第139話 見えない真実と疑惑
あの後、レティシアはリリーナから指示が出されることはなかった。
時間だけが過ぎていく中で、1人の女子生徒が女性教師を見ながら立つ尽くしていた。
その姿は他の教師から異様な光景として映り、結局そんな彼女をラウルが呼び寄せた。
そして、彼女にリリーナとエディットの間に、対立があったかもしれないと彼は話した。
「……当時なら、まだ噂があったかもしれないけど、お母様が領主になってからだと……もしかしたら、情報は隠されているかもしれないわね」
独り言を言うようにレティシアが呟くと、ラウルはそれに対して答えるように口を開く。
「はい、そのような話は不利益に繋がるので、その可能性は十分に考えられます」
まさか返答があると思わなかったレティシアは、驚いたようにラウルの方を見た。
それから、小さく息を吐き出すと、彼女は小声で尋ねる。
「それより、ラウル様は彼女と同僚として話したんですよね? それなのに、私に彼女との会話の内容を話しても良かったのですか?」
「正直悩みましたが、レティシアさんの様子が少しばかりいつもと違ったので、すでに彼女と何かあったのかと思いまして……」
目を伏せてラウルが小さな声で答えると、レティシアは軽く悩むようにして顎に触れる。
「そうですね……何もなかったとは言えません」
「やはりそうでしたか……」
ラウルは忠告が無駄だったと知り、残念そうに呟いた。
「ラウル様の話を聞く限り、リリーナ先生はエディットに対して何かしら敵対心を持っていることで、余計にダニエルの話を鵜呑みにしているのだと感じました」
淡々とした様子で話すレティシアの声は、客観的に物事を見ているのだと感じられる。
家庭環境がそうさせたのか、それとも元々彼女がそういう性格だったのかは、それはラウルには分からない。
彼は俯いたまま、少しだけ頭を触りゆっくりと口を開ける。
「そうなんですね……正直、フリューネ家でどのようなことがあったのか、それは私には分かりません」
「普通はそうだと思いますよ。人の家庭環境は、本人が語らなければ他人には分かりません。そのため、片方の話だけを鵜呑みにして、リリーナ先生のように安易に信じてはいけないのだと思います」
レティシアがそう言うと、顔を上げたラウルは彼女の方を見た。
これまで、彼女の口からフリューネ家の事情は語られることがなかった。
そのため、真実を知る者も少なく、どちらかと言えば、ダニエルの話に同情している者も多い。
「ということは、ダニエル様がヴィオレッタ先生に語ったことは、間違っているということでしょうか?」
思わずラウルは尋ねたが、彼女とダニエルが合わなかった期間の方が長いのを思い出した。
そのため、彼は顔を歪めると、慌てたように頭を押さえた。
「あ、すみません……レティシア様も幼かったので、覚えていらっしゃいませんよね」
申し訳なさそうにラウルが言うと、レティシアは左耳に着けた青と緑のピアスに触れた。
確かに当時の彼女は幼かったが、それでも父親の記憶が全部ある。
そのため、当時ピアスから聞こえたことは、何ひとつ忘れてなどいない。
「……私の記憶にあるお父様は、傲慢でカッとなれば子どもに対しても手を上げるような人です。また、お父様は自由にできる金も渡されなかったと言っていたみたいですが、領地経営に関するお金を “お金があるから” という理由で、領主の好き勝手に使っていい物なのでしょうか?」
冷静な口調でレティシアが尋ねると、ラウルは首を横に振った。
「それは違いますね。確かに領主は、領民よりお金を持っています。しかし、そのお金は贅沢や私利私欲のためだけに使われるものではありません」
レティシアは「そうです」と言いながら頷くと、落ち着いた様子で話を続ける。
「少なくとも、私はお母様がお父様にお金を渡さなかったことに関しては、正しいと判断しています。それに、お母様は我が家の収入を、お父様の愛人に注いでしまうような人じゃなかったので」
あの頃、エディットがダニエルを愛していたのか、それはレティシアには分からなかった。
そして、この世からエディットが居なくなった現在も、当時のエディットが抱いていた気持ちが分かる者はいない。
「そもそも、この帝国では愛人の存在は許されていませんので、私もエディット様の判断は正しいと考えています」
ラウルはきっぱり言い切ると、ふわっとレティシアが微笑んだ。
「ありがとうございます」
彼女の笑みは年相応に見えたが、次第に表情は硬くなり、ゆっくりと視線を下げた。
口を閉ざした少女は、人差し指の背で何度か顔の輪郭をなぞり、一点を見つめている。
しかし、ふと指の動きが止まると、少しして彼女はゆっくりと顔を上げる。
「話は変わりますが、ラウル様に頼みごとをしても良いでしょうか?」
「私ができることは少ないので、お役に立てるか分かりませんが……それでもいいのでしたら……」
戸惑った様子でラウルが答えると、一瞬だけ視線を下げた彼女は口を開く。
「では……例えば、Bクラスの得意属性を再測定してほしいと言ったら、それは可能ですか?」
レティシアの発した声は小さかったが、ロイヤルブルーの瞳は真剣だ。
訓練場に集まり始めた生徒たちの声が聞こえる中、2人の視線が重なり合う。
すると、魔塔でも働くラウルは、眉間にシワを寄せると目を細めた。
「難しいですね……そもそも、測定に使われる水晶は誤診がありません。そのため、再測定するとなると、正面からヴィオレッタ先生に疑問を投げかける行為となります」
彼の返答は、魔塔で働く者としては間違っていないのだろう。
しかし、今世で2度水晶を使って測定したレティシアは、水晶の測定結果を2度も自分で選んできている。
そのため、絶対に誤診がないと言えないことを知っている。
だが、その事実を公けにすることは、彼女にとって不利益にしかならない。
(そもそも、水晶での得意属性検査は、魔力を流した時に含まれる本能的な属性に反応しているだけだわ。だから、光や闇も含めた全属性が使える者は、たとえ無意識であっても、その属性に完全に染まるから本能的な属性は存在しない。本来なら、私のような者は水晶が光ることもないわ)
レティシアはそう思うと、思考するように軽く指で顎に触れた。
もし、ライラがレティシアのように、光や闇の属性も使える全属性もちなら、水晶は光らなかった可能性がある。
しかし、水属性に組み分けられたのを考えれば、水属性だけ使う戦いにおいては、何も気にせずに魔法が使える。
けれど、レティシアの見ている前で、彼女は1度も魔法を使っていない。
そのことから考えられることは、ライラは全属性もちでもなければ、得意属性が水属性じゃないということだ。
もしそうであれば、魔法を使った瞬間にそのことが露見する可能性もある。
そのため、測定の段階でなんらかの不正があったと、レティシアは考えている。
だが、ライラが魔法を使わない以上、そのことを証明する手立ては再測定しかない。
(この世界で、相手が魔法にどの属性が交ざっているのか、それが分かる人は少ないわ。それでも、私やルカのように魔法の性質が視える人じゃなくても、魔法の性質を感じ取れる人は存在する……そのことを、ライラは警戒して魔法を使っていないのかしら?)
正直なところ、ライラが本当の得意属性を偽っていようとも、特にレティシアは気にもしていない。
しかし、得意属性を偽るために、戦いの場で逃げ惑い、仲間を盾にするライラの行動は、最悪の場合を考えれば危険でしかない。
レティシアはそのことを懸念し、最悪の事態を考えているのだ。
「そうですか……それなら対抗戦では、回復魔法が使える者と、回復薬を充実させた方がいいと思いますよ……少なくとも、戦場を想定した対抗戦なら、最悪の場合は……死人が出ますので……」
彼女はそれだけ告げると、訓練場に入って来た生徒たちの元へと向かう。
口元は固く結ばれ、ひたすら何かを考えているようにも見える。
けれど、多くを語らない彼女が何を考え、何を思うのかラウルは分からない。
「レティシアさん、あなたは出会った頃と何ひとつ変わらないですね……あなたに対して恋愛感情はありませんが、ライアン様の許しさえあれば、本当にあなたをガルゼファ王国の妃に迎えたいところですよ……」
ラウルは静かにレティシアの背中を見つめ、囁かれた声は生徒たちの話し声によって搔き消された。
彼女に恐ろしい一面があることは、共に過ごした時間があるから知っている。
それでも、聡明なところや冷静な判断、そして彼女の洞察力を考えれば、それは大した問題にもならない。
むしろ、共に王国を治める妃として考えれば、彼女のような者の方が相応しいとすら彼は考えている。
ラウルはレティシアに背を向けると、彼女とは反対方向に歩み始めた。
(レティシアさんが警告したのなら、何かしら対抗戦で起こるかもしれませんね……それにしても、魔塔でライアン様と一緒に研究をなさっていた彼女が、Bクラスの再測定を申し出るとは考えてもいなかったですよ……)
ラウルはそう思うと、突然足を止めて勢いよく振り返った。
生徒たちの元へと向かう少女の髪はサラサラと風になびき、小さな背中は多くを語らない。
ラウルの額には汗が滲み、微かに笑みを浮かべた口元はわずかに上がる。
鼻歌が聞こえ始め、彼の頬は嬉しそうに緩む。
しかし、その表情は暫くすると消えさり、無表情で彼は振り返った。
そして、記憶にある幼い少女を、追い掛けるように再び歩き出した。




