第202話 涙と沈黙の中で
神歴1504年10月8日。
魔法の授業のため、学院の中にある訓練場についたカトリーナは、広い訓練場を暫く見渡すと、視線を落として地面を見つめた。
1年前と変わらない景色、1年前と変わらない顔ぶれ、しかし……半年前とは明らかに違う雰囲気。
数ヵ月前にいたはずの人物は消え、耳に届くその人に関する噂話も、もう悪女等ではなく、彼女の行方に変わっている。
幼馴染のリズからは、明らかに避けられてるような行動を取られ、ベルンと一緒にいるところを目にすることが増えた。
休日会いに行っても会えず、話そうにも、「今は急いでるから」と学院内でも話せずにいる。
彼女は目を固く閉じると、拳を握って息を止めた。
喉が詰まり口から息を吐き出すと、視線を上げて青い空に浮かぶ雲を見ながら、空気を呑み込んだ。
背後から秋の香りが交ざった風が吹き抜けると、長い髪が顔に当たり、チクチクとした感覚と共に、心が重いと感じた。
授業の始まりを知らせる鐘が鳴り始めると、生徒たちは1ヵ所に集まり始めた。
しかし、紅紫の髪を揺らしてリリーナが現れると、生徒たちは口元に手を添え、ヒソヒソと囁く声が広がり始める。
彼女に続いて他の先生たちも現れると、リリーナは先生たちの方を向き、一度頭を下げてから一歩前と出た。
「これから、魔法の授業を始める! もうすでに連絡があったかもしれないが、今日から授業内容は戦闘応用だ。そのため、得意属性と相性のいい属性の魔法の訓練になる。授業内容で質問がある生徒はいるか?」
リリーナは見渡すように顔をゆっくり左右に動かすと、右手を腰に添えた。
「ないようだな。では、属性別に分かれて訓練を始めろ」
リリーナが言い終わると、ゾロゾロと生徒たちが歩き出し、エミリは一度シリルの方を向くと頷いた。
彼が同じように頷くと、彼女の頬が自然と緩み、首を少しだけ傾けて微笑んだ。
2人はカトリーナの方に行くと、他の水属性のメンバーも集まり出した。
「では、壁を立てる!!」
リリーナの大きな声が訓練場に響くと、十字に水壁魔法が地面から天井に向かって伸びた。
次の瞬間、水壁魔法は音を立てながら、地面の方から氷へと変化し始めた。
「さて、水属性のお前たちは、今日から土属性について学んでもらう。改めて座学する必要はないが、お前たちも知っての通り、水属性は火には強いが、風に弱い。しかし、よくお前たちは戦闘において相性の悪い風を使い、攻撃や防御に氷を作り出す。そのため、相性が良いと思っているやつも時にいるが……本当に相性がいい属性はなんだ? 答えて見ろティノ」
唐突に話を振られたティノは息を呑むと、気持ちを落ち着かせるために、肺を空気で満たした。
そして、唾を飲み込んでリリーナの方を見ると、冷静に話し出す。
「……相性がいいのは、土属性です。戦闘において、あまり攻撃手段としては使いませんが……」
リリーナから「なぜだ?」と聞かれると、ティノはギリっと歯を鳴らし、拳を静かに握った。
カルカイム辺境伯が治めるカルカイムの街は、常に攻め込まれてもいいように、防御面に力を入れている。
そのため、攻撃は遠距離で有利な雷や炎に加え、鉄の矢や砲弾を遠くに飛ばすために風を使う。
水属性と土属性を組み合わせた攻撃がない訳ではないが、それでも遠距離戦闘には適さない。
リリーナの立場なら、そのことを知っているはずなのに、聞いてきたことを考えれば、彼は慎重に言葉を選ぶ。
「水属性と土属性の組み合わせは、攻撃よりも防御に偏るからです」
「ならば、土属性の生徒は不利なのか?」
ティノはリリーナの口元が緩んだのを見て、さらに拳を握る手に力が入った。
しかし、いまさら彼女の意図が読めても、攻撃よりも防御に偏ると言った以上、答えを変えることはできない。
そのため、カルカイムとしての立場が揺らぐのならば、彼女の意図に乗ると決め、彼は息を吐き出すと冷静に答える。
「いいえ、精度が違います。彼らは得意属性だけあって、植物を生み出しても自在に扱えます。その違いが水属性と土属性にあります」
「では、彼らのように精度の足りないお前たちは、どうするんだ?」
リリーナは腕を組んで言うと、ティノの表情の変化を見ていた。
しかし、変化が見られず、彼がこちらの意図を察したのだと理解した。
だが、もう遅いのだと思うと、口元は緩み、ニヤリとした笑みを浮かべる。
「……植物を作り出す時も足止め程度に留まります。しかし、土に水を含ませることによって、火属性と相性のいい風属性が創り出す雷を防ぐことのできる強固な盾が作れます」
「正解だが、それが全てではない。では、何が違うんだ? 誰か答えて見ろ」
リリーナの問いに、誰も動きを見せない中、「誰も分からないのか? なら」とリリーナ声が再度響くと、リズが手を上げた。
「土属性と水属性を組み合わせることで、強固な槍も作り出せます」
「リズ、なぜそう思った?」
笑みを浮かべているリリーナとは違い、リズの顔には表情がない。
「氷や水の槍を作っても、火属性に対しては無効化されます。しかし、土属性だけでは簡単に熱され、持つこともままならなくなります。その点、水属性が含まれていれば、その熱を粗方防ぐことができます。そして、たとえ雷を使われても、土属性と混ぜ合わせた槍なので、感電の危険も減ります」
「正解だ。ティノ、お前は辺境伯の子息だ。平民でも分かる、これくらいの理解力がなくて、さぞお前の家族はがっかりだろうな」
アルフレッドはリリーナの言葉を聞き、驚きのあまり一瞬言葉を失くした。
しかし、すぐにティノの方を見ると、彼が無表情でリリーナを見ていることに気付いた。
正面に向きなおしたアルフレッドは、軽く息を吸い込んで深く吐き出すと、感情を押し殺して話す。
「リリーナ先生、いまティノの立場や家族の話は、どう授業に関係してるのでしょうか?」
アルフレッドが問いかけると、リリーナは小さく鼻を鳴らした。
「家族に関しては、関係ない。だが……立場は関係ある。戦闘応用の授業は、戦闘時に必要な、知識、戦闘感覚、魔法の理解力、精度を学ぶ。そして、実戦ともなれば、この中で最も前線に立つ可能性があるのは、辺境伯であるティノだ。そうなると、必然的に彼が戦闘応用の授業で、他の者より下なのは、あってならないんだ」
「この学院は、それを学ぶためにあるのでは?」
リリーナはアルフレッドを真っすぐ見据えると、(そういえば……)と少しだけ考えてから額を押さえた。
そして、呆れながらため息をつくと、小さく左右に首を振ってしまう。
「……まあいい。どうやら、アルフレッド殿下も、そこの認識が低いようだから改めて説明する。先程も言ったように、この授業は戦闘時に必要なことを学ぶ。しかし、実戦において指示を出さない者が、指揮官の知識を学ぶ必要があるのか? 最前線に立たない者が、後方と同じ戦い方を学ぶ必要があるのか?」
「言っていることは正しいですが、それでもティノを攻撃した理由にはなってません。そして、実際の戦場で上官と連絡が取れなくなった場合、誰かがその場で指示を出す必要があり、少数人の部隊であれ、前衛と後衛に分かれて戦うこともあります。そのため、学ぶ必要がないとは言い切れないと思います」
「アルフレッド殿下が言っていることも一理あるが、本来であれば3年生になってから、1年かけて戦闘応用について学ぶ。しかし、現状はそうも言ってられないだろ?」
アルフレッドは突然右腕を掴まれると、瞬時に右側に立っているティノの方を向いた。
彼が首を左右に振ったのを見て、アルフレッドは眉間にシワを寄せると、舌打ちをしてしまう。
元々、リリーナはレティシアに対しても攻撃的だった。
ティノが個人的な攻撃をされた背景に、レティシアが領主を務めるフリューネ領の噂話も関係していると考えれば説明がつく。
そして、ティノの立場を考えると、リリーナの発言も否定できず、アルフレッドは拳を握った。
「授業を中断させてしまい、すみません」
リリーナはアルフレッドが謝罪を述べると、チラッとティノの方を見て視線を戻した。
「アルフレッド殿下は、もう少し冷静に状況を見るべきだ」
「そうですね。しかし、リリーナ先生……今後も立場を盾に振る舞うのであれば、ボクも自分の立場を武器にできるのを、お忘れなく……」
アルフレッドは隣から「おい」とティノの小声が聞こえると、声量を押さえて「構わない」と返した。
それからリズの方を見ると、彼女が視線を逸らしたのが分かり、彼は暫く思考を巡らせた。
その後、リリーナが他の先生から呼ばれると、カトリーナの元にエミリが駆け寄り、その隣にはシリルの姿があった。
水壁魔法が消えると、3人は顔を見合わせるように向き合い、チラチラと周囲を時折見ている。
「く、空気がぴりぴりしてますね」
「そうね……シリルは現状をどうみてるの?」
エミリに対してカトリーナが答えると、話を振られたシリルは、カトリーナを見ながら首をかしげた。
「それは、貴族として? それとも、ただの同級生として?」
「答えられない?」
シリルは再び聞かれると、頭をかきながらため息をついた。
カトリーナが何を知りたがっているのか、彼女の様子を見ていれば分かる。
しかし、答えを提示すれば済むなら、そもそも先程のティノは言葉を呑み込んでいない。
軽く息を吐き出すと、彼は真っすぐに彼女を見て口を開く。
「フェラーラ家は、結局アルフレッド殿下を選んだんだっけ?」
「ええ、そうよ」
カトリーナの言葉を聞き、シリルは再び頭をかいてしまう。
フェラーラ子爵家のことは、噂程度に聞いていた。
けれど、実際に彼女の口から聞けると思っていなかっただけに、同じ貴族でも立場が違うと感じた。
彼は視線を彼女から逸らすと、冷たく告げる。
「なら、おれは答えたくないな」
「……なぜ?」
何度もカトリーナの声が頭の中で流れ、シリルは胸が詰まり、歯を食いしばった。
そして、(簡単に言えてたら、こんなに学院はピリついてねぇよ)と内心で悪態をついてしまう。
それでも、彼女を引き下がらせるために、言える範囲で彼は話すことにする。
「まず、ヘブリニッジだけの問題じゃないからだよ。ヘブリニッジはカルカイムとは同じ辺境で、しかも隣に位置する。そのおれが、今の現状をどう見てるのか話せば、ヘブリニッジ辺境伯である父上だけじゃなくて、カルカイム辺境伯がどう見てるか推測させるきっかけになり得るでしょ。それは、絶対に避けなくちゃならない……だから答えたくない」
シリルは軽く話すと、カトリーナの口が開くのが見え、深くため息をついた。
「もし、これ以上聞いてくるなら、もう……エミリとも、カトリーナとも、今後は話したくない」
カトリーナは冷たいシリルの言葉を聞くと、咄嗟に視線を地面へと向けた。
胸の辺りはズキズキと痛み、言葉にならない思いが喉を詰まらせる。
鼻の奥が熱くなると、ジーンとした感覚が涙を運び、視界が滲み始める。
口から息が漏れる度、思いが溢れそうになって彼女は口元に手を当てた。
「カトリーナ? ど、どうしたの?」
エミリの優しい声はカトリーナの肩を震わせ、手の温度を奪っていく。
左手で右手を覆うと、指先が冷たく、気持ちがポロポロと溢れる。
「いいえ、みんな離れていくなぁって……貴族じゃなかったら、もう少しだけ違ったのかな……」
「そ、それは、違うと思う……じ、自分は平民だけど、カトリーナから離れてないよ? それと、お、同じように、みんな自分たちの立場の上で、か、考えてるんだと思う……」
リズに話があって来ていたベルンは、少しだけ離れた所から、3人を見ていた。
何かしらの情報になるかと、声が聞こえる距離まで息を殺し、3人に近付いたことを、彼は後悔した。
一瞬聞かなかったことにしようとしたが、いろいろ考えると放って置けず、首裏を触りながら深くため息をつく。
そして、存在を認識させるために、普通に歩きながら、さらに距離を詰めて声をかける。
「カトリーナ嬢、さっきから聞いてたけど、そうやってシリルを追い詰めるなよ。カトリーナ嬢の気持ちも分かるけどさ、シリルの立場も分かってやれ」
「……分かっているわ!! だけど……だけど……」
ベルンは、初めてカトリーナが叫んだところを見て、額を押さえて目を閉じた。
カトリーナに関して、特に指示を受けていない。
そのため、別に放置しても、後から何か言われる心配はない。
だが、『カトリーナは強いから』と言った、リズの言葉を思い出し、(どこがだよ……)と内心で反論した。
現状のまま放置しても、彼女がどのような行動を取ろうと、状況は変わらない。
それでも……、本当にそれで良いのかと……、悩んでしまう。
しかし、目を開けてカトリーナの頬を伝う涙を見ると……、この状況を望んでいたとも思えない。
髪をぐしゃぐしゃに掻きむしりたい衝動を抑え、彼は深くため息をつく。
「はぁ……これは、貴族としてじゃなくて、俺個人から見た現状な」
「ベルン……言わなくていい。むしろ君の立場なら、言わない方が良い」
一瞬だけ目を見開いたシリルが目を細めて言うと、ベルンは頭をかいてから片手を上げた。
「気遣いどうも。でも、選んだからこそ、語れることもあるんだよシリル」
「……なら、勝手にすればいい。おれは、もう何も言わない」
シリルはベルンから目を背けると、歯を食いしばって拳を握った。
すでに、ベルンはオプスブル侯爵に忠義を誓っているため、口にしなくても必然的に彼の答えは決まっている。
だが、決まっているからこそ警戒され、彼の発言に誰もが耳を傾け、隙を常に狙っている。
これまで、ふわっとした知識で、現実から一番程遠かった知識。
今はそれが重く、ただ……、早く政権が決まれば……と願ってしまう。
「カトリーナ嬢がどこまで分かってるのか知らねぇけど……これまでは、ルシェルをどう軌道修正するとか、彼の妃に誰を選ぶか考えればよかったんだよ。だけどそこに、皇位とは無縁だったアルフレッドが、皇位継承権を主張したことで、貴族たちがこれまで保ってきた均衡が崩れた。その点を考えれば……短期間しか政権を握れない第一皇子や第二皇子なんて、初めから貴族たちの中では論外だったのかもな……完全に第一皇子や第二皇子の動きが、これまでもなかった訳じゃないが……。だけど、選べる可能性が増えたところに、フリューネ領の独立の噂話が加わったことで、さらに選択肢が増えた。でも……それは、今日の友が明日の敵になる可能性も含んだ三択になったと俺は見てる。……どう? これでカトリーナ嬢は満足?」
「フリューネ領の独立は噂話でしょ? なのに、なぜ辺境伯や伯爵以上は口を閉ざしているの?」
「……その噂話が、あり得ない話じゃないからだ。辺境伯を含めた伯爵以上の貴族は、自分たちが貴族だと知った日から、そのことを理解してる……子爵令嬢には分からないかもだけど、昔からある家や新しく伯爵以上になった家は必然とそれに気づくきっかけがある。だから、多くの者は口を閉ざすし……選ぶにしても伯爵以下の貴族と同じようにはいかない……もういいだろ? 多分、これ以上聞いても、誰が何を選び、どこの家が何を選び取ったのか、カトリーナ嬢やエミリには分からない……そして、自分で選ぶ前に家の方針で決めたのなら、いまさら変えることもできないし、考えない方がいい。どこにも属せなくなる。仮にもしそうなったら、絶対家族も巻き込むし、誰も助けない。俺やシリルでさえ、必ず見捨てる」
ベルンは真っすぐカトリーナを見て話すと、周りの雑音に交じる彼女の孤独の音が耳に届いた。
帝国の今の状況で、帝国にある掟を知っている者ならば、何を選択するか決まってても濁す人が多い。
しかし、知らぬ者たちは、カトリーナのように平気で口にする。
そのことを理解しているからこそ、ベルンは視線を落とすと、後頭部をかきながら息を吐き出した。
これまで、レティシアが彼女に話してこなかったのなら、今後も何も話さない確率の方が高い。
短い付き合いだけど、ベルンはレティシアの中に冷酷な一面があるのは知っている。
帰って来て彼女が何を選択するのか分からないが、友の涙を見ても揺らがないことは分かっている。
だからこそ、自分たちの意思で選び、自分の進む道を決める必要がある。
少しでも揺らがないために……彼女の敵にならないために……そして、ベルンが剣を抜かないためにも……。




