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13度目に何を望む。  作者: 雪闇影
7章

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第197話 近くて遠い記憶の影


 神歴1504年9月2日。

 禁書庫の中では、紙をめくる音が静かに響いていた。

 リズムよくぺらぺらという音と、まばらなリズムが刻まれる。

 時折、紙の匂いがする部屋の中で、本に囲まれて地べたに座る黒髪の少年が顔を上げ、立っている黒髪の青年の方を見ている。

 しかし、2人の間に会話はなく、ただただ、沈黙が紙の擦れる音を際立たせ、静寂とは違った静けさがあった。


 時間にして、1時間が過ぎた頃、重々しい扉が開く音がし、足音が1つ響いた。

 暫くすると、ルカとレイの視線が現れたオクターの方に向けられた。


「どうでしょうか? 調べ物はありましたか?」


 オクターはルカとレイの様子を見ながら言うと、軽く息を吐き出した。

 ここに連れて来た時と、2人の距離感は変わっておらず、幻獣の言葉を聞くべきじゃなかったと後悔すら生まれる。

 そもそも、ステラが言い出さなければ、禁書庫に入りたいと言ったルカに、レイを同伴などさせなかった。

 しかし、幻獣が言うからと……連れてきた面もあり、2人の様子が気になって見にきたものの、空気の重さを感じて、見に来なければよかったと思ってしまう。


「ああ、粗方な。だが……俺が受け継いだ歴代契約者の記憶にある物で、ここから消えてる物もある。それはなぜだ?」


 ルカの声に感情が見えず、オクターは少しだけ胸の辺りがモヤッとした。

 それでも、わずかに笑みを浮かべると、悟られないように丁寧に答える。


「内容を教えてくだされば、私の方でお探しします」


「いや、それはいい。なぜだと聞いてるんだ」


 ルカは冷静に言うと、ほんの一瞬だけ、オクターの右目が微かに動いたのを見た。

 そこから、彼の声や視線の向け方、ほのかに感情を隠しているような表情の意味を深く考えた。


「禁書庫にある書物の中で、結果的に世の中に出せると判断された物は、書庫の方に移動しています。その他ですと、信憑性が低い物や、悪用された物に関しては、場合によっては廃棄されています」


 話を聞きながら、ルカは思考を巡らせると、疑問だけが浮かぶ。

 まず、信憑性に関しては納得できるが、悪用された場合の廃棄は、どちらかといえば合理的ではない。

 再び起こらないと言い切れない以上、オプスブル家は力を継ぐ当主が記憶として保有することで、膨大な情報を代々管理してきた。

 だが、それですら個人の能力に左右されるため、足りない部分は鍵となる書物や日記を読んだり、闇の精霊が記憶の補填をしてきた背景がある。

 しかし、書物を残すリスクも考えれば……記憶として保有できない以上、廃棄したことも理由としては成立する。

 そうなると問題は別のとこにあると考え、彼は疑問を口にする。


「廃棄は誰の指示だ?」


「数十年前までは、ベルグガルズ大陸の会議で廃棄が決まっていました。しかし、ベルグガルズ大陸と交流を絶ってからは、廃棄している書物はないと思います……交流を絶ってからの書物も、記憶と違いますか?」


 一瞬だけ、目元を細めたオクターが答えると、眉間を指で押さえるルカの姿があった。


「さぁな、最後にここに来た歴代の記憶も、まだ交流があった頃だから、交流を絶ってからは、分からない」


 オクターはルカの様子を見ながら、短く「そうですか……」と答えた。

 暗黒湖(テネクス)から戻って来たルカが、どれだけ過去の契約者の記憶を保持しているのか分からない以上、彼の言葉が全て事実だとは限らない。

 そして、どんなに思考を巡らせようとも、ルカが嘘を言っていると証明できないなら、真実として受け止めるしかない。

 だがしかし、そうだと分かっていても、確かめないことにはならないと考え、レイの方を一度一瞥するとルカに尋ねる。


「ちなみに……つかぬことをお聞きしますが、記憶が抜けているということは?」


「それはない。闇の精霊とも、記憶が抜けてないか確認した」


「……ッ……然様ですか……」


 ルカの言葉に、オクター目を見開くのと同時に、一瞬だけ言葉を失った。

 それでも、何とか返答すると、胸の中がざわついた。

 これまで、リスライべ大陸に渡ってきた闇の精霊の契約者は、暗黒湖(テネクス)に入った後、完全に契約者の人格が消えて闇の精霊が表に出ていたか、闇の精霊の声が聞こえなくなっていた。

 そのどちらでもないということは、ルカが闇の力を多く引き継ぎ、闇の精霊と契約を交わすに相応しかった器ということだ。

 彼が原初の力に近い存在であるかもしれないと考えると、オクターはルカの弟として生まれたレイの方をもう一度一瞥した。

 長く生きてきた中で、何度も人は何らかの形で理を超えてきた。

 それは……自分が長年信じてきたものの崩壊を、静かに――だが確かに感じてしまう瞬間でもある。


「レティシアの話だと、この書庫から消えてる書物があったそうだ」


「……どのような書物でしょうか?」


「神歴1431年の事件について書かれていた資料だ」


 ルカの視線は、オクターに向けられたままで、どこか観察しているようでもあった。

 しかし、オクターの視線も、ルカと似たようなものがあった。


「……1431年……その資料でしたら、ベルグガルズ大陸の者が、禁書庫のルールを説明したのにもかかわらず、禁書庫の外に持ち出そうとして灰にしてましたよ。その後、その者は扉から名を消されていましたが……」


「その書物を読んだことは?」


 考えながら答えた様子のオクターの声は、どこか硬く、所々抑揚が強かった。

 それに対し、ルカの声は相変わらず淡々としており、胡坐をかいて頬杖をついているレイは、目を細めて2人の方を見つめている。


「いえ、素人が書いた物だと聞いておりましたので、とりあえず禁書庫に納めていました」


「誰が持ち出そうとしたのか分かるか?」


 オクターは答えようとしたが、記憶を辿っても名前が出てこず、「……名は……名は……」と繰り返した。

 記憶にある人物に靄がかかっており、容姿や特徴が何ひとつ思い出せない。

 記憶の混濁というには浅く、記憶から抜けて落ちているとも言えない。

 しかし、居たはずの人物の情報がなにも思い出せず、「どうした?」とルカに聞かれると、心臓がドクンッと大きく脈を打った。


「いえ、名が思い出せないんです。顔も……声すら……」


「禁書庫に、記憶操作に関する研究が描かれている物はあるか?」


「いえ、ありません。そもそも禁忌ですし、全属性もちか原初の精霊でなければ、記憶の操作は不可能です」


 ルカはオクターの言葉を聞き、腑に落ちない思いがあった。

 記憶や闇の精霊からは、記憶操作に関する話は一切なかった。

 今回、記憶を失ったことも、闇の精霊の話では剥離が原因とされている。

 つまり、記憶操作とは違い、無理やり闇の精霊と器を引き剥がそうとして起きた記憶喪失だと、彼は結論付けている。

 そして、記憶操作は意識的な誘導はあっても、闇の精霊から実際に記憶をいじくり回すことはないと聞いている。

 けれど……記憶の剥離が及ぼす影響を考えれば、魔法を使わなくても記憶操作は容易い。

 そうなると、本当に事故だったかのかすら、オクターの状況を考えれば考えるほどに疑わしい。


「記憶に干渉する研究も、同様に禁忌か?」


「いえ、ご存じのとおり、自白剤は認識に干渉していますので、完全に全てが禁忌になっているというわけではありません」


 ルカは考えながら、「確かにな……」と静かに呟いた。

 自白剤は“軽度の認知機能の低下”を引き起こすため、認識に干渉していることは、ルカの認識とも一致している。

 そうなれば、認識に干渉していようとも、記憶操作でないため、禁忌に触れていることにならない。

 しかし……、それでもルカは腑に落ちない部分がある。


「だが、記憶が消えるのは、ある意味俺と同じことが部分的に起きたんじゃないのか?」


「魔族の場合、記憶の欠落はほぼあり得ません。しかし、私は他の魔族とは少し異なります」


「どういうことだ?」


 ルカはオクターに尋ねたが、契約を結んでいる闇の精霊が説明をしていると、内心で『お前は黙ってろ』と言った。

 けれど、「なるほどね」と言った声が聞こえると、咄嗟にレイの方に視線を向けた。

 そして、ゆっくりとレイの口が動くのを、ルカは静かに見つめる。


「精霊の力を少しだけ受け継いでるんだね。生まれてから長いようだから……時期的に、闇の精霊が魔族を創り出した時、魔族になり切れなかった幼い精霊の名残かもね……」


「聞こえていたのか?」


 レイはルカが怪訝そうに尋ねると、首を少しだけ傾け曖昧に笑った。

 ルカが何を考えているのか、どう思ったのか……それは、レイには分からない。

 しかし、疑われているのだと考えれば、ほんの少しだけ悲しいと感じた。


「前に言ったでしょ? 契約してても聞こえてるって……疑ってたの?」


「いや、記憶を失ってた期間、闇の精霊がお前と話す時は表に出てたから、話す時の制限かと考えてた」


 確かに……と納得しつつも、レイはグッと込み上げる気持ちを呑み込み、唇の内側を噛んだ。

 そして、軽く重い気持ちを、短い息に込めて吐き出すと、ニッコリと微笑んで話す。


「違うよ? 闇の精霊が表に出なくても、ちゃんと彼の声は聞こえてる」


「……今後は、勝手に俺と闇の精霊の話を聞くな。分かったな? これは、頭首としての命令だ。後でお前には制限もかける」


 ルカが言い終えると、禁書庫には視線を僅かに下げて口元をモゴモゴと動かすレイと、左腕を右手で押さえて視線を逸らしたオクターの姿があった。

 無表情の彼から出された声は、あまりにも低く温度すらないようでもあった。


「……うん……分かってる。ごめんなさい」


 小さな声で答えたレイの声は震えており、彼の視線はどんどん下がっている。


「これまで、話を盗み聞いたことは?」


「……掟は知ってるから、ない」


 首を左右に振ってレイが答えると、わずかに顎を上げたルカの目元がスーッと細まった。


「本当だろうな? 嘘だと分かった時点で」

「分かってる! ルカの手を煩わせるつもりはない! だから……信じられないかもだけど……そこは、信じてほしい」


 ルカの言葉を遮ってレイが言い切ると、途端に長く重いため息が響いた。

 前髪を右手でかき上げるルカの顔には、変わらず表情がない。


「悪いが、後で従属の契約を交わしてもらう。分かったな」


「……ッ」


 レイはルカの言葉を聞き、声にならない感情で喉を詰まらさせた。

 思わず両手で握った拳は、手のひらと爪が痛く、手汗でさらに食い込む。

 喉は焼き付くように痛み、何度も息を止めてしまう。

 一点を見続けられないのに、視点を上げる勇気もないまま、喉は吸い込む空気でカラカラだ。

 それでも、伝えなきゃという気持ちだけで、絞り出すように声を出す。


「そんなに……ボクが信じられない? たとえ聞こえても、誰にも他言しないよ?」


「それなら、今この場で死ぬか?」


 耳に入ってきた冷たい声と言葉に、レイは歯を食いしばった。

 堪えていた醜い感情は、涙になることも、怒りにも変わらず、声として漏れてしまう。


「……そこまで、記憶を失う前のルカは、ボクが憎かったんだね……」


 レイの言葉に、ルカは眉を(ひそ)め「何の話だ?」と尋ねた。


「ボクが生まれて、ルカが余計に父さんと母さんから拒絶されたんでしょ? だから、ボクのことを恨んでるから、ボクに従属の契約をするんでしょ?」


「違う。お前のことを恨んでた記憶はない。だが、掟を知ってるなら、従属の契約は必要だ。でなければ、掟に従って排除するしかない。オクター、お前も巻き込まれる形になったが、従属の契約を交わしてもらう。お前たち2人に拒否権はない」


 オクターは冷静に「私は一向に構わないのですが……」と答えると、レイとルカを交互に見て、ため息をついた。

 従属の契約は、たとえ相手がこの世を去っても、生涯にわたって言語と行動の制限を縛る誓いである。

 奴隷契約よりも重く、絶対的な忠誠が根本にあるため、心理的な状況が考慮されることはない。

 いわば、常に誓いという名のナイフを、心臓に突き立てているようなものだ。

 仮に奴隷相手なら、相手の感情など考慮する必要はないが、掟の話が出たことを考えれば……縛るためではなく、守るために使われるものだとオクターは考えた。

 そのため、今の状況で従属の契約が結ばれるのは、いずれは歪みや淀みが生まれ、ゆくゆくは遺恨が残ると考え、関係ないと分かっていても口を挟まないわけにはいかなかった。


「……レイ様は……その、今後……仮に今回のようなことが起きた場合、問題になるのでは? この様子だと、ルカ様に何かありましたら、レイ様が頭首ですよね?」


「問題ない。そこも含めて、従属の契約を交わす」


 言葉を選んで話したつもりが、ルカに伝わっておらず、オクターはチラッとレイの様子を見て、レイの感情に触れないように考えながら話す。


「その……大変申し上げにくいのですが……ルカ様はレイ様と話をされてはいかがですか?」


「何を話す?」


「いえ、それは……」


「話して何になる? 話したところで、従属の契約を交わす。それなら、話したところで無意味だろ?」


 レイはオクターとルカの会話を聞きながら、視界が歪んで行くのが分かった。

 ルカが従属の契約を結ぼうとする理由も大体分かるが、頭と違って心は付いていかない。

 伸ばした手は届くことなく、叩き落とされ、再び伸ばすことも許されていない。

 記憶を失う前のルカも、記憶を取り戻した今のルカと同じ気持ちだったのか……と考えるだけで足元が震える。


「いや、その……レイ様の誤解は解くべきかと……」


「解いただろ?」


 淡々とした様子でルカが言うと、オクターは内心で深くため息をついた。

 ルカの在り方は、頭首や頭領としては、正解かもしれない。

 むしろ、割り切れなければ、務めることも難しいだろう。

 そのことを理解していても、光の精霊と闇の精霊の話が頭を過ぎり、今のままではダメだと、一歩さらに踏み込む。


「いえ、解いていません。なぜ、そこまでレイ様を拒絶されるのですか?」


「拒絶もしてない。そもそも、こいつとは記憶を失うまで、関わってこなかったんだ。拒絶する理由がそもそもない。ただ……関わると面倒なことになると感じてるだけだ。実際、こいつに近寄って、いい思い出は記憶にないからな」


 ルカの言葉に、レイは感情が呑まれ、醜い感情や欲望が口から溢れた。


「でも、それはボクのせいじゃない!! 父さんと母さんが勝手にしたことで、ボクは……ボクはずっとルカと話したかった!!」


「……だが、それでもお前は俺と距離を置いてた。実際に、俺の顔見て逃げ出したこともあっただろ? それがお前の答えで、今さら話す理由にはならない」


 ルカはレイに鋭い視線を向けると、記憶にあるレイの顔を思い出していた。

 モーガンとルイズに呼ばれた小さな子どもは、脅えた表情をして、背を向けて走り去った。

 ただ……それだけの記憶だ。


「逃げたのは、迷惑になると思ったから」

「ああ、迷惑だ。実際、お前が帝都に住み始めてから、モーガンとルイズが干渉してきて仕事にも支障をきたした。そもそも、迷惑になると分かっていながら、それでも帝都に住み続けてのか?」


 ルカが淡々とした態度で言うと、黙ったままレイは下を向いて唇を噛んだ。

 レイから目を逸らしたルカは、首を左右に振って前髪をかき上げると、大きく息を吐き出した。


「話にすらならないな。モーガンやルイズも勝手だが、お前も随分自分よがりだな。俺のことを思うなら、迷惑かけると思った時点で、学院に入る期間じゃなければ帝都に来ないだろ」


 レイは、ルカの言葉に何ひとつ反論できなかった。

 実際、帝都に住むときに新しく家を借りたが、それでも親の干渉が起きている。

 それは、結果的にルカの立場を揺るがせ、反乱の芽を育てている可能性すらある。

 実情……ルカの支配下にあるはずの影ですら、信じていいのか分からない状況だ。

 記憶を取り戻したルカに、レティシアが話した可能性を考えると、それに気付いたのだと分かってしまう。


「……そうだね……ごめんなさい」


「帝国に帰ったら、家に戻れ。これ以上、モーガンとルイズの干渉が原因で仕事に影響が出るようなら、お前は幽閉される覚悟もしておけ」


 ルカの言葉に対し、レイは無意識に、「そんなに……そんなに迷惑なら……消せばいいのに」と思ったことを呟いた。


「消す必要があるのか? どうせ、お前が消えたところで、干渉が減る訳でもないし、代わりが用意される。むしろ、モーガンとルイズは更に神経質になる。そうなれば、不都合しかない。それでも、お前を消す必要性があると思えないが?」


「そうだね……何を決断しても、ルカはボクを見てくれない……人格が変わっても、それは変わらなくて……それなら、拒絶してほしいくらいだよ……」


 ルカは少しの間レイの様子を見ていたが、息を軽く吐き出すと、呆れて首を左右に振った。


「何を勘違いしてるのか知らないが、俺の記憶にあるお前も、今俺と話してるお前も、個としては見てる。それは、誰に対しても同じだ。そもそも、拒絶する理由もないし、俺がお前を見てないって思うのは間違いだろ」


「ボクは……ルカにとって何?」


 レイの言葉を聞き、ルカは目を軽く閉じた。


(記憶にあるレイの情報は、全て直接見て知ったものではない。生まれたことでさえ、全て精霊から話を聞いて知った情報に過ぎない。――精霊が楽しそうに話す内容や、屋敷に居ても笑い声が遠くから聞こえてた程度だったが、それでもレイがモーガンとルイズと仲のいい家族だというのも知ってる。それを、いまさら壊す気はない。……それでも、記憶を失ってた時の記憶にいる彼は、必死に兄を守ろうとする弟として立ってた。必死に、俺の気持ちを一番に考えてくれてた……レティシアとぶつかってもだ……)


 ルカは目を開けてレイのことを見ると、感情を込めずに淡々と話す。


「……記憶を失ってた期間、俺を守ろうとした者で、お前が生まれた時から俺の弟だ」


 視界の先にいるレイの目に、涙が溜まり「……ッ」と言葉を呑み込んだのがルカには分かった。

 それでも、彼に寄り添って掟に背くことは、あってはならないことだ。


「だが、従属の契約を回避する理由にはならない」


「うん……うん……弟なら良いよ。それでいい……それで、十分だよ」


 レイはポロポロと涙を流しながら言うと、震える唇で醜いと思っている願いを口にする。


「もし……もし、ボクが父さんと母さんをどうにかできたら、ボクもルカの近くにいて良いかな?」


 一瞬だけルカの口は開いたが、すぐに閉ざされた。

 しかし、数秒の沈黙の後、再び口が動く。


「……お前、あの家にいたくないのか?」


「ボクが望んだことじゃない。ボクは……ルカを……ルカのことが兄として好きだし……お、……おにいちゃん……って呼びたい」


「外では立場を弁えろ」


 ルカの声は冷たく、レイは咄嗟に「……ごめん」と謝って視線を下げた。

 望み過ぎだ……と後悔しても、もう遅いことは分かっている。

 溢れた涙は、後悔が交ざって喉を焼き始める。

 しかし、ふわっと頭に温もりを感じ、徐々に視線を上げると、こちらを静かに見つめるルカの顔が見えた。


「家の中なら、好きに呼べ……だが、モーガンやルイズの近くはやめろ。確実に俺の立場が悪くなる……それと、外ではこれまでのように接する。これだけは、当分の間変えることはできない。分かったか?」


 全く優しくない、感情が読めないルカの声は、確実にレイの胸を締め付けた。

 手を伸ばせば抱き付ける距離にいるが、伸ばし掛けた右手を、左手で止めると胸の辺りで組んだ。

 そして、涙を堪えるレイには、「うん……それでいいよ」と言うのがやっとだった。


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