第21話 壊れる物
『あら?』
『いかがなさいましたか?』
『指輪の石が壊れてしまったわ。ねぇ、リタ。悪いんだけど、ダニエルを呼んでもらえるかしら?』
『かしこまりました』
*
(ん? 指輪の石が壊れた?)
ダニエルが騎士団の訓練場に現れた翌日。
レティシアがアンナに身支度を整えてもらっていると、不意に耳に着けていたピアスから、指輪が壊れたと話すエディットの声が聞こえた。
途端に考えごとを始めたレティシアは、眉間にシワを寄せて険しい表情になる。
「レティシアお嬢様。ドレスの締め付けがきつかったですか? それとも、違うドレスが良かったですか?」
鏡に映るレティシアを見たアンナは、自分が粗相してしまったのではないかと思って不安そうに聞いた。
言われて始めてレティシアは鏡に映る自分の顔を見ると、感情が表情に出ていたことに気が付き、すぐに何事もなかったように笑顔を作る。
「ん-ん! ない! なにも!」
「そうですか、それなら良かったです。レティシアお嬢様、着替えが終わりましたら、今日はこちらのリボンにしますね」
不安気な表情をしたアンナだったが、それでも何とか笑顔を作ってレティシアに笑いかけた。
彼女は、レティシアが誕生日にもらったリボンを見せると、レティシアは笑顔で頷いた。
(お母様のことだから、雑に扱ったとは考えにくい。元からヒビが入っていたなら、その時点でお母様なら言ったと思うし……。それなら、壊れる理由は? 役目を終えた……? ダメダメ、思い付きで考えたらダメよ)
レティシアが考えていると、彼女の身支度を終わらせたアンナは、リボンを使ってレティシアの髪を1つに束ねる。
アンナが「できましたよ」と言うと、レティシアは嬉しそうに首を左右に振って髪を揺らした。
その様子を、アンナは寂し気な表情で見つめる。
「レティシアお嬢様。わたしでは頼りないと思いますが、いつでもレティシアお嬢様の味方です。こんなわたしでも、レティシアお嬢様のお力になりたいんです。だから、わたしにできることは、なんでも致します。なので、わたしのことも頼ってくださいね!」
アンナはそう言ってレティシアに笑いかけると、頬を赤らめてドアへと向かう。
そして、一礼すると部屋の外で待っていたルカと、入れ替わるように部屋を出て行く。
部屋に入ってきたルカは、微笑んでレティシアに近付くと彼女の髪に手を伸ばすが、それを遮るようにレティシアが呟く。
『壊れた』
ルカが伸ばした手は宙を漂い、固まったように動かない。
思わず首をかしげた彼の眉間には、わずかにシワが寄っている。
何度も彼は彼女の言葉を頭の中で繰り返す。
それでも、彼は彼女の言葉の意味が分からず、思わず尋ねる。
「ん? 何が??」
『さっきお母様が着けてた指輪が壊れたの』
ルカはレティシアがそれだけ伝えると、彼女がどこか険しい表情だと気付く。
椅子から彼女は飛び降り、顎に触れながらソファーへと向かう。
その様子を見つめていたルカは、行き場をなくした手を少しだけ見つめてから、彼女の後を追い掛けて抱き上げた。
そして、彼女をソファーに座らせると、ルカは真剣な顔でピアスに触れている彼女を静かに見つめてしまう。
*
『エディット、呼んだか?』
『ええ、呼んだわ……。ダニエルあの指輪で商売しようとしていたのでしょ?』
『そうだけど、それがどうかしたのか?』
『そのことなんだけど、次期早々だと思うわ。だって壊れてしまったもの』
『あちゃ〜……、やっぱ壊れたか……。この宝石、実は人工的に作ってるんだよ。本物の宝石は貴族と金持ちしか買えないだろ? でも、平民だってお洒落がしたいだろうし、それなら人工的に大量に作って安く売れば誰でも買える! そうしたら、平民たちもお洒落を楽しめるって、考えたんだよ! 一応ガラスで作った物もあるけど、エディットに渡したような濃い色のはないだろ? それで、いろいろと研究してるんだよ!』
『……そうだったのね。壊してしまって、ごめんなさいね』
熱く語るダニエルとは対照的に、エディットの声はどこか冷たく感じる。
『いや! いいんだよ! エディットが着けてても壊れるなら、平民の生活の中だともっと早かったと思うし、また試行錯誤するよ! だけどリングの所は本物だから、できれば返してくれないかな? そのリングに、またできた石を付けて持ってくるからさ』
『分かったわ……』
『エディット、ありがとう! 壊れたことも報告したりしなきゃだから、明日には帝都に戻るよ』
『そうなのね、見送りはしなくても大丈夫かしら?』
『ああ、見送りはいらないよ。でも、大きめの馬車を出しといてくれ』
『そう、分かったわ』
*
(指輪を回収したのね……)
レティシアはソファーにもたれ掛かり、はぁーっと深いため息をついて天井を見つめる。
『宝石が付いてた指輪も、お父様が回収したみたいよ』
「壊れたんなら、もう心配はないと思うけど……。なんか考えてるみたいだけど、おまえはどうするんだ?」
『ルカには悪いけど、今日お父様と接触してみる。明日には帰るって言ってたから』
「は? それ、本気で言ってる?」
苛立った様子でルカが聞き返すと、レティシアは素っ気なく言う。
『えぇ、本気よ』
「エディット様がおまえとダニエルを接触させるなって言ってんだぞ? だから、昼食後もテラスに行ってないのに!」
『そうなんだけどさぁ……、本当の目的も気になるのよ……』
ルカはドカッとレティシアのベッドに座った。
彼の表情は見ただけでも、怒っているのだと分かる。
レティシアはルカに視線だけ向けると、ため息をつきたい気持ちをグッと堪えて、再び天井に視線を戻した。
(使用人に対して高圧的な態度をとる人が、わざわざ庶民のお洒落を気にするのかしら? それに、初日の時点で壊れる可能性や、研究のことを言っていれば、資金の話もお母様の反感を買わずにできたはずよ。それなのに、その話は全くしなかった。――なんか理由をとってつけたような感じがして、腑に落ちないわ)
『話の流れ的に、多分また邸宅やってくると思うの……』
「それなら、なおさら……今回は接触しない方がいいと俺は思う。今回レティシアがダニエルと接触したことを、エディット様が知ったら……俺は2度とおまえの護衛させてもらえないからね」
『そうなんだよねぇ……』
「とりあえず俺は、接触することに反対だ」
(まぁ、ルカの立場ならそうなるよね……。それに、対面したところで、今の私じゃまともに会話ができるかも怪しいけど……。それならルカの協力は必要になるのに、そのルカは反対しているからなぁ……)
ルカは悔しそうにベッドのシーツを握ると、悲しそうな顔をする。
彼の立場をエディットは知らない。
今回、エディットから信頼を得られなかった場合、今後ルカがレティシアを護衛することはなくなる。
そのため、エディットとの間で交わされた契約を、レティシアが破ろうとすることに彼は苛立つ。
しかし、同時にレティシアは護衛が変わってしまっても、気にしないのだと思うとルカは悲しかった。
彼は今のレティシアに報告できることは少ない。
きっと、襲撃のことを話せば、彼女の考えも変わると思っていても、襲撃のことはまだ話せない。
今の状況にルカはもどかしさを感じる。
長い沈黙の後、廊下から屋敷で働く使用人とは違う気配を感じた2人は、同時にドアの方を向いた。
その気配がドアの前に来ると、ルカはベッドから立ち上がってレティシアに歩み寄っていく。
2人がドアを凝視していると、ドアをノックする音が聞こえた。
その瞬間、レティシアは瞬時に透明化魔法をルカと彼女にかけ、さらに浮遊魔法を使い宙に浮く。
そして空間消音魔法を2人にかける。
魔法をかけ終わったタイミングで、ドアノブが回る音がしてドアが開いた。
「……んだよ……。あのガキ、今日も部屋に居ねぇのか」
そう言いながらダニエルが部屋に入ってくると、彼はレティシアの宝石が置いてある机に近づき宝石箱を開ける。
迷わず机に向かったのを見て、レティシアは彼が昨日も来て下調べしたのだと思った。
「たく、自分の父親が金に困ってるって言うのに、ガキがいいご身分だな」
宝石箱から宝石を手に取り、目線の高さまで持ち上げたダニエルはそう言った。
そして、宝石を少し左右に揺らしながら見ては、いくつか懐に入れる。
(この人は、人の物まで勝手に手を付けるのね……)
その後、ダニエルは引き出しを開けては中を確かめ、他にめぼしい物がないと分かると、レティシアの部屋から出て行った。
レティシアはダニエルの気配が遠のいたのを確認すると、ゆっくりと床に降りて2人にかけていた魔法を解除する。
「おまえがあんなことを言ってたから、あのまま対面するかと思った……」
驚いた様子でルカが言うと、レティシアはダニエルが出て行ったドアを見つめていた。
『会ったところで、私はテレパシーを使わなければまともに話せないし、ルカとその辺の打ち合わせをしていないから無意味だと思った』
「なるほどね……。でも、宝石は盗られちゃったな……」
そう言いながらルカは宝石箱の宝石を確認しに走った。
だが、レティシアは少しだけ得意げな顔をしてルカに話す。
『お父様が持って行ったのは、全てダミーよ。私の魔法で作った物だから分かる。――どう? 正解でしょ?』
そう言われたルカは、心配そうな表情をした。
「ぁあ……、正解だ。でも、売りに出されたらバレるぞ?」
この世界に魔法が存在する限り、偽物を作って売ろうとする人が一定数いる。
そのため、宝石店ではその対策として、魔法の有無を調べる装置が置かれている。
『その辺は大丈夫、売りに出す前には消すよ。そうなれば、魔法で作ったダミーだとは、分からないはずよ。宝石が盗まれたとでも思うんじゃないかな?』
「……それもそうだな」
ルカがそう言って、宝石箱の蓋を閉めた。
レティシアはもう1度ダニエルが出て行ったドアを見ると、ルカも同じようにそのドアを見ていた。




