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13度目に何を望む。  作者: 雪闇影
6章

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第163話 過去の残像


 神歴1504年6月12日。

 周囲は静寂に包まれ、ただ風が心地よく吹き抜ける音が聞こえた。

 東の空は少しずつ明るくなり始め、薄っすらとオレンジ色やピンク色に染まる。

 それを、いやがるかのように西の空はまだ暗く、星が夜の終わりを静かに告げている。

 寂しげな足音が小さく聞こえると、ふと立ち止まる音が聞こえた。

 スラっと伸びた背筋はフリューネ家の別宅を見つめ、手には大きな荷物を抱えている。

 袖の隙間からは、緑の宝石を付けたブレスレットがちらりと姿を見せ、存在感を消しながら朝日に照らされ淡く光る。

 別宅に背を向けた男性は、少しウェーブがかったショートボブを風に揺らし、歩き始めた。

 朝日に照らされたダークグリーンの髪は、深みのある緑色がさらに際立つが、時折軽やかにも見える。

 それでも、遠ざかる背中はわずかに明るく、その顔には影が落ちているようにも見えた。


 窓辺で男性が遠ざかるのを見ていたレティシアは、軽く息を吐き出して歩き始めた。

 家の中はまだ薄暗く、静まり返った室内には小さな時計の音が響く。


『こんなところで見てないで、ちゃんと送り出せばよかったじゃない』


 ステラは呆れ気味に言うと、隣を歩く少女に視線を向けた。

 少女の表情は硬く、どこか迷いがないようにも感じられた。


『……必要ないわ。ニルヴィスは、自分のしたことから逃げなかったわ。だから、過去の自分とも向き合えるわよ……きっと……』


『ふーん。一度精神的に追い詰められて裏切った者は、また裏切る可能性があるって、レティシアは忘れているわね』


『……そうね、その可能性は、捨てられないわ』


『まぁ、そうなったら、ステラには関係ないけど。――それで、レティシアはどうするの?』


 淡々とした様子でステラが尋ねると、レティシアは少しだけ首を傾けてステラの方を向いた。

 そして、無表情で『今日も普通に学院に行くわよ?』と言った後、また前を向いて話を続ける。


『旅の準備はアランに任せてあるし、アルノエも動いてくれているから、何も問題ないわ』


『ステラは、今日もレイと一緒に出掛けるけど、何かやっておくべきことはある?』


 レティシアは、歩きながら顎にそっと触れると、思考を巡らせた。

 様々な考えが浮かぶが、そのいくつかは深い思想に落ちていく。

 それでも彼女は口を開くと、冷静に『そうね……イリナの件はどうなったの?』と尋ねた。


『それなら、レイが報告書をまとめて、結晶化した被害者の報告書と一緒に、レティシアの書斎に置いていたわよ』


『ありがとう、後で読んで置くわ。後、エティエンヌ・プロヴィルのことを、調べられるかしら?』


 レティシアの問いに、ステラは一瞬眉を(ひそ)め、考えるように『誰それ?』と聞いた。


『エティエンヌ・プロヴィルはイリナの祖父よ。貴族院議員として長年にわたり国の立法に関与し、多くの重要な政策や法律の制定に携わってきた人物よ。現在も議会に出席し、重要な議論や決定に影響を与えている人物でもあるわ』


 淡々とした様子で立ち止まったレティシアが話すと、ステラは彼女の考えが分かった気がした。

 しかし、それでもどこか腑に落ちず、彼女は眉間にシワを寄せると口を開く。


『……彼がルカの件に関わっているのか確かめれば良いの?』


『そんなところよ。頼めるかしら?』


 ステラは少し考え込むようにしながらも、次第に目を輝かせると首を少しだけ傾け、前足を軽く前に出す。


『ステラに任せて! 今、ステラには最強の助っ人がいるから、帝国でも潜入捜査が簡単になったわ!』


 ドアノブに手を掛けているレティシアは、ステラを見ながら微笑んだ。

 そして、彼女はそのままドアを開けると、『そう、それじゃ、後は頼んだわ』と言って部屋の中へと入って行った。



 一方その頃、レイは1人の部屋で報告書を見つめていた。

 そこに書かれていることは、どれも彼が知る情報だ。

 それでも、ルカの代理として動いている彼は、報告書に目を通し、自分の持っている情報と照らし合わせる。

 時間は刻一刻と過ぎ去り、アランの報告書を見て、彼は手を止めた。

 事実を濁した形で書かれており、重要なところが抜け落ちているのを見ると、アランがオプスブル家を警戒しているのが読み取れる。

 レイは並ぶ文字を見ながら一文をなぞると、悲し気に微笑を浮かべ、ゆっくりとした動作で口を開ける。


「闇の精霊……か……」


 微かに呟いた声は、窓を揺らした風の音に掻き消され、彼は窓に視線を向けた。


「もう、あの頃とじゃ、この国もだいぶ変わった……君もそう感じて生きてきたのかな……」


 レイはそこまで言うと、息を吐き出し、再び報告書に目を向けて文字をなぞった。


「まぁ、どれもある程度は僕の想定内だけどさ……僕がボクであるために、僕は君と距離を置いて、直接関わることを諦めた……でも、今のボクの願う望みが消えるなら……僕もボクであり続けるために、ちゃんと考えないとだね……」


 どこか儚げに彼は言うと、手のひらを見つめている。

 しかし、再び唇が動き始めると、何かを呟いているように見えたが、声は聞こえず、静寂が部屋を包み込む。

 暫くすると、彼が息を吐き出し、別の報告書を見始めていた。



 数時間が経った後、歴史を感じさせる屋敷の前で、1人の男性が息を吐き出した。

 彼は手に持っていた荷物に目を向けると、重たい息を再び吐き出した。

 風に揺られた髪は波を打つように揺れ、ダークグリーンの瞳にはわずかに恐怖心が浮かんでいるようにも見える。

 荷物を置いた彼は、微かに震える手でポケットから細いブルーのリボンを取り出すと、髪を一本にまとめてリボンで止めた。

 そして、手首に触れると再び荷物を持ち、息を吐き出して真っすぐに前を向き、しっかりとした足取りで歩き始めた。


 玄関の扉を開くと、ギィーっと鈍い音が静かな玄関ホールに響いた。

 出迎えてくれる声はなく、パタリと扉が閉まると、階段の方から足音が聞こえた。


「なんだ、誰か来たかと思えば、愚弟だったのか」


 冷たい声は玄関ホールに響き、男性と同じ色をした男性が階段を下りてきている。


「フレデリック兄さん、久しぶりだね」


「ふっ、何だ……やっとフリューネ家も少し考えを改め、弱いやを追い出すことに決めたのか。手始めに、ニルヴィスお前が選ばれたというところか?」


 ニルヴィスは奥歯を噛み締めると、静かにフレデリックを睨んだ。

 しかし、彼の気持ちとは裏腹に手足は震え、鼓動がうるさいと感じるほど、鼓膜に届いている。

 それでも、彼は冷静に「兄さんには、関係ないと思うよ?」と言うと、自分も声がわずかに震えていることに気が付いた。


「関係あるのか、それともないのかは、お前のような弱者が決めることじゃない。俺のような強者が決めることだ」


 フレデリックは一段、一段、階段を下りきると、ニルヴィスを少しだけ見下ろした。

 自分と同じ色の瞳に怒りが含まれていることに気付くと、一瞬だけ呆れて立場を分からせるために、愚弟の肩に手を置いた。

 そして、顔を耳に近付け「盗人は、家に帰ってくるより、自決すべきだったんだよ」と囁き、出掛けるために歩き出した。

 しかし、思い出したようにフレデリックは振り返ると、凍るような眼差しをニルヴィスに向け、薄っすら微笑んだ。


「そういえば、懲罰室……お前が出て行った日から、父上がお前のために一部屋空けてるんだ。言われなくても、大人になったんなら、どうすべきか分かってるだろ?」


 その瞬間、ニルヴィスの顔は青白く恐怖に染まった。

 手足はガクガクと震え、額から汗が伝い、目は瞬きを忘れたかのように、丸く見開かれている。

 まるで嘲笑うかのようなフレデリックの笑い声が響くと、彼はそのまま歩き出した。

 だが、カツンッ、カツンッ、とヒールで大理石の床を踏む甲高い音が聞こえ始めると、フレデリックの足が突然止まった。


「あら、フレデリック。こんなところで何をしているの? そろそろ、出掛ける準備をしなければ、遅れてしまうわよ?」


 アリストリドの冷たい声が廊下に響き、彼女の厳しい瞳がフレデリックを捉えた。

 しかし、その視線はニルヴィスに向けられることはなく、まるで彼が存在していないかのようにすら見えてしまう。


「分かってますよ。ただ……」


 フレデリックはそこまで言うと、アリストリドから視線を逸らし、愚弟であるニルヴィスに視線を向けた。

 震えて立っている姿が滑稽に見え、思わず頬が緩み、続けて冷ややかに「ニルヴィスが帰って来たので、話してたんですよ」と答えた。

 一方、アリストリドは蔑むような視線をニルヴィスに向けると、彼のポケットに見覚えがある封筒を見つけた。

 そのため、数歩前に出て封筒を手に取ると、封筒を開けて中身を読んだ。


「居なくなって清々していたのに、結局フリューネ侯爵家から追い出されて、この家に戻って来たのね……恥に恥の上塗りをするなんて……我が家の名が汚れるわ。本当に、産まなければ良かったと、何度思わせれば気が済むのかしら……」


 アリストリドは冷ややかな口調で言い放つと、まるでゴミを見るような視線をニルヴィスに向け、苛立った様子で強く息を吐き出した。

 けれど、再びカツンッ、カツンッ、と甲高いヒールの音が聞こえると、彼女はフレデリックの方に歩みを進めている。


「母上、本日はお出掛けの予定ですか?」


「ええ、今日はお茶会に御呼ばれされているのよ」


「そうですか、では、こんな所で気分を害されている場合ではありませんね」


「そうなのよ。オプスブル侯爵様の婚約者である、イリナ・モンブルヌ伯爵令嬢とこれから会うのに、とても気分が悪いわ」


「そうでしたか……ですが、それをニルヴィスに聞かせても良かったのでしょうか?」


「関係ないわよ……この婚姻が上手くいく前に、アルディレッド伯爵様がゴミは片付けると思うわ。それに……ニルヴィスはフリューネ侯爵様から不要と判断されたのよ。手紙にもそれがはっきりと書かれているわ。それなら、オプスブル侯爵様からも同様に見放されたのでしょう。両家から見捨てられたのなら、すでに貴族としても、1人の人族としても信憑性に欠けているわよ。それにね、2人の婚約はいずれ皆が知ることになるのよ?」


「ですが……」


「フレデリック、もう忘れてしまったの? フリューネ侯爵家とオプスブル侯爵家は、秘密を握る強者は手放したりせず、手放すことがあれば、処罰してきたのよ? 代わりに、騎士団に務めている領民や秘密に関わらない者たちは、追い出されてきたわ。領民ならまだしも、アルディレッドの名を持つニルヴィスが騎士団を解雇されたとなれば、貴族は誰も彼の言葉を聞かないわよ」


「そうですが……」


「領民が粗相をして追い出されたことはあるけど、貴族が追い出されたのはこれが初めてよ? そのことも、考えてみなさいフレデリック」


「分かりました。出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ございません」


「いいわよ。その代わり、モンブルヌ伯爵家まで送ってほしいわ。もしかしたら、我が家も深い結びつきができるかもしれないから、あなたを紹介しておきたいわ」


「ありがとうございます」


 2人の足音が遠ざかっても尚、ニルヴィスはその場に立ち尽くしていた。

 下を向く彼の表情は見えないが、青白い横顔や汗が首筋を伝う様子は見える。

 暫くすると、何人ものメイドや使用人が彼の横を通り過ぎる。

 だが、まるで彼が見えていないかのように振る舞い、彼に声をかける者は誰1人いない。

 深く息を吐き出す声が聞こえると、ニルヴィスが顔を上げて歩き出した。


 ニルヴィスがそのまま地下に繋がる階段を下り始めると、後ろではメイドたちが彼の歩いた場所を拭いていた。

 そして、地下に降りた彼は薄暗い廊下を進み、一室の部屋のドアを開けると、部屋に入って荷物を床に置いた。

 部屋には質素なベッドが1つだけ置かれ、幼い子どもが使っていたであろう木剣が、床に転がっている。

 壁には幼い絵が破られた状態で貼られており、長年使われていなかったのか、あらゆるところに埃が積もっている。

 唇を噛み締めたニルヴィスの顔はまだ青白く、手は小刻みに震えている。


 彼は部屋を出て行くと、廊下の突き当りまで進む。

 足音は鈍く響き、薄暗さの中には小動物の気配がわずかに感じられる。

 重たそうな扉を彼が開くと、壁には様々な鞭が並んでいるのが見え、天井からは鎖がぶら下がっている。

 そのまま彼は部屋の中へと歩みを進めると、扉は重低音と高音が交ざり合いながら閉ざされた。


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