第105話 王妃と紅茶
魔物討伐当日、神歴1496年11月22日。
冬の空気は澄み切っており、晴れ渡る空は静かに地上を見下ろす。
カチャカチャと、防具が勇ましいリズムを奏で乾いた空気を揺らす。
冷たい風が吹き抜けると、森の前に並ぶ討伐隊を力強く鼓舞する。
彼らの視線の先には、燃える炎のような髪を1つに束ねた長身の少年と、ブラウンの髪を丁寧に結われた幼い少女に注がれていた。
少女を見つめるブルーグリーンの瞳は、愛しさが感じられると誤解してしまいそうになる。
しかし、それはブラウンの瞳をした少女にも言えることだった。
2人は見つめ合い、まるで2人の間には時間という概念すらなくなったかのようだ
少年は優しく少女の頬に触れると、甘い笑みを浮かべた。
その瞬間、その様子を見ていた女性たちからは、黄色い声が上がる。
けれど、少女は微かに顔を赤らめると、少年のブルーグリーンの瞳を見つめた。
「アラン、そろそろ行く時間だ」
ルカが少女と見つめ合うアランに声をかけると、アランは名残惜しそうにレティシアの髪を髪に触れる。
だが、レティシアは鞄から封筒を取り出すと、ルカとアランに封筒を恥ずかしそうに渡す。
「これは、今日の夜に読んでほしいわ。2人のことを思って書いたの」
頬を染めてレティシアが言うと、2人は封筒を受け取り上着の内ポケットにしまう。
すると、ルカは無言で歩き出したが、アランは静かにレティシアを見つめている。
「ララ、行ってくるよ。オレの無事を祈ってくれてありがとう」
アランは嬉しそうに告げると、レティシアの手を取った。
そして、彼は手の甲に触れるか触れない距離にキスをし、上目遣いで言う。
「必ず、君の元へ帰ってくるから」
他の隊員を見送りに来ていた女性たちは、アランとレティシアのやり取りを見ながら、頬を赤く染めて口元を押さえた。
「仲がよろしいのね」
「あの噂は本当だったのね」
「あの方が、アラン様の婚約者様なんだわ」
女性たちがそう言って話し出すと、顔を赤らめたレティシアが下を向いた。
しかし、アランがレティシアの頭に優しく触れ、優しく微笑みかけながら「行ってくるね」と言うと、踵を返してルカの元に向かう。
俯いてレティシアが震えていると、彼女が泣いてしまったのではないかと心配の声が上がる。
しかし、足元を見つめるレティシアの目には涙の姿はなく、その瞳には苛立ちが見受けられた。
(アラン! いくらなんでもやり過ぎよ!! これはあくまで、勘違いをさせるための演技なんだから、少しは控えなさいよ!)
険しい表情でレティシアが顔を上げると、女性たちからは彼女がただ強がっているという印象を与えた。
しかし、レティシアはそのことを否定するわけにはいかない。
そのため、彼女はアランの背中を睨むような視線を向けるしかできなかった。
アランはルカと隊員たちに声をかけると、魔の森へと入って行く。
その後ろ姿を、暫くの間レティシアは眺めていた。
けれど、そんなレティシアに対し、ライアンは声をかける。
「ララ様、次の予定がありますので、そろそろ行きましょうか」
「そうね、行きましょう」
その場にいた女性たちは、レティシアに声をかけようとしていたようだった。
しかし、ライアンが現れたことにより、彼女たちは誰1人レティシアには声をかけることは叶わなかった。
「危なかったですね。このまま王妃殿下の所に向かうのですか?」
「少しだけ寄り道をして行けば、向こうが指定した時間になると思うわ」
「分かりました。では、手土産を買っていきましょうか」
「ええ、そうね」
ライアンとレティシアが紅茶店のドアを開けると、まず彼らを迎えたのは、様々な種類の茶葉から立ち上る芳醇な香りだった。
その香りは、彼らの心を満たし、一瞬で外の冷たい空気を忘れさせてくれる。
店内には、手作りのお茶菓子が並べられており、その甘い香りがほのかに広がっていた。
それぞれのお菓子は、丁寧に作られ、美しくディスプレイされ、その光景は、まるで絵画のように美しい。
店の棚には、様々な茶葉が瓶に詰められており、この店の品ぞろえの多さが分かる。
レティシアとライアンは、時間をかけて王妃のために茶葉とお茶菓子を選び、綺麗に包装してもらった。
2人は店から出ると、王妃が泊る宿屋へと向かう。
しかし、レティシアたちの後を、複数の男性が付いてくる。
(隠れるなら、もっと上手にやりなさいよね)
レティシアはそう思いながらも、後を付けてくる彼らに気付いていないように振る舞い、子どもようにライアンと話しながら街中を歩いて行く。
人の目があることから、白昼堂々と襲われる心配は特にない。
王妃が泊る宿屋にたどり着くと、入り口のところに衛兵が立っている。
ただでさえ、今のエルガドラ王国はガルゼファ王国と対立し、いつ戦争が起きても不思議ではなく、安全だと言えない状況だ。
それにもかかわらず、宿屋の前に衛兵が立っていれば、ここに王妃が泊っていますと宣言してるようなものである。
そのため、レティシアは衛兵を見て、呆れてしまう。
しかし、彼女はそれを顔に出すこともなく、王妃から届いた手紙を衛兵に見せた。
宿屋の中に通されたレティシアとライアンは、勝手に王妃の部屋に向かうわけにもいかず、エントランスで待つことにした。
高い天井からぶら下がる煌びやかなシャンデリアは、大きさから存在感が溢れる。
また、エントランスの両側には、高さ2メートル以上の大理石の柱が立っており、その上には金色のドラゴンの彫像が置かれていた。
これらの柱は、エントランスを見事にフレーム化し、その壮大さを強調する。
エントランスの前には、赤い絨毯が敷かれ、その両側には金色の縁取りが施されていた。
暫く待っていると、獣人族のメイドがレティシアたちに声をかける。
「ララ様でございますね? 王妃殿下がお待ちしております。こちらへどうぞ」
言われるがまま、2人はメイドの後を付いて行く。
足音や立ち振る舞いから、彼女が戦闘経験のないメイドだと分かる。
そして、レティシアとライアンは一室に通されたが、レティシアはこの部屋に見覚えがあった。
この部屋こそ、ステラが見張り、レティシアが天井裏に黒蝶を忍ばせた部屋だ。
しかし、そのことを王妃が知ることは、レティシアが語らない限り一切ない。
「お待ちしておりましたわ、どうぞお掛けになって」
レティシアとアランはソファーに向かい、レティシアはカーテシーをした。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
王妃はレティシアとライアンを下から上まで見ると、ふんっと鼻を鳴らし、ソファーに腰掛けて足を組んだ。
「座ってちょうだい」
レティシアはソファーに座ると、ライアンは先程紅茶店で買った物をメイドに渡し、レティシアの隣に座った。
ライアンから手土産を受け取ったメイドは包みを開けると、王妃に中身を見せたが、王妃は顔を顰めて顔を背ける。
それを見ていた2人は、不快な気持ちになったが、それを決して2人は顔に出すことはない。
室内には独特の雰囲気が漂い、レティシアたちの前に紅茶が出されると、王妃は話し始める。
「最近、アランと親しいみたいね」
「はい、アラン様は優しいので、私のことも大切にしてくれています」
「へぇ、そうなのね。あの子は中途半端な子どもだから、あなたくらいが相応しいのかもしれないわね」
レティシアとライアンは出された紅茶を飲みつつ、王妃と会話を続けた。
しかし、2人の飲んだ紅茶は、美味しいとは言えないず、喉に不快な味が残る。
「相応しいのか分かりませんが、アラン様のことを中途半端と言わないでほしいです。アラン様はとても素晴らしいお方です」
「あら、本当のことを言っているだけよ? 中途半端を中途半端と言って何が悪いのかしら? だって、あの子は人族と竜人のハーフよ?」
「人族と竜人のハーフだと知っておりますが、それを言うのであれば、竜人ではないあなたと竜人であるリビア国王陛下との間に生まれた子どもも、中途半端なのでは?」
レティシアが静かに告げると、王妃は飲んでいた紅茶をレティシアにかけた。
かけられた紅茶の熱さに、レティシアが思わず王妃を睨んでしまう。
そのことに逆上した王妃は、さらに持っていたカップをレティシアに向けて投げつけた。
しかし、ティーカップがレティシアにぶつかる前に、ライアンがカップを叩き落とし、レティシアに当たることはなかった。
その瞬間、王妃はニヤリと笑みを浮かべると、大きな声で叫んだ。
「この者たちを捕えなさい!!」
王妃の声に合わせ、控えていた護衛がレティシアたちの両脇を掴んだ。
「やめてください! 放してください!」
レティシアは抵抗してみせるも、無情にも彼女の足は地面から遠ざかる。
「早く連れてってちょうだい! 人族臭いわ!」
さらに王妃が叫ぶと、護衛はレティシアたちを部屋の外へ連れて行き、近くの部屋と連れて行く。
その部屋に入ると、床には魔方陣が描かれていた。
レティシアとライアンは、必死に叫びながら抵抗を続けたが、それも虚しく床が光り出す。
眩しいほどの光に包まれ、レティシアたちは目を閉じたが、再び目を開けるとそこは地下牢だった。
レティシアとライアンは首枷をはめられると、乱暴に牢屋に放り込まれる。
宙を舞うよに放り込まれたレティシアは、地面に横たわり、小さなうめき声を上げた。
ライアンはレティシアに駆け寄るが、彼の視界は視点がズレたように歪む。
そして、彼は膝をつくと、そのまま横に倒れてしまう。
ドサッと音がして、レティシアも起き上がるが、彼女は激しい目眩に襲われた。
彼女は右手で頭を押さえ、ライアンの容体を確かめようとしたが、彼女の意識は少しずつ遠のいていく。
(紅茶に薬を入れ過ぎよ……)
レティシアは薄れいく意識の中でそう思った。




