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スカーレットの魔法譚  作者: Minty オーロラ
第三章 リスタート
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第92話 一人じゃない

「澪音! 澪音!」


 焦った呼び声が実験室に響く。

 羽ばたきと共に、気が急く澪奈が全速で澪音と克哉の戦闘地点へ駆けつけた。が、到着した瞬間に見た戦局の変化が、彼女の背に冷汗を滲ませた。


 状況は、到底楽観できない。

 澪音はすでに全身を銀色の魔力に包まれ、立ってはいるのに意識はこの場になく、テレパシーを繋ごうとしても反応が返ってこなかった。


「――あいつの魔法、だよね!」


 怒りの視線が一気に克哉へ刺さる。

 澪音と似た状態で、目を閉じたまま微動だにしない彼は無防備に見えた。


「なら話は早い! ――喰らえっ!」


 魔法使いが気絶するか死ねば、発動中の魔法は失効する。ならば、澪音を縛る源へ直接叩き込むのが最善だ、そう考えた澪奈は躊躇なく決断し、両手から瞬時に気流を爆ぜさせて圧縮した<風弾>を、克哉の頭部へ真っ直ぐ撃ち抜いた。

 だが、命中寸前――


 バン


 と、短く鈍い破裂音。

 二つの旋風は、肉眼には見えない何かに相殺されて掻き消えた。続いて、<風弾>が消えた地点へ淡い銀光が走り、滑らかな円弧が浮かび上がって半透明の球体を形づくる。

 薄い月光の幕の如く、克哉を完璧に護った。


「<銀月・鎮霊(レクイエム)>……!?」


 澪奈の顔に浮かんだ動揺は、魔法を見抜いた瞬間、さらに濃くなる。なぜなら、それは澪奈も聞き及んだことがあり、魔法使いの間で「相当に厄介」と評価される魔法だから。


 対象を最も痛む記憶へ強制的に沈め、負の感情を増幅させ、精神を揺さぶって崩す――精神侵入型の魔法。


「嘘でしょ……」


 弱体化と状態異常ではないから、澪奈が誇る契約魔法<浄化>すら効かない。


「なんでこんな高位魔法を……こんなんじゃ、澪音がずっと支配されたままになる……」


<銀月・鎮霊>の効力は、対象の意志の強さで揺れる。

 テレパシーが繋がらなくても、『心の部屋(オアシス)』にはなお澪音の意識の痕跡がかすかに残っていたからこそ、澪奈は感じ取ってしまう――自分が澪音の記憶から、少しずつ退かされていくという危機感を。

 だが時間が過ぎるほど、その切迫と少年との繋がりは冷え、氷のように淡くなっていった。


 スカーレットと契約精霊の『心の部屋』の距離は、互いの信頼に左右される。共有している時は、相互の信頼が最も強固だという証だ。

 今、その『心と心の距離』を象徴するものが、止まることなく引き延ばされていく。


<銀月・鎮霊>が澪音の魂を裁き、呑み込み、絶望の淵へ一歩ずつ追い立てている。すでに、契約精霊であろうと取り返しがつかない域に至ってしまった。


「私一人じゃ、もう追いつけないよ……澪音……」


 向かい合い、距離はたった十センチしかない。

 なのに、そこには氷の壁があるかのようで、澪音には澪奈の声が届かず、澪奈には澪音の心が触れられない。


 色褪せた表情のまま俯き、精霊の少女は自らの力不足を呪いながら、細い手で澪音の冷えた頬を撫でる。


 肌越しの冷たさが澪奈の内へ染み込み、彼女は思わず息を吐く――一生のパートナーとして、もっと出来たはずなのに出来なかったという、『志はあるが、実力が伴わない』哀しみ。

 それでも、その熱い心は寒さの中でなお余熱を放ち、


「でも、セラフィンさんが……何か対策を知ってるみたい」


 床から鏡を拾い上げ、澪奈は澪音の閉じた瞳を誠実に見つめる。

 そう。まだ希望を捨てる時ではない。

 戻る前にミスティと約束した――彼女の<明鏡>で生み出したこの小さな鏡を、必ず澪音へ届けると。

 今こそ、その約束を果たす時だ。


「これを渡してって言われたんだ。これが、きっと助けになるって。具体的にどうすればいいかまでは、教えてくれなかったけど……」


 澪音が固く握っていた拳をそっと開かせ、鏡をやさしく掌へ収め、落とさぬよう持たせる。

 不意に、少年の肌が鏡面へ触れた、その一瞬。鏡は銀白の魔力へと分解し、輪郭を成す<銀月>の魔力を貫いて、澪音の身体の内へ吸い込まれていった。


「お願い……ミスティー・セラフィン……」


 祈るように胸の前で十指を組み、澪奈は不安と切実さを滲ませた眼差しで澪音の顔を見据え、ゆっくりと言葉を刻む。


「どうか、私の一生のパートナー、雨夜澪音を、回想の牢獄から救い出して」



 ………………救い出して。



 …………救い出して。



 ……救い出して。



 その言葉は淡く、しかし遠くまで届いた。

 遠から近へ、ぼやけから鮮明へ、見知らぬものから馴染みへ――正しい相手を探り当てた刹那、確かに彼の耳へ滑り込んだ。


「……ん?」


 回想の空間。

 ほとんど眼前の『憂鬱な自分』に説き伏せられ、孤独という運命へ降伏するために差し出した、澪音の手がそのまま硬直した。


「いまの……だれ……?」


 信じられないとばかりに目を見開き、揺らぐ。

 なぜ自分以外の声がある。なぜあんな言葉が放たれた。

 回想の中では、長いあいだずっと独りだったはずだ。誰が気にかけ、誰が救いに来るというのか。


 一人の人生に、いったい何の意味がある。


 衝撃の最中、眩い光が足元に一直線に敷かれ、等身大の立派な鏡が地鳴りとともにせり上がった。

 褐色の木枠は四方へ結晶のような魔力を放ち、それは銀白の魔法障壁へ凝結して空間を二分し、『憂鬱な自分』を向こう側へ封じ込める。


「これ……誰の魔法、だっけ……?」


 魔法の名も、使い手の名も、思い出そうとするほど拒まれる。


 思い出せない痛みを振り払うように首を振り、揺れる前髪の隙間から澪音は鏡を見た。

 映すのは、やつれた顔で憔悴した様子――のはずなのに、何かが少し違う。


「……なんだ、これ……?」


 背後から、二本の手が伸びてきて、左右それぞれの肩にそっと置かれた。

 好奇心に導かれ、指先で前へ軽く触れると、鏡面は静穏な湖面みたいに波紋を重ねる。

 次の瞬間、その手の持ち主の姿が浮かび上がった――否、澪音の透き通る双眸が、ようやくそれを捉えられるようになった。


 肩まで届く桜色の髪。甘く、迷うほどに魅力的な笑顔。一度生命に入り込めば忘れられない、美少女。


 そしてもう一人。『陽気』『前向き』を代名詞にされる存在で、端正な栗色の髪を持ち、隣にいるだけで心が明るくなる気配。


「……月渚……秋風……」


 いちばん大切な人たちの名を、ようやく口に出来た。

 心臓がひくりと震えた途端、膨大な回想が脳裏へ押し寄せる。


 そうだ。どうして忘れていた。


 両親を失った最も苦しい一年、幼馴染の二人が傍にいてくれたから、生活を完全に投げ捨てずに済んだのだ。

 三人で笑った時間、遊んだ時間、喜びを分け合った時間――それこそが、自分を前へ進ませた原動力。


 今、ようやく思い出した。


「……精霊……?」


 二度目の接触。

 頭上には小柄の精霊族の少女がぺたりと張りつき、特徴的な紫紅色のアホ毛を揺らし、緋色の翼をぱたぱたと震わせ、抑えきれない笑顔を一面に広げる。


「澪奈……!」


 魔法使いになった翌日に召喚し、生涯の契約を結んだパートナーで、頼れる精霊族の少女。救われ、世話をされ、寄り添われた恩を、まだ何一つ返せていない。

 この一生一世、共に歩む道はまだ始まったばかりなのに、忘れていいはずがない。


「そういうこと、か……」


 同じスカーレットの屈強な男、フェニックス。


 真面目で、どこか可愛げのある味方、カリナ。


 助言をくれて気にかけてくれる教師、飴宮三咲。


 一生懸命の価値を教え、救った同級生、見晴柳。


 触れるたびに、背後に立つ人が増えていく。

 魔法使いとしての自分であろうと、純粋な雨夜澪音としての自分であろうと、確かに彼らと繋がってきた。


 知っている。見てきた。


 そして顔を上げると、皆の中心、自分のすぐ傍に、銀髪を靡かせた凛々しい少女が立っている。


「セラフィン、さん……」


 ある日突然、魔法郷から人生へ降りてきた――ミスティー・セラフィン。


 彼女がいなければ、SMPの無精髭男の襲撃で死んでいたかもしれない。

 彼女がいなければ、世界を見つめる視野は広がらなかったかもしれない。

 彼女がいなければ、出来ることも、何一つ分からなかったかもしれない。


 少女の内側の孤独は、痛いほど感じ取れる。

 あの強さが自分と似た――『平気』の外見で作り上げた偽装だと、見抜いてしまったからだ。


 それに気づいてから、矛盾が生まれても、意見がぶつかることが増えても、胸のどこかに『出会えてよかった』と置ける余地が残った。


 認めざるを得ない。

 ミスティーの出現が、運命の軌道を変えた。乾燥無味な人生は、少しずつ色を増した。

 楽しい、苛立つ、驚く、悲しい、憤る――どの感情の色も寄せ集まって『体験』という一枚の絵を形づくり、新しい物語を始める。


 人生は、黒と白だけの一本線ではない。

 そう理解しつつあった。


 なぜなら、もう一人ではないから。


「ありがとう、みんな。ありがとう、セラフィンさん」


 最も柔らかな声で、澪音は真摯な謝意を告げた。


 感傷は、一文字の口角が上がった瞬間に顔から抜け落ち、代わりに宿ったのは、輝きのある、未来に憧れ、前へ進もうとする瞳。

 使命を終えた鏡は魔法粒子へ分解し、障壁が消えるのとともに空気へ溶けていった。


『現実はいい場所だ。でも、住みたいとは思わない……それ、君が言ったんだろ』


 正面で、『憂鬱な澪音』――否、『過去の澪音』がよろめく足取りで歩み寄ってきた。

 相手が面前で立ち止まったとき、澪音はようやく気づく。長すぎる前髪の陰へ隠そうとした目尻に、一粒の涙が滲んだ。


『運命は父さんと母さんを奪って、社交の努力を邪魔して、生活を難しくした。昔はずっと独りで、たぶんこれからもそうだ。なのに……今さら、なんで諦めない?』


 魂の問いを投げつける『自分』に、澪音は苦笑しながら頬を掻く。

 昔なら解けない問題だったかもしれない。だが今は、胸を張って、迷いなく――本音を返せた。


「僕は……もう逃げたくない」

『逃避は本能だ。抗って、何の意味がある』

「僕の……いや、僕たちの父さんと母さんが死んでからずっと、ゲームの中で現実から逃げてきた。ずっと過去の回想に沈んで、未来を正面から見たことがなかった。だからあの時、アデルを信じて魔法使いになる道を選んだんだと思う。無意識に、この枷を壊したかった」

『……つまらない』


 その言葉を、『過去の澪音』は鼻で笑い、皮肉に舌を鳴らした。


『結局、新しい刺激で麻痺させたかっただけだろ。馬鹿を言うな。潜意識の奥に隠れた反応に逆らうなんて、出来るわけがない』

「……本当に、そう思ってるのか?」


 反問に、『過去の澪音』の視線が揺らぎ、暗く沈む。

 ノー、という本音は、向かい合う相手の前では隠しようがない。

 再び口を開こうとした瞬間、溜め込んだ涙が顎へ滑り、落ちる。


『もう……遅いだろ。運命は僕たちをここまで押しやって、変化なんて許さない』

「なら、こっちから仕掛けて変えてみる」

『どうやって?』

「君が最初に言ったように。孤独を抱きしめる」


 語尾が消えるより早く、澪音は踏み込み、二人の抱擁を現実にした。

 反射的に、『過去の澪音』は衝撃のまま、この受け入れがたい温もりを押し返そうとする。だが、藻掻けば藻掻くほど澪音の腕は強く締まり、逃げ道を与えない。

 拒絶を受け付けず、何もかも包み込む温度。


「僕たちは……もう、独りじゃない。そろそろ前を向こう」

『……や、やめて……希望なんて、くれるな……』

「もっと早く渡せなくて……ごめんな」

『…………』


 拒絶の言葉が、もう出てこない。

 身体を感情へ明け渡した『過去の澪音』は嗚咽を漏らし、両腕をゆっくりと澪音の背へ回した。


 涙が豪雨みたいに溢れ、顔を濡らし、服に染み込む。

 七年前、両親を失ったあの日へ戻ったかのように、隠さず、堪えず、悲痛をすべて吐き出す。


 今回、選んだのは本能だった――だが逃避ではない。

 過去の悲痛をめくり、新しい章を開くために、ようやく信じようとし始める。


 刹那、眩い光が地面から爆ぜ、抱き合う二人を呑み込む。

 悲しい回想の幕引きとともに<銀月・鎮霊>の効果は徐々に弱まり、やがて銀色の魔力は完全に消え去った。


 次の瞬間。澪奈の焦れったいほどの視線の中で、現実の澪音が目を開けた。


「澪音!」


 心配から歓喜へ変わるまで、一秒も要らなかった。

 昂ぶりを抑えきれない澪奈は勢いよく澪音の胸へ飛び込み、柔らかな頬を何度も擦りつけた。


「澪奈……来てくれたんだ。月渚は?」

「皆と合流させたよ。今、外へ突破するために全力で動いてる。私が戻る時は地下一階にいた。花蓮さんと、黒雪さんと、セラフィンさんの戦力があるから……たぶんすぐ地上へ戻れるよ」

「……よかった」


 作戦開始以来、初めて聞く前向きな吉報に、胸のつかえがほどけ、澪音は長く息を吐いた。


「でもさ、澪音……精神空間で何をしたの? <銀月・鎮霊>から、あんなに早く抜け出すなんて」

「それは、話せば長くなる」

「じゃあ、その話は外に出てから」

「でも、その前に……」


 言って、澪音と澪奈の視線は同時に、少し離れた場所の青年へ向く。

 月光の魔法盾は砕けたあと影も形もなく、<銀月・鎮霊>による短時間の大量消耗を受けた克哉は、床へ座り込んで荒い息を吐いた。


「<赤羽>、展開!」


 背から緋色の双翼が素早く伸び、澪音は重い歩みで克哉へ近づいた。


「どうした? 僕を殺す気か」

「後患を断つためなら……本気でやる」

「ふん。大口叩きやがって」


 澪音の脅威を一顧だにせず、克哉は侮蔑の眼差しを投げた。

 即座に指先を振ると、一対の弧刃がすでに手中に握られ、全身も銀色の魔力に包まれる――<銀月・裂輪>と<銀月・円舞曲>の同時発動。


「人殺しには勇気がいる。君ら二人、見りゃ分かる、持ってない……それと、舐めるなよぉ。残ってる魔力はまだある。もう一回、君とやり合える。どうする? やるか?」


 精霊の優れた魔力感知で、澪奈が先に悟る。克哉が示している魔力量はまだ十分で、さらに数合戦えるだけの余力がある。

 このまま長引けば確実に不利へ傾く――そう判断した澪奈は澪音の耳元へ寄り、


「……あいつの言う通りだよ。いざって時、マスターは手が出せない。今は撤退が最優先。ここに留まる理由、ないよ」

「……一理もあるね。分かった」


 小さく頷き、助言を受け入れた澪音。

 不意打ちを防ぐため<赤羽>を維持したまま、克哉の挙動を警戒しつつ澪奈とともに実験室の出口へ後退する。


 ――しかし、その矢先。


『澪音・スカーレット、止まれ! 止まらないなら、あなたの仲間の命は保証しないぞ!』


 突如、星七の制止が放送を通じて研究所に轟き、二人の動きが同時に止まった――内容があまりに気になったからだ。

 少年と精霊の反論を先回りして潰すかのように、天井からディスプレイが高速で降下し、画面は彼らへ向けて固定された。


「はっ!」

「なに!」


 画面が点いた瞬間、二人の驚愕は驚くほど一致した。

 映し出されていたのは、研究所上部――製薬工場二階のオフィス区域の監視映像。


 包囲を突破したミスティーたちは研究所からの離脱自体には成功したが、警備隊の人海戦術に押し戻され、戦いながら退いた末に角へ追い詰められた。


 唯一の出口は重兵で塞がれ、味方はすでに疲弊しきって、これ以上の抵抗が難しい状態に見える。


「みんな! なんで、こんな!」


 逆転したはずの戦局が再び悪化し、澪音は歯噛みした。怒りの視線が、頭上の監視カメラを刺す。


 遠くの端末の前で、少年の感情の大きな揺れと、最後の無力さを眺めながら絶望を味わう星七は、勝者の口元であるかのように口角を吊り上げ、マイクへ向けて宣告し、


『もう終わりだ。今日、一人たりとも、俺の研究所から逃がさない!』

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