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13度目に何を望む。  作者: 雪闇影
8章

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第207話 狭間の中の境界線


 神歴1504年10月15日。

 リスライべ大陸を出港した船は、レティシアたちを乗せてヴァルトアール帝国を目指していた。

 魔力が込められた魔石を常に使えないため、リスライべ大陸を目指していた時とは違って進行が遅い。

 しかし、天候が追い風となり、限られた魔石の力だけでも、通常の航海よりも速く進んでいる。

 船の後方の空には、中央部に灰色を混ぜた真っ白な積乱雲が、天に届かんとばかりに育ち。

 船の近くには水色の空が広がり、その上空には、ハケで掃いたような薄い巻雲が浮かぶ。


 船の甲板では、木箱を運ぶ者や、清掃している者もおり、彼らの話し声や生活音が響く。

 デッキにレティシアの姿もあり、毛先に向かうにつれロイヤルブルーに変わるシルバーの髪は風に揺れている。

 暫くして、ギーっとドアを開く音が波音に交じると、彼女が振り返り、ドアの方を向いて右手で髪を押さえた。

 話ながらルカとアランが部屋に入って行くと、パタリと小さな音を立ててドアは閉まり、潮風がぶわっと帆を広げてマストを軋ませる。

 鈍い音が甲板の上にも響き、小さなため息が風に消えると、レティシアが船の後方へと歩き出した。



 レイは使用済みのカップを2つ重ねると、まだ中身が入っている目の前のカップに視線を落とした。

 リスライべを出る前に、ルカと従属の契約を交わし、彼の中にいる闇の精霊の声は完全に聞こえなくなった。

 けれど、ルカ本人と話す機会が増え、兄弟として関わり合いたいと願っていた想いは満たされている。

 だが……結果的に満たされると感じるのも、気持ちの面で、闇の精霊との繋がりよりも、今の繋がりを大切にしたことになる。

 ゆらゆらと揺れる紅茶は、天井の景色を映し出し、先程までの会話が頭の中をぐるぐると回る。

 結局、誰にでも譲れるものと、譲れないものが存在する。


 昔のルカは、レイから見てレティシアが第一で、譲れないものだと思っていた。

 しかし……先程の会話を思い返せば、譲れるものだったようにも思う。

 ふと「意思か……」と呟くが、喉の奥が詰まったように感じ、息を吐き出した。

 レイは自分にとって譲れるものと、譲れないものを考えるが……答えが出ない。

 ルカとの繋がり……それは、渇望するまで望んだ願いだ。

 それでも……、闇の精霊ありきりの話だった……。

 従属の契約とて、生まれ変わっても続くものでもないし、一時の縛りだと思えば大差ない。

 それなのに……、なぜ胸の中が騒がしいのか、理解できない。

 ガチャという音共に、潮風が入り込んでくると、レイは驚いて振り返った。


「少し、いいかしら?」


「あ、うん、いいよ。――ボクも帝国に着く前に、レティシアと話したかったから……」


 レティシアはレイがどこか慌てた様子で答えると、テーブルの上にあるカップに視線を向けた。

 彼が立ち上がり、カチャカチャと食器がわずかにぶつかる音が聞こえる中、彼女は彼の動きを注意深く追う。


「そう、それなら良かったわ」


「好きなところに座ってて、いまお茶を淹れるから」


 彼女は「ありがとう」と言うと、カップが残されている席の前に腰を下ろした。

 暫くすると、紅茶の香りが部屋の中に広がり、静かに目を閉じるとゆっくり息を吸い込んだ。

 紅茶の香りが徐々に近づくと、近くでカップが置かれる音が聞こえ、目を開けると曖昧な表情をしたレイと目が合う。

 彼女は「ありがとう」と言ってカップに手を伸ばし、一口だけ紅茶を飲むと、カップを置いてから正面に座るレイを見つめる。


「それじゃ、本題なのだけど……」

「ごめん、先にボクが話しちゃダメかな?」


 レイがレティシアの言葉を遮ると、短い沈黙が落ち、双方共にジッと動かなかった。

 しかし、ふとレティシアの視線が下がると、レイの視線も下がる。


「……構わないわ」


「ありがとう……」


 レイはポツリと呟くように言うと、軽く唇を噛み締めて息を吸い込んだ。

 心臓は強く脈を打ち、ほんのり手が汗で湿気を帯びているのが分かる。

 唾を飲み込むと、右手に左手を重ね、笑顔を浮かべて落ち着いて話す。


「さっき、アランとルカとも話したんだけど、レティシアはこれからどうするの?」


「聞きたいのは、それじゃないでしょ?」


 ぴしゃりと言われ、レイは咄嗟に視線を下げると、「……そうだね」と言って左手に力が入る。

 それでも、一度息を止め、ペロッと下唇をなめると正面を向く。

 目の前にいるレティシアからは、彼女の考えなど見えてこない。

 ただ、無表情な彼女の目は冷たく、まるで『言いたいことを言え』と言われている気さえしてしまう。

 彼は息を深く吐き出すと、思考を切り替え、「――それじゃ、ここからは僕として話すね」と言って微笑んだ。


「正直なところ、暗黒湖(テネクス)から戻った君は、ボクの目から見て変わったように思えた」


「そう……そう思うなら、そうなんでしょうね」


「うん、だけどボクはステラから『人は見たくない姿は見ない』って言われて、違うと否定したかったのに、続けて『変わったのは、みんなの2人を見る目だよ』とも言われて、否定できなくなった。――ボクはね、レティシアを長く見てきたからこそ、君の変化もルカの変化も受け入れられずに戸惑った。でも本当は……、君に対する違和感はリスライべ大陸に来る前から、ずっと僕にはあった……」


 レティシアが「そう」と短く返答すると、レイは思わずクスッと笑った。

 そして、彼女に対して優しく笑いかけると、「驚きもしないんだね?」と言いながら首をかしげた。

 左手を退かし、右手でカップを掴むと、ゆっくり紅茶で喉を潤す。


「……それで? 何が言いたいのかしら?」


「今の君が、本当の君だったんだろ? だから、魂で繋がってるステラは、一切困惑しなかった」


 カップを置きながらレイは言うと、まだ中身の残るカップを見つめ、レティシアに視線を戻した。

 変わらない彼女の表情からは、やはり考えなど分からないのに、それでも心はとても穏やかだ。

 やはり感じ方が違うと思いながらも、それが僕とボクの違いだね……と内心で少しだけ納得もしてしまう。


「それを知ってどうするの?」


「どうもしないよ。ただ、君との間にあるボクのわだかまりを、どうにかしたかっただけ」


 レティシアはレイの様子を見ながら、一瞬だけ視線を下げると、「そう」と短く答え、思考し続けることを止めなかった。

 彼の雰囲気も、話し方も、柔らいものに変わったのはすぐに気付いたが、笑い方は全て彼そのものだ。

 そうなると、別の人格ではないと言い切れるが……それだけではない気がして、思考は止まり彼女は連続で数回瞬きした。

 そして、目を細めて(なるほどね……やっぱりそういうことなのね)と思うと、もう一度「そう」と呟いて微かに微笑んだ。


「私は……暗黒湖(テネクス)の中で問われ続けるうち、私の存在が自分で証明できないくらい、曖昧になったわ」


「知識じゃなくて、愛情を感覚で理解したからだろうね」


 レイは両手でカップを握りながら言うと、穏やかな笑みを浮かべた。

 彼女が暗黒湖(テネクス)のことを話したのは、何かしらに気付いた可能性がある。

 それでも、それで良いと思えるくらい、自分も彼女の心に土足で踏み込んでいる。


「ええ、そうだと思うわ」


 肯定されると思わず、レイは一瞬だけ言葉に詰まった。

 だが、彼女の柔らかな笑みを見ると、これで良いのだと思えてしまう。

 そして、「君は……泥臭くも、人として生きたいんだね……」とレイは優しく言うと、彼女は彼女だったと納得した。


「ええ、誰かに肯定されなくても、私は私でありたいわ」


「それなら良かったよ……僕もボクとして、君を見れる」


 レティシアはレイが微笑むのを見て、少しだけ申し訳なくなった。

 暗黒湖(テネクス)から戻った時、彼女の雰囲気が明らかに変わったのを見て、最悪の想定をしたのだろう。

 本当の顔を見せなかったからこそ、当然の結果であり、レティシアはそれを責めるつもりはない。

 むしろ、彼も同じ側に立っていたからこそ、強く繋がりを求めていたのだと思った。


「それで? レティシアの話は何?」


「帝国に戻ったら、やってほしいことがあるわ」


 淡々としたレティシアの声が響くと、カップに手を伸ばしていたレイの手が止まった。

 しかし、手が動き出すとカップはレイの口元に運ばれ、彼の喉が上下に動く。

 室内はシーンと静まり、時折ドア越しに外の音が流れる。


「ルカが戻ったのに? 前に言ったけど、ボクはルカが戻るまでの代理だよ?」


「そうね、だけど……途中で放り出すの?」


 レティシアの視線がカップから正面に向くと、レイが背もたれに寄り掛かり、「はぁー」と深く息を吐き出した。


「……後で、君からルカに許可を取ってよね」


「ええ、分かっているわ。レイが不利になることはしないと約束するわ」


 レイはレティシアが微笑むと、彼女を直視できなくて少しだけ視線を逸らした。

 彼女が口にした不利という言葉。

 それが、レイの立場なのか、それともルカとレイの兄弟関係なのか、それは彼には分からない。

 しかし、少しだけ……前者のような気がして、ルカと似ているなと思いながら「それで?」と尋ねた。


「順調にいっていれば、帝国にあるカードは2つ用意できてるわ。だけど、このままでは不完全で使えるか分からない。――だから、そのカードを確実にしたいの。そのために、レイは学院に行ってもらうわ」


「学院で何すればいいの?」


 カップの縁を触りながらレイは訪ねると、ゆっくり視線を上げた。

 その表情は年齢相応なものではなく、オプスブルの一員としての顔をしていた。


「辺境伯の子息と交友を深めて……と、言いたいところだけど……きっとあなたが編入した時点で、他の学年の生徒や親に言われて、オプスブル家がどうするのか見られるわ。あなたはそこをかき乱してちょうだい」


「フリューネ家が何を選ぶのか、悟られたくないってことね……それなら、情報収集しながら、いい具合に色んな派閥と仲良くしておくよ」


「さすがね。あと、できたら……教師たちの動向もお願いするわ」


「……それなら、教師と生徒の繋がりも見た方が良さそうだね。――だけど、アランは様子を見てから学院に戻るって言ってたけど、君は学院に戻らないの?」


 レティシアはなぜレイがそんな疑問を抱いたのか分からず、レイを見ながら首をかしげ、「……戻るわよ?」と答えた。

 しかし、少し肩を落として小さくため息をこぼしたレイに「なら、何で?」と聞かれると、彼の疑問が分かった気がした。


「学年が1つ上がれば、学院がただの学びの場ではなく、貴族の世界を小さくしたものだと、いやでも彼らは気付くことになるわ。だから、乱すのが難しくなるの。――それに、親に対して不信感を与えて、さらに状況を複雑化するのは望んでいないわ」


「なるほどね……つまり、対象は詭弁に気が付かず、学びの場だと認識してる貴族ってことだ」


 レイは冷静に答えると、「そうなるわ」と言って微笑んだレティシアを見つめた。

 けれど、ふとルカの代理で動いていたことは、どうするのか気になって尋ねる。


「リスライべ大陸に行く前、ボクが任されてたことはどうする? ルカにそのまま報告して、ルカに任せようと思ってたけど」


「それも、引き続きお願いしたいけど、できるかしら?」


「分かった。それも、レティシアからルカに話を通しておいてくれると、ボクとしては助かる」


「ええ、それも私が彼に話すわ。――それと、帝国に戻ったら、あなたはあなたが借りている家は引き払って、アルファール大公家から学院に通ってくれるかしら?」


 レティシアがカップをテーブルに置くと、レイの目がスーッと細まった。

 暫くして、左ひじを立てた彼の左手は、人差し指の腹で口元を押さえ、親指が顎を支えている。

 双方共に視線はテーブルへと向かい、口を開かない。

 けれど、レイの左手が唇から少し離れるとため息が落ち、レティシアの視線が上がる。


「アルファール大公家には、アルフレッド殿下が居たはずだけど? 彼はどうするの?」


「アルフレッド殿下は、そのままライアンの家にいてもらうわ」


「それはなぜ?」


「リスライべ大陸に行く前、皇帝陛下が主催する茶会の招待が来ていたの。だけど、日程的に私は帝国にいなかった。陛下が茶会を中止したとも考えられないから、私は二度も茶会に参加しなかったことになるわ。だから、その茶会できっと陛下は、独立に関する話題に触れずにはいられなかったと思うの。貴族は噂話が好きなようだからね」


 レイはポツリ「確かに」と呟いたが、それと同時に思うことがあった。

 そのため、思考をまとめるとレティシアの方を見たが、考えとは別に「帝国に戻ったら、すぐに今の家引き払うよ」と言った。


「ええ、でも……気を付けてほしいことがあるの」


「それは何?」


「1つ、アルフレッドとは外で距離を置くこと。2つ、彼と同じ馬車は使わないこと。3つ、もしオプスブルの邸宅になぜ住まないのかと聞かれたら、ルカとは不仲だと言ってほしいの」


「分かった。それなら、報告は全てスキア隊を使えばいい?」


「ええ、それでいいわ。それに……このまま私の屋敷に居候していたのでは、あなたも動きにくいでしょ? もちろん、オプスブル家の屋敷に戻っても良いけど、オプスブル家の屋敷に戻ったら、行動に制限が掛かると思うわよ?」


 レティシアは言い切ると、目を伏せて「父さんと母さんか……」と言ったレイを冷静に見つめた。

 親のことを彼がどう思っているのか……それは、考えても彼女には分からない。

 しかし、少なからずレイの反応を見ると、面倒で煩わしいと考えているようにも思える。

 昔見たモーガンの態度を考えれば、数ヵ月の間レイがいなくなったことで、過保護になっているのは見当が付く。

 そこにルカという彼らの地雷が加われば、監視されるだろうということも容易に想像できる。


「あなたとルカには悪いけど、私はあなたたちの親がどんな人物か詳しく知らないわ。だけど、ルカとあなたへの態度を考えれば、どんな人たちか想定はできる。――ま、これはあくまで想定や仮説の範囲だけど、それでも邪魔されるわけにはいかないのよ」


「ふーん。ところで、家の中ならアルフレッド殿下と話してもいいってことだよね? 引き続き、任されてたことをするなら、話さないわけにもいかないし」


 淡々とした態度でレイが答えると、レティシアは昔モーガンに言ったことが、少なからず当たったのだと思った。

 レイがどれほどルカのことを思っていたのか……そんな兄弟に格差をつければ、こうなることは当然の結果だ。

 忠告が無駄に終わった……と思うが、それに特に意味はなく、彼女は話を続ける。


「ええ、徹底してほしいのは人目がある所だけよ。だから、人目がないなら好きにしてちょうだい」


「使用人は信用していいというところか……」


 レイは考えながら目を伏せると、少しだけレティシアの表情を(うかが)った。

 右手で髪を耳に掛ける姿は、どこか考えているように視線が下がっている。

 しかし、多くを語らない彼女が……手放しで使用人を信じると思えず、警戒すべきか……と考えた。


「ライアンがいなくなった時、そのことが外部に漏れていないことを考えれば、そういうことになるわね。だけど、アルファール大公家に訪れる商人たちには気を付けてね。彼らは些細な変化も見逃さないわ。もちろん、少しでも不自然な行動を取る使用人がいた場合は……」


 レイはニヤリと彼女の口元に笑みが浮かぶのを見て、内心でため息をついてしまう。


「その使用人を調べればいいんだね?」


「ええ、話が早く助かるわ。その後どうするのかは、アルファール大公家の問題だから、ルカへの報告も必要ないわ」


「分かった……」


 レティシアはレイの返答を聞き、「それじゃ、頼むわね」と言って満面の笑みを浮かべた。

 レイの洞察力は決して低くはない。

 精霊の力も使えば、ライアンのところにネズミがいても見逃さない。

 そのため、彼の心情がどうであれ、レティシアはレイのことを信頼している。

 ふと、オクターと話した内容が頭を過ぎり、レイの前に置かれたカップに視線を落とした。

 様々な面で人の心が聞こえれば、杞憂に終わることも多いが、聞こえないから人は対話を重ねる。

 レティシアはその対話が少ないとオクターに指摘されたが、対話を重ねてもいつか消えるなら……重ねる意味があるのか、それは今の彼女には分からない。

 これまでの転生で、考えてこなかったことだ。

 しかし、人でありたいのなら……と思う反面、残されてしまうかもしれない人のことを考えると、少しでも記憶に残らない方が良い気さえしてしまう。

 それでも、彼女は記憶の中だけでも……と少しばかり思い、わずかに眉を寄せて微笑んだ。


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