表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スカーレットの魔法譚  作者: Minty オーロラ
第三章 リスタート
97/102

第88話 スカーレットの力Ⅰ

『本気で一歩を踏み出したから、運命のルーレットは回り出す』


『他者を想う灼熱の魂を持つ者だけが、炎の中で再生する』


『スカーレットの光が、進むべき道を照らす』






 現世と深淵のあわいを彷徨う朦朧の中で、澪音の耳元に、それらの言葉が幽かに響き続けていた。


 ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖


 ――まるで、あの時と同じだ。


『あの時』の感触を言い当てるなら、凶暴、憤怒、制御不能――その語がいちばんふさわしい。

 サメラへの憎悪だけで満ち、身体を感情に明け渡し、魔法石の奥から大量の魔力を引き出してしまった。


『たぶん、あんな感じだった』


 と、澪音は頭の中でそう結んだ。

 このまま曖昧な意識を漂わせ続けるつもりだったのに、不意に、胸の奥――否、『心の部屋』から湧き上がってくる温かな奔流が、それを押し止めた。


 どんどん熱くなる。どんどん眩しくなる。

 極寒の中で氷がほどけていくみたいに。


「ん……?」


 巨大な鏡に押し潰されて死ぬ、その一歩手前。既に運命を受け入れた月渚の両眼が、一筋の曙光に貫かれて、再び開いた。


 腕の中で眠る少年の身体が、幽光を帯びている。

 困惑の色を浮かべたまま見つめた次の瞬間、彼女の瞳は正面から迫る緋色の輝きに染まった。


「その光は、澪音・スカーレットの……」


 澪音の異変に目を見開いたのは、月渚だけではない。

 内心の高揚を必死に抑え、驚嘆を飲み込みながら、星七はその未知の現象を何一つ漏らすまいとノートへ走り書きした。

 一方、偽ミスティーの眉は持ち上がり、意外そうな気配をほんの少し滲ませるに留める。

 桜色の唇を固く結び、静かに眼前の光景を見据えた。


「澪音……これは……?」

「……邪魔だ」


 月渚の疑問に、昏倒しているはずの少年が無感情な声で答えた。

 澪音の身体はふらつきながらもゆっくりと立ち上がる。

 泉のように体内から噴き出した緋色の魔力粒子が一気に形を取り、<赤羽>の形を再構築した――しかも、先ほどよりずっと巨大な姿で。


「……<赤羽・ファウスト>。砕けろ」


 双翼の尖端が鏡面に触れた瞬間、目で追えるほど濃密な魔力が膨張して、一気に解き放たれた。

 甲高い亀裂音とともに鏡に走ったヒビは瞬く間に全体へと広がり、一拍遅れて吹き荒れた風圧が全域を薙いだ。


 持続は数秒に満たない。

 それでも、この瞬間の激しい気流を借りて、澪奈は鉄線網から解放され、即断で霊体へ切り替えると姿を消し、『心の部屋(オアシス)』へと戻った。


「まずい! まずいよ! このままじゃ、マスターが有栖さんを傷つける!」


 月渚にとって、澪音が突然見せた力は絶体絶命の状況を覆す、これ以上ないほど都合のいい救いの手だった。

 星七の目には、スカーレットに関するさらなる情報が手に入る格好の展開としか映っていない。

 だが、澪音が今まさに向かいつつある危険な領域を、実感を伴って理解しているのは、かつてそれを目の当たりにした澪奈だけだった。


 暴走。

 一度入れば自我を失い、敵に容赦なく、味方にも手加減しない状態。

 前回は澪奈が全力の<浄化>を施したことで、どうにか鎮め、『今』のところまで抑え込んだ。

 ならば今回も、同じ手順を辿れば収束させられるはず、と魔法石へと急行しながら、澪奈はそう判断した。


 ――間に合えば、の話だが。


「……遅かった、か?」


 眉を寄せ、苦い表情を浮かべる澪奈。

 視界の中で、スカーレット魔法を宿すルビーは、純白の心霊空間を赤に染め上げていた。

 唯一、増大し続ける魔力だけが、ひたすらに感知される。


「澪音……」


 魔法スクリーンが映す現世の状況を凝視する。

 混乱がひとまず収まると、澪音はガラスの残骸を踏みしめ、身体を揺らしながらも月渚を背後に庇い、顔を上げた。


 双眸は、くっきりとした緋色に灯っている。

 目尻の両側には烈火紋様のアイシャドウが浮かんだ。

 上着の裾や袖口、襟元には目に見える魔力が薄い炎のようにまとわりつき、ゆらゆらと揺れる。


「なんてこった……マスターが、また怪物に……」


 魔法石を抑え切れなかった自責と悔恨が胸へ押し寄せ、澪奈は思わず息をのみ、震える声を漏らす。

 だが、その負の情動が熟すより先に、聞き慣れた声の「誰が怪物に……」の一言が割り込み、思考の流れを断ち切った。


 潤んだ瞳を瞬かせ、澪奈は愕然としながら少年を見直す。

 確かに、サメラと戦った時と同じ暴走の外形だ。けれど不思議なことに、言葉も、動作も、彼が正気であることを示しすぎていた。


「澪音……?」

「僕だよ……っ、くそ、痛ぇ……!」


 一瞬の頭痛に額を押さえ、澪音は足元の鏡の破片に映る自分の姿を横目で捉えた。


「何だこれ……」


 その奇妙な化粧に思わず独り言を漏らし、困惑顔で目を細める。


緋紅(スカーレット)(・フェイズ)……」


 微かな震えを伴う囁きで、偽ミスティーは顎を引き、顔色を一段と曇らせた。


「なんだ? 澪音・スカーレットが何をやったか、分かるのか?」

「……はっきりとは言えない。ただ、あの姿は昔聞いたことのある、『ある形態』に似ている気がするだけ」


 星七が興味津々といった様子で問いかけても、偽ミスティーは小さく首を振り、無意識に彼へ『下がれ』と合図した。


「でも、もし本当に『あの形態』だとしたら、忠告しておく。さっさと安全圏まで退避したほうがいい。それから……」


 そう言いながら、ポケットから魔器『ハグニス』を取り出す。

 魔器に絡めた魔力を断ち切った刹那、表面の偽装は蜃気楼みたいに剥がれ、淡い緑の光が点滅したのちに落ちた。


 月銀と墨黒、二色の髪が揺れ、偽ミスティー――<銀月(シルバー・ムーン)>の使い手・克哉が、真剣な眼差しを星七へと送る。



「魔器は持って行ってくれ。ミスティー・セラフィンの魔法は、もう使わない」

「君の判断を信じる。退くのが上策だな。分かった。ひとりで抑えられそうか?」

「分からない。もしこういう状況に備えた切り札があるなら、そっちを頼みたいところだけど」

「呼んでおいた増援の警備隊はすでに到着している。研究所内で彼の仲間を捕らえれば十分だ。逃げ場はどこにもない」

「じゃあ、そっちは任せ――」


「「……はっ?!」」


 突如として、二人は同時に恐怖で目を見開いた。

 直後、身体が勝手に宙へ浮いた――否、緋色の双翼にきつく絡め取られ、持ち上げられた。


(速い……! 僕でさえ反応できなかった……こいつ!)


 背中を一筋の冷汗が伝い、克哉は慌てて澪音のほうへ視線を向ける。

 少年の髪先は深紅に染まり、何かを抑えるように右目を押さえ、周囲には驚異的な魔力粒子が立ちのぼった。


「お前らの、思いどおりになんか、させるか……っ」


 額に青筋を立て、歯を食いしばり、自我を保とうとする澪音。

 一気に大量の魔力を失えば肉体が損耗するのと同様に、脆い器が一度に許容量以上の魔力を流し込めば、激痛は避けられない。


 それでも澪音は、排斥しない。


 見えない代償を払うことになろうと、魔法石の力を無自覚に使う危険を抱えたままだろうと。

 少なくとも、今この瞬間もう一度立ち上がり、『守るために』戦えるのなら、それでいいと決めた。


「澪音、大丈夫?」

「僕のことは、今はどうでもいい……」


 月渚の気遣いを、澪音は振り返りもせず、掠れた声で切り捨てる。

 駆け巡る魔力に少しずつ馴染むにつれ、荒い息はようやく落ち着き、鋭い目線が敵二人のほうへと定まった。


「それより月渚、歩けるか」

「……なんとか、ぎりぎりなら」

「ならいい。この状態がいつまで続くか分からないし、途中で正気を失って君を傷つけるかもしれない。だから月渚、先に逃げろ。ここは僕がやる」


 そう告げると、澪音は目を閉じて意識を『心の部屋』へと繋げる。


(澪奈、月渚についてくれ、それから――)

(残りの皆と合流して、セラフィンさんを連れて脱出、でしょ)


 澪音の思考は、澪奈がすでにテレパシーで先回りして掴んでいた。

 それでも少年の姿を前にすると、素直に唇を尖らせ、視線を泳がせる。


(どうした、澪奈。できないか?)

(……そうじゃない。わたしが行ったら、澪音ひとりで大丈夫なのかなって)

(月渚と秋風を守って、セラフィンさんを救う。それがここへ来た理由だ。僕にとって、あいつらは命を懸けて守る価値がある。君だって知ってるだろ、パートナー)


 パートナー、その呼び名が背負う重さを、澪奈は痛いほど知っている。

 それは精霊とスカーレットが契約を結ぶ鍵であり、二人が死ぬその瞬間まで続いていく関係を形作る言葉だ。

 最初はどこかいい加減に済ませた契約が、最後には心からの「パートナーになろう」という一語へ至った、その裏にある信頼と託しを、精霊の少女は深く受け取っていた。


 だから、むっと固まっていた表情も、やがて少しずつほどけていく。

 再び澪音をまっすぐ見上げ、差し出された手に、自分の小さな拳を重ねて、こつん、と拳を合わせた。

 そして、ほっとした笑みを浮かべる。


(うん、これがうちの合図だね。でもよぉ、そんなカッコつけた台詞ばっかり言って大丈夫? サメラが襲来したときなんて、命を懸けて守る覚悟なんて全然できてなかったくせに)

(あのときだって、本当は覚悟してた。ただ自分で気づいてなかった)

(……澪音。ひとりで迎え撃つなら、絶対に気をつけて)

(ああ。皆をちゃんと合流させて、必ず脱出させてくれ)


 意志を交わし終え、一人と一体の精霊は同時に現世へ覚醒した。

 短く目配せを交わしたあと、澪奈は再び実体化し、軽い羽で月渚を支え、背後の扉から全員の視界の外へ消えていった。


「俺の研究所にいる限り、君たちは逃げられない。愚かなガキどもだ」


赤羽(アラロジャ)>に締め付けられて身動きが取れないはずなのに、星七はなおも余裕の笑みを崩さず、勝者の口ぶりで評した。


「克哉君、そろそろふざけるのは終わりだ。さっさとこの拘束を解いてくれ」

「簡単に言うなよ、あいつの力はさっきより厄介だ……時間を食って悪いなぁ!」


 ようやく両腕を引き抜いた克哉の掌には、既に銀色の魔力が凝縮された。

 一呼吸ののち、<銀月・裂輪(れつりん)>が瞬時に発動。

 放たれた二本の弧刃は空中で急激に軌道を変えた。一閃、空気を切り裂く鋭い唸りとともに、半透明の緋色の翼を断ち切った。


「じゃあ、さっき決めた通りだ。俺は安全圏へ退く。君はあの少年を止めろ」

「ああ、それでいい」

「忘れるなよ。殺すな。生きてこそ最高の研究材料だ」

「はいはい、分かった分かった! しつこいなぁ!」


 迷者と魔法使いの力の差に、星七は素直に撤退の提案へ折れた。

 名残惜しそうにもう一度だけ澪音の顔を振り返り、克哉の苛立った催促に押されて、実験室から足早に出ていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ