第146話 戦う覚悟と仲間
葉を伝い雨が地面へと落ち、吹き抜ける風は雨の匂いを運び、微かな匂いを書き換えていく。
先に行かせた3人の匂いが感じらず、レティシアの表情は曇っていく。
降り続けている雨は視界を奪い、焦る気持ちとは裏腹に体温を奪い続ける。
水分を含んだ地面は音立て、耳に届く情報を増やしていく。
雨を含んだ編み込みのブーツは、レティシアの気持ちを表すかのように重い。
それでも前を向いて走る彼女の瞳が、やがて3人の少女を捉えた。
さらに速度を上げた彼女は、前を走る3人に追い付こうと足を前へ前へと運ぶ。
「カトリーナ、リズ、エミリ!」
突如背後から声がすると、カトリーナとリズは振り返り、エミリが少しだけ遅れて振り返った。
しかし、3人は同時に口を開き、雨音に声をのせる。
「レティシア様!」
「レ、レティシア様、ご無事だったんですね!」
「レティシア様、遅いからうちら心配してたんだよ?」
レティシアは彼女たちに追い付くと、わずかに肩で息をしながら彼女たちに視線を向けた。
上から下まで観察するよう見ると、安心したように短く息を吐き出した。
「ごめんなさい。あの後、何か変わったことはなかったかしら?」
「うちらの方は、特になかったよ? なんかあったの?」
リズは首をかしげながら答えると、レティシアが安心したように微笑んだ気がした。
「何事も無かったらそれでいいわ……本当にあなたたちが無事で良かったわ」
「レティシア様、これからどうしますか? このまま、集合地点に向かいますか?」
レティシアが合流したことによって、先までの不安は消え去り、カトリーナは柔らかい表情で尋ねた。
しかし、徐々にレティシアの表情が曇ると、カトリーナは胸がざわつく感情を覚えた。
「そうね、集合地点には向かうわ。だけど……」
カトリーナはレティシアが言い淀むと、胸のざわつきが大きくなるのを感じた。
ざわつきは不安へと変化し、レティシアの顔を見つめながら彼女の名を呼ぶ。
「レティシア様?」
レティシアは、カトリーナの不安を感じ取り、諦めたように息を吐き出した。
出来ることなら、この状況で3人を不安にさせたくはないのが本音だ。
1人で対応できれば、彼女の背後にはルカも控えている。
そのことも考えれば、言わないという選択肢もある。
しかし、予期せぬことが起きるとは言い切れない状態で、それでは危険だと理解はしている。
「隠しても仕方ないわね。行動を共にするなら知っているべきだから話すけど、私に対して刺客が放たれているわ」
淡々とレティシアが告げると、3人は口元を押さえた。
「ど、どうして……」
「この会場に、部外者は入って来られないはずじゃないの?」
驚いた様子でエミリが声を上げると、リズの落ち着いた声が続いた。
「本来ならそうなのでしょうね。でも、実際に刺客が送り込まれているわ」
学院の対抗戦は部外者の侵入がないように、対抗戦中は厳重な警備がされている。
それにもかかわらず、刺客が放たれたということは、その警備が機能しなかったことになる。
その事実が彼女のたちの背中をなぞり、途端に恐怖が支配下を増やそうと腕を広げていく。
「そんな……」
口元を押さえながらカトリーナが呟くと、レティシアは静かに目を閉じた。
(彼女たちからは恐怖が感じられるわ、それなら一緒に行動するのは危険だわ)
「あなたたちは集合地点に向かいつつ、もし私が再び刺客に襲われたら、あなたたちにはそのまま逃げてほしいの」
レティシアの声はあまりにも優しく、けれど彼女たちに現実を突きつけるのには十分だった。
降り続ける雨は心まで凍えさせ、雨音は騒がしく耳に届き続ける。
カトリーナは手のひらを見つめていると、震える小さな手が重なって見えた。
(フェラーラ家は、お爺様が若い頃に爵位を買って、それから貴族の仲間入りを果たしたわ。だけど、周囲から向けられる視線は、偏見や疎外感が含まれていて、幼いワタシは貴族の集まりでは孤独だった……リズやエミリが学院に来なかったら……レティシア様に会わなかったら……きっと、今もワタシは貴族の中で孤独だったわ……あの頃と今の状況は違うけど……誰かの存在が力になるわ)
カトリーナはそう思うと、拳を握って真っすぐにレティシアを視界に入れた。
「できません! そのようなお願いは聞けません!」
「カトリーナ、あなたたちがいたら、私はあなたたちも守らなきゃいけなくなるの、分かってちょうだい」
感情的に言い放ったカトリーナとは違い、レティシアの声はとても落ち着いていた。
しかし、リズは微かに微笑んだレティシアに対し、厳しい視線を向けた。
ゆっくり開いた口は、フーッと息を吐き出し、空気を震わせる声に変わる。
「レティシア様、聞いていい?」
「ええ、答えられることは答えるわよ」
リズの瞳にはわずかに恐怖が見え隠れしているが、レティシアに向けている視線はとても落ち着いたものだ。
彼女は真っすぐロイヤルブルーの瞳を見つめ、淡々とした様子で聞く。
「例えば、うちらが逃げ出して、人質に取られたらどうするの?」
レティシアはリズの言葉を聞くと、スーッと微笑みが消え去った。
最悪の場合を想定していたのはリズだけではなく、レティシアも同じだった。
しかし、今から別々に行動しようとも、共に行動しようとも、襲われた時に3人だけ逃げ出そうとも、その可能性はあり得る。
それでも、どんな状況だとしても彼女の意志は変わらない。
その事を証明するかのように、レティシアは真剣な眼差しをリズに向けた。
「もちろん、その時は助けるわ」
短くも冷静で落ち着いた声には、確固たる自信が感じられる。
「それならさ、一緒に行動して一緒に戦った方が良いんじゃない?」
リズは少し息を飲みながらも、毅然とした態度で問いかけた。
その言葉には状況を冷静に判断する意志が込められていた。
「だから、あ」
「レティシア様、うちは騎士団に入る覚悟あるんだ。今さら自分の命だけが可愛いと思ってない」
リズはレティシアの言葉を遮ると、冷静に言い切った。
彼女の瞳からは、未だに恐怖の色が見えるが、彼女の声からはそれは感じられない。
4人の間にはわずかな緊張が流れ、それを表すかのように空は青白い光が走り、雷鳴が彼女たちの耳に届いた。
レティシアは深いため息をつくと、先程までとは違い、冷たくもハッキリとした態度で告げる。
「それでも、経験も実力も乏しいあなたたちが、実戦で一体何ができると言うの?」
「そ、それは、分かりません。で、ですが、私たちも学院の学生です。た、民の前に立つ覚悟をもって、学院に入学しました!」
ハッキリとした意思をもってエミリが告げると、赤くなった顔を隠すように下を向いた。
その瞬間、カトリーナがエミリの右肩に手を置き、レティシアの方に真剣な眼差しを向けた。
「レティシア様、私たちのこと仲間だと、友だと思っていないのですか?」
「もし、友達だと思ってるなら、うちらのこと、頼ってもいいんじゃない?」
リズはそう言うと、エミリの左肩に手を置いた。
その声には迷いがなく、瞳はレティシアを映し出す。
「危ないわよ? それでもいいの?」
「はい!」
「も、もちろんです」
「頼ってよ」
レティシアの声は冷たさが感じられたが、それでも3人は躊躇することなく答えた。
一向に止むことのない雨は厳しい現実を突きつけ、空を走る稲光は彼女たちに危険を伝える。
それでも、レティシアは重たい息を吐き出すと、諦めたように後頭部を軽くさわった。
「分かったわ。でも、これだけは約束してほしいわ。本当に危険だと思ったら、逃げてちょうだい。相手はプロよ」
「分かってるって、そん時はレティシア様を引き摺ってでも逃げるよ」
リズは明るく答えると、ニコッとレティシアに笑って見せた。
レティシアが困ったように笑うと、彼女は「まぁ、諦めて引き摺られて」と言葉を続けた。
「分かったわ。だけど、私のことは本当に心配いらないわ。だから、いざという時は迷わないでほしいの。一番に考えるのは自分の命よ。死んでしまったら、その時点で全てが終わるわ。どんなに後悔しても、どんなにやり直したいと願っても、二度と同じ時間は戻って来ないわ」
レティシアの言葉は重く、3人は息を呑み込んで頷くしかなかった。
彼女の言っていることは至極当然のことであり、厳しい現実を冷静に伝えている。
しかし、彼女の力強い眼差しからは、日常が当然ではないことが伝わる。
それゆえに、3人は顔を見合わせると、判断を間違えれば、同じ顔ぶれが並ばない現実を考えた。
「実戦経験が乏しいあなたたちでは、いざという時の判断は難しいと思うの。そのため、戦闘の時は常に最悪の事態を考えなさい。そして、危険だと判断したら、自分の判断を疑わずに、逃げなさい」
レティシアはそう言い切ると、深く息を吐き出して集合地点がある方角を向いた。
彼女に向けられた視線が彼女に程よい緊張を与え、冷たい雨が頭をクリアにしていく。
瞼を閉じると、聞こえる雨音の中に自分の鼓動が聞こえ、不安や恐怖が微かに渦巻く。
仲間が一緒の場合、それは確かに力になるが、それと同時に責任が伴う。
ひとつ前の生を考えれば、あの時の後悔や悲しみが蘇る。
それでも、3人の判断を信じて進むしかないのだと思い、レティシアは前を向いて歩き出した。
『……レティシア、あまり思い詰めるなよ。判断が鈍る』
不意にルカの声が聞こえ、レティシアは足が止まりそうになる。
しかし、彼女は『そうね……私の背中はルカに任せるわ。信じているわよ』というと駆け出した。
背後からは3人の足音が聞こえ、彼女は振り向かずに前だけを見つめる。
黒い灰色の空には、稲妻の閃光が映し出され、少し遅れて地響きに似た轟音が耳に届く。
足元からは水分を含んだ音がし、遠くでは魔法の気配が感じられた。
だが、その気配が遠ざかることはなく、数分もすればレティシアの警戒範囲内に入った。
その瞬間、彼女は眉間にシワを寄せて舌打ちをした。
(時間を掛け過ぎたわ!!)
『ルカ、数7! どれだけ対応できる!?』
『分かってる。相手の実力が分からない以上、一気に沈める! おまえたちは距離を取れ!』
『分かったわ!』
「来たわ! このまま一気に集合地点に向かうわ!」
レティシアが振り返らずに告げると、一気に3人に緊張が走る。
振り返りたい気持ちが湧くが、それを悟ったかのように「振り向くな! 前だけ見て!」とレティシアの冷静な声が続いた。
そのため、振り向きかけていたカトリーナは前を向き、後ろを気にしていたリズの頬には汗を含んだ雨が流れた。
レティシアはさらに速度を上げ、ルカとの距離を取ろうとする。
3人が必死に彼女を追い駆けていたが、上がったスピードが彼女たち体力を急速に奪っていく。
レティシアは意識をルカの方に向け、魔法の気配や敵の気配で状況を整理していた。
敵の数は5人だが、1人1人適切な距離が取られ、まるでバラバラに逃げた時を想像していたかのようだ。
その事から、共に行動すると選択したことは間違っていないのだと分かる。
しかし、レティシアの警戒範囲内から1人また1人と消えていくと、ルカが苦戦もしくは一気に対応できなかったことが分かる。
その原因に、レティシアたちがルカとの距離を開けるのに、予想以上に時間が掛かってしまったことが考えられる。
レティシアは顔を苦々しく歪め、苛立ちを込めて再び舌打ちをした。
(このまま集合地点へと向かえば、3人以外にも巻き込んでしまうわね)
レティシアは冷静に考えると、覚悟を決めて話し出す。
「エミリ、先に行きなさい。この状況を殿下たちに伝えなさい。リズ、カトリーナ、2人は一緒に敵を迎え撃つわよ」
一瞬の静寂が流れたと錯覚するくらい、レティシアの声は落ち着いていた。
しかし、レティシアが足を止めると、リズとカトリーナも瞬時に足を止めた。
レティシアたちを追い越したエミリの目には涙が浮かび、すれ違いざまに見せた彼女の顔は悲しみに濡れていた。
先に行かせたからといって、危険が完全になくなったわけではない。
もしかしたら、彼女が進む先に、別の危険性が潜んでいる可能性もある。
それでも、他の仲間が今の状況を知らなければ、最悪の事態も考えられるのだ。
「リズ、カトリーナ、悪いわね。今後方で、こっちに向かいながらルカが対応しているわ」
淡々とした口調でレティシアが告げると、納得したかのようにカトリーナが後方に視線を向けた。
雨が頬を伝い、冷たい滴が地面に落ちるとカトリーナはゆっくり瞬きをした。
再び開かれたには、明らかな覚悟が見える。
「やっぱり、ルカ様がこちらに来ていたのですね。そもそも、ワタシはこうなったことを気にしてませんわ」
同じように来た道を見つめるリズは、背伸びを始めた。
緊張で固まった筋肉を解すかのように腕を伸ばし、ゆっくり首を左右に傾ける。
手のひらまで伸ばすと、彼女は重たい口を開く。
「気にしなくていいよ、レティシア様。最初に別行動した時から、違和感はあったんだよ」
2人の声はとても落ち着いており、そのことが今の状況との温度差を生み出す。
しかし、レティシアは2人を見ることもなく、ルカがいる方向を見つめて話し出す。
雨を横から殴りつけるような風が吹くと、より一層雨の匂いが強くなる。
「今さら言わなくても分かっているとは思うけど、相手はプロよ。下手な小細工は通用しないと考えていいわ。だけど、ルカがいることで、通用する小細工もあるわ。カトリーナ、ここら辺の地面一帯に土を含んだ水の膜を貼れるかしら?」
レティシアの声が耳に届き、カトリーナは一瞬考え込んだ。
曖昧な答えは危険を生み、自分の実力以上の答えを出せば、確実に死が待っている。
彼女は今の状況と、自分の能力から導き出した答えを、確かな自信と決意を込めて口にする。
「幸い雨が降っているので、可能です」
「それなら、私があなたの存在を出来るだけ隠すから、やってちょうだい。リズは私と一緒に相手を迎え撃つわよ」
リズは片手で拳を握りしめ、もう片手で受け止めると、自信を込めた表情で答える。
「任せて、正面からの戦闘の方が自信あるから」
「ええ、知っているわ。だけど」
「いざって言う時は引くよ、大丈夫。安心していいよ」
レティシアはリズの言葉に短く頷き、冷たい雨の中で再び前を見据えた。
「ありがとう」
(既にルカが2人を始末しているのを考えると、残るは4~5人ってところかしら? カトリーナが地面一体に幕を張ってくれれば、ルカも闇の魔法を忍ばせやすくなるわ。私も私で違う使い方もできる。ただ相手の実力が分からない以上、リズに1人で戦わせるのはリスクがあるのは仕方ないわね)
レティシアはそう思うと、カトリーナを隠すように魔力遮断結界を使った。
瞬時に半円はカトリーナを覆い、彼女の気配と魔力を隠す。
これはどの属性にも属さないため、対抗戦のことも考えれば最善の選択だ。
そして、戦闘中の魔力遮断結界の使い方としては正しいのである。




