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13度目に何を望む。  作者: 雪闇影
6章

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第152話 対抗戦の余波


 対抗戦から数日過ぎた、神歴1504年5月26日。

 空は晴れ渡り、昨日まで降り続けた雨が嘘のようだ。

 太陽の光が優しく庭を照らし、鳥のさえずりが微かに聞こえる。

 対抗戦の初日、刺客からの襲撃を受けたレティシアは、結局ルカを見つけた少年を連れ、対抗戦を棄権した。

 その後、信頼できる医師とともに、レティシアは、2人の治療に当たった。

 フリューネ家を包む空気は重く、交わされる言葉も少ない。

 今もまだ眠り続けている少年と青年が、もたらした緊張感なのかもしれない。

 けれど、それだけではないと、この家の主であるレティシアの考え込む表情が語る。


 レティシアは、黒髪の少年の額からタオルを取ると洗面器に浸した。

 瞬時に手は冷たく凍え、タオルを絞る手は赤みを帯びている。

 それでも彼女は手を休めることなく、タオルを絞り直してから少年の額に戻し、彼の首元の汗を拭う。

 時折、少年の顔には苦痛の色が浮かび、レティシアは彼の状態を気にするかのように顔を覗き込み、彼女のできることをする。

 彼女は小さなテーブルにある紙に、「幸い魔力の枯渇はなし、体力が回復次第、熱は落ち着く」と書いてペンを置いた。

 淡々とした様子で看病する彼女は医者のようにも見え、転生で得た知識がそう見せているのかもしれない。


「ん……ここ……は?」


 少年の小さくかすれた声が、静かな部屋に響く。

 彼の薄紅色の瞳がゆっくりと開き、微かな光が差し込む部屋の中を見渡した。


「気が付いたかしら? ここはフリューネ家の別宅よ」


 レティシアは彼の顔を見つめながら答えた。

 彼女の声には優しさと安堵が含まれ、伸ばされた手は彼の状態を見極めようとする。

 脈を取る手は彼の心情を悟り、それでも彼の言葉を彼女は静かに待った。


「な……んで?」


 少年はまだ混乱している様子で、虚ろな目で辺りを何度も見渡す。

 だけど、意識がはっきりしてくると、彼の表情は心配の色が見え始める。


「オプスブル家まで送ろうかとも思ったけど、あなたもルカのことを心配していたから、ここまで運んだのは私の判断よ。一応、ジョルジュにも伝えたから、了承は得られているわよ」


「おじいちゃんが……そっか……ありがとう」


 安心したように彼は告げると、緊張から息を吐き出した。

 その瞬間、彼の肩の力が抜け、わずかに体がベッドに沈んだ。


「少しだけ起き上がれるかしら? 水を飲んだ方が良いわ」


 少年は重たい体を起こすと、彼女が水差しで水を汲んでいるのが見えた。

 水は微かにコポコポと音を立て、透明な水が透き通り、まっさらな気持ちにしてくれる。

 彼はコップを受け取ると、乾ききった喉を潤して「……ルカは?」と疑問をぶつけた。

 部屋に重く響いた声は、目に見えない緊張感をもたらした。

 ペンを持った彼女の手が動くと、サラサラとペンが走る音が響く。

 わずかに見える彼女の表情は曇り、下がった視線が悲しげに映る。


「……まだ、目を覚まさないわ」


「そっか……おじいちゃんは、なんて?」


 少年はコップに視線を移すと、静かに中身を見つめながらそう聞いた。

 淡々とした彼女の声は現実を突きつけ、最悪の事態を連想させる。

 手の震えに合わせて、小刻みに水が左右に揺れると、悲しみが波のように押し寄せる。

 それでも、彼女の表情を考えれば、少年は弱音を吐けないと感じた。


「力を使い過ぎたんだろうって言っていたわ。だけど……さすがに目覚めないから、心配はしていたわよ」


「そっか……ボクは、体調が戻ったら帰るよ……」


 彼は顔を上げてそう言うと、ロイヤルブルーの瞳と重なる。

 この真っすぐな瞳は変わらないのだと安心するとともに、彼女の言葉が予想でき、思わず顔を背けたい気持ちに駆られる。

 外の鳥のさえずりが微かに聞こえ、部屋の中は静寂に包まれている。


「ジョルジュから聞いたのだけど、ルカがこのまま目を覚まさなければ、あなたが彼の役割を果すのでしょ?」


「やだなぁ、そんな日は来ないよ」


 レティシアは顔を背けて笑う少年を見つめると、小さくため息をついてしまう。

 そして、焦る気持ちや絡まる思いを押し殺し、「茶化さないで」と冷静に告げた。

 それでも少年が拳を握ると、彼女は彼の不安を感じ取った。


「ルカが目覚めないことはない。もしボクに指示を出すなら、それはルカが目覚めるまでだからな」


 レティシアは彼の反応や言葉を聞き、自分の言葉で多少は少年を不安にさせたのだと思った。

 だけど、今の状況では、1人でも信頼できる人の手を借りたいのが本音だ。

 彼とは深い関わりはないが、これまでに少年が提示してくれた情報を考えると、信頼するには値する。


「分かっているわ。だけど、ルカが目覚めるまでに、やっておきたいことが山ほどあるの。手を貸してちょうだい」


「ちなみに聞くけど、父さんはなんて言ってた?」


 冷静な声で少年は尋ねると、静かに視線を上げた。

 彼女の迷いが感じられない瞳は、真っすぐに少年へと向いており、彼は心の中で息を吐き出す。

 きっと、彼女の真っすぐな態度が、ルカの心を満たしたのだと思うと、少しだけ嫉妬心が湧いてしまう。


「さぁ、そこはジョルジュに任せたわ。モーガンがルカのことをよく思っていないのは知っているし、私が言うより波風が立たないでしょ?」


「どっちにしろ同じだよ。ボクが領地で住んでた家、覚えてる? あれは、父さんと母さんが、おじいちゃんの反対を押し切って建てたんだ」


「それなら、尚更私が口出ししない方が良いわ」


 レティシアは、少年の言葉を聞くと、淡々とした態度で答えた。

 ルカの家庭が複雑なのことは理解している。

 けれど、そこまでしてルカの親が彼を避けることには、呆れるしかなかった。


 少年は彼女が一歩も引かないと知ると、諦めたように息を吐き出した。

 そして、素っ気なく「それで? ボクにしてほしいことって何?」と彼は尋ねた。

 すると、向けられているロイヤルブルーの瞳は、まるで彼の心まで見透かすような視線が向けられ、一瞬彼は息を呑んだ。


「対抗戦の警備がどうなっていたのか、調べられるかしら?」


「調べるまでもないよ。兄さ……」


 少年は途中まで言うと、ハッとした様子で口元を押さえて黙り込んだ。

 彼の顔には一瞬の動揺が見え、頬は微かに赤みがかかる。

 おもむろに彼は咳ばらいをすると、再び彼は口を開く。


「調べるまでもないよ。ルカでも同じことを言う。これには、明らかな思惑が潜んでる。だから、対抗戦の前に、ボクは君に忠告したんだ」


「そう。――それなら、怪しい人物はもう分かっているのね?」


 レティシアが淡々とした様子で尋ねると、少年は思わず鼻で笑った。

 彼女がした問いかけは、まるで彼の能力を見極めようとしているように感じられ、多少の不快感をもたらした。

 けれど、ルカの代わりに動くのであれば、それも当然かと思うと、彼は彼女に尋ねる。


「だいだいね。君が飛ばした黒蝶も、情報を掴んでるんだろ? 何が必要なの?」


 レティシアは、彼が黒蝶の存在を知っていることに一瞬驚いた。

 しかし、気配を消したルカを見つけ出したのを考えると、黒蝶に気が付いたことにも納得できる。

 彼女は、「彼らの裏に誰が居るのか、知りたいわ」と告げると彼の様子を(うかが)う。

 薄っすら笑みを浮かべる少年は自信に溢れ、幼い頃のルカとどこか重なる。


「それこそ、君はすでに分かってるんじゃないの? だから、学院に対して抗議する前に、繋がってるのか気になったんだろ?」


「そんな感じよ。出来るかしら?」


「それなら構わないよ。散歩のついでにでも、情報を集めるから……それよりさ、なんでここで話し込んでるの? ルカの所に行けよ」


 少年は冷たく言い切りると、スーッと彼女から視線を外して窓の外へと向けた。

 窓から見える景色は、オプスブル家とは違い、どこか温かい。

 手入れされた庭は、様々な花を咲かせ、聞こえる鳥の声も幸せそうだ。

 それでも、部屋を出て行く音もなければ、彼女の声も聞こえず彼は再び彼女に視線を戻した。


「なんだよ。黙るなよ」


 少年はぶっきらぼうに言うと、彼女の様子を(うかが)った。

 彼女からは迷いが感じられ、彼は胡坐をかくとその上で頬杖をついて尋ねる。


「もしかして、ルカに好きって言われた?」


 途端に彼女の頬が赤く染まっていくと、彼はニヤニヤとした笑みを浮かべた。

 ルカが自分の気持ちを明かしたと知り、嬉しくて思わず「ふーん。そっかそっか」と呟いてしまう。

 しかし、彼女が目を見開くと、それすらルカに見せたかったと思い、彼は彼女に種を明かす。


「なんで知ってるの? って顔してるね。ボクは、ずっとルカの背中を見てきたんだよ? たとえ話さなくても、周りがどんなにボクたちを遠ざけても、ルカがボクと距離を取っても、ボクは見てきたから知ってるんだよ。それで? なんて返事するの?」


「正直に言えば、分からないわ。彼に依存しているのか、それとも……彼のことが好きなのか……分からないの」


 レティシアは一瞬だけ悩んだが、ありのままの気持ちを吐露すると、視線を下げてしまった。

 自分の感情が定かではない場合、思いを伝えてきた相手に対し、曖昧な行動をすると相手を傷付ける。

 そのことは、恋愛感情に疎いレティシアでも、長い経験で学んだことだ。

 そのため、彼女はルカの元に行くのを躊躇(ためら)っている。


 少年はレティシアの言葉を頭の中で繰り返すと、「……そっか」と呟いた。

 彼が彼女の気持ちに答えを出すことは出来ないし、彼女の気持ちを誘導するのも違うと彼は思う。

 レティシアのことは、ルカを見ていたからこそ、たくさん知っていることもある。

 けれど、直接関わって来なかったからこそ、知っていることも正解だとは言えないし、不正解だとも思えない。

 彼は彼女に優しく微笑みかけると、安心させようと口を開く。


「さっきのレティシアの言葉を借りるけど、それこそボクが言っていいことじゃないね。いっぱい悩んでレティシア。大丈夫だから」


「使い魔のステラにも、同じことを言われたわ。だけど、悩んで他のことに手が付けられないのは、もうごめんだわ。みんなは、きっとこんな感情を抱いても、止まらずに向き合っているんだもの……私も立ち止まれないわ」


 少年はレティシアの様子を見て、静かに目を閉じると心の中でため息をついた。

 これまでのことを考えれば、彼女は今の状況を優先し、自分の感情を蔑ろにする。

 それは、彼が精霊や彼の力を通して見てきた世界であり、感じたことだ。

 瞼を上げると、少年は彼女を視界に映し、優しく語りかける。


「ガキからのアドバイスな。ボクはそれでもいいと思うんだ、手が付けられないのも、深く考えて答えが出なくて悩んでるからだと思うから……でも、それがいやなら、1つ1つ……ルカにどうなってほしいとか……ルカとどうなりたいとか……ルカの隣に立つのは誰が良いのか……考えてみて」


「ルカには幸せになってほしいわ……彼の立場では難しいかもしれないけど、笑っていられる日が続けばいいと思っているわ」


 少年はレティシアの言葉を聞き、優しく微笑を浮かべ「うん、それで?」と尋ねた。

 緊張したようにドレスを掴み、視線を上げない彼女は、年齢よりも幼く見え、成長段階なんだと彼は思う。

 そして、彼女の言葉が返ってくるのを、彼は優しく見守る。


「ルカとは、これからも支え合える関係性が良いと思っているの……私たちの立場だと難しいかもしれないけど」


「そっか……」


「ルカの隣は……分からないわ……彼が幸せなら、と考えたら……答えは出ないわ」


 レティシアはそう言うと、胸が痛んだ気がした。

 対抗戦の時に負った怪我はすでに完治し、この胸の痛みは心の痛みだと彼女は考えた。

 けれど、その部分を手で押さえても答えは出ず、考えれば考えるほどに痛みは増す。


「うん、それなら……いっぱい悩んで、考えて、自分の感情を大切にして、それが答えにもつながるから……それでも、答えが出なかった時は、ルカにありのままの気持ちを伝えてみたら?」


「それで、ルカは困らないのかしら……」


 少年は彼女の不安を感じ取って、もしかしたら自分と同じかもしれないと感じた。

 相手を思う気持ちが強く、自分の行動や言動が相手にとって、どうなのかと考えてしまう。


(ルカには避けられてるけど……ボクも……ルカには一回も迷惑だとか……存在を否定されたことはないんだよね……レティシアのことばかり、言ってらんないよね……それでも、今さらな気がする……)


 少年はそう思うと、感情を隠すように微笑むと彼女に尋ねる。


「レティシアは、ルカに気持ちを伝えられて、困ったの? いやだったの?」


「驚いたけど、いやじゃなかったわ……嬉しいのかと言われたら……分からないだけ……」


「ボクはね……ルカに会う資格がないと思う一方で、ルカと普通の兄弟みたいに、遊びたかったし、いっぱい話したかった。もちろん、おにちゃんとか、兄さんって呼びたいよ? でも、理由はどうあれ、離れて暮らしていたボクには、そんな資格もないんだ。だけどね……ルカが笑ってくれるのが嬉しくて、ルカの手助けになればと思って行動してきた。いまも、いっぱい話したいし、一緒の時間を過ごせればいいのに……って思ってる。ルカが大切だし、ルカには幸せになってほしいと思ってるよ」


 少年はそう言うと、大きく息を吸い込んで吐き出した。

 2人の間には静かな時が流れ、風が窓を優しく揺らす。

 窓の外から男性たちの声が聞こえ、わずかに静けさは失われる。

 それでも、2人の表情からは焦りの感情は見られず、どこか落ち着いているようにも見える。

 レティシアが息を吐き出す声が聞こえると、少年の小さな笑い声が部屋に響いた。


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