移す。
歩きながら、アランは軽く片手を上げる。
「はいはい、まぁおれも死にたくないから、言うことは聞くよ。でも、後で姫さんのことを教えてくれよ」
アランは、うんざりしたような、けれど、どこか楽しそうな声で言った。
「別にそんな関係じゃない」
「ふーん。まぁ、別にいいよ。勝手に想像するだけだし」
ルカは振り返ると、アランに鋭い眼差しを向ける。
けれど、アランはどこか楽しそうに見えた。
ルカは短剣が並ぶ棚に、再び目を向ける。
手に取って長さを確かめると、短剣を数回振っては重さを確かめる。
短剣に向ける彼の眼差しは、とても真剣な目をしている。
それからも、ルカは移動しながら何度も同じことを繰り返した。
しかし、別の棚に移動していたルカは、不意に足を止める。
彼の視線の先には、柘榴を思わせるガーネットを湛えた短剣が、輝きを放ちながら置かれていた。
ルカは短剣を手に取って長さを確かめると、短剣を数回振る。
そして、目の高さまで待ちあげると、彼は光にかざしながらブレイドの状態や、鍛え方を確認している。
ルカは短剣を持ったまま、店主の所まで行く。
「これを、綺麗に包んでくれ。贈り物なんだ」
そう言ったルカは、優しそうに微笑んだ。
ルカは泊まっている宿屋に戻ると、アランが泊まっている部屋へと向かう。
「なんかあったら分かるから、それまで1人にしてくれ」
ルカはアランに言うと、天井の板を一ヵ所だけ魔法で浮かす。
そして、その開いた隙間から浮遊魔法を使って屋根裏に入っていく。
屋根裏は、わずかな光が床の隙間から差し込んでいた。
しかし、それでも暗いことには変わりはない。
ルカは灯光魔法を使うと、屋根裏はわずかに明るくなる。
それから、屋根裏に置かれている彼の鞄から、便箋を取り出した。
鞄を閉じると、ルカは鞄を机の代わりにして手紙を書き始める。
紙に綴られる1文字1文字、それに彼は気持ちを込めてスラスラと書いていく。
微かに微笑んでいた彼の表情は、悲し気に変化したが、それでも繊細な文字の中に強い意志を感じことができる。
暫くして、書き終えた彼の表情は穏やかで、紙にはとても綺麗な文字が並んだ。




