第107話 魔法と後悔
リグヌムウルブの街にある宿屋の1室の一角で、キラキラと青白い線が描かれ始めると丸い円が浮かび上がる。
すると、円に沿って文字が勢いよく描かれ始めると、文字を挟むように新たな円が描かれていく。
最後の1文字が埋まると、内側の円の中に4角形が現れズレると3つに増えて重なる。
次の瞬間、4角形の中に大きさが違う2つの円が浮かび上がり、新たに円と円の間には文字が描かれていく。
さらに三角形が現れると大きさを変え、小さい円の中で2つに増えて上下にズレると重なる。
そして、文字が描かれていた部分の隙間が埋まると同時に、魔方陣は青白く光り天井へと光は垂直に伸びていく。
しかし、その光が室内を明るく照らすことはなく、転移魔方陣の光の中からレティシアとライアンが現れた。
レティシアはソファーに座ると、人差し指と親指で頭を押さえ、深く息を吐き出した。
彼女の鼓膜には、黒蝶からの情報がうるさいくらいに騒がしく響く。
だが、彼女は聞き漏らさないように、耳を傾けて聞いている。
王妃の罵声が飛び、彼女の管理下にいる騎士たちが慌ただしく動く。
地下牢からレティシアたちが消えたことによって、王妃の周辺はバタついている。
けれど、レティシアは聞こえる音を頼りに、ある程度の予測を立てていく。
(このままでは、地下牢にいた女性たちは移動させられるわね……もし、ステラがいる所と違う場所に連れて行かれたら……)
レティシアはそう思ったが、すでに彼女が好きに使える人材は使い切っている。
もし、牢屋に居た女性たちの後を追うなら、レティシアかライアンが直接動くしか方法はない。
考えるように顎に触れていた彼女は、目を細めて1点を見つめていた。
その姿は大人びて見え、彼女が8歳だということを忘れさせる。
地下牢には黒蝶がいるが、後を追えても彼女たちの安全が確保できるわけではない。
そのため、考えられる残る手段は、2人が直接動くか、ライアンが地下牢で召喚した、彼の使い魔しかいない。
しかし、彼女は震えながら魔方陣を描いたライアンに、頼むのを躊躇っているように見えた。
けれど、宿屋に戻ってから、ずっと難しい顔をしていたレティシアにライアンが声をかける。
「レティシア様、どうかしましたか?」
「え? あぁ、もう王妃が私たちが居なくなったことに、気が付いたみたいなの。それで、王妃の様子からして、地下牢にいた女性たちを移動させるかもしれないから、どうしようか考えていたのよ」
「そうですか……では、オレが使い魔を使って、彼女たちの後を追います」
「その……大丈夫なの?」
「正直に言うと、魔力が暴走しないか……っという不安はありますね……」
「そうよね……」
レティシアは腕を組むと、顎に触れながら思考しているようだ。
ライアンは彼女の様子を見ながら、歯を食いしばると下を向いた。
握られた拳は小刻みに震え、後悔と恐怖に支配された足は、時を止めたように動けない。
不安から喉はつまり、唾液を飲み込むのも音を立てる。
それでも、彼は前に進むために、気持ちを吐き出した。
「オレ……怖いだけじゃなくて、後悔しているんです……オレが魔力暴走を起こす前……敵に潜入していたことがバレて逃げた時……オレは……助けられた命を……自分が助かりたいために、目の前で見殺しにしました。それでも……最後は捕まって……次に魔法を発動した時には、彼らの悲痛な叫びが聞こえたんです……記憶を取り出した今も、魔法を使おうとすると……彼らの悲痛な叫び声が聞こえてきます……。助けてくれ、死にたくない、そう叫ぶ彼らの声が聞こえてくるんです。だけど、その声は次第に、なんで助けてくれなかったんだ、なぜ逃げたんだ、とオレを責めてきます……」
「……ライアン」
「兄上にもこの話はしました。兄上には、助けられなかった命よりも、これから助けなければならない命を考えろと言われました。ですが、オレにはあの日のことを忘れることはできません!」
俯くライアンを、レティシアは悲しげに見つめた。
彼女は魔力暴走を起こしたことはない。
しかし、彼女はひどく胸が痛んだ。
これまで転生を繰り返してきた彼女は、彼よりもきっと多くの命を奪い、見殺しにしてきた。
そのため、彼の抱く後悔や罪悪感を、彼女も抱えている。
だが、彼女は膝を抱え、立ち止まっているだけの人生の先には、出口の見えない暗闇しかないことも知っている。
だからこそ、生きていくためには、ずっと立ち止まることはできず、進むことでしか向き合えないのだ。
「そうだったのね……私はね……忘れる必要はないと思うわ。だけど、同じ過ちを繰り返さない努力はするべきだと思うの」
「はい、それも分かっています。エディット様が生きていた頃は、オレが失敗して落ち込んでいた時に、レティシア様と同じようのことを、エディット様からいつも言われていましたので……」
「そうなのね……」
ライアンはきつく目を瞑ると、自分の不甲斐なさから唇を噛んだ。
目を開けておもむろに顔を上げた先には、小さな少女の姿が視界に映り、彼の胸を締め付けた。
彼女の実力と知識量を、彼は知っているからこそ頼めることもある。
だが、もしもの時を考えれば、幼い彼女に負担を掛けることしかできない。
複雑に気持ちは絡まり、それは心の叫びとして目に溜まる涙へと姿を変えた。
「レティシア様……もし……もし、オレが魔力暴走を起こした時は、お願いできますか?」
「……ええ、そもそも、この部屋で魔力暴走を起こしても、外に被害が及ぶことはないから安心してちょうだい」
「……ありがとうございます」
ライアンは頭を下げると、目から落ちた雫が床を濡らした。
レティシアが息を吐いた音は彼の耳に届いたが、彼女から不安も恐怖も感じていないように彼は感じた。
彼女の些細な信頼は彼に勇気を与え、彼はしゃがんで床に膝をつくと指先を軽く切る。
過去の記憶と向き合うと決めた目は、不安と恐怖が見え隠れしている。
手は震えるが、それでも向けられた視線が彼に自信を与えた。
描かれる魔方陣は手の震えとは違い、前進する意思が溢れている。
ライアンは使い魔を召喚するための魔方陣を描き終えると、軽く息を吐き出して魔方陣に魔力を流した。
魔方陣は太陽のように黄色に光り、スーッと現れた光沢のある黒い長毛は存在感を見せつける。
黒猫が瞼を上げると、金色の瞳にライアンが映り込んでいた。
『なんだ、やればできるではないか』
黒猫が偉そうに言うと、ライアンからは乾いた笑いがこぼれた。
「まぁね……まだ震えているけどね……これで自由に動けるだろ? 頼みを聞いてくれないか?」
『ふっ、良かろう、頼みとはなんだ?』
「さっき、君に首枷をとってもらった場所は分かるよね? あの場所にいた女性たちの後を追ってほしい。そして、彼女たちに危害が及ぶことがあれば、彼女たちを守ってほしいんだ」
『……なんだ、今度は子守りか、まぁ良いか。分かった』
黒猫はライアンに背を向けると、影に吸い込まれていくように姿を消していく。
レティシアの魔力探知から黒猫の気配が消えたことを考えれば、影を使って移動したのだろう。
「ライアン、ありがとう。とても助かったわ」
「いいえ、お役に立てて良かったです」
レティシアは空間魔法からブローチを取り出すと、ルカと連絡を取るためにブローチに魔力を流す。
通信はすぐにつながり、彼女はルカとアランが手紙を読んだのだと分かり安心した。
「ルカ、今どこに居るの?」
『まだ森の中だ、だけどこっちも収穫はあった。レティシアの手紙に書いてあった通りだったよ』
「そう、それなら1週間後に城で会いましょう。リビオ王がみんなを集めるように言ったわ」
『分かった。頼むから、くれぐれも無理だけはするなよ』
「ええ、分かっているわ。ライアンもいるから、心配しなくてもいいわ」
『レティシア……』
「ん? どうしたのルカ?」
『……、また後でな』
「ええ、また後で会いましょう」
レティシアは通信を切るとブローチをポケットにしまい、ライアンの方を向いて微かに笑みを浮かべた。
「ライアン、私たちも証拠を確保しに行くわよ」
ライアンはドアの方へと歩き出したレティシアを見ていた。
空間魔法から黒いフード付きのマントを取り出した彼女は、サッとマントを羽織る。
彼女の小さな背中は大きく、エディットの姿がライアンには重なって見えた。
彼は彼女に追いつくために歩き出すと、彼女と同じように空間魔法からマントを取り出す。
黒いマントを羽織ると、わずかに恐怖心が蘇るが、それでも彼は前を向いていた。
宿屋から出たレティシアが向かったのは、前回ライアンが連れてきたドアの前だった。
彼女は周辺を見渡し、人がいないことを確かめ、向かいにある建物のドアを開ける。
そして、建物の中へと彼女は入ると、ライアンも慌てた様子で彼女の後を追う。
室内は足元が見えないほどに暗く、古い建物の独特な匂いと、ほのかに薬品の香りが漂っている。
微かに獣の唸る声が聞こえ、レティシアは唸り声を頼りに歩き始めた。
踏み出す足は闇を警戒し、床を踏む足はとても静かだ。
ある程度暗闇を進むと、伸ばした足の床が存在せず、下の方から生き物の気配がした。
透明魔法を使って彼女は姿を隠し、その先が存在するか一段一段確かめ、声がする方へと向かう。
慎重に進む彼女の目は徐々に闇になれ、階段を下りる速度はわずかに上がる。
最後の段差を下りると、ドアの隙間から光が漏れ出ている部屋を見つけた。
レティシアとライアンは顔を見合わせると、慎重に光の方へと向かう。
わずかばかりの呼吸音も聞こえず、忍び寄る2人の存在は完全に闇と同化する。
獣の唸り声は、漏れ出る光に向かうにつれて段々と大きくなっていく。
ドアの隙間から部屋の中を覗き込むと、男性の背中が見えた。
彼の前には大きな檻があり、男性は手に何かを持って檻に手を伸ばす。
その瞬間、檻は大きく揺れ魔物の鳴き声が響いた。
男性が「ひぃっ」と小さな悲鳴を上げて後退ると、檻の中で暴れる魔物の様子が見えた。
手足を檻に固定された魔物は体を大きく揺らし、どうにか逃げようとしているようだ。
しかし、男性は「黙れ!」と言って、手に持っていた物を魔物に突き刺した。
魔物はさらに暴れ、檻は大きな音を立てて、激しく揺れ動く。
だが、次第に檻は揺れるのをやめていき、魔物も静かになり始めた。
魔物が完全に静かになると、男性のため息が聞こえ、彼はドアの方に向かって歩いて来る。
あまりにも突然のことで、レティシアが慌てた様子で左右を見渡す。
レティシアとライアンは、透明魔法で姿を隠している。
しかし、所詮は透明に見えるだけで、本当に2人の姿が消えたわけではない。
そのため、触れられてしまえば見つかってしまう。
けれど、突如ライアンが彼女の手を引いて歩き始めると、隣にあった部屋へと入った。
開け放たれたドアから、隣の部屋の光が大きくなるのが見えると2人には緊張が走る。
暫くすると、部屋から出てくる男性の足音が聞こえ、さらに2人は息を潜めた。
闇と同化するように気配を薄め、心を落ち着かせて鼓動に意識を向ける。
緊迫した状況にもかかわらず、血液を運ぶ心臓はとても穏やかだ。
足音は階段の方へと向かい、段差を上がる音は重たく聞こえる。
遠ざかった足音は、廊下を歩く音に変わって近付いてくる。
しかし、ドアを開ける音が聞こえると、足音の主は建物の外に出て行った。
張り詰めた空気は和らぎ、ライアンの口からため息が聞こえた。
だが、先程の男性がいつ戻るかも分からない。
そのため、レティシアは灯光魔法を使って灯りを確保した。
「ライアン、悪いけどこの部屋を調べてちょうだい。私はさっきの部屋を調べてくるわ」
「分かりました。何かありましたら、声を掛けます」
レティシアは先程まで男性がいた部屋に入ると、檻の中にいる魔物の様子を確かめた。
魔物は暴れることもなく、どうやら深い睡眠状態のようだ。
部屋には檻以外にもデスクと本棚が置かれており、レティシアは本棚に向かうと、並んでいる本を調べた。
本棚には魔物について詳しく書かれている本が並び、ここで魔物を調べていたことが分かる。
部屋には素早く紙がめくれる音が小さく鳴り、魔物特有の臭いが部屋に充満している。
最後の一冊を本棚に戻すと、レティシアは足早にデスクへと向かった。
1番上の引き出しは鍵が掛けられており、他の引き出しには特に目ぼしいものはない。
そのため、レティシアは1番上の引き出しの鍵をピッキングであけ、中に入っていた紙の束を読み始める。
しかし、資料を読み始めた彼女は、眉間にシワを寄せた。
(こんなものために、鍵をかける必要があったのかしら?)
レティシアは資料を見つめながら、冷静に考えた。
けれど、どう考えても手にしている資料が重要だと考えられず、彼女はデスクの周りを調べ始める。
(鍵が掛かった引き出しは、あくまでフェイクの可能性があるわ)
デスクの裏や、全ての引き出しを叩き、二重になっていないか彼女は調べた。
だけど、怪しいところは見つからず、彼女は机の上に置いた資料を見つめていた。
疑念は疑問に変わり、疑問は確信へと変わる。
レティシアはしゃがむと、デスク周辺の床をノックすように叩き始めた。
コンコン、コンコン、という音が室内に響いていたが、突然「ゴンゴン」という音に変わった。
その瞬間、レティシアの顔には、ニヤリと笑みが浮かぶ。
彼女は音が変わったところを念入りに調べると、床がわずかに動くところがあった。
浮遊魔法を使って床板を持ち上げた彼女は、中を覗き込んで調べる。
すると、中には紙の束が置かれていた。
レティシアは紙の束を手に取ると、険しい顔をして読んでいく。
「レティシア様、あちらの部屋でこのような物を見つけました」
ライアンは手に持っていた資料をレティシアに渡すと、彼女から資料を渡された。
「ライアン、これを見てちょうだい」
渡された資料に目を通すと、ライアンの顔は次第に険しいくなっていく。
しかし、彼とは対照的に、レティシアはライアンに渡された資料を見ながら不敵な笑みを浮かべた。
「これは……」
「これで、彼らは言い逃れができないわね」
レティシアはそう言うと、2つの資料を証拠として空間魔法にしまった。
そして、ライアンと他の部屋に向かうと、残りの部屋も隈なく調べた。
証拠になる物が多ければ多いほど、犯人たちの逃げ道を塞ぐことに繋がる。
しかし、証拠になりそうなものを見つけられず、彼女は建物の外に出る前に魔物がいた檻に魔法をかけた。
(あの魔物たちも、檻から出せなかったら、使うことはできない……後は、あの人ね……急がないと……)




