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13度目に何を望む。  作者: 雪闇影
8章

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第211話 紅茶の香りに沈む決意


 神歴1504年10月28日。

 フィラトゥーテネクス学院では、10月19日から始まった9日間の連休が明け、生徒たちは再び校舎へと足を運び始めていた。

 校舎に向かう女子生徒は、口々に11月の末に開かれるパーティーの話をしている。

 対して、数人の男子生徒の表情は硬く、彼らの会話の話題は12月に行われる皇子たちの遠征についてだった。

 しかし、その中を1人の女子生徒追い駆けている、もう1人の女子生徒がいた。


「待って! リズ! ちょっと待って!」


 カトリーナが大きな声で呼びかけていたが、先を歩くリズは振り返らない。


「話すことはないんだから、話しかけないでよ」


 小走りでリズに手を伸ばすが、カトリーナの手は何度もリズの手をかすめる。


「ワタシ何かした? ねぇ、待ってってば」


「何もしてない」


 一切振り向くことなく、リズの声が響いた。

 額に汗を浮かべながら、カトリーナは手を伸ばし、パシッという音を立ててリズの手を掴む。

 その瞬間、彼女は口元にかすかな笑みを見せ、リズは眉間を寄せて掴まれた手元に視線を落とした。

 だが、その笑みはすぐに消え、表情は険しく変わる。


「だったら、話を聞いてちょうだい」


「学院に来てまで話すことないでしょ」


 振り返ることなく、リズは淡々とした態度で言い切ると、カトリーナの手を振り解いた。

 そして、再び歩き出すと、その後をカトリーナが追い駆けた。


「連休中も家に行ったけど、リズいなかったじゃない」


 カトリーナはグッと拳を握ると、大きな声で叫んだ。

 連休中、彼女は何度もリズの家に足を運んだ。

 初日、朝に行っても会えず、リズがいつ帰ってくるのかも分からなかった。

 2日目は、朝と夜に訪ねたが、それでもリズには会えなかった。

 3日目からは朝に訪ねて、日が落ちるまでひたすら外で待ち続けていた。

 それでも、最終日までリズに会うことは叶わなかった。

 明らかに避けられているのは分かっている。

 ――だけど、その理由が分からない。

 貴族令嬢として、あるまじき行為だったのも理解している。

 ――それでも、会って言葉を重ねたかった。


「だからって、こうやって追い駆けられるのは迷惑だよ」


「こうでもしないと、話を聞いてくれないじゃない」


「だから! 話したくないんだよ!! もう、諦めてよ」


 リズは掴まれそうになった手で、カトリーナの手を払い除けると、彼女の方を向いて怒鳴った。

 カトリーナの傷付いた表情を見て、胸の奥がズキッと痛んだ。

 ――こんなの、望んだことじゃない。

 その気持ちは言葉に出来ず、ふと視線を逸らしてしまう。

 そして、再び歩き出すと、自然に先程よりも歩く速度が上がる。

 ――この場から早く離れたい。

 その気持ちは、さらに足を速める。


「それじゃ、いつになったら話をしてくれるのよ!!」


「あーもう、本当にしつこい」


 カトリーナは懸命に手を伸ばし、「リズ、待ってよ!!」と叫んだ。

 掴んだ手は固く、それだけで拒絶されているのが分かる。

 だけど……振り向いて……。

 ――リズ、私たち友達でしょ? 前のように話そう。

 その気持ちが強く、彼女の掴んだ手を離したくない思いで溢れた。


「大体、カトリーナが知りたいことは、うちが話せないことだって分からないの? カトリーナは、平民のうちと違って貴族なのに、貴族だっていう自覚ないの?!」


 リズは怒鳴って言うと、ハッとして口元を手で押さえながら振り返った。

 目を見開く友人の顔には笑みはなく、視線が落ちていく表情は暗いと思った。

 ――ごめん。

 口を開いても、短い、たった一言が出ず、リズは口を閉じた。

 耳に届いた「何それ……」という声は、胸を締め付けるほど、か細くて低かった。



 カトリーナに背を向け、俯いて歩いていたリズの先には、ベルンが腕を組んで立っていた。


「おい、話ぐらい聞いてやってもいいんじゃねぇのか?」


「何だよ、ベルン……」


「お前がやってるのは、貴族や平民とか関係なく、ただの逃げだ。俺、言ったよな? カトリーナ嬢が大丈夫だと思うなら、逃げ回ってねぇで話せって」


 ベルンはリズの行動を見ながら、横を通り過ぎようとしたリズの左腕を掴んだ。

 その瞬間、「ッ!!」と言葉にならない声を出したリズの顔が歪んだのが見えた。

 しかし、彼はそんなことを気にせず、リズの体を強制的にカトリーナの方に向ける。


「……あれを見ても、お前は本当に大丈夫だと思うのか?」


「話したら、もっと傷付けるかもしれない……」


 俯いて答えたリズがどんな表情をしているのか、それはベルンには分からなかった。

 けれど、わざわざ彼女がどんな表情をしているのか、確かめる気はさらさらない。


「それでも話せ。本当にカトリーナ嬢を友達だと思ってるなら、そろそろ線引きしておいた方が良い」


 リズはベルンの方を向こうとした瞬間、左腕がさらに締め付けられて傷んだが、それでも「何かあったの?」と冷静に尋ねた。

 しかし、無表情で「何も? ただ、俺の勘だ」とベルンに言われ、呆れて「なんだそれ……」と呟いた。


「ま、お前が二度とカトリーナ嬢と友達だとか言わねぇなら、俺はもう何も言わねぇけどな」


 ベルンに言われた言葉が胸に突き刺さり、掴まれた腕も、どちらもリズには痛かった。

 だが、少しでも早く話を切り上げようと、「考えとく……」と視線を逸らして告げた。


「……これは俺からの忠告だ。お前が自滅するのは勝手だが、俺はお前が自滅しそうになったら、最初に切り捨てるからな。それと」


 ベルンはグッとリズの体を引き寄せると、彼女の耳元で囁く。


「もし裏切るなら、お前が平民だろうと俺には関係ない。逃げ出しても、地の果てまで追う。その時は、お前と家族の首を差し出す覚悟しとけ」


 ベルンの言葉を聞きながら、リズの喉はヒュッと音を鳴らした。

 低く殺意のこもった声に、心臓は飛び出しそうなほどに脈を打つ。

 ベルンから初めて向けられた殺意に、リズは脚が震えそうになった。

 体が震えているのか、恐怖で視界がブレているのかすら分からない。

 仲間だと思っていた人物が、敵に回る可能性があるのだと、初めて突き付けられたような感覚だ。

 それでも、平然を装いつつ「物騒なこと言うんだな」と、彼女は返答した。


「平民のお前がどう思おうが、そんなこと俺には関係ないからな」


「それが、御貴族様の忠義ってやつか?」


 ベルンはリズの顔を見て内心でため息をついた。

 少しばかり下がった眉に、片方の口角が上がった口元。

 彼女の瞳からは、明らかに恐怖が滲んでいる。

 しかし、彼は「ああ、そうだな」と冷たく言うと、彼女の腕から手を離した。

 彼女は選んでレティシアの元にいる……だが、まだ完全にこちら側ではない。

 ――そんなこと、分かっている。

 本来なら、きつく言う必要も、脅すようなことを言う必要もない。

 ――そんなことは、分かり切っている。

 だけど、この状況でリズがレティシアの元にいるのは、レティシアにとって危険でしかない。

 ルカに任されているのは、レティシアの安全だ。

 それなら、レティシアがベルンの行動を後でどう思おうが、そこは重要ではない。

 ベルンはリズに背を向けると、左腕を掴んでいた左手に視線を向けた。

 わずかに感じていた彼女の震え。

 確実に怯えさせた自覚はある。


(俺も覚悟が足りなかったな……)


 彼は内心で思うと、ふっと鼻を鳴らして自嘲気味に笑った。




 同日、全ての授業が終わり、馬車に向かう途中、ベルンはカトリーナとリズの2人が一緒に歩いているのを目撃した。

 暫くの間2人を目で追いながら、馬車のドアを開ける。

 離れた所で、カトリーナに手を差し出すリズの表情は暗く、少しだけ悲し気なカトリーナと一瞬だけ目が合う。

 それでも、ベルンは気にせずに馬車に乗り込むと、「出せ」と短く命じた。



 ファラーラ子爵家の馬車は帝都の街並みを、カタカタと音を鳴らしながら走っていた。

 時折、手綱を握る御者が後ろを振り返り、ため息をこぼしている。

 馬車の中は静かで、窓の外を向いているリズと、俯いているカトリーナがいる。

 オレンジ色の夕日が馬車の中まで入り込むが、それは余計に影を濃くしていた。

 フェラーラ子爵家の屋敷が近付くと、馬車の速度が段々と遅くなり、門を抜けて馬車が進む。

 暫く経つと馬車が止まり、わずかな衝撃で馬車が前後に揺れる。

 玄関の所にいた使用人は、馬車の扉を開けると、2人の少女が馬車から降りる。

 少女のたち間に会話なく、玄関が開くと、使用人の「カトリーナお嬢様、お帰りなさいませ」という声が響く。

 そんな中、リズの眉はほんの少し眉間に寄っており、カトリーナは「ただいま」と笑顔で答えていた。

 しかし、客間へと向かう道中、使用人がコソコソと話す声と、足音だけが廊下に広がる。

 ガチャという音を立てて、カトリーナはドアを開けると、「好きなところに座って」と言った。

 暫くすると、使用人が客間に入り、紅茶を淹れると、爽やかなフルーツの香りが交ざった紅茶の香りが広がった。


 使用人が客間を出て行くのを見ていたカトリーナは、紅茶を一口飲むと、ふぅと小さく息を吐き出した。

 話したいと思っていたリズが目の前にいるのに、何から話せば良いのか分からない。

 どう話を切り出すべきか悩んでいると、「あのさ」とリズの声が耳に届き、ドキッと胸がなったのが分かった。


「カトリーナが話したがってたのは分かってた。だけど、朝も言ったように、うちは話せることが少ない。それでも、カトリーナはうちと何が話したかったの?」


 カトリーナの耳に届いたリズの声はどこか冷たく、煩わしいと思っているように感じた。

 自然に落ちた視線は、カップの中で揺れるの紅茶を見つめていた。

 話したいことも、聞きたいことも間違いなくある。

 けれど、煩わしいと思っているかもしれない相手に、どこまで話を聞いてもらえるのか分からない。

 それでも、何も話さなければリズは帰ってしまうと考えると、思いを吐露する。


「ワタシは……、ただ、昔のようにリズと話したかった」


「……いま、どんな状況か分かってる?」


「ええ、リズがワタシを避けてる状態ね」


 リズはカトリーナの言葉を聞き、呆れて「そうじゃなくて……」と言い、隠しもせずに「はぁ……」とため息をついた。

 少し前まで、平民の自分が知ることもなかった貴族の世界。

 友情よりも、家族、派閥、選択が重要な世界。

 言葉が少なかったとはいえ、避けていることの方を重要視するのには呆れる。


「リズが言いたいのは、貴族の派閥のこと?」


「そうだよ。フェラーラ家がアルフレッド殿下を推してるのは、平民のうちですら知ってる」


「それがどうしたの? 貴族の派閥なんて、ワタシたちの友情に関係ないでしょ?」


「それってさ……うちが平民だから言ってんでしょ?」


 リズはカトリーナを睨むと、ハッキリとした口調で言った。

 だが、カトリーナが「違う」と告げた瞬間、リズは「どうだか」と言ってさらに続けて話す。


「確かにうちは平民だけど、平民の誰もが政治に興味がない訳じゃない。だけど、多くの平民は明日を生きるために、より良い皇帝を欲するし、安定した生活を望むから、貴族の行動はいつも気にしてる」


 黙ったカトリーナを見て、リズは軽く拳を握ると息を吐き出した。

 そして、真っすぐにカトリーナを見ると、唾を飲み込んで冷静に告げる。


「カトリーナ、うちは帝国騎士団を目指してたけど、今はフリューネ侯爵家に仕える騎士を目指してる」


 カトリーナはリズの真剣な目を見て、喉の奥が熱くなるのを感じて制服を掴んだ。

 幼い頃、リズは何度もカトリーナを守り、帝国騎士団になって帝国を守るんだと言っていた。

 しかし、一度フリューネ侯爵家に行った時に見た騎士団は、帝国のために動かないのだと思った。

 何が彼女を変えたのか、それは分かっている。

 けれど、彼女の夢まで変えることだったのは知らなかった……。


「リズは……帝国騎士団で多くの人を助けることよりも、限られた人々を守る騎士になりたいってこと?」


「そう思われても仕方ないって思ってる。だけど、帝国騎士団になってまで、誰構わず守りたいと思えなくなった」


 リズの言葉を聞き、カトリーナは殴られたくらいの衝撃を受けた。

 誰構わずと言ったが、リズが言っているのは貴族だろうと察しが付く。

 もしかしたら、そこに自分も含まれているのかもしれないと思うだけで、声が上手く出せない。


「それが、ワタシたちの友情に何か関係あるの? 関係なんてないでしょ……」


「関係はある。フリューネ侯爵家は派閥を選んでない。それに、独立の噂もある以上、少しでもうちの行動でフリューネ侯爵様がどんな選択をするのか、誤解を与えたくない。だから、アルフレッド殿下を選んだフェラーラ子爵の娘であるカトリーナとは、昔のように仲良くできない」


「だからといって」

「それじゃ! それじゃ! 明日、アルフレッド殿下がフリューネ侯爵家を撃つと言ったら、カトリーナに何ができるのよ!!」


 リズに話を遮られたカトリーナは、さらに制服を掴む手に力が入った。

 鼻の奥がジーンとして、咄嗟に俯いて息を止めたが、視界は微かに歪む。

 それでも、なんとか声を振り絞り、「それは……」と答えたが、言葉が続かずに下唇を噛んだ。


「親の首を差し出しても、カトリーナはうちを匿ってくれるの? これまでのように、カトリーナとうちが仲良くしてたら、もしアルフレッド殿下がフリューネ侯爵家を撃つと言ったら、真っ先に情報を聞き出されるのはカトリーナだよ。それを、ちゃんと理解してるの?」


「派閥のことは、ベルンからいろいろと言われて考えたわ……だけど、それでも……」


「結局、カトリーナはうちを友達だと言うけど、平民として見てる。平民は政治に関係ないって割り切って考えてんだよ」


 リズは冷たく言うと、バッと顔を上げて「違うわ!!」と叫んだカトリーナを見て胸が痛んだ。

 だけど、それと同時に、カトリーナは貴族として甘いのだと思ってしまう。


「なら、平民のうちより、貴族としての自覚が足りてないじゃないの?」


「貴族じゃなければ……と何度も考えた。貴族じゃなかったら、友情を手放さなくても済むって……」


 リズはこれまで何度も、『貴族じゃなければ……』と言ったカトリーナを見てきたことがある。

 平民と同じように遊ぶことも、食べ歩くこともカトリーナは許されなかった。

 パーティーがあった翌日は、よくカトリーナの目が腫れていて、孤立しているのだと思った。

 街で一緒にいる時、他の貴族からカトリーナが侮辱された時もあった。

 けれど、どんな時も、貴族の標的にリズやエミリがなる時は、カトリーナが守ってくれた。

 それでも、大切で大好きだから、友と刃を交えないためにも、距離は置くべきだと思うと、彼女は拳を握る。


「……ごめんね……。だけど、カトリーナは子爵令嬢だよ。確かにうちらは友達だけど、初めてあった時から少し変わった御貴族様だと、うちは思ってたよ」


「あーあ、いやになっちゃうな」


 カトリーナは俯いて呟くと、堪えきれない想いがポタポタと零れ落ちた。

 友だからこそ距離を置かれたのだと理解しても、気持ちがそこまで追い付かない。

 喉は痛み、息を止めても涙を止められない。

 過去の思い出が胸を締め付け、声が少しばかり漏れて口を手で押さえた。

 どんなに泣いても、目の前に座る友は、背中をなでてくれないのだと思い知らされる。

 派閥がなければ……、フリューネ侯爵家の噂話がなければ……。

 暗い感情が湧く度、仲の良い人たちの顔が浮かび、暗い感情が泡のように消える。


(憎めるような、酷い人たちだったらよかったのに……)


 カトリーナはそう思うと、止めらない想いに身を任せた。



 ――30分後。

 落ち着きを取り戻したカトリーナは、痛む頭を押さえて口を開いた。


「……リズの事情は分かったわ。なら、これだけは約束して」


「何?」


「もし、もしも、敵対することになったら、迷わないでほしい。ワタシも、もう迷わないから」


「うん、もう迷わないよ。カトリーナ、ごめんね」


 リズの優しい声を聞き、カトリーナは込み上げる思いをグッと堪え、満面の笑みを浮かべた。


「そこはありがとうでしょ? たとえ敵になっても、リズはワタシの友達よ。直接助けられなくても、差し出せるものすべて差し出して、奮闘はするわよ」


 カトリーナは穏やかな気分で言うと、リズに対して微笑んだ。

 全てを受け入れたわけじゃないし、友と戦うのも嫌だ。

 けれど、それができない時が来るかもしれない。

 それなら、できることをするしかないと、彼女は笑みを消すと真面目な顔をした。


「リズに出会ってなければ、ワタシは孤独に押しつぶされて、死んでたかもしれない。なら、できる限りのことはするわよ」


「うん、ありがとう……カトリーナ」


 リズはカトリーナに笑いかけると、話せてよかったと思った。


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