第132話 移住問題と疑惑
学院の学生たちが帰ると、レティシアはフリューネ領に向かうため汗を流した。
そして、ルカと今後について話しながら、用意を進めていた馬車に乗り込んだ。
すでに転移魔方陣が書庫にあるため、本来であれば馬車を使う必要などない。
しかし、移民問題となれば、近隣領地の動向も知っておかなければならない。
そのため、彼女は転移魔方陣での移動を諦め、馬車で向かうことにした。
レティシア、ルカ、ステラ、そしてフィリップを乗せた馬車は、全員が乗り込むと走り出した。
ニルヴィスとアルノエが手綱を握り、フリューネ家を後にした馬車は帝都の街並みを進む。
時計台を横目に通り過ぎ、帝都の東に位置する大きな門の前で止まると光の門をくぐり始めた。
中に入ると星が舞うように辺りは煌めき、まるで星の道を馬車が走っていると錯覚さえする。
これは、移動空間魔法と言い、ここ数年で新しく創られた魔法である。
(村や町を移動空間魔法で繋いだことによって、従来よりも早く移動できるのよね。通常であれば約1ヵ月掛かる道のりも、数日でたどり着くことができるし……それに、転移魔方陣と比べると時間は掛かるけど、使用者の魔法量や知識量に左右されず、誰でも使えるのが利点よね)
カーテンを軽くめくっていたレティシアは、外を眺めながらそう思うと静かにカーテンを閉じた。
彼女は隣に座るフィリップの方を見ると、目を輝かせながら外を見る彼の姿が、窓に映って思わず笑みがこぼれる。
「フィリップ、楽しいかしら?」
レティシアが優しく尋ねると、フィリップは眉を下げて振り返り、少しだけ下を見ながら答える。
「あ、姉上、はしゃいでしまって申し訳ございません」
フィリップの声は弱々しく、まるで怒られるのではないか……という不安が聞こえてくるようだ。
そのため、レティシアは彼の頭にそっと手を乗せると、羽根で触れるように何度も優しく触れて口を開く。
「良いのよ。あなたが楽しいなら、連れて来て良かったわ」
「姉上、ありがとうございます」
フィリップは嬉しそうに言うと、窓の外を再び嬉しそうに目を輝かせながら見つめた。
現在12歳のフィリップは、外の世界をあまり知らない。
それは、彼が両親と呼んでいるダニエルとセブリーヌの2人が、決まった場所にしか彼を連れて行かなかったからだ。
そして、それ以外は家から出してもらえず、窓のない屋根裏部屋で過ごしていたと、レティシアは彼から聞いた。
(初めてフィリップが家に来た時、パトリックが彼の頭に触れた時に異変を感じて、彼に何があったか詳しく聞いたけど……日常的にダニエルやセブリーヌから暴力を受けていたのなら、パトリックから殴られると考えて脅えるのも無理はなかったわね……だけど、今は私が彼に魔力を提供しているから、私のことは信じてくれるようになって良かったわ)
レティシアはそう思いながら静かに彼を見つめ、時折頭をなでては微笑んだ。
暫くすると、ルカは足を組み直し、正面に座るレティシアの方を見た。
彼の手には報告書が握られており、出発の前に渡された報告書を読み終えたようだ。
レティシアの方に書類を差し出した彼は、真剣な面持ちで口を開く。
「レティシア、これ読んでおいてくれ。一応、こっちで調べた移住希望者の経歴と調査資料だ」
「ルカありがとう、助かるわ」
ルカから報告書を受け取ったレティシアは、丁寧にまとめられている内容に目を通した。
移住希望者に関しては、希望者の存在を知ってからまだ1ヵ月も経っていない。
それにもかかわらず、全ての移住希望者の情報を集めたオプスブル家の情報網に、彼女は感心してしまう。
(56名分の情報が事細かに書かれているのは、もうさすがとしか言えないわね……)
「この右上に、赤い印が付いている人物は?」
「ああ、それは……」
レティシアの問いに、ルカは言葉を詰まらせると、フィリップの方を一瞥した。
そして、再びレティシアに向きなおすと、彼はテレパシーを使って話を続ける。
『その赤い印が付いてるのは、直接的ではないが、ダニエルとセブリーヌや彼女の生家であるラコンプ家と、どこかで繋がりがある人物だ』
ルカの言葉を聞き、レティシアも資料から目を離し、フィリップの方を一瞥した。
それから、資料に視線を戻すと残っている資料に目を通していく。
『……なるほどね。そうなると、やっぱりきな臭いわね』
『ああ、そもそも移住希望は頻繁に上がる問題じゃない。たとえあったとしても、それは領地の経済状況が大きく偏った時だし、自然災害でその土地に住めなくなった時が多い。仮に出稼ぎとなれば、移住ではなく、帝都に出稼ぎにきた方が稼げるしな』
レティシアはルカの話を聞いて、暫く黙って考え込んだ。
資料をめくる音が静かに響き、手を止めた彼女はルカの方を見てテレパシーを使う。
『この報告書を見る限り、移住希望者がいた領地の経済状況が傾いている報告もなければ、自然災害の報告も特にないから……何かしら目的があるのかもしれないわね……次の村に着いたら、領地に残っている騎士団の面々に、領地の警備を強化してもらうように指示を出すわ』
『その方がいいと思う。すでに俺の指示で、偵察のためにオプス族から複数人フリューネ領に送り込んだが、彼らだけでは何かあった時に対応できないからな』
ルカが腕を組んで答えると、レティシアは視線を落とした。
『……そうね。迷惑を掛けてしまってごめんなさい。本当なら、私だけで対応できれば良かったんだろうけど……』
『レティシアが謝る必要はないよ……これは俺の意志でもあるが、同時にオプスブル家がフリューネ家を守るためでもあるんだから』
『分かったわ……』
レティシアが俯いて言うと、ルカは彼女から視線を逸らし、『あまり気にするな』と返答した。
7年前、知られたくなかったルカの気持ちとは反対に、彼女は両家の繋がりに気付いてしまった。
それから、特に2人の関係性が変わったことはない。
けれど、オプスブル家がフリューネ家を守る話になると、時折彼女が思い詰めたような表情を浮かべるのを、ルカはいつも見てきた。
そのたび、ルカはどう彼女に接していいのか分からなくなる。
(オプスブル家と違って、フリューネ家が記憶を受け継ぐことはない。それは、仮に雪の姫が生まれた場合でも、記憶がないと考えて間違いない……彼女のことだから、多分この事実にも気付いてるんだろうな)
ルカはそう思うと、馬車の窓枠に頬杖をついて目を閉じた。
馬車の中では、再び紙をめくる音と、馬車が進む音が聞こえる。
それは、静かでありながらも、確実に時が過ぎ去っていく音だ。
けれども、同時に心地よい子守唄のようでもある。
突然、誰かが立ち上がる音が聞こえると、ルカは薄目を開けてレティシアを視界に映した。
彼女は中腰の姿勢で、寝てしまったフィリップを横にして寝かせると、ルカの隣で眠るステラを抱えて隣に座った。
資料を見ながら彼女が髪を耳に掛けると、ルカは再び目を閉じて気付かれないように息を吸い込んだ。
馬車の中には、横になっているフィリップの方から寝息が聞こえる。
それは、心地よい空間で安心して眠る、子どもらしい寝息だ。
しかし、馬車が速度を落とし始めると、フィリップがゆっくりと起き上がった。
ルカは、まだ眠そうに目を擦る少年を見つめ、右手を口元に運ぶと人差し指を立てる。
フィリップが無言で頷くと、ルカは自分の肩に寄り掛かって眠るレティシアの方を見た。
10分くらい経った辺りで、馬車が止まると地面に着地した足音が2人分聞こえた。
1人の足音は段々とドアに近付き、立ち止まるとドアをノックする音が馬車内に響く。
ルカはカーテンを少しだけ開け、外の様子を見るとアルノエが立っている。
そのため、彼はカーテンを閉じると、眠るレティシアに声をかける。
「レティシア、今日泊まる村に着いたよ」
柔らかい声に答えるように、レティシアが「ん……うん……」と言うと、ルカは思わず彼女の頭をなでた。
「起きるわ……ごめん……寝たわ……」
眠たそうにレティシアは言うと、目を擦りながら体を起こした。
「気にしなくていいよ。今日はいろいろとあったから疲れてるんだし、そんなに寝てたわけじゃないよ」
「ありがとう、宿屋に着いたらそのまま寝たいわ」
「うん、そうするといいよ」
ルカは立ち上がってドアを開けると、馬車から最初に降りた。
空には丸い月が昇っており、微かに吹く風は肌寒さを感じさせる。
「フィリップ、足元に気を付けて」
ルカはそう言うと、馬車から降りようとしたフィリップに手を差し出した。
「ルカさん、ありがとうございます」
フィリップが降りると、ルカは馬車の中へと再び手を差し出す。
「さ、レティシアも足元に気を付けて」
「ルカ、ありがとう」
レティシアは馬車を降りると、大きく息を吸い込んだ。
冷たい空気は肺の隅々まで行き渡り、吐き出される息は微かに温かい。
まだ夜が始まったばかりだと言うように賑わう音が聞こえ、彼女は自分の頬をたたいた。
「ノエとニヴィは申し訳ないけど、宿の方と馬車の見張りをお願いね。私たちは先に村を見て回るから、後で合流しましょ」
「分かったよ~」
ニルヴィスはレティシアに手を振ると、彼の隣でアルノエが頭を下げた。
「悪いわね、それじゃお願いするわ」
レティシアは歩き出すと、そっと彼女の手に触れようとして、手を引っ込めた存在に気付いた。
そのため、彼女は手を差し出すと、笑顔を向ける。
「フィリップ、手を繋ぎましょ」
レティシアの言葉を聞き、フィリップは満面の笑みを浮かべ、「うん!」と力強く答えた。
彼は彼女の手を握って歩き出すと、左側を歩くルカを見つめ、ゆっくりと手を伸ばした。
繋がれた手は暖かく、フィリップは繋がれた両手を見ると嬉しそうに笑う。
「フィリップ、何か食べたい物はあるか?」
「ありません。ぼくはルカさんと姉上と一緒に食事ができるだけで十分です」
笑顔でフィリップが答えると、レティシアは不安そうに首をかしげた。
「あら、本当に食べたい物はないの?」
「はい! ありません」
「ルカ、何か美味しいお店、知っている?」
ルカはレティシアに聞かれると、考えるようにして左手で何度も下顎に触れた。
「そうだなぁ……それなら、この村では狩猟で鳥類を取ってるから、それを出してる店とかどうだ?」
「いいわね! どんな料理が出されるの?」
レティシアの顔には笑みが浮かび、どこか楽しげである。
そのため、ルカはできるだけ彼女が想像しやすいように、少しだけ考えると口を開く。
「焼かれた鳥を、ライ麦パンに挟んで食べるんだけど、付け合わせにサラダや、鳥を煮込んだスープも出されるよ。一応、子どもでも食べられるように、あまり香辛料を使ってない店だよ」
ルカが店の説明を終えると、フィリップの方から「ぐ~」っという音が聞こえた。
その瞬間、顔を真っ赤にした少年は、恥ずかしそうに下を向いてしまう。
すると、レティシアは微笑んで、空いてる手で彼の頭を優しくなでた。
「フィリップもおなかを空かしているみたいだから、その店にしましょうか」
レティシアがそう言うと、ルカは「そうだな」と柔らかい声で答えた。
そして、フィリップの手を握ったまま、その手で軽く彼の顔を上げて微笑んだ。
風に運ばれてくる様々な匂いは、この村の豊かさを表している。
焼かれた肉の匂いから、野菜を炒める香りや、お土産として置かれている木製の置物。
けれど、風に乗ってくる匂いの中には、危なげな匂いも含まれている。
『火薬の匂いね』
表情を変えずにレティシアがテレパシーを使うと、ルカも表情を変えずに答える。
『ああ、旅人から匂うな。彼らがどこにその火薬を運ぶのか、少し気になるから俺の方で調べるよ』
『そうね、匂いの元が商人なら、商品の可能性もあるけど……そうじゃないなら……』
『――そうじゃないなら、何かしらの目的があって運んでる。そう言いたいんだろ?』
『ええ、私の考えすぎかもしれないけど……怪しいと思ったことに対して、答えが出ていない段階で考え過ぎていることはないのでしょ?』
レティシアがテレパシーで伝えると、わずかにルカの口角が上がる。
『ああ、幼い頃に俺が言った言葉だな。そうだ、怪しいと思ったら、答えが出るまで調べればいい。それで何も出なかったら、それが答えだったってだけだ』
前を見つめて歩くルカとレティシアは、多くの命を預かり、守らなければならない立場だ。
そのため、考えられる可能性は、残らず調べていくしかない。
それは、彼らにとって長い道のりでありながら、確実な近道でもあるからだ。




