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13度目に何を望む。  作者: 雪闇影
7章

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第199話 沈黙は語り、揺れる距離


 レティシアたちがニクシオンと会話して数日が経った、1504年9月21日。

 一行の姿は港町である、ポルエラにあった。

 結局のところ、レティシアの暗黒湖(テネクス)に行くという願いは次回に持ち越された。

 その代わり、ヴァルトアール帝国とリスライべ大陸を結ぶ経路を、彼女だけが知ることとなった。

 その後、レティシアはステラに記憶を覗くのを禁止させていた。

 彼女がなぜそうしたのか、それは語られることがなく、ただ一言……「決まりだから」とだけ言っていた。


「ステラ、どうかしましたか?」


 レティシアを見つめていたステラは、声をかけられると、驚いて一瞬だけ狭まっていた視界が大きく広がった。

 しかし、思わずため息をこぼすと、アルノエの方を一瞥し、レティシアの方に視線を戻してしまう。


『……何もないわ、何も』


 アルノエはステラが答えると、ふっと小さく笑い、彼女が見つめている方向に目を向けた。

 そこには、男性たちに指示を出しているレティシアの姿があり、彼は斜め下にいるステラの方へと視線だけ向ける。


「長い時を生きた幻獣でも、レティシア様の考えは分からないですか?」


『……そうね。……初めてレティシアと会った時から、あの子は1人でこれまで立ってきたわ。だけど、自分の存在価値を他者に委ねていた部分があったわ』


 アルノエはステラが小さく息を吐き出すのを見て、静かに彼女の話を聞いていた。

 そして、聞こえる声が止まると、息を吸い込みながら視線をレティシアの方に戻した。

 少女の毛先が青いシルバーの長い髪が風になびき、小さな背中が大きく見え、彼は想いを呑み込んだ。


「……他者に委ねてはいられなくなったのでしょう……」


『……そうかもしれないわ。――だけど、なぜだか分からないのよ』


 アルノエは言葉を探すように視線を落とし、これまでのことを思い返していた。

 始めて花壇で見かけた小さな背中、振り返った泣きそうな幼子の顔は、今も記憶に焼き付いている。

 ルカの不在を仕方ないと受け入れ、必死に家の中を歩き回っては母親を探し、騎士団の者たちに手を伸ばして微笑む。

 幼かった小さな姫は、守られる立場から、共に立つ存在に成長した。

 それでも、過ぎ去った時間に戻れないからこそ、前を向いてアルノエはゆっくりと話し出す。


「レティシア様は、幼い頃から愛に飢えていました。しかし、愛とは何か分からず、いつも藻搔いてるように見えました。だからこそ、ルカ様の命令があったからではなく、オレは彼女の側で、彼女を妹のように大切にしてきました。――彼女が暗黒湖(テネクス)に行く前に迷ってたのは知ってたし、その理由も少なからず分かっていました。それでも、口を出さなかったのは、転んでも立ち上がれる彼女に、自分の傷から目を逸らさなくても立ち上がれるのだと、知ってほしかったからです」


『……それは、愛を知っている人の考えよ』


 ステラは冷たく言うと、心のモヤモヤを隠すように空気を吸い込んだ。

 潮の香りが鼻に染みり、ほのかに胸の底から沸く熱が、喉をじんわりとひりつかせる。


「はい、だからこそ彼女に必要だと思ったのです。彼女は愛を知識ではなく、心で知ったのだと、リスライべ大陸に来る前に思いました」


 静かに揺れていたステラの尻尾は、地面で横たわって完全に動きを止めていた。

 しかし、暫くして尻尾はステラの腰部分に巻き付き、白い毛並みは風に揺れている。


『……ルカの方はどうなの?』


「ルカ様は変わりませんよ。ただ、記憶を失う以前とは違い、迷いが消えたような表情をしていると思います」


 淡々と答えたアルノエの目元は、微かに柔らかく細まっており、口角はわずかに上がっていた。

 対して、一瞬だけステラの顔が彼の方に向くと、すぐさま彼女の頭は伸ばした腕に乗せられ、正面に向けられた。

 人々の声のざわつきに交じり、波が波止場にあたる音が響く。

 サーっと潮の香りを含んだそよ風が吹き抜けると、白い毛並みと赤いショートボブの髪がサラサラとなびき、少しだけ遅れてさわさわと遠くで木の葉が音を立てる。


『……そう。それで? あなたはどうなのよ』


「2人はオレと血は繋がっていませんが、大切な家族です。これまでも、そう思ってきましたし、この先もこの気持ちは変わりません」


 アルノエの声は淡々としており、風に揺れる髪を掻き上げ、1人の人物に合わせて顔がほんのわずかに横に動く。

 しかし、ステラの尻尾はわずかに上下に動き、暫くすると尻尾はまた動きを止めてしまう。


『……分からないわ。あなたは2人にあなたの価値を証明してほしいの?』


 一瞬、アルノエは微かに口元を緩め、ステラの言葉を頭の中で繰り返すように、短く息を吸い込んだ。

 視線を少しだけ斜め下に移し、暫く眺めていても視界の端に映るステラの尻尾は動かず、静かに垂れたままだ。

 それでも、頬は無意識に緩み、小さく息をこぼすと、彼は正面に視線を戻す。

 時間をかけて深く息を吸い込み、胸の奥の空気をゆっくり押し出していく。

 離れた場所でルカの姿を見つけると、口を開けて軽く舌の位置を整えたが、何も言わずに閉じた。

 風の音に耳を傾けながら瞼を閉じれば、幼い2人が肩を並べて話す姿が脳裏に浮かび、その影が今の姿へと重なっていく。

 静かに目を開け、アルノエは偽りのない気持ちを、言葉として紡ぐ。


「いえ、少なくとも、ルカ様とレティシア様は、オレが求めない限り、オレの存在を肯定しません。2人は行動に対して答えてくれる者たちです。なら、オレが彼らの傍にいたいと願うのであれば、オレが2人にできるのは自分を偽らないことだけです……本当は、2人にもそうであってほしい……だけど、そういった気持ちを2人に押し付けようとは思いません……」


『……そう』


 ステラは短く答えると、アルノエの言葉を深く考えた。

 きっと他の人が口にしていれば、嘘にも聞こえてしまう程、彼が言ったことは奇麗事に過ぎない。

 しかし、常日頃の彼の言動や行動が、偽りtういう認識を捨てさせている。

 考えれば考えるほど、ステラは彼に対して浅はかな質問をしたと思った。


「ステラ、あなたはどうなのですか?」


 耳に届いたアルノエの問いに、ステラは言葉が詰まり、視線を地面へと落とした。

 価値を証明してほしいのかと問われれば、明確に違うと言える。

 だが、レティシアの存在価値や、人であるのか悩む彼女を、人として肯定し、証明してあげたいと思ってしまう。

 それができる存在だと……つい最近までは思っていた……。

 けれど、もうそういう存在は、ハッキリといらないと行動で示されたことを考えると、何が正解なのか見えなくなる。


『……レティシアから記憶を覗くなと言われて、彼女が何を暗黒湖(テネクス)で確かめたかったのか、分からなくなったわ』


「……それは、彼女自身の今の気持ちじゃないでしょうか? レティシア様に何があったのかオレは知りません。しかし、迷われているのは見ていれば分かります。その中で、原因を切り捨てないで、ありのままを受け入れているように見えますよ」


 アルノエの優しい声に対し、ステラは彼の発した言葉は胸が痛いと感じた。

 見えている世界は同じなのに、見ようとしている物は全く違う。

 それは、当たり前なのかもしれない。

 しかし、同時に目を塞ぎ、見ようとしてこなかった世界であるのだと、言えてしまう現実に胸は苦しくなる。


『レティシアの存在を肯定するための理解は……もう、本当にあの子は必要としていないのね……』


「レティシア様は、誰かに存在を肯定されなくても、自分で自分を肯定できます……少なくとも……オレの目には、彼女が人の目を気にしなくても、彼女自身を大切にしている見えますよ」


 アルノエは言葉を選びつつ言うと、ふとステラに視線を向けた。

 漂う雰囲気で彼女が落ち込んでいるのだと理解するが、彼は彼女から目を離して、海の方に視線を移した。

 どんよりとした分厚い雲が、海の表面を空と同じ色に染め、雲の間を走る紫色の稲光さえも、時折水面に映し出されているのが見える。

 重たい沈黙であっても、彼は別に嫌いではない。

 しかし、彼は少しだけ息苦しいと思い、固く口を閉ざしてステラの言葉を待った。

 体感にして数分……しかし、波の動きや聞こえてくる人々の声からして数十秒が経った頃、ステラの息を吐き出す音が聞こえて、彼は彼女に視線を戻した。


『……そうね。少なくとも、もう……第三者の感情までは、考慮して立ち回っていないわね……』


「我々も……これからは、学んでいかなければなりませんね」


 ステラは、彼の言葉を肯定しようとしたが、『……』思うように言葉がまとまらず、伝えるのを止めた。

 たった一言を返すだけでも、今の彼女にはすべてが重い。

 けれど、レティシアに無様な姿は見たくないと言った手前、今の状況を受け入れる必要があることも自覚している。

 心の中で(情けないわね……)と思って頬が緩むと、彼女は言葉をテレパシーに思いとしてとばす。


『……レティシアが何を選んでも、ステラは隣にいると決めたわ。それは、これからも変わらない……だけど、そうね、考え続けなければ、レティシアとの距離は違う意味で広がるわね……』


「そうですね……」


 アルノエが微笑むと、ステラは体を起こし、グーっと体を伸ばした。


『……それにしても、珍しく喋るじゃない』


「いつものオレは、空気ですからね……ですが、今日はステラが空気になっていたので、声をかけさせていただきました」


 姿勢を正したステラは、『ふーん』と答えると、軽く微笑んで『もっと話せばいいのに』と言葉を続けた。

 しかし、余裕がありそうなステラに対し、頭をかくアルノエの目は、定まっておらず泳いでいる。


「仕事に支障はありませんし、喋る必要性があまりありませんから。それに、思いを言葉にするのは……得意じゃないので」


『……それも、あなたらしさなのかもね……』


 ステラは柔らかく告げると、たとえ時間が経ってしまっても、昔から彼の人柄は変わらないのだと安心した。

 思考は前を向かなければならないと理解していても、心はどこかで過去をどうしても探す。

 それは、生きているために、明日に繋げるための行為であると、頭も分かってはいる。

 だからこそ、後ろばかりを見ていられないのだと、いつか気持ちも追い付く。

 けれど、「はい、レティシア様とルカ様からも、空気だと思われているところがあります」と答えた彼を彼女は真っすぐ見据えると、彼の気持ちは常に追い付いていないのだと思った。


『それでいいの?』


「ええ、構いません。空気だと思われていても、最初から存在していない者として、2人は見ていませんので、問題ないです。それ以外の者がどう思うが、気にも留めていません。ステラ、あなたも他者がどう思うか、気に留めていないのでは?」


 いつもの様子でアルノエが答えると、ステラは深く息を吐き出した。

 彼に何を言ったところで、何も伝わらないのだと理解すると、レティシアの周りは昔から変だったのだと改めて思えた。

 しかし……他者の意見で、主を思う気持ちは揺るがない。

 そこだけは、共感できると納得すると、軽く首を左右に振って、思わず鼻で笑ってしまう。


『……そうね。他の者たちがどう思っても、気にも留めていないわ。ステラは、レティシアの使い魔よ。彼女が迷わなければ、それでいい……それでいいの』


「なら、彼女の使い魔らしく、隣に行ったらどうでしょうか? レティシア様が時折こちらを見ておりますよ?」


 ステラはアルノエの言葉を聞き、レティシアがいる方に視線を向けた。

 すると、こちらを観察しているであろうレティシアと目が合い、ステラは軽く首をかしげると、レティシアが首を横に振った。

 変わったように見えて、何も変わっていない。

 変わっていないように見えて、内面的には変わった。

 けれど、それでもステラから見れば、レティシアはレティシアでしかないのだと思った。


『こっちを見てるのは、珍しい組み合わせだからよ。あの子は、人を良く観察するわ。相手のことを良く知ることで、相手の行動の先を読み取れるからね』


「そうですね。人の命を預かる者に求められる素質を、レティシア様はずっと持っていました。それが、知るべき感情を知った今、どう変化を遂げるのか、これからの楽しみである部分です」


 アルノエは思ったことを口にすると、無意識に視線をルカがいる方に向けた。

 ルカも変わったのだと言えば、変わったように見えるのであろう。

 しかし、アルノエから見れば、ルカはいつも変わらなければならない立場にいた。

 そのため、ルカが変わることへの違和感も、拒否反応もなく、むしろ受け入れるべきだとも考えている。

 なぜなら、ルカはルカだと思っていなければ、いずれは小さな歪みで、ルカに対する反逆の精神が芽生え、アルノエ自身の命が誓約によって脅かされるからだ。

 だからこそ、切に願ってしまう。

 自分が妹のように大切に思っている人物を、これ以上傷付けないでほしいと……。


『……ええ、それもそうね』


 ステラはサラッと答えると、一度アルノエを見上げ、視線を海の方へと移した。

 船に乗れば、また1ヵ月近い長旅になる。

 それでも、リスライべ大陸に来た時とは、全員の気持ちも考えも、全て同じではないと理解している。

 それが、どう動くのか、どこにはまるのか、それは……ステラにも分からない。

 しかし、もう後戻りも、立ち止まることも、レティシアが望んでいないようにステラには見えた。


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