第19話 ささやかな誕生日
神歴1489年3月5日。
いつものようにレティシアは目を覚ますと、まだ眠い目を擦りながらソファーに向かって「ルカ、おはよう」と言うが、どんなに待っていても返事がない。
まだ眠っているのかと思い、彼女はソファーの方を見るが、そこに彼の姿はない。
そのため、彼女は寝坊でもしたのかと時計を見るが、時計の針はいつも彼女が起床する時間を指していて、彼女は不思議そうに首をかしげる。
(何かあったのかな?)
暫くすると、レティシアの身支度の手伝いをするためにアンナが部屋を訪れた。
「アンナ、ルカ、しらない?」
レティシアはコテンと首をかしげながら、身支度してくれているアンナに尋ねた。
しかし、アンナは眉を下げて答える。
「すみません。わたしには、分かりません」
「そっか、アンナ、ありがと」
レティシアはそう言うと、考えるように何度か顎に触れる。
いつもルカがレティシアから離れる際は、彼はそのことを彼女に伝えている。
それがこの日はなかったことで、レティシアにも言えない何かしらの事情がルカにできたのだと彼女は考えた。
けれど、頭でそう考えていてもチクリと胸を刺す痛みに、レティシアは再び首をかしげる。
レティシアの身支度が終わるとアンナがレティシアに笑いかけたが、今の彼女はそれどころではない。
ルカと一緒に過ごすようになってまだ半月も経っていない。
それにもかかわらず、なぜ胸が痛んだのか彼女には理由が分からなかった。
レティシアが悩んでいると、アンナが不安気に話しかける。
「レティシアお嬢様、今お召しになっているドレスがお気に召さないのでしたら、他のドレスにお着替えになりますか?」
「――あっ、へいき!」
慌てて返事するものの、レティシアの表情は晴れない。
しかし、心配そうに見つめるアンナに気が付いた彼女は、ふわっと優しく微笑みかけた。
「ほんと。アンナ、わたしへいき」
「それでしたら良かったです。では、レティシアお嬢様少しだけお待ちください」
アンナはそう言ってドアの方に向かい、ドアを開けた。
すると、頃合いを見計らっていたかのようにルカが部屋に入ってくる。
さらにその後ろからエディットやリタ、そしてジョルジュとパトリックの姿があった。
部屋に入ってきた5人を見てレティシアは驚きのあまり、彼らの顔を思わず何度も見てしまう。
「レティシアお嬢様」
「「お誕生日おめでとうございます」」
アンナが合図のように言い出すと、それに続くようにその場にいた全員が声を合わせた。
「……本当は屋敷で働いてるみんなと一緒に、レティシアお嬢様に直接お祝いの言葉を述べたかったのですが、状況があまりにも状況ですので……。わたしがみんなの代表となりお祝いの気持ちと、プレゼントをお持ちしました!」
アンナはそう言って、リボンが付いた大きめの箱をレティシアに差し出す。
レティシアは目を見開いて驚いていたが、箱とアンナの顔を交互に見てから嬉しそうに微笑んだ。
「あけていい?」
「はい! もちろんです! もうこれはレティシアお嬢様の物です!」
レティシアは箱の蓋を開けると、中にはたくさんの手紙が入っていた。
そして手紙の下には、髪を結ぶためのリボンや、庭の花で作ったと思われる栞や花の種が入った種袋が入っている。
「アンナ、ありがとう」
「いえいえ! みんなにもお嬢様がありがとうと申し上げていたと、お伝えしときますね! それでは、わたしはあまり長居するわけにはいかないので、これで失礼します」
微かに涙ぐんだアンナは、そう言ってレティシアの部屋から出て行く。
「レティシアお嬢様、自分とリタさんとジョルジュ様からはこちらを」
パトリックは弾むような声で言うと、水色のリボンが付いた箱をレティシアに渡す。
胸が躍り出すように、彼はジッとレティシアが箱に巻かれているリボンを解いているのを見ている。
箱の中には、純度の高い水晶が入っていた。
水晶はこの世界の魔導士が、魔法を使う際に使用している杖やアクセサリーに使われることが多い。
また、水晶には魔法の威力を大きくする効果があるため、大掛かりな魔法を使う際にも使われる。
そして純度が上がるにつれて魔力が伝わる速度も変わるので、純度が高ければ高い程にその希少価値は上がり、宝石と同じように高価な物だ。
レティシアはパッと顔を上げて3人を見ると、彼らはにっこりと笑った。
しかし、彼女の顔は驚きと、困惑しているようにも見える。
なぜなら、決して安い買い物ではないことを、彼女は知っているからだ。
それでも、嬉しいとも思うと彼女は複雑だった。
『これ、高かったよね? ありがとうパトリック、リタ、ジョルジュ……』
「私もリタもパトリックも、レティシアお嬢様に喜んでもらえたのでしたら、嬉しい限りです」
ジョルジュが本当に嬉しそうに答えた。
こうなるとレティシアはエディットからも何かしらあるのでは? っと期待する。
けれど、エディットは少しだけ気まずそうにしながらレティシアを見つめていた。
その様子からレティシアはエディットからは何もないのだと思ったが、そのことについて彼女は特に気にしている様子もない。
レティシアはプレゼントをもらうことはあっても、こうやって誕生日の日に気持ちがこもったプレゼントをもらったことがない。
そのことから、これ以上は望んではいけないのだとも思う。
けれど……、モジモジしながら頬を赤らめたエディットは、綺麗な青いリボンが巻かれた箱をレティシアに差し出す。
「レティ……。私からはこれよ……いつもとあまり変わらなくて、残念かもしれないけど……お誕生日おめでとうレティシア」
レティシアは何も言わずにエディットから箱を受け取ると、俯きながらリボンをゆっくり解いて箱を開ける。
箱を開けるとフリューネ家の紋章であるホワイトドロップを、元にデザインされたネックレスがあった。
その花の真ん中には、ブルーサファイアが光り輝いている。
ホワイトドロップは、この世界に存在する花。
花びらは雪のように白く。
けれど内側を覗き込めば、中央に向かうにつれて花びらが青に変わっていく特徴的な花だ。
初めて本でこの花を見た時のレティシアは、地球にあったスノードロップに似ていると思った。
だけどよく見ると花びらがの枚数が8枚あり、雪が降る時にしか花を咲かせない、精霊の花と言われている花だった。
ネックレスを見つめるレティシアの目には、今にも零れ落ちそうなくらいの涙が溜まっている。
彼女が持っているドレスも宝石類も、全てエディットから贈られた物だ。
そのため、誕生日にエディットから何かもらえなくても仕方がないと考えた。
それにもかかわらず、エディットは特注で作ったネックレスをレティシアに贈っている。
親に誕生日を祝ってもらう。
親から誕生日プレゼントをもらう。
これは多くの文化や家庭で一般的な習慣なのかもしれない。
しかし、それが当たり前じゃないことを、レティシアは身に染みるくらい知っている。
だからこそ、彼女には何よりもその行動が嬉しかった。
『お母様! ありがとうございます!』
レティシアはそう言いながらエディットに抱きつくと、エディットは嬉しそうに抱き返した。
2人のやり取りを見ていた4人の目には、薄っすらと涙が浮かぶ。
だけど、レティシアを見ていたジョルジュが盗み見するようにルカの方を見ると、ジョルジュの瞳には後悔の色が浮かんだように見えた。
その後、リタが「ジャンからのプレゼントです」と彼に渡されたケーキと軽食をテーブルに並べると、みんなでささやかな誕生日パーティーをした。
「また後でね。レティ」
そう言いながらエディットたちは、昼過ぎにレティシアの部屋を後にした。
あまり長居して、ダニエルがレティシアの部屋を訪れても困るからだ。
エディットたちを見送ったレティシアがソファーでくつろいでいると、不意にルカがレティシアの手を取る。
「俺は、元々来る予定じゃなかったから、とりあえずこれな……」
ルカはどこか恥ずかしそうにしながらも、黒と青の糸で編んで作ったブレスレットを、レティシアの利き手とは逆の左手首に着けた。
「ちゃんとした素材で作ってないから、すぐに切れちゃうかもだけど……」
魔力が込められているわけでもない。
ただの糸で編んで作った物。
けれど、初めて会った日に憎悪を含んだ敵意を向けてきた彼が、レティシアのことを考えてお守りを作ったのだと思うと、彼女は嬉しかった。
『ううん! ありがとう! すごく嬉しいよルカ!』
ルカにもらったブレスレットを見ながら、レティシアは胸がポカポカするのを感じる。
ささやかであっても、たくさんの人がレティシアが生まれてきたことを祝ってくれた。
その事実が、彼女には何よりも嬉しい。
(後でみんなの誕生日も調べないとなぁ)
そう思いながらレティシアは余韻に浸る。
ソファーの近くには、プレゼントの包装紙やリボンがまだ置かれていた。
ルカは包装紙を折りたたんで片付け、レティシアはソファーに座っている。
時折、ルカの方から鼻歌が聞こえ、彼もレティシアの誕生日会の余韻に浸っているようだ。
『ねぇ。お母様が着けていた、あの赤紫の宝石が付いた指輪。変な感じがしなかった?』
エディットが着けていた指輪のことを考えていたレティシアは、突然幸せに満ちた空間を壊すようにそう言った。
しかし、すぐに自分の失言に気が付くと、テレパシーを使っていたのにもかかわらず、彼女は咄嗟に両手で口を押えた。
部屋の片付けをしていたルカは手を止め、唖然とした様子でレティシアの方を見ながら言葉を失っている。
時が止まったかのように、どちらも話そうとしない時間が続く。
けれども、ルカはやれやれと首を左右に振ると呆れたように話し出す。
「雰囲気、ぶち壊しじゃん……それ、今話題にしなくてもよかったことだよね?」
『ご、ごめん……。気になって……ついね』
レティシアがそう言って、申し訳なさそうに頭をかく。
その姿を見てルカは軽く息を吐き出すと、レティシアがもらったプレゼントを片付けながら彼は話を続ける。
「変な感じはした。けど、それがなんなのか、俺には分からない」
『ルカも分からないかぁ』
「ああ、分からなかった。――エディット様に内緒で覗くか?」
『魔力の流れ?』
「そう。違和感の正体が分からない以上、確認できることは確認しておいてもいいと思う」
『そうよねぇ……。でもルカはまだ瞳が淡く光るから、視るなら私だよね?』
「そうだな。まだ俺はおまえのように、上手くコントロールできない。だから、知られずに視るならおまえの方が適任だな」
2人はエディットが、ダニエルのことをどう思っているか知らない。
たとえ警戒していても、それは彼に対する気持ちがなくなったことにはならない。
もし仮に、エディットの中でダニエルに対する気持ちが残っていた場合、レティシアとルカが彼女から反感を買う可能性もある。
そのため、堂々と調べるのは避けるべきだと、2人は判断した。
『お父様が滞在している間は、お母様との接触も控えるように言われて、食事もこの部屋でとっているのに……、どうしよう?』
「問題はそこだ。今のおまえが入ることを許された場所は、この部屋か入るのに鍵が必要な書庫。そして、午前中騎士たちがいる訓練場だけだからな」
『うん。だからお母様と会う機会が全くない……。遠目に見た時にでも視るしかないわよね……』
「そうだな。遠目なら俺もできるから、精度が下がる代わりに2人で確認するしかないな」
この日、2人は書庫には行かずに部屋で過ごした。
レティシアの誕生日である今日は、少しだけ屋敷で働いている使用人たちの気持ちが浮き立っている。
そんな屋敷の中を歩き回るのは、控えた方がいいと2人で思った。
しかし、夜になってレティシアが眠った後。
ルカは窓の外に薄く気配を感じて、気配を消して少しだけ窓を開けた。
「ルカ様。蛇の女が見つかりました。しかしながら、一歩遅かったようです」
暗闇から微かにそう言う声が聞こえると、小さく折りたたまれた紙が現れた。
「こちらを……」
ルカは折りたたまれた紙を広げると、眉間にシワを寄せる。
レティシアの誘拐を企てた依頼主と思われる人物が、結晶化して亡くなっていたと、そこには書かれていた。
ルカは手にした紙を握り潰すと、彼の手は黒い炎に包まれ、紙は綺麗に燃え尽きる。
(まるでトカゲの尻尾だな)
「調べろ」
「お任せください」
窓を閉めてからソファーに寝転ぶと、彼は腕で目を覆った。
(何が起こってるんだよ……)
ルカはそう思うと、腕の隙間からレティシアが眠るベッドの方を見つめる。
その瞳には、様々な感情を映し出したかのように赤黒く見えた。
眠っていたはずのレティシアは、ゆっくりと瞼をあける。
(やっぱり、私の知らないところで何か起きていたのね)
彼女はそう思うと、瞼をゆっくりと閉じた。




