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13度目に何を望む。  作者: 雪闇影
7章

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202/223

第187話 魂の境界と揺れる者


 鼻から吸い込む空気は重く、肌をなぞる闇のマナは冷たく感じられた。

 ゾクッとして背筋を伸ばすが、ゾゾッと毛が逆立つ感覚に襲われ、続けて全身の毛が逆立ったのが分かる。

 一瞬だけ、レティシアはここに居たくないと思うが、迷うなと自分に言い聞かせた。

 その瞬間、冷たい闇のマナが再び肌を這い回り、骨の奥まで悪寒が染み込む。

 何度も、何度も、それは容赦なく襲い、思考すらぼんやりとし始めた彼女は、自分の頬を叩く。

 本来聞こえるはずの音は聞こえず、頬だけがジンジンと痛む。

 目を開けたら……と、一瞬最悪な展開を想像したが、それでもゆっくり目を開いて冷静に周りを見渡す。


(本当にただの闇ね……とりあえず、死んだ時の光景が出てこないから、まだ生きているということね……)


 レティシアは少しだけ安心すると、軽く息を吐いて歩き出した。

 肌に(まと)わりつくマナの重さは、心の奥底に潜む苦しみや怒りを、呼び起こそうとしている気さえする。

 それなのに、頬を掠める空気は、悲しみや後悔を思い出せと、囁いているように感じてしまう。


(余計なことは考えるな。目的はハッキリしているのよ。迷うな、大丈夫……私は私でしかない)


 目の前に広がる暗闇は、目が慣れても黒一色で、そこには何もないんだと語り掛ける。

 それでも、歩みを進める足は止まらず、思いが前へと足を運ぶ。

 時間の感覚もなく、気を抜けば平衡感覚さえ失いそうになる。


(……独りで、ただ暗闇にいた時とは違う。知ってしまった気持ちが、初めて死んだ時と違うからだわ……知らなければ……)


 レティシアは唇を何度も噛みながら、短く息を吸い込んだ。

 けれど、無意識のうちに止めた呼吸は、腹の底を固くし、幾度も肩を上げさせる。


(知らなければ、闇が本当は怖いものだと感じなかった)


 胸ぐらを掴む右手は小さく震え、喉の奥が焼けるように熱い。

 足取りは重く、数えきれない出来事が走馬灯のように脳裏を過ぎていく。

 ――語らずとも分かり合えた日々。

 いつも一歩後ろを歩いていた少年は、いつの間にか隣を歩く青年に成長していた。

 些細な信頼を少しずつ積み重ねてきた記憶。

 ただ、ひたすらに思い続けてくれた、彼の優しさ……

 叫びたいのに……、もう……その感情も迷いの元になると分かっている。


(だから――もう、必要ないモノは捨てよう)


 深く息を吐き出し、自分の胸ぐらを掴んでいた右手を大きく振り払うと、軽く唇をなめた。


(この恋心は……さよなら)


 少女の歩みは、どこか迷いがなく、ロイヤルブルーの瞳は濁って見える。

 しかし、その瞳の奥にどんな思いがあるのか、それは読み取ることができない。

 風は吹いていないのにもかかわらず、シルバーの髪はなびき、ロイヤルブルーの毛先は、彼女の背を押す。


 足音がない歩みは続くが、彼女の様子からして足音を消しているわけではない。

 この空間そのものが、まるで音を食らっているようだ。

 足元も見えず、何を踏んでいるのかも判別できない。

 それでも、動きは一定で、急ぎもせず、止まりもしない。

 その姿には、逡巡(しゅんじゅん)躊躇(ちゅうちょ)といった動きは見られない。


 どれほどの距離を進んだのかは分からないが、やがて空間に変化が現れた。

 黒一色だった背景の中が、ほんのわずかに揺らいだ。

 色ではなく、光でもない――黒とは違う「何か」がそこに存在する。

 途端に、彼女の眉間にシワが寄り、目元が細まった。


「……」


 彼女の口元は動きを見せたが、声そのものは響かない。

 暫くの間、揺らぎの方へと歩みを進めると、ふと目前で足を止めた。

 再び唇は動くが、またも何を発したのか分からない。

 けれど、『この先に、いてちょうだいよね……面倒だから』と呟いたように動いていた。

 右手を差し出して揺らぎに触れると、彼女の手がすうっと消える。

 直後、彼女の口元は笑みを浮かべ、一歩を踏み出して揺らぎの中へと入って行く。


「あら……お客さんね」


 ふと、優しそうな女性の声がし、世界は色を取り戻したかのように鮮やかな風景が広がる。

 緑の芝生と、色とりどりの花々が地面を彩る。


「このような場所に人とは……」


 厳格そうな男性の声がした途端、一本の大きな大木の近くに、パッとテーブルと三脚の椅子が現れた。

 続けて、2人分の足音がし始めると、徐々に一組の男女の姿が浮かび上がった。


「懐かしいわね。久しぶりに人の形を保てているのは、不思議な感覚……お嬢さん、ありがとう。私たちを知っていてくれて」


「……あなたは、リディア・セレ・フリューネ様ですね?」


 レティシアは立ち止まったまま、華やかさはないが、落ち着きのある雰囲気をまとった女性に問いかけた。

 口元を押さえる仕草には柔らかな余韻があり、目元に浮かんだ笑みには親しみすら感じられる。

 シルバーの髪は、毛先に向かうほどロイヤルブルーへと染まり、その色合いは自身とよく似ている。

 そのまま視線を横に移し、ライトブルーの髪が印象的な男性へ向き直ると、彼のシルバーの瞳を見つめながら口を開く。


「そして、あなたがフェリックス・エル・フリューネ様ですね?」


 暫くの沈黙が流れると、ふふふっと女性の柔らかい笑い声がその場に広がった。


「2人とも、そのような名前だったわね。懐かしいわ……」


暗黒湖(テネクス)の外で、御二人の帰還を待っている者がいます。名は」

「十中八九、ニクシオンだろう」


 フェリックスはレティシアの言葉を遮って答えると、観察していた少女の眉間にシワが寄ったのが分かった。

 しかし、少女が軽く息を吐き出すのを見て、思わず内心でため息をついてしまう。


「……まだ、そのことはご存じだったのですね」


「当たり前だ。暗黒湖(テネクス)に入る前、彼は私らに『いつまでも、帰りを待っている』と言っておったからな……言葉は思いだ。それが魂を現世に繋ぎとめる」


 淡々とした様子でフェリックスが答えるが、無表情のままでレティシアが口を動かした。


「一応、お聞きしますが、御二人は帰り道をご存知でしょうか?」


「知っているわ。でも、帰れないのが正解かしらね……」


 リディアは口元に人差し指を当てながら答えると、困ったような笑みを浮かべた。

 そして、髪を耳に掛けながら数歩進むと、首をかしげた顔には、先程とは違う笑みが浮かぶ。


「つまり……思いだけでここに留まっていた、ということでしょうか?」


「そうね、それも間違いではないわ……でも、ね」


 リディアの声に続き、ふふふっと笑うのが聞こえ、レティシアは静かにリディアを見つめた。

 エディットの面影がリディアの笑顔と重なって見え隠れし、胸の中が妙にざわつく。

 それが、愛の感情を捨ててしまった原因だと理解してしまい、なぜか心が痛む。


「何点か、お聞きしたいことがございます」


「ええ、お好きにどうぞ」


 軽やかなリディアの声は、硬い表情をしているレティシアとは対照的だ。


「御二人は……なぜ、エディット・マリー・フリューネ様を帝国に残し、暗黒湖(テネクス)に入ったのでしょうか?」


「……あらあら、娘の名前を聞いたのも久しぶりね。彼女とは、どんな関係性なのかしら? フリューネ家の特徴を持つ、お嬢さん」


 リディアは微笑みながら軽く口元を押さえて尋ねると、目の前にいる少女の瞳がすうっと冷たくなった気がした。

 その姿が、なぜか隣にいるフェリックスの姿と重なり、少女が何者なのか……と予測できてしまう。

 それでも、少女が服の裾を掴み、小さく震える手を、リディアは静かに見つめた。


「私は彼女の娘で、レティシア・ルー・フリューネと申します」


「ほう、そうか……エディットも親になったのか……。では、我々の心配も杞憂に終わったということか」


 フェリックスは冷静に答えると、ほんの一瞬だけ、少女の視線が左右に動いたのを見逃さなかった。

 やはり――という思いが心をざわつかせ、ジワリと滲むように後悔が腹の底から湧く。


「私には、分かりません。母が……幸せだったのか……婚姻関係を続けた理由も、父を本当に愛していたのかすら……分かりません。だから、杞憂に終わったのかすら知りません。だけど……母は死ぬ間際まで御二人の帰りを待っていたと聞きました」


「……そう、エディットは、もう……死んでしまったのね」


 リディアの声に反応し、フェリックスは後ろで手を組むと、拳を固く握りしめた。

 エディットの『大丈夫! 私は幸せよ』と言った言葉を信じた。

 その結果、娘の結婚を許し、帝国に残しても大丈夫だと……思っていた。

 けれど……その全てが、間違いであったのだと、今、突きつけられている気がした。

 だが同時に、目の前にいる少女が娘の忘れ形見であると思えば、色んな感情が渦巻く。


「……はい。最後は……延命治癒装置の中で、息を引き取ったのだと聞いております」


「そこまでして、生き長らえたかったのか……」


 レティシアは咄嗟にフェリックスを睨んだが、歯を食いしばると息を吐き出した。


「どう受け取るのかは御二人の自由ですが、母を侮辱することは、たとえ祖父母であっても許しません」


「言葉足らずだったな……そこまで、お前を1人にするのが心配だったのだな……と言いたかっただけだ」


 フェリックスが言い終えると、レティシアは淡々とした様子で、「そのようですね」と答えた。

 その瞬間、パンッと軽快な手を叩く音が空気を震わせ、2人の視線がリディアに注がれる。


「ささ、フェリックス様も、レティシアさんも、お話しするのならお座りになって」


「いえ、時間が」

「あなたが私たちに会える最後のチャンスよ。知りたいこと、聞きたいことが、他にもあるのではなくて?」


 リディアはレティシアの言葉を遮って言うと、軽く頭を傾けて微笑んだ。

 数秒の沈黙の後、レティシアは視線を落とし、「失礼します」と静かに告げてお辞儀をした。


「畏まらなくてもいいわ」


 リディアは軽く言うと、2人が着席したのを見届け、「さぁ、何が聞きたいかしら?」と尋ねた。


「では、改めて聞きます。御二人は、なぜ暗黒湖(テネクス)に入ったのでしょうか?」


「時間がないのだろう? 話せば長くなる」


 鼻を鳴らしてフェリックスが言うと、レティシアは奥歯を噛み締めて、深く息を吸い込んだ。

 そして、何度か深呼吸を繰り返し、一度、ゆっくりと瞬きをした。


「知らなければならないのであれば、知る必要があると思いますが?」


「……頑固だな」


 フェリックスの声に滲んだ呆れに気付いたリディアは、自然に口元を押さえて笑った。

 そして、柔らかく微笑むと、フェリックスとレティシアの顔を交互に見ては、ふふっ笑ってしまう。


「あらあら、それはフェリックス様に似てしまったのでしょうね」


 レティシアはリディアの様子を見て、このままでは主導権をとれないと踏んだ。

 そのため、彼女はテーブルの上に肘を着き、手を組むと話を切り出す。


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