第113話 秘密の手紙
学院から帰ったレティシアは、寝室に向かうと制服のままベッドに倒れ込んだ。
あの後。
教室に戻ったレティシアは、本を読みながら午後の授業が始まるのを待っていた。
しかし、授業が始まる前にライラが現れ、食堂でやった茶番劇の続きを教室でもやり始めた。
結局ライラは、注意されるまで教室に居続け、不貞腐れるようにして自分の教室に戻った。
だが、問題だったのは放課後だ。
授業も終わり、レティシアや周りが帰り支度を始めた頃、再びライラがレティシアの元を訪れた。
そして、そこからレティシアが馬車に乗るまで、彼女から「早く一緒に暮らしたい」と何度もレティシアは言われた。
そのことから、彼女の目的が姉に会いたかった訳ではなく、別宅に住むことが狙いなんだと推測できた。
今日の出来事をうつぶせになって思い返していたレティシアは、寝返りを打つと深く息を吐き出した。
天井を見る目を腕で覆い隠すと、途端に再びため息が口からこぼれる。
(疲れたわ……まさか、初日に何度も絡まれるとは思わなったわ。それにライラ……、フリューネって名乗っていたわね……)
ドアをノックする音が聞こえ、レティシアは急いで起き上がった。
すると、リンとルカの2人が部屋へと入り、リンはレティシアを見て小さくため息をつく。
「レティシア様、帰って来たのならベッドで横になる前に、着替えてほしいと、いつもお願いしていますよね?」
「着替える気力もなかったのよ……」
目を伏せながらレティシアが言うと、リンは心配そうに彼女に駆け寄った。
そして、彼女の体に怪我がないか確かめ、無事だと分かるとリンは不安げな表情を見せる。
「何かあったのですか?」
「別に大したことはないのよ? ただ本当に疲れただけなの」
リンを安心させるようにレティシアは優しく微笑みかけると、食器が小さくぶつかる音がして紅茶の香りが部屋に広がり始めた。
「夕食まで時間があるから、お茶でもどうだ?」
ルカは紅茶を入れながら言うと、テーブルにカップを2つ並べてソファーに座った。
彼の表情からは、何を考えているのか読み取れない。
しかし、並べられたカップからは、心を落ち着かせる紅茶の香りが立ち込めている。
「ルカ様、お手を煩わせて申し訳ありません」
「俺が持ってきた物だから、気にしなくていいよ」
レティシアはルカの正面に座り、彼にお礼を言ってからカップに口を付けた。
程よい甘さが口の中に広がり、ふわっとした優しい香りが心を満たす。
心身ともに疲れていたレティシアは、ふぅっと肩の力を抜くように軽く息をついた。
「学校の方はどうだった?」
優し気にルカが微笑みながら尋ねると、レティシアは思わず眉間にシワを寄せてしまう。
「そうね……、早速だけど、ライラが私に会いに来たわよ」
「要件は、この家に住みたいってところか?」
「ええ、早く一緒に住みたいって何度も言われたわ」
「まぁ、ライラがこの家に住めるかは、怪しいところだけどな」
この国では子どもが1人の場合、性別に関係なく後継者となる。
そして、結婚すれば伴侶は養子として迎えられる。
そのため、今のフリューネ家は世間から見れば、レティシアの父親であるダニエルが後を継いでいるという認識だ。
無論、ダニエルが養子ならば、再婚相手も別宅に住む権利はある。
しかし、侯爵家はレティシアが継いでいるため、実質的にレティシアが現当主であり、彼らが住めるかは彼女の一存に委ねられている。
けれど、彼女がフリューネ家を継いだ事実を、知っている者が少ない状況だ。
それを良いことに、レティシアはダニエルたちや、弟だと言われているフィリップを泳がすことにした。
そのような理由から、ライラが自己紹介した時びフリューネと名乗っても、レティシアは何も言わなかったのだ。
レティシアはカップをテーブルに置くと、ゆっくり視線をルカに移した。
「ルカには、話しておいた方がいいのかもしれないわね。ついて来てちょうだい」
ルカは眉間にシワを寄せたが、立ち上がったレティシアは行き先の言わずに歩き始めた。
彼女の雰囲気から何も言えず、彼はただ静かに後をついていく。
前を歩く少女の足取りはしっかりしており、ルカは彼女の背中に決意のようなものを感じた。
書庫の前にたどり着くと、彼女が立ち止まり、振り向いた。
「リン、悪いけどここで待っててくれるかな?」
「レティシア様、かしこまりました」
「ルカは付いて来てね」
書庫にレティシアとルカは入って行くと、彼女がドアの鍵を閉めた。
静まり返る書庫は、古い紙の匂いとインクの香りが漂う。
彼女は歩き出すと、一見しただけでは分からない場所に入って行く。
そして、床に膝をつき、床に両手を置くと魔力を流し始めた。
その瞬間、床は青白く光だし、計算され尽くした複雑な魔方陣が姿を現す。
魔方陣から箱が出てくると、彼女は蓋を開けて中に入っていた巻かれた紙をルカに差し出した。
「これはなんだ? 俺が読んでいいのか?」
眉間にシワを寄せたルカは、怪しむようにレティシアを見つめて尋ねた。
しかし、彼女は何も答えず、ただ筒状の紙を見ながら静かに頷いた。
筒状の紙を広げたルカは、何度も読み返し、時折頭をかいて考えているようだ。
書庫には時を刻む音と、うなるような悩むルカの声が静かに響く。
けれど、突然ルカは鼻で笑うと、紙を元のように巻き始める。
「これを、ダニエルが理解できたと思わねぇな」
レティシアはルカの言葉を聞き、クスッと笑った。
そして、彼女は落ち着いた様子で話す。
「私もよ。お母様が亡くなった後から、ダニエルたちが使った分の請求書がここに届くようになったらしいの。でも、ジョルジュやパトリックがダニエルたちに送り返してたみたい。そのたびに、自分にも権利があるって騒いでたらしいから、理解はしていないわよ」
「これからどうする?」
「そうね……暫くは、あの家族を監視付ではあるけど、このままにしておくつもりよ。彼らの目的の1つが、フリューネ家の財産だということも分かっているし、ダニエルが渡した指輪がお母様の死因に関係があると私は考えているから、どこからそれを手に入れたのか突き止めたいわ」
「なるほどな……。この手紙のことは、フリューネ騎士団に報告しないのか?」
ルカは筒状の紙をティシアに渡しながら言うと、彼女は紙を箱の中に戻した。
「ええ、この書類の中身を知る人は、少ない方がいいと思うの。それに、ロレシオの報告では鼠がいることも分かっているから、今の状態で彼らに伝えるつもりはないわ」
「分かった。それなら、ダニエルたちを監視する時は、スキア隊を使うといいよ。彼らは誓約があって、俺とレティシアのことは絶対に裏切れないから」
ルカが淡々とした様子で告げると、レティシアは目を見開いた。
誓約となれば、それは絶対的な信頼を寄せる理由となる。
なぜなら、誓約は相手が死んでも破棄できないからだ。
「それは知らなかったわ」
「このことは、スキア隊に所属しない限り、普通は知ることはないからな。だから、ロレシオたちもこのことは知らない」
「そうなのね、教えてくれてありがとう。それじゃ、スキア隊を使うわ」
「ああ、何かあったら、言ってくれれば俺も動くから、1人で無茶するなよ?」
「ええ、分かっているわ。――それと、今度城で開かれるルシェルの誕生日パーティーのことなんだけど……」
レティシアが困ったように眉を下げ、髪を耳に掛けながら言い淀んだ。
しかし、立っているルカから見れば、座っているレティシアが上目遣いで見ているように見えた。
そして、彼は彼女が誕生日パーティーのことを言ってくることを分かっていた。
そのため、ルカは彼女に柔らく笑いかけると、優しく告げる。
「ああ、招待状が届いていたな。俺の方でドレスは用意してるから、心配しなくていいよ」
「ありがとう、助かるわ。ドレスをどうしようかと悩んでいたところなの」
ルカの言葉を聞き、レティシアの表情は花が咲いたように明るくなった。
来週末に開かれるルシェルの誕生日パーティーは、同時に彼が皇子として正式な場で紹介される。
そのため、16歳に達した貴族は、来週末のパーティーに招待されていた。
事前にこのことは知らされていたはずなのに、レティシアはどうせ間に合わないと高を括って準備を怠った。
しかし、3月の3学期に合わせて帰国することになり、彼女は慌ててドレスを用意しようとしたが、仕上がり時期を聞いて清く諦めた。
「だろうな。おまえと通信魔道具で話してる時、そんな気がした」
ルカは目元を細めて笑ってレティシアの頭を優しくなでると、彼女は懐かしい気持ちになった。
書庫を後にした2人に会話はなく、それでもレティシアの後をルカはついて行く。
小さかった背中は、もう彼の助けを必要としないかもしれない。
それでも、彼は彼女に寄り添い、彼女の傍にいることを願ってきた。
この先、いつか彼女の手が完全に彼の手を離れても、オプスブルとフリューネの関係は変わらなく続く。
それは昔から続く縛られた約束であり、この先も縛られる約束だ。
レティシアとルカは庭へと出ると、彼女は空を見上げた。
無数の星が空に散らばり、冷たい空気が星空を鮮やかにする。
微かに揺れる彼女の瞳には星空が輝き、吐き出される息は暗闇をわずかに白く染める。
「ねぇ、ルカ……昔、ルカの家のことやルカ自身のことを話してくれなくて、私が怒ったことがあったでしょ?」
「あったな……。あの時は書庫でレティシアが泣いていたな」
からかうようにルカが言うと、レティシアの頬がみるみる赤く染まっていくのを見て、ルカは内心で微笑んだ。
しかし、ぷいっと顔を背けて「うるさいわね!」と言った彼女が手で顔を扇ぎ始めると、ルカの表情から思わず笑みが零れる。
「それで? それがどうしたのか?」
まだブツブツ言いながら顔を扇いでいるレティシアは、ふと手を止めると目を瞑った。
そして、ゆっくりと瞼を上げると、顔を上げて星空に目を向ける。
「いつか、私もルカに話したいことがあるなぁって思ってね」
ルカは悲しそうに言ったレティシアの横顔を見ていたが、ゆっくり視線を星空に向けた。
彼女が何か隠していることは、昔からルカも知っている。
しかし、彼女からそのことについて、このように話があったことはない。
彼女が何を考え、彼女が何を話そうとしているのか、ルカは何も知らない。
けれど、知りたいと思う気持ちより、彼には彼女が話してくれることに意味がある。
そのため、これまでも無理に聞くことはせず、ただ彼女が話すのを待ってきた。
小さな不安は時に焦りを生み、その焦りは恐怖に変わった瞬間もあった。
離れていた期間に積み重ねた複雑な思いは、彼女が帰国しても変わることがない。
それでも、るは待つしかないのだと理解しているからこそ、眉を下げて茶化すように笑う。
「なんだそれ。――いつか、レティシアが話せる時でいいよ……」
夜の風は冷たく、2人の間を吹き抜けると、庭の木々を軽く揺らした。
夜空に向かって吐き出される白い息は、淡く夢のように消える。
レティシアはふぅっと息を吐き出すと、わざとらしく体を摩った。
「まだ冷えるわね、部屋に戻りましょ」
レティシアはそう言うと、ルカの方を向くこともなく室内へと向かった。
1人で庭に残ったルカは、レティシアが入って行った場所を見つめている。
彼の瞳はわずかに揺れ、淡い光を帯びる。
「おまえは俺から離れる準備してるのか……それとも、一緒にいてくれようとしてるのか……たまに分からなくなるよ」
ルカの呟いた声は、風に搔き消されて夜の闇に溶け込んでいく。
風に吹かれて黒い髪は揺れ、赤い瞳はルビーのように煌めいた。




