第26話 涙と笑顔の日々
神歴1489年11月19日。
昼食を取るのに食堂に来ているレティシアは、野菜がたっぷりと入ったオムライスを食べながら食事を楽しんでいる。
テーブルには、彼女の好きなローストビーフが薄く切られた状態で並び、さらにはサラダやエビフライが並ぶ。
じっくりと煮込まれたトマトスープが、レティシアの手が届く範囲に置かれている。
エディットは彼女が食べる様子を見ながら、微笑んで見ている。
しかし、目を閉じて何か決意すると、おもむろに目を開けてレティシアを見つめた。
「レティ、あなたのお父様から、来年も3日頃に来ると……。先日手紙をもらったわ」
まるで、その場を凍らせる魔法でも使ったかのように、エディットの発言がその場にいた全員の時を止めた。
レティシアは口元に運んでいたスプーンが止まり、口を開けて驚きの表情を浮かべる。
彼女の瞳は、エディットの顔をじっと見つめて、その言葉の真意を探った。
すると、エディットは困ったように眉を下げて、レティシアの瞳を見つめる。
「それでね? ……ジョルジュに確認してもらったんだけど、ルカね……、今は国外に居るらしくて……。連絡が取れないのよ……。だからね。今回は来られるか、まだ分からないのよ……」
何度も下に視線を落としながらも、エディットはそう言った。
きっと、レティシアがエディットに対し、ルカを呼んでくれるか前に聞いたこともあって、気まずく感じたのであろう。
(……ルカ、今は国外に居て来られないんだ……。そっか……、そっか……、そうなんだ)
レティシアはそう思うと、目頭が熱くなるのを感じて、思わず俯いてしまう。
(泣くな、泣くな。体に気持ちを持ってかれるなぁー!)
自分に渇を入れるように、レティシアはスプーンを強く握りしめて、無理やりに表情を作りながら、顔を上げてにっこりと笑った。
『なら、仕方ないですね。お父様が滞在している期間中は、私はできるだけ書庫にこもることにします』
レティシアはそう言うと、再び食事に手を付けた。
エディットとリタは時折レティシアの方を見ては、心配そうに様子を窺っている。
しかし、無理なことは無理だと分かっているレティシアは、わがままなど言わない。
言ったところで、周りを困らせることしかできないのを、体が小さくても中身が転生者の彼女は理解している。
レティシアはテーブルの上に並んだ料理や運ばれてきたデザートを見て、ジャンは今日エディットがこのことを彼女に告げるのを分かっていたのだと気付く。
そして、彼女が少しでも気落ちしないように好物を作ったのだと分かると、その心遣いが嬉しいと感じる。
レティシアは食事を終えると、庭園がある方に1人で向かった。
庭園の一角に、彼女が誕生日にもらった種たちを植えている花壇がある。
様々な季節に、レティシアが咲く花々を楽しめるようにと、贈り物として受け取った種袋から彼女は一粒ずつ種を取り出し。
庭師のサリムに花の種類や、咲く時期など聞きながら、それらを植えたので、この時期に花を咲かせる花もある。
花壇にたどり着いたレティシアは、ドレスのポケットから種袋を取り出すと、真剣な顔で中を覗き込んだ。
そして、嬉しそうに袋から一粒の種を取り出した。
それから、花壇の前にしゃがみ込み、小さな手を使い、土に人差し指で穴をあける。
先程取り出した種を穴の中に入れると、ふんわり土を被せた。
彼女は「頑張って大きなれよー」と願いながら、水魔法で水を与える。
(この時期の種まきをするのは、あまり良くないと思うけど……、それでも何かしていないと気持ちが落ち着かない。それに……、いろいろと考えちゃうんだよね)
レティシアはそう思いつつ、ゆっくりと立ち上がり、ドレスを払って付いている土を落とした。
そして、スカートの裾を摘んで左右に振り、土がついていないことを確かめる。
綺麗になったことを確かめた彼女は、まるで急かされるように小さな足で歩き出す。
どこへ行こうかと考えながら歩いていたが、最終的にはエディットがいるテラスへ向かうことに決め、テラスがある方に方向を変えて進んだ。
半分くらいまで歩いた辺りで、風に運ばれて花びらが彼女の横を通り過ぎる。
すると、レティシアは突然足を止めて、花びらが風に運ばれるのを眺めていた。
けれど、花びらを見つめている視界が、少しずつ涙で歪んでいく。
(花壇からテラスまで……、独りだと……、遠く感じるよ……。ルカの……バカ)
この道は何度もルカとレティシアが歩いた道。
ルカと種を一緒に植えた時、彼も花が咲くのを楽しみにしていた。
そんな記憶が鮮明に脳裏に浮かび、彼女は悲しくなった。
涙が零れ落ちないように、口を固く閉じて空を見上げる。
それでも、目尻から涙が流れ出し、頬骨を滑り落ちていく。
すぐに会えると言った少年は、この帝国に今は居ない。
レティシアが泣いても、涙を拭ってくれた赤目の少年とはすぐに会えない。
頭では分かっていても、気持ちが付いてこない。
それほど、レティシアは彼とまた会えるのを心待ちにしていたのだ。
『……今すぐには無理だけど、それでも、また会えるよ』
レティシアは、ルカがそう言っていた時の顔を思い浮かべると、溢れてくる涙を堪えるように、強く目を閉じた。
「失礼します! レティシアお嬢様! 私は第1騎士団所属アルノエ・ワーズと申します! 差し出がましいと思いますが、私が目的地までお連れしても、よろしいでしょうか?」
不意に後ろの方向から、そう言う声が聞こえると、レティシアは慌ててドレスの袖で涙を拭う。
そして、泣いていたことが分からいように、できるだけ平然を装って彼女は振り向く。
そこには、少しつり目でショートボブ赤髪の青年が立っている。
彼のレッドパープルの瞳は、まるで深紅と紫の間で輝く宝石のようだ。
(服装からして、本当にフリューネ家で働いてる騎士ね。そんな気分じゃないけど、真面目そうな人だから、きっと立ち止まってたのを見兼ねたんだろうなぁ……。侍女もメイドも連れてないし、断る方が悪いか……)
「うん、おねがい」
「ありがとうございます! では、失礼します。どちらまで行かれますか?」
特に断る理由もなかったレティシアが答えると、アルノエは彼女を抱き上げながら聞いた。
「にわ!」
レティシアが明るく言うと、アルノエは少しだけ考えてから言う。
「テラスですね、では、テラスまでお連れします」
抱き上げられた瞬間、彼の瞳にレティシアの視線が止まる。
(あ、この人の瞳、赤紫なのね……。ルカのはガーネットのように深みのある赤だったけど……。この人のも綺麗だわ)
抱き上げられて彼の瞳がより近くで見えたことによって、レティシアはまた少しだけ赤目の少年を思い出しながら、アルノエの瞳を見つめる。
アルノエは耳をほんのりと赤く染めると、言いにくそうにしながらも口を開く。
「あの、お嬢様……。少々言い難いことなのですが、男性の顔も女性と同様で、異性が長く見つめるものではございませんよ」
「ごめん! でも、め! きれい!」
「あー……、ありがとうございます。自分は、お嬢様の瞳の方が綺麗だと思いますよ」
アルノエはまだ耳を赤くしながら、少し照れたように言った。
レティシアも瞳の色を褒められると、嬉しそうに笑う。
「アルノエ、ありがと」
「いえ、事実ですので」
身長が高いアルノエが、レティシアを抱き上げたことによって、視線が高くなって目の前に広がる世界が新鮮に見える。
アルノエは、目をキラキラと輝かせながら喜んでいるレティシアを少しだけ盗み見た。
それから、テラスへ向かう歩みを遅くし、周りの風景を彼女が楽しめるようにと、配慮する。
浮遊魔法を使えば、1人でも見ることのできる景色。
けれど、今の彼女は誰かと見たかった。
少しでも、気持ちを紛らわせたかったのかもしれない。
テラスのある庭に着くと、アルノエは木陰に移動してレティシアを抱いたまま、エディットを待とうとする。
しかし、彼女は「おりるー」と言って、アルノエの腕から逃れようとした。
彼は戸惑いながらも、レティシアを地面に下ろすと彼女は芝生に座る。
そして、隣をトントンとたたきながらアルノエを見ると、彼は少し困ったように後頭部をかいてゆっくりとレティシアの隣に腰を下ろした。
「私などが、お嬢様の隣に座ってもいいのでしょうか?」
不安そうにアルノエが聞くと、レティシアは満面の笑みで笑って答える。
「へいき!」
「それなら、良いのですが……。お嬢様は、いつもこちらでお昼寝されるのですよね?」
「ねないよ! へいき」
「そうですか。もし眠くなりましたら、教えてください」
「うん!」
レティシアは頷くと、アルノエに笑いかけた。
それは、花が咲いたような無邪気な子どもの笑顔だった。
「お嬢様は、お花が好きなのですか?」
アルノエは、芝生の上に咲く色とりどりの花を指さしながら、レティシアに尋ねた。
「おはな、すき! きれい、ここがぽかぽかする」
レティシアが胸の辺りを触りながら答えると、少しばかりアルノエの目が細くなり頬が緩んだ。
そして、彼は遠くの空を見つめると、穏やかな声で話す。
「私もお花が好きです。癒されますから……実は、花壇でお嬢様をお見掛けしたのです。それで、お嬢様と同じように花壇の花が咲くのを楽しみにしていた御方を、思い出しました。それからお嬢様の様子を見ていたのですが、立ち止まって泣いているように見えたので、不躾ながらお声をおかけてしまいました」
レティシアはアルノエが話すのを、ただ静かに聞いていた。
彼がレティシアを見ながら誰を思い浮かべていたのか、それは彼女には分からない。
けれど、心配してくれていたことは確かにレティシアに伝わった。
「ありがと、アルノエ」
レティシアはそう言うと、アルノエと同じように遠くの空を見る。
その目には、薄っすらと涙が浮かぶ。
それから2人は、空を眺めながらエディットが来るまで話していた。




