第24話 戻っていく日常
次の日、早朝にルカとモーガンはオプスブル領へと帰って行った。
仕事が溜まっているらしく、ルカが戻らななければならない状況だと、帰る前に彼はこっそりレティシアに耳打ちをして教えていた。
ルカがそのような行動をとったのは、どこかレティシアが寂しそうにしていたからだと考えられる。
それも彼なりの優しさであり、無条件な信頼なのだろう。
ルカとモーガンが帰ったことによって、レティシアの日常は彼らが来る前に少しずつ戻っていく。
訓練場への出入りも、レティシアの護衛がいないという理由で禁止となった。
自室もレティシアが1人で居ると広く感じてしまう。
そんな気持ちを紛らわすかのように、彼女は部屋に居る時間よりも書庫で過ごしたり、エディットと話して過ごす時間が増えた。
それでも時折、気になったことを聞くのに横を向いたり、話しかけるのに振り返って、いない人の影を無意識に探している。
その瞬間、レティシアは心にぽっかり穴が空いたような気分になった。
ルカとレティシアはダニエルが帰った後、2人でエディットの魔力を覗いてる。
けれどレティシアはルカが帰って後にも、何度かエディットの魔力の流れを覗いていた。
しかし、エディットの魔力からは特に異常も見受けられず、レティシアは気分が晴れない日々を送っている。
指輪から感じた気配は考え過ぎなのかと思い、考えるのを辞めようとレティシアは何度も思ったことがあった。
けれど、その度に「怪しいと思ったことに対して、答えが出ていない段階で考え過ぎていることはない」と言っていたルカの言葉が、辞めてしまおうという気持ちを思い止まらせている。
(お母様に何かしらの異変があった場合、近くにいる娘の私が気付かないとダメだよね)
そう思いながらテラスでお茶をしていたレティシアは、ティーカップをテーブルに置いて向かいに座るエディットに笑いかけた。
テラスにふんわりと包み込むような風が吹くと、レティシアは椅子から降りて庭に向かう。
暫く歩くと、いつもルカと座っていた場所に彼女は座る。
そこで何度もルカと笑い、話し、時には言い争ったこともあった。
けれど、その全てが今は遠い思い出となり、彼女の心を満たす。
(ルカが帰って、もう1ヵ月が経つのね……)
だいぶ暖かくなり、テラスにあるこの庭にもたくさんの花が咲き乱れ。
鳥たちは精霊とメロディーを奏でては、楽しそうに笑っているような気さえしてくる。
レティシアはそんな彼らの声を聞きながら、空を見上げた。
どこかで、この空を同じように赤目の少年も見ているのではないかと思うと、レティシアは少しだけ寂しさを覚える。
ただ、ボーっとレティシアが空を眺めていると、背後から足音が聞こえた。
「レティは、ルカが帰ってしまって寂しいのね……」
そう言いながら、エディットはテラスから降りて庭へと向かっていた。
けれど、レティシアは振り返らずに、流れている雲を憂いの帯びた瞳で見つめながら、軽く唇を噛んだ。
『――いつも、一緒だったので……。ちょっとだけ寂しい気持ちは、あります。けど……、それは、きっといつも一緒だったからですよ……。ただ、それだけ……』
曖昧な気持ちを伝えるかのように、レティシアはそう答えた。
エディットはそんなレティシアの隣まで来ると、ゆったりとした操作で芝生に腰を下ろす。
そして、レティシアと同じように空を見上げる。
「ねぇ、レティ……。あなたが望むなら、この屋敷に、いつでもルカを呼んでいいのよ」
心配するようにエディットがレティシアにそう言った。
けれど、気軽にルカを屋敷に呼んでも、彼が自由に来れない立場にいるのをレティシアは知っている。
そのため、レティシアは自分の気持ちを隠すように、口元を隠して笑ってみせる。
『ふふふ、お母様私は大丈夫ですよ。それほど寂しいわけではないので……。それに……』
レティシアが『彼は忙しい』と言おうとした瞬間、風が彼女の髪をなびかせ、彼女の頬をなでた。
それはまるでルカがそこにいて、彼女を見守っているかのように感じてレティシアは遠い空を見つめる。
エディットは続きが気になってレティシアの方を向き、首をかしげながら聞き返す。
「それに?」
『……それに、またすぐに会えますよ。お父様も、こちらにまた戻ってくると言っていたのですよね? なら、その時にお母様は、ルカに私の護衛をお願いしてくれるのですよね?』
そう聞いてくるレティシアに対し、エディットは目を細めて優しく微笑みながら答える。
「そうね。今回は、レティシアとダニエルを接触させないようにと、ルカに釘を刺していたけど、それを守ってくれたわ。その結果、あなたに何も問題がなかった。それに、窮屈な思いをさせていると思っていたけど、あなたが楽しそうだったから、また彼にお願いするつもりよ」
『お母様、ありがとうございます』
レティシアはそう言った。
しかし、彼女の横顔からは何の感情も読みと取れない。
それを見て、エディットは心苦しいような表情を浮かべ、突然レティシアを抱きしめた。
「レティ……、ごめんなさい……。あなたに、寂しい思いをさせているわね。本当は、あなたにも弟か妹が必要だと思うの……。でも、お母さんはあなたのお父さんとの間に、これ以上子どもを作るつもりはもうないわ。だから……、その代わりとして、ちょっと早いと思ったんだけど……、あなたの2歳の誕生日には、専属侍女が来られるようにお願いをするつもりよ。そうすれば、あなたはもう寂しくないでしょ?」
専属侍女と聞いた瞬間にレティシアは、リタがエディットの専属侍女になった時の話を思い出した。
(もし私がここで頷くと、まるで子どもが親から早く離れることを急いでいるような気分になるわ)
そう思ったレティシアは、慌ててエディットの方を向いた。
『いえ! お母様! 私は大丈夫です!! 専属侍女は、もう少し経ってからにしましょう! まだ私には必要がありません!!』
「そぉ? ……それなら、そうするわ。レティの気持ちが1番大切だもの」
エディットが残念そうに答えたのを見て、レティシアはホッと胸をなで下ろした。
なぜなら、専属侍女が予定より早く親元を離れなければならない状況を回避できたからだ。
しかし、レティシアはエディットが彼女のことを考えたことを思うと、その気持ちが嬉しく感じる。
その気持ちを少しでも伝えるために、レティシアエディットに抱き付いた。
『お母様、大好きです!』
エディットは少しだけ驚いたように一瞬だけ目を見開いたが、すぐに嬉しそうな微笑みに変わる。
そして「私もよ、大好きよレティシア」と言って、レティシアを抱きしめていた腕に、少しだけ力が入った。
(ほんの些細な日常だけど、今の私にはこの穏やかな日常の全てが宝物よ……。だから、この日々が少しでも続くように守りたいの)
レティシアはそう思うと、エディットの温もりを確かめた。
レティシアとエディットが、庭で過ごしていた同時刻の神歴1489年4月26日。
帝都オーラスの中央には大きな白い時計台が街を見守り、色とりどりの建物が並ぶ賑やかな街並み。
古びた石畳の道を人々が行き交い、楽しげに歩いている。
フリューネ家から遠く離れた帝都オーラスでは、相次いで不審な死を遂げた遺体が発見される。
被害者は庶民の若い女性が多く、遺体は全身が結晶と化していた。
皇宮の一室では、頬杖をついて深く椅子に寄りかかりながら座る皇帝と、礼儀正しく膝の上に拳を置いた少年の2人が向き合っていた。
「遺体が結晶に変わることは、通常では考えられるのか?」
「私が存じている限りではございません」
皇帝が尋ねると、少年も礼儀正しく答えた。
「君が知らないなら、君の祖父はどうだろうか?」
「私が存じ上げないのであれば、祖父も存じないと存じております」
皇帝は頬杖をつきながら、肘掛けをトントンと指で叩き、深く何かを考えるように眉間にシワを寄せている。
しかし、金色の瞳はまるで獲物を見極めるかのように、少年を見ていた。
「そうか……。では、これを君の所だけで内密に捜査することはできるか?」
先程まで表情を変えなかった少年は右手で顎を支え、左手には右肘を乗せて思索にふけっている。
そして、彼はおもむろに話し出す。
「少々気になる事柄がございまして、できましたらフリューネ家の騎士団にも捜査へのご協力を賜りたく存じます」
「ほぉ? それはなんだ?」
「それにつきましては、たとえ皇帝陛下であられても申し上げることができません」
少年の言葉に皇帝は、ほんのわずかに体を起こし、眉を顰めた。
しかし、すぐに深く体を椅子に沈めると、頬杖をつきながら話す。
「……そうか、ではフリューネ家と協力して極秘に捜査してくれ」
「かしこまりました」
少年はそう言っておもむろに立ち上がると、ドアへと向かう。
そんな彼の後姿に、皇帝は冷ややかな視線を向ける。
「ルカ君、君からの報告を楽しみにしているよ」
皇帝はそう言って、ルカの背中を睨み付けた。
「それとだ、君に頼みたいことがある。帰ったら確認してくれ」
ルカは一瞬だけ立ち止まったが、片手を上げてヒラヒラと振ると、振り返ることもなくそのまま部屋を後にした。




