第87話 緋色と銀光Ⅱ
明けましておめでとうございます、皆さん。Mintyオーロラです。
これからも頑張って投稿を続けていきます。今回は第87話をお届けします。
新しい一年も、どうぞよろしくお願いします。
「全員動くな! 一歩でも動いたら、この方の頭、風穴だらけにするから!」
澪奈の声に、虚勢の色はない。
そのことを、星七本人が一番よく理解していた。<風弾>は元素魔法として見れば、大規模な破壊力に欠ける。が、ただの肉体にとっては別だ。
至近距離から頭部を撃ち抜かれれば、迷者に生き残る余地はない。
ゆえに、拘束された星七は一切の反抗を見せず、穏やかな表情を崩さぬまま、ノートを床へ投げ捨て、両手をゆっくり挙げて降参の意思を示す。
「よくやった、澪奈。これで流れはこっちだ」
ようやく状況が安定し、澪音は大きく息を吐き出すと、澪奈に親指を立てて『グッジョブ』の意味を込めた仕草をしてみせる。
実際、偽ミスティー――SMP任務部門の克哉が<銀月>で<赤羽>を封じると判明した時点で、澪音は勝利条件を『安全撤退』に変更した。
傷ついた月渚を連れて強行突破する――それは最初に却下された案だった。現実的ではない。
ならば次善策は何か。武装を持たない迷者・星七を人質に取る。それが最も効率の良い方法。
最初の「絶対に負けない」という豪語を叶えられなくても、目的さえ果たせるのなら、不格好であろうと卑怯と呼ばれようと、ひとつの勝ち方だと割り切るしかない。
「……なるほど。今までのは囮、ね」
口元の血を拭いながら、偽ミスティーはゆっくりと立ち上がる。
スカーレット少年の一撃を正面から受けた頬はまだずきずきと痛み、その悔しさを宿した視線をまっすぐに澪音へ向けた。
「そのとおり。さて、おとなしくそこに立ってろよ。変な真似はするな」
命令口調で相手の戦力の接近を封じると、澪音は視線を星七へと移した。
「研究者のおっさん。こっちに付いて来い。僕たちが無事にここを出るまでな」
「そのあとは? 利用価値がなくなったら、俺を解放してくれるのかな」
「するわけないだろ。あんたみたいな悪党は、フェニックスさんに引き渡す。これが報いってやつだ」
「ふう……それも、研究者業のリスクのうちってことか」
そんな感想を漏らしてから、星七は軽くため息をつく。結果をすでに受け入れているかのように、その顔には妙な静けさがあった。
「お前……!」
歯ぎしりの音が聞こえそうな勢いで顔を歪め、偽ミスティーは再び澪音へ飛びかかろうとする。
だが、その動きを、澪奈の「おっと!」の一言がぴしゃりと止めた。
「忘れてないよね? マスターに手を出した瞬間、<風弾>撃ち込むぞ! このおじさんの命、どうなっても知らないよ!」
「彼女の言う通りだ、任務部の坊や。今がどういう状況か、自分の立場をよく見たまえ。口を閉じて、一分だけ黙ってくれ」
本来なら人質である側のはずの星七が、逆に精霊の言葉を補強するようにして偽ミスティーの行動を制止し、鋭い視線を投げかけた。
「嫌だね! こんなの納得できるわけがない! そもそもなんであんたが命令口調なんだよ! 部署も違うくせに!」
苛立ちは隠そうともしない偽ミスティー。積もった不満の矛先は瞬間に、星七へと切り替わっていた。
「おい! なんでそんなあっさり諦めてんだ!」
「仕方がない。迷者である俺には、君たち魔法使いほど手札がない」
「そんな情けないスカーレットに負けて、悔しくないのかよ!」
「今、何より優先すべきは自分の命さ。俺の立場になって考えてほしい。死んだら、研究も何もかも終わりなんだ。生きていることこそが最重要事項」
「「…………」」
敵陣営の二人が真顔で言い合うのを目の当たりにしながら、澪音と澪奈は揃って沈黙する。
目の前で始まった内輪揉めは、澪音の計画には含まれていない。
この予想外の展開に、どう対処すべきなのか――一瞬、判断の軸が揺らぐ。
「約束と違うだろ。あんたが言ってたシナリオに、こんなのなかった!」
「人生はいつだって不確定要素に満ちている。計算外の事態が起きるのも、織り込み済みだ」
「やっぱり、噂されてるほど頭良くないじゃん、あんた」
「そうかもしれない。俺は、天才と呼べるほどの器じゃない。せいぜい狂った科学者止まり、かな」
「なら、その本業くらいちゃんとこなしなよ!」
「それなんだけど。ちょうど、そのつもりだった」
星七が言葉を締めくくった、その瞬間だった。
金色の閃光が澪奈の視界を横切った。身体が反応するより早く、意識が状況を理解するより早く、全身は強烈な痺れに支配されていく。
「う、うううううっ!」
電流が細胞の隅々にまで駆け巡り、澪奈は短く、息を詰まらせるような呻き声を上げた。
次に目を開けたときには、すでに身体は電流を帯びた鉄線の網に捕らえられており、その事実をようやく理解した。
「澪奈!」
澪音の絶叫が、実験室じゅうに響き渡った。
目の前で起きた出来事を確かに目撃しながらも、心はそれを何度も否定しようとする。
こんな最悪の事態が現実であるはずがないと、必死に言い聞かせようとしていた。
「科学者というのはね、あらゆる可能性を計算する者のことだ。だからこそ、どんな事態にも事前に備えを打てる」
少年の顔に浮かぶ絶望の色を前にしても、星七は泰然とした様子で袖をめくり、手首の腕時計を見せつけながら続ける。
「――腕時計型捕獲装置。逃げ出した実験動物を捕まえるための道具だ。まさか、本当に何の装備も持たずに、魔法使いの真ん中へのこのこ入ってきたとでも思っていたのかい?」
どこか誇示するような響きを込めて、星七は肩を軽く叩き、脚を揺らしてみせる。
靴先には隠し刃、肩の裏地には薄い刃物――どれも最悪の事態に備えた自衛のための道具だ。
「どうやって……こんなことを……」
「単純な話だ。捕獲装置の起動には一分必要。合図を俺が送り、彼がそれに応じただけ」
「まさか、最初から、澪奈があんたを人質にするって読んでたってことか」
「数ある可能性の一つに過ぎない。君自身はうちのエースと戦っていた。なら、人質を取る役目は、契約精霊に任せると考えるのが自然だろう?」
理詰めの分析を淡々と口にしながら、星七は床に落ちたノートを拾い、素早くページをめくって一枚に視線を止める。
「スカーレットの契約精霊……基本特性は、『テレパシー』と『同行』。攻撃を行う際には、霊体から実体へと移行する。その瞬間が最も隙が生まれるタイミング――そう、過去の研究記録には書いてある」
「フェニックスさんを……研究してたのか……」
「彼のような怪物級の存在は、それだけで興味深い研究対象だからね。残念ながら、まだその機会すら訪れていないけどね」
「なんでそこまでして、スカーレットを掘ろうとする……? 何が欲しいんだ!」
「君たちには理解できない理由だ。それが、君が勝てない理由でもある――幼く、経験が浅く、規則の枠に縛られている。それ自体が、君たちの行動を脆くし、予測されやすくしている」
淡々と、しかし氷のような冷たさで突きつけられる言葉。
星七はゆっくり歩を進め、痙攣を繰り返す澪奈のもとへと近づいた。表情ひとつ変えず、その小さな身体を足で踏みつける。容赦なく、繰り返し。
「……澪音……」
「やめろ……やめろぉぉぉ――!」
張り裂けそうな叫びが、喉から迸る。
澪奈が痛めつけられていく光景から、目を逸らすことなどできない。理性より先に身体が動き、澪音は星七へ向かって突進した。
だが、その突撃は――一瞬で遮られる。偽ミスティーの回し蹴りが腹部を抉り、澪音の体は弧を描いて数メートルも吹き飛ばされた。
「無謀な行動の代償だ。最初に言ったはずだ、人間の感情は簡単に制御できないって。特に思春期の高校生の感情はね。こんなマスターに仕える羽目になった精霊の子が、少々気の毒だ」
抑揚の乏しい声で、告げる。
ある程度情報の揃った精霊族であっても、星七の瞳にはさほど興味深い対象とは映らないようだ。
「電流が流れている限り、君は霊体に戻れないし、『心の部屋』に退避することもできない。ただ、安心していい。研究対象に協力してもらうため、今すぐ殺すつもりはないから」
しかし、その視線が遠くの澪音へ向けられた瞬間、瞳の奥には明らかに別種の熱が灯る。
強い探究心。獲物を前にした学者の、歪んだ歓喜。
「本当に興味を持っているのは君だ、澪音。滅びたはずのスカーレットが、理由もなくこの世界に再び現れるはずがない。君の能力、君の素性、そのすべての秘密を――俺は必ず解き明かす」
「絶対に……お前の思い通りにはさせない!」
少年の断固たる拒絶に、星七の熱はわずかに冷えた。
眼鏡のレンズの反射が表情を隠し、その胸中を読ませない。
「……」
星七の沈黙が、かえって澪音の背筋を冷たく撫でていく。澪音の胸中の不安は雪だるま式に膨れ上がる。
そして、星七の視線の端が何度も月渚の方へ流れていることに気づいたとき、心拍数は限界を振り切った。
「……お前、何をするつもりだ!」
「君が協力を拒み続けるということは、まだ切実な危機を実感していない証拠だ。さっき俺を人質にしようとした件も含めて、正直かなり不愉快なんだ。どうやら君は、痛みを通してしか現実を理解できないタイプらしい」
短く区切られた言葉の直後、星七は偽ミスティーへ視線を送って軽く頷き、月渚を指差し、
「あの女の子を、殺しておいで」
「了解~」
殺害の許可を得た偽ミスティーの口元に、抑えきれないほどの笑みが浮かぶ。
星七の命令で可能な限り戦闘時間を引き延ばしてきたせいで、すでに飽きを感じ始めていたところだ。
今こそ、この退屈な時間に新しい娯楽を加える絶好の機会。
即座に標的を定めた。
遠くで地面に座り込み、ろくに動けない少女へ向けて、手をすっと差し伸べる。
その瞬間、部屋全体が轟音とともに揺れ動いた。
月渚の左右から、壁のように巨大な鏡が地面を突き破るようにせり上がった。
「よく見ておきなよ、澪音・スカーレット。君の仲間を押し潰すのは、ミスティー・セラフィンの魔法<明鏡・圧砕>だ」
二枚の鏡は、容赦なく閉じていく。
中央で立ち尽くす月渚は、挟み潰される未来を前にして、あまりの速さに思考が追いついていない。
その絶望的な光景へ――
「――月渚ぁぁぁ!」
最も大切な名前を叫ぶと同時に、澪音の肉体は思考よりも先に動き出していた。
人生のほとんどの選択には、迷う余地も、考え直す余地もある。
だが、これだけは違う。この世界で数少ない、たった二人の大切な友人――月渚か秋風、月渚か秋風の命が脅かされたとき、その場に迷いは存在しない。
命を張ってでも守る。それだけは、議論の余地のない確定事項だ。
「やっと心を開いて、やっと仲直りできたのに……ここで終わらせてたまるきゃぁぁぁぁ!」
足元の風魔法が、枷を外された暴れ馬のように速度を引き上げる。
澪音は一切の躊躇を捨て、全力で駆け出した。
サメラが襲来したあのとき、彼は“守る”か“隠れる”かで迷い、足を止めた。だが今、同じような状況を前にして――もう迷いはなかった。
『命を賭けてでも、救う覚悟はあるか』
その問いへの答えは、とっくに決まっている。
十数年かけて築いてきた絆と感情。その重さは、自分一人の安全と簡単に天秤にかけられるものではない。
守らなければならない。
命すら超えて。
澪音は、その当たり前で、それでも深く重たい真実を理解した。
「澪音!」
「大丈夫……絶・対・に、無事でいさせるから……」
鏡の壁が閉じる速度は、予想を遥かに上回っていた。
負傷した月渚を抱えて退避する時間も、余裕もない。となれば――突破口は一つしかない。
「<赤羽>……頼む!」
澪音の切迫した叫びに応じるように、緋色の翼が瞬時に伸び、左右から迫る巨大な鏡をぴたりと受け止める。
そう。速度で解決できない局面なら、純粋な力でねじ伏せるしかない――翼を支柱代わりに、全魔力を込めて、鏡を押し返す。
「う、ううううう……っ」
頬が真っ赤に染まり、体温が一気に跳ね上がる。
肺は焼けるように熱く、アドレナリンは限界まで分泌されている。それでも、いちばん辛いのは、意識を持っていかれそうになるほどのめまいと、骨まで空洞になったかのような虚脱感だった。
それでも止まれない。
力を抜いた瞬間、その時点で二人の死は確定する。
唇を噛み切って鉄の味が広がっても、喉からこみ上げる吐き気を噛み殺してでも、澪音は一息に力を絞り続けた。
「――――」
周囲の振動は、徐々に弱まっていく。
天井からぱらぱらと落ちていた破片の量も減りつつあった。
速度こそ遅いが、確かに効果は出ている。それだけが、ぎりぎりの希望だった。
「すごい……頑張って……」
目の前で繰り広げられる澪音の一生懸命さに、月渚は思わず声を零した。
そっと彼の背中へ手を置き、少しでも力になれるように祈るような気持ちで応援を送る。
そのとき――
「……っ、げほっ!」
飛び散る血が、二人の視界に鮮烈な赤を刻む。
血は澪音の口から――それだけではない。耳、鼻、目の端からも、不自然な血の筋がじわりと流れ出す。
一瞬で、心臓が引き千切られるような衝撃が全身を襲い、崩れ落ちていくような痛みが広がった。
「し、しまった……」
もう一言、声を絞り出す力すら残っていない。澪音の意識は遠ざかり、身体は糸が切れたように床へ崩れ落ちた。
こんな症状は初めてだった。しかし、澪音にはその原因に心当たりがあった。
限界を超えた魔力の酷使、その代償はあまりにも重い。
つまり、魔力切れ――全てを使い果たしたということだ。
それは即ち、体も動かせない。<明鏡・圧砕>に押し潰される未来から、もはや逃げられない。
「ごめん、月渚……約束……守れないかも……」
「分かってるよ、澪音。大丈夫、怖がらないで。最後まで一緒にいるから……」
月渚は澪音をそっと抱きしめるように胸へと引き寄せる。
その最期の瞬間だけは、一人きりで孤独に終わらせたくなかった。
静かに目を閉じ、目尻から一筋の涙をこぼしながら、訪れつつある闇の瞬間を静かに受け入れようとする。
澪音もまた、言葉の代わりに静寂で応えた。
腕の中の温もりを確かめながら、最後のひとときを噛み締めるように。
「……澪音……」
その少し離れた場所で、澪奈は痺れる身体をどうにか動かし、顔だけを上げてマスターと月渚の姿を見据えていた。
心配と焦燥は、表情にありありと滲み出ている。だが、その絶望を――彼女自身は共有していなかった。
何故か。
現世に実体として存在していても、『心の部屋』との繋がりは決して完全には切れない。澪奈はかすかではあれ、その場所と、そこにあるモノたちの変化を感じ取ることができた。
そして、気づいた。
『心の部屋』の中心。
澪音の暴走変身を鎮めたあの日からずっと沈黙していた魔法石が、今まさに、光を放ち始めていることに。




