第212話 戦陣の宴と青き影
神歴1504年11月16日。
帝都オーラスは、夜にもかかわらず、どこか賑わいを見せていた。
街の中心部では出店が並び、中央の広場では演奏に合わせ踊り子が踊り、民もその周りを踊り、まるで祭りだ。
暫くすると、ヴァルトアール城から打ち上げられた魔法の花火が、夜の空を彩る。
その瞬間、広場に集まっていた人々たちは動きを止め、「わぁああ」と歓声が上がった。
「お母さん、花火綺麗だね」
「……そうね……」
「お母さん?」
一組の親子の短い会話は、民衆の声に掻き消さた。
――その頃、ヴァルトアール城では戦陣の宴が開かれていた。
煌びやかなドレスを着た女性や、軍服を着た者たち、正装している男性たちが集まっている。
会場となっている広間では、給仕が飲み物をトレーに乗せ、動き回っている。
優雅な演奏に紛れ、話し声や笑い声までその場を飾る。
「アルフレッド殿下、先程もあいさつしましたが、本日のご装い、まことに凛々しく、初陣に相応しき威厳を感じます」
アルフレッドはベラトル・エドガーに話しかけら、視線だけを動かし、彼の息子であるベルンの姿を探した。
しかし、ベルンを見つけらず、ベルトラと視線が合うと、曖昧な笑みを浮かべられ、アルフレッドはほんのわずかに視線が下がってしまう。
(ベルンはやっぱり来なかったか……それにしても、今日何度目の、形式的な挨拶だろうか……)
ふと、皇子らしかぬ思いがアルフレッドの胸に湧いたが、彼は顔に笑みを張り付けたまま丁寧に対応する。
「ありがとうございます、エドガー団長。祖父グラッフェブル公爵より、初陣の祝いとして賜りました」
「公爵殿の御心遣い、さすがにございます。殿下の御志に応えるべく、我らも備えを整えております」
「心強い限りです。帝国のため、恥じぬ戦を果たしたく思います」
「ところで……、アルフレッド殿下は今回のことを、どのように見ているのでしょうか?」
アルフレッドはスーッと笑みを消し去ると、目を細めてベラトルを凝視した。
騎士団の団長を務めるベラトルのことだ。
何かしら考えがあっての質問だと分かるが、戦陣の宴で話題にしていい話ではない。
「……それは、騎士団の団長としての質問でしょうか? それとも、個人的な質問でしょうか?」
「個人的な質問です。北部の辺境の街ことについて、アルフレッド殿下がどのようにお考えになっているのか、気になりましたので」
個人的と聞き、アルフレッドは噛み締めない程度に歯と歯を合わせた。
ベルガー伯爵家は、皇太子に即位した皇子を支持すると明確に宣言している。
つまり、現段階では誰の味方ではないが、裏を返せば、どの皇子の味方だとも言える。
答えは慎重にしなければならないが、アルフレッドは自然に振る舞いながら息を吐き出すと、正直に答える。
「……正直なところ、アルフォルティアに行かなければ、状況は分からないと考えています。意図的なのか、それとも……ただの魔物の暴走なのか、明確には分かっていませんので」
ベラトルは軽く微笑むと、短期間で成長したと感じた。
元々、ベラトルから見て、アルフレッドは先のことを考えていたが、このようにして意見を述べることは少なかった。
公式の場では、兄であるルシェルの意見を尊重し、存在を消して後ろを歩く弟のイメージが強く、誰もがアルフレッドが皇位を主張すると思ってもいなかった。
彼の交友関係も狭く、あまり貴族と関わらないようにしていた印象がある。
そんな人物を、1人でも立てるようにしたのは誰なのか、何があったのか……と考えた。
だが、細められた目の先にある琥珀色の瞳を見て、聞くべきではないと思い、礼儀正しく答える。
「そうですか。今回、私は帝都に残ることになりますが、どうかお気を付けください」
「ああ、エドガー団長に指導してもらいましたので、無駄にせず発揮してきますよ」
ベラトルは笑みを浮かべたアルフレッドを見て、剣の指導していた時の無邪気な皇子はもういないのだと感じた。
それでも、まだ帝国の未来は明るいのかもしれないと少しばかり安堵すると、幼い皇子の頭をなでた記憶が蘇る。
思わず笑みが零れ、胸が暖かくなる。
しかし、会場がざわつき始めると「何か騒がしいですね……」と言いながら、振り返った。
彼の視線の先には、パールのついた青いドレスを着た少女が歩いており、「あれは……」と呟いて言葉が続かなかった。
「フリューネ侯爵の到着のようです」
アルフレッドは冷静に答えると、背筋を伸ばしてレティシアを見つめた。
胸が高鳴るのとは違い、妙な緊張感が全身を包む。
久しぶりに見たロイヤルブルーの瞳は、どこか冷たく、手に汗が滲む。
この会場で、彼女に道を開けている者たちが、今何を考えているのか、それは彼には分からない。
けれど、数ヵ月の間、姿を消していた彼女が、なぜこの場に姿を現したのか分からず、戸惑っているのは見ていて分かる。
カツン、カツン、とヒールの音が耳に届き、演奏者たちまで手を止めたのだと理解した。
目の前で少女が立ち止まると、華麗なカーテシーをされ、彼はゴクリと息を呑んだ。
「今宵は招待いただき、誠にありがとうございます。ルシェル殿下、アルフレッド殿下の御二人から招待状が届いておりましたので、参りました」
レティシアの凛と透き通った声が、アルフレッドには冷たく感じた。
彼女の考えが分からないと思いつつも、「久しぶりだな……」と曖昧な返答をした。
その瞬間、ロイヤルブルーの瞳の奥が柔らくなった気がして、少しだけ頬が緩んだ。
「ええ、お久しぶりです。本日はあいさつだけに参りましたので、これで失礼します。ルシェル殿下にも、レティシア・ルー・フリューネが来たことをお伝えください。御二人の活躍とご武運をお祈り申し上げます」
アルフレッドはレティシアが振り返ると、肩の力が抜けて、初めて全身が強張ってたのだと分かった。
彼女と皇家の関係性を考えれば、彼女の対応は当然のことだと納得できる。
しかし、個人的な繋がりを考えれば、後で何か指摘されるのではないかと思い、ため息がこぼれそうになった。
何より厄介なのは、彼女が帝国に戻ったことを教えてくれた、オプスブル侯爵の弟であるレイの存在だ。
彼は1週間ほど前に突然現れ、レティシアからの注意事項を伝えると、そのまま叔父であるライアン・リック・アルファール大公の家に住み着いた。
同じ家に住んでいる今、家に帰ったらレイに何かしら言われるのだと思い、頭が痛いと感じてしまう。
けれど、今日くらいは……、とビオラ宮に戻ることも考えたが、溜まっている仕事のことを考えると、大公家に帰るという選択しかなく、今度こそため息がこぼれた。
「フリューネ侯爵が来たのは驚きましたね……」
「そうですね……招待状は出しましたが、来ないと思ってました」
ベラトルはアルフレッドの返答と様子を見て、「なるほど……」と呟いた。
どんなに思考しても、アルフレッドとレティシアの接点が、学院の同級生という以外思い浮かばない。
しかし、アルフレッドが皇位を主張したのと同時。
彼が皇家のフリューネ家への訪問を一時的に禁じる案を提出したことも考えれば、何かしら深い繋がりがあるのではないかと、邪推してしまう。
けれど、そうなれば……フリューネ侯爵が独立するという噂の裏付けにならず、先程の形式だけのあいさつの理由が余計に分からなくなる。
暫く考えていたが、ふとこちらに向かってくる人物を見て、彼は顔を引きつらせた。
(……顔を合わせれば、また小言を言われる)
彼は舌打ちすると、慌てて姿勢を正し、胸に手を当てて話す。
「グラッフェブル公爵殿がこちらに向かってきますので、私はこの辺で失礼します」
アルフレッドはふっと笑うと、「また後程」と返した。
祖父であるセルヴィオ・リト・グラッフェブルのことを、ベラトルが苦手だということは、限られた者は知っている。
アルフレッド自身もこれまで祖父と話すことは少なく、祖父に対して苦手意識があった。
しかし、いざ非公式な場で会ってからは、なぜ苦手意識があったのか分からなくなった。
「来たか……」
アルフレッドはセルヴィオの視線の先に目を向けると、閉ざされた扉を見ながら「ええ」と冷静に答えた。
レティシアに出した招待状は、元々送るつもりはなかったが、セルヴィオの提案に従って出したものだ。
「予想に反して、来ましたね……」
「そうだな。フリューネ侯爵は、もう帰ったのか?」
「はい、あいさつだけと言って帰りました」
「となると、皇族に対して最低限の礼を尽くした事か……。分からぬな」
セルヴィオは内心でため息をつくと、思考を巡らせ始めた。
しかし、「少し場所を移しましょうか。こちらへ」とアルフレッドに誘導されると、辺りを見渡した。
これまで、公の場でアルフレッドと話したことはなく、あいさつにだけ留めていた。
それなに、急に公式の場で話しているとなると、注目を浴びるの仕方ないかと感じた。
会場から出て別室に向かう途中、廊下の空気が冷たく、わずかにアルフレッドから香るシトラスの匂いに鼻を鳴らした。
贈った全ての品を使ってくれたことに頬が緩むが、扉を開けたアルフレッドに「どうぞ」と案内されると咳払いをした。
そして、室内に入ると、「オプスブル侯爵は見なかったが?」と冷静に尋ねた。
「オプスブル侯爵からは、既に断りの手紙をもらっております」
「尚更、分からぬ」
「それについては、同感です」
アルフレッドは思考している様子のセルヴィオを見ながら、冷静に答えると、続けて「お座りください」と言ってソファーに座った。
全ての事情を明かしていないため、祖父が何を懸念しているのか、大体の想像はつく。
しかし、まだ全てを明かす時期ではないと思うと、少しでも悟られないように気を引き締める。
「今回の出陣に関して、オプスブル侯爵には要請を出したのか?」
「ええ、向かう場所が場所なので、一応出してます……」
「歯切れが悪いな。返答がなかったのか?」
「いえ、返答はありましたが、その……」
セルヴィオはアルフレッドの様子を見て、眉を顰めると何か隠していると感じた。
けれど、血筋的に祖父と孫だとしても、立場は公爵と皇子だ。
皇子である孫が言えぬこともあるのは、当然なことであって、それを責める理由にはならない。
実際、アルフレッドに与えた隠密も、アルフレッドの指示でしか動かないようにしている。
だが、言えることは言ってもらわなければ困る。
「何だ? 祖父にも言えぬことか?」
「そういう訳ではありませんが、影から支援するとだけ……」
「なるほど、表立って行動せぬということか」
「そのように考えて問題ないかと思います」
セルヴィオは話を聞き、孫の心労を考えて大きくため息をこぼした。
オプスブル侯爵家が影から支援するということは、想像以上に、皇家とフリューネ侯爵側の間に溝があることを表す。
この問題を、孫はいつから独りで抱えていたのだ……と考えるだけで、少しばかり胸が痛む。
しかし、皇子であるならば、それも仕方ないのかと思ったが、側近が誰も付いていないことを考えると、娘であるエミリアの教育が孫の足枷になったなと同時に思えた。
けれど、過ぎたことを言っても仕方ないと気持ちを切り替えると、考えてことをそのまま口にする。
「……となると、今回姿を見せなかったのは……、ルシェル殿下にもアルフレッドにも、どちらにも付かぬ、という意思表示か」
「……ボクもそうだと思います」
「昔から、オプスブル侯爵を継ぐ者は、徹底しとるな……。噂の審議がどうであれ、フリューネ侯爵がどう考えているの分からない以上、噂も真実だと考えとくべきだな」
「そうですね……」
アルフレッドは祖父の言葉を聞き、今日レティシアは何を思っていたのか考えた。
もし、本当に独立する気があるなら、アルフレッドにフリューネ領の仕事を任せたり、パーティーに招待されても来ないだろう。
しかし、彼女は現れた。
そうなると、やはり帝国に残る未来も残されていると考えるべきだなと、思考している途中で「何を考えとる?」と話しかけられ、曖昧な笑みを浮かべて話す。
「いえ、しっかりしなければと思いまして……」
「ふん、我の孫だ。一刻は誑かされておったが、正気に戻ったのなら問題ない」
アルフレッドには、祖父の言葉が痛かった。
初めてグラッフェブル公爵家を訪ねた日、アルフレッドは明らかに歓迎されていなかった。
使用人たちが向ける眼も冷たく、皇家は期待されていないのだと早々に悟った。
祖父と言葉を交わしたが、冷たい声で厳しい叱責が飛び、皇子としての自覚が足りないと言われた。
そして、『皇位を主張したところで、世間の目は早々に変わらぬ。お前の行動は遅すぎる』とまで言われ、歯を噛み締めた。
それでも、北部の辺境の街に行こうとしていることを伝えると、やっとまともに会話が進んだ。
何度か訪れるうち、使用人たちの目も変わり始め、やっとスタートラインに立てた気がした。
だが、それでも足りないのだと思え、どうすべきか考えを巡らせていると、「どうした?」と祖父に聞かれ笑みが零れる。
「いえ、ただ……グラッフェブル公爵家の皆様に恥じない行動をしなければ、と思った次第です」
「当然だ」
セルヴィオは短く答えたが、少しばかりフリューネ侯爵家側に探りを入れるべきだと思った。
反感を買わないギリギリの線を考えるのであれば、フリューネ侯爵の父君の方を調べるか……と考え、ニヤリと笑みを浮かべた。




