第1話 魔女との出会い
「新記録! 隠しエンディング達成、おめでとうございます!」
電子音と一緒に、空に『勇者の裏切り』の大きな文字が浮かんだ。
そして、開発者リストとエンディングが目の前を横切る。
「はあぁぁ……なんか、予想以上に時間かかったなぁ……」
パソコンの画面前、彼は額の汗を拭いながら伸びをした。
疲れるのも無理はない。
机上の目覚まし時計は現在時刻を顕示している――午前五時。
ゲームを早く攻略しようと、入手当日で睡眠時間を返上して徹夜した。今となっては、その悦楽や達成感を得た甲斐がある。
「ふう……疲れた疲れた!」
ぐったりと椅子に靠れ、長すぎる前髪を掻き揚げ、天井を見上げる。
彼の顔は、ゲーム内の自作キャラクターとほとんど変わない。
ミディアム黒髪。身長は百七十五センチほど。
そんな彼――雨夜澪音は日本の『風海城』という名の臨海都市出身。
家から一番近いの風海高校に通っている、一年生。
彼の人生を語るには、簡潔な言葉で十分だ。
『成績普通』
『社交的ではない』
非凡なところがあるかと聞かれたら、残念ながら『ないかも』と、澪音自身も思い込む。
「……今日も学校かぁ……面倒くせぇ」
三月末の火曜日。学校が始まってからもう一ヶ月になったが、やる気が全然出てこない。
否、そういう状態が何年も続いていた。
最初の規則正しい生活から、今の悪い生活習慣。
幼馴染が定期的に掃除を手伝われなければ、廃人になるまであと一歩のところだ。
『まあ、一応卒業できるし、進学の可能性も十分ある。別にいいじゃないか』
その思想、依然として頭の中で繰り返した。
「……少年……未来の少年」
「ん?」
突然に、微弱な音が聞こえた。
女の声だった。遥か遠くて、返事をしないととんでもないことになってしまいそう。
未知の声に、澪音は一切の反応をしなかった。疲労感による幻聴の経験、多少は慣れている。
「やっぱ最近、ゲームやりすぎかなぁ……」
ただ、体からの抗議は無視できない。
限界を突破しようとして一週間寝込んでしまった前例もあり、澪音はイヤホンを外して席を立つと、ベッドに寝転がる。
まだ登校時間まで二時間もあるのだから、少しぐらい仮眠を取るのも構わない。
と、その瞬間――、
「えっ? 何こと?」
おおよそ十六年の人生で変なことがあったと雲うと、今のが一番怪異な状況だ。
急に、体の存在を感じなくなった。
意識が不明な力に引っ張られ、どんどん上空へと引き離されていく。
「わあっ! 幽体離脱?!」
「私の声を追いかけて、早く来て」
「なっ……」
また、さっきの声だった。
今回は音源をはっきり捉えた。環境に関係なく、脳の奥からやってくるのだ。
――やばい、眠い……
現状への把握より、耐えられない眠気が先に訪れた。もう一言も口にできず、澪音の両眼がゆっくりと閉じられた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「魔法って、素敵じゃない?」
手短な前口上は、正直、あまりにも唐突すぎて意味不明に感じられる。
誰かがそれを言ったのも、全然わからない。
ただ、あるキーワードが、彼の頭でぐるぐる回っていた――『魔法』。
奇妙な薄暗い空間で目覚めたばかりの少年に、女は火をつけたばかりの蝋燭を円卓に押し上げる。微光で二人の姿だけが照らされた。
目を擦った澪音は、いつの間にか木椅子に座ったことを気づく。
「……ここ、僕の部屋じゃなさそうだけど」
澪音の困惑に微笑みながら、女はグラスのワインを軽く一口啜った。ほろ酔いながらも風雅な挙止は、貴族の雰囲気を漂わせる。
若くて、艶美な女だ。
緋色髪を腰まで伸ばし、魔性の瞳で澪音をじっと見据える。
黒マントと復古の薔薇色ドレスが、彼女に神秘的な魅力を与えた。頭に被っているのは、正体を際立たせる黒系の鍔の広い三角帽子。
その容姿はまるで魔女のようだ。
物語に正邪であり、超自然的な力を操る種族。言い換えれば、この科学に導かれた世界では非現実的な存在である。
そんな世界こそ、澪音がすべてを捧げて余生を過ごそうとする場所だ。
だから相手と目線が合っても、あまり気にしなかった。この場面も、眼前の女性も、不可解な状況も、『ただの幻像』と解釈できる。
「だんだん症状が酷くなってきた……幻聴の次は幻覚。っつか、僕も文句言う資格なさそうだねぇ……」
一刻も早く現実に戻ろうと、澪音は痛みで目覚めさせようと頬を強く打った。
ただ、何度繰り返しても結果は同じ――赤く腫れた顔と、まだここに閉じ込められているという現実。
「あれ? なんで戻られない?」
わけのわからない事情だ。
幻ではなかったのか、と眉を顰めた澪音は思う。
実際、そんな臆測が胸に浮かぶと同時に、かすかな違和感を覚えた。自身ではなく、答えはその環境にある。
「まさか、ここが原因……?」
「やっと、気づいたね」
今まで黙っていた女の第一声が、澪音の推測を肯定した。
そして軽く指を鳴らすと、指先から光が射して、空間の全貌を明らかにさせる。
点灯した瞬間、隅の蓄音機から軽快な旋律が流れ始めた。
内装は木材が中心。壁には絵画が飾られ、カウンターには景観植物が置かれた。
八〇年代末流行した欧米風のバーである。
「うわっ! こ、これは一体……」
「緊張しないで、少年。君と話したいだけだ」
言って、女は桃色の唇を拭い、すーっと立ち上がり、
「やっと会えたね! 我が名はアデル・スカーレット! よろしくな!」
「お、おう……」
アデルの情熱的な自己紹介に驚き、澪音は一瞬呆然とした。
中二病的なセリフは原因の一つで、外見と似合わない中性的な声のせいもある。
「さあ、少年。君の名は?」
「あっ、雨夜澪音……えっ、待って待って! 続ける前に質問が! ここは何処なんだ?」
「ん……正確に言えば、君の夢の中よ」
「ゆ、夢……?」
説明しても、細めた澪音の目から、アデルは彼が半信半疑であることを察知した。
「なるほど、かなり警戒してるね」
そわそわしている少年を見つめながら呟いた。
後の会話を円滑にするためには、相手の憂慮を払拭するが先決だとアデルは考える。
ならば、気軽な雰囲気がこの状況で一番だ。
「……では、少しペースを落とそうか。<緋式・創造>」
と、アデルが手を振ると、薄紫色の液体が入ったグラスが卓上に現れた。
仄かに菫と、アルコールの匂いがする。
「酒、お互いに気持ちを素直にして、仲良くなれる良い飲み物。君の時代の流行を参考にして作ったカクテル。さあ、飲んで飲んで~」
美人に招待されるのは初めてだった。頬を紅潮させ、こわばった座り姿勢のまま、澪音は最大限にアデルの方を見ないようとする。
「視線、逸らしてるよ」
「し、仕方ないでしょ……誰のせいだと思う……」
「あら? この私に魅入られたの? 大丈夫よ。お姉さんは構わないけど」
「ちっ、違うぞ!」
「……わかりやすい思春期だね。若くて、いいね」
悪戯っぽく笑いで、カクテルを澪音に押し、
「遠慮しないで~私のおごりよ」
「いやっ、未成年だけど……」
「だから?」
「だからって……未成年の飲酒はやべぇぞぉ!」
「へえぇ――! せっかく作ったのにぃ――! つまんねぇなぁ、少年。じゃあ、何が飲みたいの?」
「酒以外ならなんでも」
アデルが指を振ると、グラスはあっという間にティーカップに変わった。白い光が点滅した後、湯気の立つ紅茶が注がれた。
芳醇な香りが広がり、澪音の心を落ち着かせる。
一口飲んだ。紅茶の渋みと甘みが絶妙に調和し、余韻が口の中に残る。
見た目通り、上品な味だった。
「うっま!」
感嘆しながら、澪音は対面の赤毛麗人に目線を向かう。
「ねぇ。アデルさんはどうやってこんなことを?」
「何の話?」
「カクテルを紅茶に入れ替わることよ。早すぎて全然見えなかった。なにかトリックを使った? いやっ、絶対に使ったんでしょう。 魔術? それとも幻術?」
「そうだねぇ……どっちでもないわ。私たちはさあ、この力を、『魔法』、と呼んでるよ」
「えっ?」
一瞬、澪音は表情を強張らせた。
魔法という言葉を聞くのはもう二回目。自身の理解では、魔法が容認されるのは、ゲームや漫画の中だけだ。
「……それは、科学的に説明できない超自然現象ってことか」
「今はそう定義してるの?」
「あのう、アデルさん。子供騙しは僕に通用しないぞ。誰だって、この世界に魔法なんてあるわけないだとわかるよ」
「じゃあ、魔法が実在すると言ったら?」
いつもなら、アデルの言葉を笑って、歯牙にも掛けない。ただ今回ばかりは、そんな軽薄な態度で済ませるわけにはいかなかった。
彼女の真剣な表情を見る限り、嘘をつくわけではなさそうだ。そして事態は悪い方向に進展しているのかもしれないと、澪音は徐々に認識していく。
「ちょっ、まさか……」
オタク脳が思いつく最も恐ろしい可能性――誰もが憧れるの異世界召喚。
これに対して澪音は正反対の意見を持っている。
だって、すべてはランダムだ。不幸なら初期装備も初心者レベルになって、最強スキルなども分不相応な望み。
悲観論ではなく、かなりの確率で起こる、と澪音はこう思った。
「やべぇ――! まだ心の準備が……」
突然机を叩いて立ち上がり、焦燥感が全身の細胞に広がっていく。
澪音は少し赤くなった双眸を見開き、
「これ、異世界召喚ってやつじゃないか! 拒否できる? キャンセルできる? 異世界なんて、行きたくねぇんだあああぁぁ――!」
「ううん、違うよ」
「そ、そうか……それならいい……」
狂った予想が認められなければ、現時点ではセーフと判断できる。
冷静に状況を分析すべきだと思い、澪音は手足を緩めて深呼吸をした。が、腰を下ろした瞬間、もっと残酷な可能性が浮かび始める。
「ひょっとして、間違った方向に考えてた……これは、異世界転生の前兆じゃないよね! えっ、って何? ゲームやりすぎの突然死?! え? じゃ、アデルさんは死神ってこと? いやだいやだいやだ! こんなエンディングを認めねぇぇ――!」
「冷静になりなさい。最初から言った、ここは夢の中って」
「あっ、確かに言った……なら、今の僕は意識体、体は元の世界に残されてるってこと?」
「原理的にはもっと複雑はず。まあ、大体そういう感じ。ほら見ろ」
咳払いをし、澪音が話を本筋に戻した。
「で、アデルさんは僕に何か用?」
「私は、ベルソウとシルファスを魔法使いや迷者が破壊される未来を見た。その悪い未来を消し去る鍵は、キミ。だから今の話になってる」
突然降りかかってきた責任に不思議がる前に、澪音は思わず首をかしげる。
『ベルソウ』
『シルファス』
『迷者』
初耳の名詞三個に、「はぁ――」と、ますます暗い目つきになった。
「べ、ベルゴク?」
「ベ・ル・ソ・ウ」
「えっと……なにそれ」
「あそうだ……君は何も知らないんだ……はぁぁ……」
「できれば、わかりやすい説明をお願い」
瞬間、話のテンポがずれてしまう。
澪音の知識不足に、アデルは仕方なく嘆息を漏らす。単刀直入に本題に入るつもりだが、彼に情報を普及させなければならないことになった。
心構えを整えると、アデルは澪音に鋭い視線を投げ、
「『魔女狩り』って、知ってる?」
「ええ。中世の出来事、でしょう」
「実は、魔女と呼ばれる私たちの正体は、魔法使いなのだ。昔、迷者たち、つまり魔法が使えない者たちと、平和に暮らしていた。しかし、時が経つにつれて、彼らは人並み以上の力を憚るようになった。その恐怖と嫉妬が極限に達した時、我々は大虐殺を受け――」
「……いやっ、待て! どう考えでも可笑しいっすよ! 魔法使いが凡人にやられるわけがないんだろう! なんで魔法で反撃しないんのか……痛っ!」
発言を遮られたアデルはムッと口を尖らせ、澪音の頭をカチャッと叩いた直後、指を一本立てる。
「できないんだわ。魔法使いの社会には規制がある。そのひとぉぉつ! どんな場合でも、魔法で迷者を傷つけてはならない! それが、能力を濫用しないという制約であり、修養でもあるのだ」
熱くなればなるほど、アデルは背筋を伸ばし、腰に手を当てて澪音を見下ろす。
「わかったわかった! もう叩かないで!」
「……私たちは多くの同胞を失った。絶滅危機を食い止めるため、最強の五大家族から五人の使者が連合して強力な魔法を発動し、世界を二つに分断した。それは君が今住む世界『シルファス』と、私がいたパラレルワールド『ベルゾウ』。あっ、ちなみに私、スカーレット一族の代表だよ~」
「褒めるべきか……」
世界観を根底から覆され、動揺した澪音は逃れられない重圧感に息を詰まらせる。
しかし、それほど複雑と思わなかった。
どちらにしても、世界が分裂された原因はそれなりに論理的。少なくとも動機くらい澪音はよく理解できた。
その立場で、自分も迷わず同じ選択をする。
澪音は思考を整理すると、ゆっくりと頷きながら「うん、うん」と納得した。
「なるほど。魔法使いがいなくなったからこそ、教科書通りにシルファスの歴史が進んだ。二つの世界は『魔女狩り』後、互いに干渉しない、だね?」
「情報消化早いね」
「でも、それが僕と何の関係が? 未来の鍵ってどういうこと?」
その話題になるや否や、不本意ながらアデルは声を殺し、言いかけた言葉を飲み込んだ。
淡い憂いが宿る瞳は宙を彷徨い、先ほどまでの昂揚はどこへやら消え失せる。しばらくのあいだ沈黙が続き、震える唇から嗚咽まじりの声が漏れた。
そして、言う。
「……君は一族最後の生き残り、今この世に唯一の、スカーレットだから」
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