第133話 会議室と移住問題
レティシアたちは帝都を出発してから、初日と同じように村や町に立ち寄った。
そして、4日後の夜遅くにフリューネ領に着いたが、比較的安全な旅だったと言える。
道中で襲われることがなかったのは、移動空間魔法の影響も少なからずあるのだろう。
翌朝の4月4日、レティシアとルカは移住希望者と面談するために、会議室に向かっていた。
白い廊下は隅々まで掃除され、季節を感じさせる花が飾られている。
「レティシア、面談するの初めてだろ?」
全身黒い服を身に纏ったルカは、何気なくレティシアに尋ねた。
すると、落ち着いたドレスを着た彼女の顔には、ニヤリとした笑みが浮かぶ。
「ええ、だけど問題ないわよ。何を聞くのか、1人当たりにどれだけ時間を掛けるのか、それも考えて予定を組んだもの」
自信たっぷりにレティシアが答えると、少しだけ口元を隠したルカがクスッと笑った。
「それなら、お手並み拝見だな。俺は護衛という立場だから、簡単に口出しできないのを忘れるなよ」
話ながら歩く2人の後ろには、書類の束を抱えて歩くフィリップの姿があった。
仕立てが間に合わず、ルカが昔使っていた黒服を着て歩く姿は、服装とは違って頼りげがなく、どこか自信がなさそうだ。
最近までダニエルの元にいた少年を、なぜ同席させるのか使用人からは疑問の声が上がった。
しかし、レティシアはそれらの声を聞いても尚、彼に同席するように求めた。
彼女にどのような意図があるのか、それは彼女の隣を歩くルカでさえ知らない。
けれど、何かしらの考えがあって同席させるのだと、普段から彼女と交流がある者は考えている。
「そう言えば、レティシアは会議室に入るの初めてだったっけ?」
「ええ、お母様が生きていた頃は、1度も入ることを許されたことがなかったわ。ルカは入ったことがあるんでしょ?」
「ああ、前はここで騎士団と会議してたからな」
問いに答えたルカは金色のドアノブを回し、重厚な木製の扉を開けると扉がギィーっと音を立てた。
部屋の中央には、深い茶色の大きな長方形のテーブルが置かれており、長年使われてきたのか存在感が漂う。
その周りには豪華な革張りの椅子が12脚配置され、その他に領主が座ると思われる椅子にはフリューネ家の紋章が刻まれている。
「この会議室は、この邸宅の中でも特に広々とした部屋だよ」
会議室に入ったレティシアは、ルカの説明を聞いて「知らなかったわ」と答えた。
高い天井と大きな窓が特徴的の会議室の壁は白く、フリューネ家の紋章や歴代の領主の肖像画が掛けられている。
窓からは庭園を眺めることができ、美しく手入れされた花々が訪問者を歓迎するようだ。
「この花壇……」
レティシアは帰国してから、1度この屋敷に戻って来ている。
だが、屋敷正面の花壇が荒れていたことから、彼女が種を蒔いた花壇もダメになっていると考えていた。
そのため、彼女は自分の花壇がどうなっているのか、確かめなかったのだ。
「ああ、レティシアが種を蒔いた花壇だ。この当たりの花壇だけは、どうやら騎士団が全力で守ったみたいだな」
この花壇は、レティシアとルカの思い出の場所でもあると同時に、レティシアとエディットの思い出の花壇でもある。
レティシアの目には涙が滲み、彼女は口元を隠し「お母様……」と呟いた。
彼女の肩に触れたルカの目元も薄っすらと涙が姿を見せ、まるで当時のことを思い出しているかのようだ。
けれど、目を瞑ったルカは、1度息を吐き出してレティシアの方を向くと、そっと彼女の頬に触れて指で涙を拭う。
「さ、レティシア……おまえにはやらなければならないことがあるだろ?」
部屋の一角にある大きな暖炉の上には、時を知らせる時計がカチカチと音を鳴らし、その隣にはいくつかの銀製の装飾品が置かれている。
威厳と歴史を感じさせる部屋は、2人の幼い頃の思い出まで守ってきたと錯覚までさせる。
思い出は時に残酷にも胸を締め付け、居なくなった者の存在が恋しくなる。
しかし、同時にその者の温もりを、忘れていないんだと思い出させてもくれる。
「ええ、そうね……ごめんなさい」
レティシアは前を向くと、領主が座る椅子を真っすぐに見つめた。
踏み出した一歩は自信に溢れ、もう守られるだけの存在ではないことを彼女の背中が淡々と語る。
出遅れて歩き始めたルカとレティシアの足取りは静かで、それでも会議室を進む2人の存在感は大きい。
フィリップの目に映る2人の背中は、彼が今まで出会った人の中でも大きいと感じた。
突然、レティシアが振り向くと、ロイヤルブルーの瞳がフィリップの視線と重なる。
「フィリップ、あなたもこっちにおいで」
差し出された手は遠く、フィリップは一瞬だけ躊躇いを見せた。
しかし、レティシアと同じように振り向いたルカが、微笑んで頷くと彼の胸は熱くなる。
けれど、彼は持っていた資料を抱き抱えると、一歩も動けずに俯いてしまう。
会議室には静寂が流れ、彼の鼓動は耳にまで聞こえてきそうだ。
(ぼくは人族だと言えない存在なのに……それでも、ルカさんや姉上はあの人たちと違って、ぼくを受け入れてくれるんですね……ぼくは本当にここに居て良いのですか?)
不安げにフィリップは顔をゆっくり上げると、微笑む2人の顔が視界に映る。
その瞬間、彼の頬には大粒の涙が零れ落ち、歩き出した足は2人の元へ駆け出していた。
「どうしたのよ、そんなにいやだったかしら?」
レティシアはそう言いながら、フィリップが彼女の近くに来ると、彼の涙をハンカチで拭う。
しかし、彼が何も言わずに首を左右に何度も振ると、困ったように彼女はルカの方を向いた。
すると、ルカは彼の頭に手を置き、優しく2回ポンポンとたたくとクシャっと頭をなでる。
「いやじゃないよな……大丈夫だ、レティシアはフィリップの生まれとか気にしてない。もちろん、俺もだ……だから、安心しろ」
フィリップはルカの言葉を聞き、今度は何度も頭を上下に振った。
彼の生まれた経緯は、今後もレティシアの計らいで極秘扱いになることは確定している。
しかし、彼はフリューネ家に来てから、自分の誕生の秘密と考えられることを、レティシアから聞かされた。
そのため、レティシアが実の姉でないことも、彼には本当の家族がいないことも彼は知っている。
「なるほどね。前にも言ったでしょ? 私はあなたの血の繋がった姉じゃないけど、それでも家族は血の繋がりじゃないわ。私は私のためにあなたを利用するつもりもなければ、あなたがしたいことを止める権利もないわ。それでも、フリューネを名乗る以上は、あなたも一定数のことは求められるわ。そのために、今後のことも考えて、あなたにいろいろと経験してもらうつもりよ」
ルカは、レティシアの言葉を聞き、心の内を隠すように微笑んだ。
もしかしたら、彼女は本当に自分の手が届かない場所に行ってしまうのではないか?
そんな昔から抱いている漠然とした不安が、彼の脳裏を通り過ぎる。
それでも、彼は彼女の決断を止める権利もなければ、彼女が真実を語ってくれることを待つしかない。
「レティシア、そろそろ準備した方がいいよ。もうすぐ最初の移住希望者が来る」
「そうね、ごめんなさい。フィリップはそっちに座るか、ルカの隣に立ってもらえる?」
レティシアが左側の椅子を指さすと、フィリップは首を横に振って彼女の左後ろに立った。
そこは、彼が持っている資料を手渡すのに適した場所であり、何かあった時に対処できる場所でもある。
その様子を見て、ルカはレティシアの右後ろに立つと、フィリップと一緒に微笑んだ。
「そう、それなら、2人とも何かあったらよろしくね」
レティシアはそう言うと、領主が座る椅子に背筋を伸ばして座った。
すると、フィリップが最初に訪れる予定の者の資料を、何も言わずに彼女の前に置く。
レティシアが紙をめくっていると、ドアをノックする音が聞こえ、彼女は「どうぞ」と一言だけ告げた。
扉がギィーっと音を立て開き、1組の男女が部屋へと入ってくる。
彼らはドアが閉まると、すっくりと歩みを進め、テーブルを挟んでレティシアの正面に立った。
「初めまして、フリューネ領現当主のレティシア・ルー・フリューネです。本日は遥々お越しいただき、ありがとうございます。早速ですが、自己紹介お願いできますか?」
レティシアはテーブルの上で手を組むと、淡々とした様子で尋ねた。
「はい、私はオウエン・ブランと申します。彼女は私の妻でキアラ・ブランです。共に今年で32になりました。出身は、ヴェラネア村です」
笑顔で答えたオウエンとは対照的に、妻と紹介されたキアラの表情はどこか暗く、隣に立つオウエンの様子を窺っているようにも感じられる。
「ヴェラネア村は独自の織物技術を持っておりますよね? 美しい模様と高品質の布地が特徴だったと記憶していますが、なぜ今回フリューネ領に移住しようと考えたのでしょうか?」
「実は、そろそろ子どもを望んでいるのですが、子どもを育てるにあたり、いろいろと調べていたところ、学業や医療に力を入れているフリューネ領の環境がいいと考えました」
オウエンが答えると、レティシアは組んでいた手を解き、テーブルの上の資料を手に取った。
そして、紙をめくると、書かれている文字を読むふりをした。
この書類はフリューネ領に来るまでの間、馬車の中でレティシアはすでに目を通してある。
そのため、面談希望者の情報は、全員分彼女の頭の中に入っている。
「そうですか。しかし、そうなると1から仕事や住む場所を、自分たちで探さなければなりません。その点はどのように考えていますか?」
「妻は手先が器用なので、フリューネ領で作っている織物の仕事を希望しています。私は、力仕事が得意なので、それが生かせる仕事に就ければと考えております。住む場所ですが、お金が溜まるまでは貸家があればと考えています」
紙をめくる音が暫く続き、顔を上げたレティシアはテーブルに両肘をつき、口の前で指を組んだ。
「必ずしも希望に沿った仕事に就けない場合もございます。例えばですが……キアラさんがもし我が家で働くとなれば、少なくとも仕事に慣れて1人で働けるようになるまでは、子どもを作ることも難しいと思いますし、その時にオウエンさんが漁に関係する仕事についていたら、子どもはどうするおつもりですか?」
「その場合は、妻と話して子どもを諦めようと考えています」
「子どもを諦めるとは、子どもを作らないと言うことでしょうか?」
「そうなりますね。領主の家で働くとなれば、そう簡単に長期的に休むことはできないじゃないですか」
オウエンが1度もキアラの方を見ずに答えると、レティシアは少しだけ背筋を伸ばした。
「それなら、わざわざフリューネ領を希望しなくても良い気がしますが、その点はどう考えていますか?」
レティシアが尋ねると、オウエンはあからさまに眉を顰めた。
「私たちの寿命は長いんですよ? ゆくゆく落ち着いた頃に子どもを望むのもダメでしょうか?」
「ダメではありませんね。ですが、ヴェラネア村の経済状況は比較的よく、またヴェラネア村を統率しているラモルエール領は、昔から魔法医療に力を注いできました。なので、なぜフリューネ領なのか……と疑問に思ったのです」
そう答えたレティシアの声は、先程までとは違って冷たいものだった。
しかし、オウエンからの返答はなく、短い沈黙の後で彼女は再び口を開く。
「では、質問を変えます。なぜヴェラネア村を離れたいと考えているのでしょうか? また、フリューネ領でどのような生活を望みますか? オウエンさんではなく、キアラさんお答えください」
突然名前を呼ばれたキアラが、ビクッと身構えた。
レティシアの瞳に映る彼女は、どことなく何かに脅えているようにも感じる。
「ヴェラネア村を」
「オウエンさん、あなたに聞いたのではなく、私はキアラさんに尋ねたのです。少しだけ、口を閉ざしてもらえますか?」
焦った様子でオウエンが話し出すと、目を細めたレティシアが間髪を入れずに口を挟んだ。
幼さが残る少女の声は、見た目とは対照的に威厳を感じさせるものであった。
「ヴ、ヴェラネア村を離れたい理由は……」
キアラは言い淀むと、隣に立つオウエンの方を何度もチラチラと見ている。
その様子を見ていたレティシアは、息を吐き出すと再び尋ねる。
「離れたい理由は? あなた方は夫婦なんですよね? それなら、話し合って決めたのではないのですか?」
「は、はい。話し合って決めました」
慌てた様子でキアラが答えると、レティシアは真っすぐ彼女を見つめた。
そして、少しだけ身を乗り出し、顎の下で指を組んだ。
「それなら、オウエンさんのことを気にせずに答えてください。もう一度聞きます、なぜヴェラネア村を離れたいと考えているのでしょうか? また、フリューネ領でどのような生活を望みますか?」
淡々とした様子でレティシアが尋ねると、キアラは目を泳がせた。
額には汗が滲み、何度も耳に触れてはレティシアと目を合わない。
「そ、それは……その……」
その後、レティシアは何度か質問しては、2人の視線や手の動きを見ていた。
明らかに挙動がおかしいキアラに対し、レティシアはその理由について考えを巡らせた。
キアラは何かを隠しているが、多くを語らない彼女からは、それが一体何なのか分からない。
そして、オウエンが何度も彼女に代わり、答えようとするなどの行動が見られた。
その結果、最初の移住希望者の面談は、2人の関係性すらも疑わしいと感じる形となって終わりの時間を迎えた。




