第10話 自慢と少年
「ねぇ、モーガン! レティシアって本当に凄いの! 驚いたでしょ?」
楽しそうに話すエディットとは対照的に、暗い顔をしてモーガンは膝の上で手を組んでいた。
「……そうですね」
「まだ1歳にもなっていないのに、もう話したり歩いたりできるのよ! それにね、魔術の本や魔法の本も読んでて、誰も教えていないのに簡単に魔法を使えるの! 本当に信じられないくらい凄いの! ね! モーガンもそう思うでしょ? ……ねぇ~モーガン、ちゃんと聞いているの!?」
レティシアは昨日の様子とは打って変わって、無邪気にはしゃぐエディットを見ていると、少しだけ気恥ずかしくなって目を伏せていた。
だが、玄関ホールでテレパシーを使ったことも正解だったかな? と思えてレティシアの口元が少しだけ緩んだ。
しかし、モーガンはエディットが語るレティシアの話と玄関ホールでの出来事を、ただの悪い夢だと考えたい気持ちになった。
それと同時に、レティシアの年齢に見合わない能力を、恐れず喜んで受け入れているエディットを妬ましくも思う。
モーガンはレティシアのことを盗み見ると、小さく息を吐き出す。
「……ええ、聞いていますよ」
レティシアは興奮状態のエディットの相手をしているモーガンが、悟られないように彼女を見たことに気が付いていた。
(いつもは、もう少し落ち着いてるんだけどなぁ……。この状態のお母様を止めるのは、娘の私ですら一苦労なんだよね……)
レティシアはそう思うと、下を向いてやれやれと呆れ気味に力なく小さく、ふふっと笑った。
あの後、玄関ホールにいたレティシアたちは、エディットが興奮状態になる前に、ジョルジュの判断で客間へと場所を変えた。
客間へと向かう途中、ルカは1番後ろをゆったりとした足取りで進み。
黙り込んだ彼は右手で顎を支え、左手には右肘を乗せて何かを考えているようだった。
整った綺麗な顔立ちの彼は、その姿だけでも絵になるほど美しいと言える。
けれど、そんな彼が時折レティシアに向ける視線は、様子を窺ったり、好意や真意を確かめるような視線とは違う。
隠そうとしても隠しきれてない、憎悪を含んだ強い敵意を、彼の視線からレティシアは感じ取っているようだ。
視線を向けられているレティシアに近いリタや他の誰も、気付いていないことを考えれば、彼は上手く隠している。
それでも、それに気付けたのは、経験の差としか考えられない。
きっとルカも、レティシアが彼の敵意に気が付いてると思ってもいないことだろう。
ぶるっと身震いがして、レティシアはジッとルカの方を見る。
何を考えているのか読めない表情と、ルビーより赤いガーネットのような綺麗な赤い瞳。
レティシアが赤い瞳を見つめていると、不意にレティシアの方を見たルカと視線がぶつかる。
重なった視線の先にあった瞳は、瞬きするほどのごくわずかな時間だったが、ほんのわずかに淡く光を帯びていた。
ルカにふっと視線を逸らされると、レティシアは彼の中で感情が大きく揺らいだのだと思った。
魔法が使える者たちは、魔物を除けば、魔族であっても経験が浅い者は力を使う時や感情の揺らぎでも瞳が光る。
それは、レティシアが経験した過去の転生でもそうであったように、今世も同じようだった。
魔法が使えると分かった時点で、レティシアは過去との違いを確認するために観察している。
フリューネ家で働く使用人が魔法を使っていると、魔法を使用した使用人の瞳が光っていた。
数名を観察してから、ジョルジュに頼んで魔法を使用してもらった時でさえ、彼もわずかに瞳が淡く光っていた。
鍛錬や訓練次第では、ジョルジュのようにコントロールすることは可能になるが、並大抵な努力では淡く光るようにはできない。
瞳が光るのを制御するのは言葉にすれば簡単でも、実際に修得するには血が滲むような努力が必要になる。
そのくらい、大変難しいことなのだ。
それにもかかわらず、わずかに淡く光っただけ……。
どれだけ精神を追い込めば、こんな子どもができるようになるのか……。
レティシアは過去を思い出して胸が苦しくなった。
今のレティシアが実際にできているのは、長期記憶と何度も転生を繰り返した結果であり、初めてやる人からすればチートと同じだ。
(彼は幼い……。まだ7歳だと、聞いたわ)
7歳の子どもが、感情を常に押し殺して、顔に仮面を張り付けて歩いている。
それなのに、自分の感情を隠しきれずに憎悪を含んだ敵意を、乳児に向けたのだ。
他者が理解できない何か深い理由が、あるのかもしれない。
(何があったのか詳しく話を聞いてみたいけど、それは私が無断で勝手に踏み込んでいい領域じゃないか……でも……理由も分からずに、敵意を向けられるのは嫌いだから、予想だけは勝手にさせてもらうわ)
レティシアはそう思うと、ルカから視線を外した。
レティシアは客間に着くまでのことがあって注意深く、けれど気付かれないようにモーガンとルカのことを観察していた。
そして、観察していてレティシアには気が付いたことがあった。
それは、モーガンがルカに話しかける時のことだ。
時々ではあるが、ほんのわずかにモーガンが脅えてルカに対してお伺いを立てるかのような、そんな雰囲気が抑えきれずに滲み出ていた。
ジョルジュの息子であるモーガンのことだ。
孫であるルカが感情をコントロールしていることも考えれば、彼も感情をコントロールしていると考えるのが当然だろう。
そんな2人に違和感を覚えないほど、レティシアは観察眼を持たない人ではない。
例え話をするなら、年下の青年が上司で、部下が年上の中年男性というペアが、親子として潜入捜査した時。
目上の人に対し、下の者がこの発言は許されるのだろうか? どこまでの発言なら許されるのか? と不安に感じている、そんな雰囲気がモーガンから伝わってくる。
エディットもリタも気付かないくらい些細なことだったが、レティシアの過去での経験が彼女に囁きかける。
『あの2人は、ただの親子じゃないぞ』と。
親を憎んでたり、毛嫌いしたり、親に対して無関心だったり、親のことを怖がる子どもを、これまでもレティシアは見たことがあった。
親よりも子どもの方が、権力を持っていた親子も過去にはいた。
子どもの方が権力を持つ場合、子どもに対して媚びを売るか、まだ幼ければ高圧的に子どもを押さえつけ、支配しようとする親もいた。
モーガンの態度は、10度目の転生でレティシアが見た、魔力を持たない親から魔力を持った子どもが生まれて、子どもが魔力暴走した時と似ている。
だけど、その時の親は脅えて子どものことを愛さなくても、何をすれば子どもの癪に障るか分かっていた。
そのことを考えれば、モーガンはルカのことを恐れているにもかかわらず、必要最低限でしかルカと関わってこなかったことになる。
(必要最低限しかルカと関わってこなかったにしても、なんか違うんだようなぁ……)
レティシアはさらに思考を巡らせようと、気付かれないようにみんなの会話から外れていく。
会話自体は勝手にレティシアの耳に入ってくるため、例え重要な話が始まっても特に問題はなく、ただその間レティシアが発言しないだけだ。
もしも、誰かがそのことで話しかけても、軽くテレパシーを使うのに疲れたと言っておけば、誰も深追いはしてこない。
これは、今世での経験でレティシアが得た、エディットへの対応策でもある。
レティシアが会話から外れて、12の文字を指していた時計の長い針が6の文字を指した頃。
突然モーガンは思い付いたように、エディットの話を遮る。
「そうだ! ルカ! お前もここに滞在するし、将来はオプスブルの頭領になるんだから、レティシア様を連れて庭の方を探索してこいよ!」
レティシアがいろいろと思考を巡らせていると、突然モーガンが発言した内容に彼女は驚いた。
だけど、レティシアがここにいればエディットの娘自慢が永遠に止まらないことを悟ったモーガンは、意を決してルカにレティシアを外に連れ出すように指示をした。
指示されたルカはその指示にわずかに苛立ちを見せたものの、すぐに考えを改めたのか、持っていたティーカップをテーブルの上に置く。
すると、短く「ああ」っと返答し、おもむろに立ち上がったかと思えば、ソファーに座っているレティシアの目の前で片膝をついた。
(……ん?)
何とか断ろうと考えていたレティシアは、ルカの行動を見て真意が分からずに頭の中で首をかしげてしまう。
「レティシア様、もしよろしければ、お庭を案内していただけませんか? 父からの提案でもありますが、私も少し気分転換に外を歩きたいのです」
ルカはニッコリと顔に仮面を張り付けたように微笑み、優しい声でレティシアに聞いた。
けれど、ルカの微笑みに対し、彼女はゾッとして全身に鳥肌が立つ感覚を覚えた。
(は? えっ? 何その微笑み……。多分何も知らない少女だったら、完全に落ちたでしょうね! そうでしょうね!! でも、私は騙されたりしないんだから! あなたの目が全然笑っていないの、私が分からないと思ったの!? いやだ! いやだ! 敵を見るような憎悪を含んだ視線を向けてきた相手だよ? 2人きりとか無理! 私はまだ乳児よ!! まだ修行の途中で、非力なんだよ! 全力で断りたい! まだ生きていたいの! 早死にだけは絶対にいやだ!)
レティシアは、苛立ちを見せたルカがなぜ断らず、憎悪を含んだ視線を向けた相手を言われた通りに誘ったのか。
その理由が分からず、半分パニックになりながらも、いろいろと思いながら断る口実を考える。
暫くして、不思議そうにルカが少しだけ首をかしげると、レティシアは無理やりニッコリと微笑んだ。
レティシアが微笑んだまま、断る理由を考えながら何も答えないでいると、何も知らないエディットが困ったような顔をしてレティシアに話しかける。
「ねぇ、レティ? ルカを案内してもらっていいかな? レティもお庭をお散歩できて良い気分転換になると思うの。――それに、お母さん、今からとても大切なお話をしなくちゃいけないの……。だからレティシア、ルカのことをお願いできる?」
先程までの無邪気っぷりがまるで嘘のように目をウルウルとさせ、今にも泣き出しそうなエディットを見たらレティシアはいやだと断ることができず、ただ黙ってコクリっと頷くしかなかった。
レティシアとエディットのやり取りを見ていたルカは、彼女が断らずに誘いを受け入れたことに満足したのか、少しだけ目を伏せると微かにニヤリと笑った。




