第158話 秘められた思い
あれから、暫くしてレイはレティシアの手を引き、賑わいを見せる帝都の街を歩いていた。
通りには色とりどりの店が並び、香ばしいパンの香りや、新鮮な果物の匂いが漂っている。
さわやかに吹く風は、時折レティシアの髪をなびかせ、道沿いに飾られている花を優しくなでていく。
紅茶の香りが漂い始めると、レイはふと足を止めて「ここ、ボクのおすすめの店」とレイが微笑みながら指差す。
そこには、小さなティーサロンの店があり、彼は首を軽く傾けると店のドアを開けた。
レティシアは店の中に入ると、肺いっぱいに紅茶の香りが広がった。
棚には様々な紅茶が並び、いたるとこにアンティーク調の小物が置かれている。
落ち着いた雰囲気が心地よく、壁に飾られている絵も店内に温かみをくれる。
案内されて店の奥に行くと、そこには中庭が広がり、テラス席が設けられている。
レイはレティシアの手を離すと、彼女のために椅子を引いた。
彼女に戸惑っている様子は感じられず、彼は「どうぞ」と優しく言った。
彼女が座ったのを見届け、レイも席に着き「いつものを、二つ」と年老いた店主に告げ、店主は頭を下げるとその場を後にする。
レイは椅子の背もたれに身を任せながら息をつくと、静かに口を開ける。
「ここ、落ち着くでしょ?」
「ええ、とても落ち着くわ」
レティシアは落ち着いた声で答えると、辺りをもう一度見渡した。
中庭には小さな水飲み場があり、その周りには花々が咲いている。
大きな木は存在感を示し、木漏れ日が心地よく感じられる。
「時々、ここにも精霊たちが来るんだよ……エディット様が亡くなってからは、ここにも精霊は来なくなったけど……また最近は来るようになった」
「そうなのね……?」
レイはレティシアが首をかしげながらも答えると、テーブルに頬杖をついて首をかしげた。
彼女の姿が面白くて思わず笑みが零れ、薄紅色の瞳で彼女の様子を観察している。
それでも、彼女が眉間にシワを寄せると、彼は優しく尋ねる。
「理由が分からない? 教えてあげよっか?」
「教えてって言えば、教えてくれるのかしら?」
レイは、レティシアが怪しむように尋ねると、クスッと笑った。
そして、彼女に微笑を浮かべると話し始める。
「さっき、ひどいことを言ったから、特別に教えてあげる」
レイがそう言った瞬間、彼を取り囲む雰囲気はガラッと変わった。
まだ昼間なのに、まるで静かな夜の訪れを感じる。
薄紅色の瞳は、引き込まれるような錯覚にすら陥りそうだ。
「単純に、安心しきってたんだよ。精霊たちも。いや、精霊たちだから安心してたのかもね」
「どういうこと?」
レティシアが眉間にクッキリシワを寄せると、レイはおなかの上で手を組んだ。
「レティシアも知っての通り、帝国には様々な決まりごとがある。だけど、君が知ってるのはほんの一部に過ぎないとボクは考えてる」
レイは淡々とした様子で言い終わると、首を少しだけかたむけた。
そして、店主が注文の品を持ってくると「ありがとう、後はいつも通りね」と優しく告げた。
「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ」
店主はそう言って頭を下げると、店内へと消えていく。
しかし、先程まであったドアは忽然と消え、一気に緊張感へと変わる。
出口のない部屋に閉じ込められたような圧迫を感じるのに、無限に広がる空間にも思える。
風が吹き抜けると、木の葉が激しく揺れ、天高く空気を運んだ。
「雪の姫の物語は読んだことあるでしょ? 事実とは少し違うけど、あれは実際に起きたことを、初代の皇帝が描いた物なんだ。人々が忘れても、皇家がそれを忘れないために。それじゃ、初代皇帝はなぜ物語を描いたと思う?」
レティシアはレイが淡々とし様子で尋ねると、長い指で輪郭をなぞった。
初代皇帝の人なりを知っていれば、いろんな予測を立てられる。
しかし、彼女は資料や歴史の本でしか、初代皇帝を知らない。
そのため、考えられる範囲で答えるしかないと思い、在り来たりな答えを述べる。
「歴史的教訓を忘れないため? それとも、警告と戒めかしら?」
「それもあるけど、単純な話。人は力を欲する生き物だって知ってたから、権力に1番近い皇族を、自分の子孫を、彼は1番警戒したんだよ。だからこそ、建国前からフリューネ家に権力とある程度の権限を与え、オプスブル家にも同じように与えた。初代皇帝は最初から両家を守るためだけに帝国を作り、ゆくゆく皇家が両家に危害を当てるようなことがあれば、両家が独立できるように下準備を整えたんだよ。それを精霊たちも知ってる……精霊たちの王が決めたことだからね。だから、安心してたんだ。フリューネ家の者が、寿命前に死ぬことはないって思ってたから」
落ち着いた声で話したレイからは、これが事実だと思わせるだけの自信が満ちていた。
しかし、どこか腑に落ちていない様子でレティシアが「王?」と尋ねると、彼は首をかしげた。
「そうだよ、君が見えてる精霊たちが最初から自然に生まれたとでも? 原初の精霊がいなければ精霊たちは生まれてないよ。聡明な君なら、ここまで言えば分かるよね?」
「闇の精霊と、光の精霊ね? だけど、光の精霊は人になったんじゃないの?」
眉間にシワを寄せてレティシアが言うと、レイからはため息が聞こえた。
それでも、彼はカップを手に取ると、中に入っている紅茶を見ながら話し出す。
「そうだよ。だけど、精霊からしたら、姿形が違っても、彼らの王の1人っていう認識は変わらなかったんだよ」
「それは分かったけど、精霊たちがまたここに来るようになった理由にはなっていないわ」
レイは淡々と話したレティシアを見て、「なってるよ」と答えた。
しかし、彼女の様子から納得していないように感じられ、彼は口元に手を軽く当てた。
彼女のことを観察しながら、レイは冷静に「認識と、知識の差か……」小さく呟いた。
そして、彼は一瞬躊躇ったが、覚悟を決めて一呼吸つくと、真っすぐにレティシアを見ながら再び口を開く。
「君から見たら、精霊は幼いように感じるかもしれないけど、人と同じように彼らにも知性の差がある。だけど、知性の差があっても。彼らは世界の掟には従う。そして、大切だと思って、命を懸けて守ろうとした相手を忘れない。その相手の子孫も、絶対に忘れたりしない。彼らから見れば、君は雪の姫の子孫だし、君が好きで大切だと思ってる。そして、エディット様が死んでから、彼らは警戒してたんだ。そんな時に、ルカが記憶を失った。彼らからすれば、人は精霊と対立する意思があると考えてる。だから、何があろうとも彼らは君を守るために動く。そために、最近は彼らもここに来るようになったんだよ。彼らの理屈からすれば、ここはレティシアの家から近いんだよ」
レティシアはレイの話を聞き、納得はしたものの、新たな疑問が浮かんだ。
しかし、彼が最初から話さなかった理由を考えると、本当は話したくなかったのだと思った。
そのため、彼女は曖昧に尋ねる。
「あなたが、なぜ……とは聞かない方が良いかしら?」
「そうだね、できれば聞かれたくないかな」
レイは困ったように笑うと、彼女が何かしらに気付いていると感じた。
けれど、彼女がたとえ事実に気付いても、彼にはどうにもできないと同時に思う。
「……そう、それなら、私の予想は当たっているわね。それで、あなたも従うの?」
「ボクはルカと……ルカが大切に思う君が無事ならそれでいい。それが答えだよ」
「そう、それなら、もう1つだけ……ここの店主も精霊が見えるのかしら?」
レイはレティシアが尋ねると、深く息を吐いた。
彼女の聡明さを理解しているが、仮説を立てて結びつけるのは容易ではない。
きっと彼女はこの短時間で、店主と様々な条件を結び付けたのだろう。
それができたのも、彼女の高い洞察力だと考えれば、レイは内心で微笑んだ。
「ここの店の店主は、代々見えてるよ。そして、彼の家も代々精霊と契約を交わしてる」
「もしかして、ここに私を連れてきたのも、さっきの話をしたのも、お母様が関係しているの? 帝都に来ていたお母様が会っていたのは……彼なの?」
レイはレティシアが尋ねると、優しく微笑んだ。
彼女が今つらい立場にあるのは理解している。
その上で、自分の気持ちを押し付けたことに、彼は罪悪感を抱いたのだ。
そのために、少しでも彼女の心情が軽くなればと思い、この話を彼女に聞かせた。
「そうだよ……彼は何も話さなかったけど、彼と契約してる精霊はそう話してた。レティシアのことを、相談してたって……精霊が見えるレティシアはどうなるのかってね……」
「そう……そうなのね……」
レイは、どこか悲しそうでもありながらも安心した様子のレティシアを見て、少し役に立てた気がした。
「さっきのお詫びは、これで良いかな?」
レティシアはレイが微笑んで聞くと「ええ、ありがとう……あ」と言って、口を閉じた。
彼女はルカもこのことを知っているのか気になったが、「いえ、後は自分で確かめるわ」と答えた。
「ありがとう……ボクもレティシアがルカを待ってくれたら嬉しい」
レイは彼女の言葉を聞き、そう言うと優しく微笑んだ。
ルカにとってもエディットが大切な存在だと、レイも知っている。
だからこそ、彼女が聞きたかったことも理解できる。
しかし、彼女が聞かなかったことを考えれば、その答えはルカの記憶が戻るのを待つということだ。
レイはカップの紅茶を飲むと、安心して息を吐き出した。
空気は澄み渡り、圧迫感はもう感じられない。
レティシアが話し出すと、たわいもない会話が繰り広げられる。
それでも、2人の表情は柔らかく、時折笑い声が聞こえる。
穏やかな風が吹けば、ひらひらと花弁が空に舞った。
レティシアとレイが穏やかな時間を過ごす一方で、金の髪を少し揺らしながらルシェルがブティックから出てきた。
ルシェルの金の瞳は手元のデザイン画に視線を移し、彼の顔に満足げな笑みが浮かんだ。
広げたデザイン画を彼は大切そうに見つめ、息を大きく吸い込むと、微笑みが零れた。
デザイン画には白をベースにしたドレスが描かれ、金とシルバーの杢糸を使った精巧な刺繍が施されている。
金や青い宝石の配置や細かな装飾の指示が事細かく描かれており、彼がどんな思いで依頼したのか垣間見える。
ルシェルは一つ一つを確かめるように、そっと図案に触れた指で絡みつく様に何度もなぞっている。
その口元には意味深な笑みが浮かび、金の瞳はまるでこの場にいない人物を映しているようだ。
外でルシェルを待っていたウォルフは、ルシェルに近付くと話しかける。
「ルシェル殿下、お気に召す物ができたのですか?」
「ああ、このドレスを着た彼女の姿が待ちきれない……」
ルシェルはそう言うと、愛おしそうにデザイン画に触れた。
すると、ウォルフが覗き込むようデザイン画を見ようとして、銀髪はサラサラと揺れる。
描かれている考案図を見ると、ウォルフからはため息をこぼれた。
彼は軽く銀髪を整え、眼鏡の位置を戻すと口を開く。
「再来月ですよね? 直接、お声をおかけになった方がよろしいのでは?」
「いや……彼女も来てくれるさ。彼女に断る理由がないからね」
ルシェルがそう言うと、ウォルフは軽く額を押さえて頭を左右に振った。
そして、再び重い息を吐き出すと、呆れたように言う。
「前回も似たようなことを言ってましたが、結局来なかったじゃないですか」
「ウォルフ、あの時と今じゃ状況が違うんだよ」
デザイン画を見つめながらルシェルは言うと、丁寧にデザイン画を丸め始めた。
微かに紙が擦れる音がし、どこか名残惜しそうに彼は手元を見つめる。
そして、ウォルフが筒状のケースを渡すと、彼はそこに収めた。
「ありがとう。ウォルフはこれを先に持って帰ってほしんだ」
ルシェルは優しく言いながら、ケースをウォルフに差し出した。
「しかし!」
眉間にシワを寄せてウォルフが言うと、ルシェルはため息をついた。
そして、少し離れたところで控えている近衛兵を軽く示す。
「ほら、今日は護衛もいるから、大丈夫だよ」
ウォルフは示された方に視線を向けると、1人の男性が立っていた。
ダークグリーンの髪はキッチリ整えられており、ダークグリーンの瞳は周りを注意深く観察している。
「分かりました。先に戻っています」
ウォルフは諦めたように言うと、ルシェルに一礼して背中を向けた。
彼の足取りは重く、落ち着くために一息吐き出すと前を向く。
一歩踏み出して歩き始めると、先程の男性も歩き出すのが見えた。
男性が合わせて歩いていることに気付き、ウォルフは歯を食いしばり、男性を静かに睨み付ける。
徐々に2人の距離は縮まり、すれ違いざまに「弱い犬程、良く吠える」と言う声がウォルフの耳に届いた。
その瞬間、ウォルフはバッと振り返って奥歯をギリッと鳴らす。
固く握りしめた拳は震え、彼は怒りに任せて舌打ちすると、再び歩き出した。




