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スカーレットの魔法譚  作者: Minty オーロラ
第三章 リスタート
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第91話 回想の牢獄

 ――こんな人生の、どこに未練を残せというのか。


 意味――誰もが探し続ける、命に色を与える無形の何か。人生の途中で拾い集めた答えを編み込み、語り継ぐための美談へと仕立て上げるもの。

 もし自分を原型に伝記を書くのだとしたら、それはあまりにも薄く、退屈で、読む価値もない物語になるだろう――雨夜澪音はそう思う。


 日本の臨海都市『風海城』に生まれ、風海高校二年に在籍する彼は人生に対して、やけに多くの意見を抱いていた。


『人と人の差はあまりにも大きい。わざわざ繋ぐ必要なんてない』


『傷だらけで立ち上がるくらいなら、そのまま這いつくばってるほうが楽だ』


『運命ってやつはビッチだ。必ず、人を潰す手段を見つけてくる』


 他人が聞けば相当に厭世的な観点を、澪音は一度も口にしたことがない。十六歳のゲームオタクの人生観など、誰が真面目に耳を傾けるというのか。


 ただ、胸の内でふとまとめてしまう瞬間はあった――『現実はいい場所だ。でも、住みたいとは思わない』。


 他人の目には色彩に満ちた世界も、澪音の視野に再現された途端、漫画のような黒と白の配色へと落ちる。

 誇張ではなかった。

 ずっと、そして今この瞬間も、飾り気のない澪音の視界は、その二色だけで埋め尽くされていた。


「…………っ、ぁ」


 不意の頭痛が走り、どれほど失神していたのかも分からない意識が、ようやく戻ってくる。


 ぐるりと見回した。

 太い線と細い線で素描された、自分が十数年暮らしてきた部屋に違いない。


 部屋の配置も、記憶のままだった――と言いたいところだが、正直、具体的にどうだったかはある時点から覚えるのをやめていて、変わらず残っているのは『自分の部屋は散らかっている』という固定の印象だけだ。


 それでも、これほど馴染んだ場所にいながら、一片の温度も感じ取れないことに、澪音は小さく息を吐いた。

 白い霧が墨の色をまとい、ゆるやかに立ち上って視界を横切る。

 静寂。ほとんど無音の空間で、かすかな鼻息だけが律動を持って耳へ絡みついた。


 まるで、漫画の中で迷子になったように。


「僕はいったい……ここは……どこだ……?」


 途切れる直前の記憶は、攻撃が克哉に命中する寸前で止まっていた。相手がまさにその刹那、奇妙な魔法を発動した気がする。

 そして次の瞬間、また幽体離脱めいた失重感を味わった。


「アデルの時みたいな、夢を操る魔法、か……」


 克哉の特殊魔法<銀月>は抽象的だが、人の意識を飛ばす効果以外に、どう考えても二つ目の合理的説明が出てこない。


「めんどくさい……」


 と、小声でこぼしながら後頸部を掻き、二十平米の部屋を行き来し始めた。

 夢に関わる魔法なら、ここから抜け出す鍵は必ずこの光景のどこかに埋まっている――澪音はそう考えた。


『ねえ、こないだの映画、観た?』

『あ、観た観た! あの主演の人、超カッコよくない?』

『そうそう! 正直、あの人目当てで行った! ストーリーとかどうでもいい、イケメンが大事!』

『わかる~!』


 静寂に支配された空間で、不意に混じったざわつく雑談が、澪音の注意を一瞬で掴んだ。振り向くと、音の出所は扉の向こうらしい。


 独りきりのはずの場所に、唐突に見知らぬ声――喉が鳴り、澪音は唾を飲み込んだ。

 黙ったまま、慎重に近づく。ドアノブを握り、ひと呼吸ぶん止めてから、ゆっくりと扉を開けた。


「風海高校……」


 考えるより早く、その言葉が漏れた。

 そう。視覚は嘘をつかない。自宅の廊下に取って代わって目の前にあったのは、通い慣れた高校の教室。

 壁の時計の針は正午十二時ちょうどを指している。昼休みが騒がしいのは当然で、この時間に静かなほうが異常だ。


 息が詰まるほど見慣れた光景が、そこにはあった。


 一列目で女子三人組は、いつもどおり推しの話題に夢中。

 窓際におにぎりを食べながら景色を眺める野球部の部員。

 机をくっつけて体育の話で盛り上がる男子たち。

 例外なく、かつて『一年二組』だった頃にも見ていたものばかりだ。


「え……待て。一年二組……?」


 はっ、と驚きに目を見開き、違和感が胸の底からせり上がった瞬間、思わず声を出した。


「おい、教室の入口で突っ立ってんじゃねぇよ、邪魔だろ」


 背後から飛んだ不満に、澪音は本能で「すみません……」と素早く身を引いた。けれど、その時になってようやく気づく。

 苛立った叱責は自分に向けられたものではなく、教室の入口に突っ立っている別の男子へ向けられていた。

 自身の存在は空気みたいに薄く、この場の誰一人、澪音を感じ取っていない。


 教室の雰囲気は、かつて脳裏に焼き付いた場面とやけに重なった。

 驚きは徐々に薄れたのに、心臓の鼓動だけは抑えきれず速くなる。唇を軽く噛み、顔を少し伏せ、前髪で視界を半分隠した。


 ――この感じ……どこかで。



『見た? 今日もあいつ、無口だよね』

『あいつが違う日ある? 窓際のいい席、無駄すぎ』

『まあ、最後列だし。あのオタク空気もこっちまで漂ってこないでしょう』



『ねぇ、あいつまだ教室にいる?』

『愚問。トイレと下校以外、席から動かないだろ。しゃべらないし、一日中ゲーム攻略読んでる。どうやってこの学校入ったんだろね』

『最悪! あいつの陰気、うつったらどうすんの!』

『てか、あの長い髪キモすぎ。ああいうのと関わったらロクなことないよ』



 男子も女子も、ときおり話題にするのは『彼』で、その声量は、わざと『彼』に聞かせたいみたいだった。クラスでも有名人ではある――ただし、まったく別の意味での『有名』だ。


 澪音の沈黙は続いていた。が、身体は素直に『彼』の席へ向かう。

 教室の前扉から、確か十八歩前へ、左に折れて二十歩で端に着く――そんなふうに覚えている。

 正面を見なくても、筋肉の記憶だけで辿り、顔を上げたとき、案の定そこは正しい場所だった。


「……髪、そんなに長くないだろ……」


 平淡に、けれど少しだけ沈んだ声で、ぽつりと言う。『彼』の肩を叩いて、「あいつらの言葉、気にするな」と伝えるつもりだったが、伸ばした手は触れた瞬間にすり抜けた――幻なら当然だ。


 その『彼』は澪音の善意など見向きもせず、いつもどおり、細切れの悪評さえ無視し続けた。黙ったまま、本で顔をすっかり隠す。


 一人。まさしく孤島に一人きりで、生き延びようとせず、救おうともしない。

 最初は孤独だった。だが次第に慣れ、やがて好きになり、依存して、最後には堕ちていった。


「どうして言い返さない……? どうして、自分から何か変えようとしないんだ……?」


 共感してしまう傍観者として、澪音は結局、この問いを飲み込めなかった。


『ハマるんだろ、この毒』

「……え?」


 投げ返されたその問いに、澪音は意外すぎて言葉を失った。

 けれど無自覚な『彼』――一年前の雨夜澪音は半目のまま、淡々とゲーム攻略本をめくり、


『神器<永遠の孤独>。他のプレイヤーから遠いほど自分の数値が上がる。場に装備者しかいなければ進化する。うわ、最高! これ、僕のキャラと完璧に噛み合ってる! 欲しい!』


 過去の自分の反応に、澪音は特別驚かなかった。

 ひとつ息を吐くと、相手に空間を渡すみたいに数歩下がる。

 追及する気も、説得を続ける気も失せ、眼差しだけが静かに哀しさを帯びた。


 かつて自分が一人でいた理由に同情できるし、その思考様式の本質も見抜ける。けれど、こうして生き続ける目標や意味だけは、どうしても見つからない。


 勿論、決められた道を辿って、大学へ進み、卒業し、働く、そういう展開は何度も考え、そのたびに納得もした。

 ただ、人生のどの段階にいても、たとえ恬淡寡欲な生活を受け入れたとしても、結局は一人なのだ。


 まるで、『永遠に独り』の呪いが刻まれているように。


「…………」


 景色が高速で切り替わり、時間も逆行していく。

 唯一、陰鬱な顔をした澪音がその場に立ち尽くし、変わらない。


 人物が現れては消え、光線が明るくなり暗くなり、一日が過ぎ、一季が巡っても、動じないのは目の前の『過去の自分』。

 同じ座り方、同じ席、違うのは制服と手にした攻略本だけ。


 澪音はその時期を覚えている。

 中学も高校と大差なく、ゲームの世界へ沈み、一人で挑み、一人で成長し、一人の世界を抱え込んだ。


 そういえば――なぜあの頃、一時期だけ性格や見た目を変えようとして、明るく社交的な人間になろうとしたのか。

 結果は予想どおりで、『変なやつ』『似合わない』の札を貼られたのに。


 笑えるほど滑稽だった。


 そして、次の瞬間――


『『澪音! 危ない!』』


 その言葉を放った二つの声を、澪音は一生忘れない。


 七年前の日曜日。雨の都心の交差点。

 突然の事故が、一組の夫婦の命を奪った。

 もし彼らが咄嗟に反応して、傍らの子供を突き飛ばしていなければ、その年の風海城で最も惨い事故の一つになっただろう。


「なんで……これを見せる……」


 一生ものの傷が、再び眼前に形を得た。

 澪音の心臓は槌で打たれたように跳ね、強烈な窒息感に襲われる。


 反射的に顔を背ける。

 だが、目を閉じても、刻みついた悪夢は何度でも脳内で繰り返された。


 煙を上げる車が道路の中央で止まった。

 雨粒と、地に横たわる夫婦の血が混じり合った。十数メートル先で、黒髪の男の子が、無様な身体を引きずりながら家族へ這っていく。


 目尻から落ちる水の筋が、雨か涙かは判別できない。

 けれど澪音は覚えている。あの日、自分は確かに泣いた。

 生涯で一度もなかったほど、胸が裂けるほど、世界が崩れ落ちたみたいな号泣だった。


「『……父さん……母さん……』」


 息が途切れそうな掠れ声で、何度も何度も呼び続けた。

 意識が遠のこうと、傷だらけになろうと、進まなければならない。

 そうしなければ、身体が限界を迎える前に、心のほうが先に死んでしまう気がした。


 ……


 ………………


 ……………………………………


 返事など、あるはずがない。あるわけがない。


 必死にそこまで這い、両親を抱きしめた。

 彼らの体温を感じた。彼らの愛も感じた。


 なのに、どうして――彼らの鼓動が、感じられない。


 なぜ。


 なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ。


 いったい、なぜ。幸福な家庭は、本来こういう結末に辿り着くもの……なのか。


 運命の不公平への憎悪と、自暴自棄の陰鬱な生活は、あの日から始まった。

 両親の葬儀にも出られなかった。耐え切れずに気を失い、次に目を覚ましたときには病室で、それは三日後。


 それは、あるいは良かったのかもしれない。

 葬儀で何を言えばいいのか、どう感情を抑えるのか、どんな目で見られるのか――正直、何も分からないし、知りたくもない。


 知るのが怖かった。


 見えてしまったのは、この先が一人の道だということ。

 頼れるものはなく、自分だけ。

 たとえ……


「……え?」


 澪音の思考が、そこで唐突に途切れた。

 何となく、記憶がここで印象と食い違っている気がする。

 確か、いちばん悲しかった時期に、誰かが助けてくれたはずだ。しかも、ただの誰かではない、特別な関係の人物だったはず――どうして、その感覚が曖昧に、遠くなっていく。


「る……? あき……?」


 口からこぼれかけた名前が、唇の縁で止まった。どれほど頭を絞っても、答えが出ない。


 今、回想録がひっくり返り、記憶の欠片が秋の落葉のように次々と剥がれ落ち、風にさらわれて散る。


 地面に触れた瞬間、欠片は場面と溶け合い、さらに古い記憶が次々と眼前を横切った――両親と一緒に誕生日の蝋燭を吹き消したこと、小学校の入学初日に校門の前で撮った写真、家族旅行の道中に見た景色。

 ただ、どの記憶でも、自分以外の人物の輪郭が薄れて、消えていく。

 そして、


「ん……? これは……」


 五歳ほどの自分が同年代の子どもたちと、古びた建物の前で遊んでいるシーン。

 意味が分からない。胸に問うほど、実在の記憶かどうかすら疑わしくなる。


 不意に、脳を裂く痛みが走った。最後の記憶はそこで断ち切られる。

 はっと我に返った時には、すでに事故現場へ戻った。

 時間が止まったみたいに、周囲のすべてが静止し、異様なほど静かだ。


『これで分かっただろ……』


 目の前で銀光が灯り、その中から黒髪で、感情の沈んだ少年が歩み出た――『自分』だった。

 暗い瞳は疲弊で曇り、嵐に打たれたみたいな顔で、緩やかに言葉を吐き、


『どう足掻いても、最後に残るのは僕たち一人だ。僕たちが生きる意味は、永久の孤独を味わうことだ』

「……運命に、負けるしかないのか」

『……残念だけど、そうだ。そうなる。僕は知ってる。見てきた』

「じゃあ、どうすれば……」

『簡単だ。今まで通り、孤独を抱きしめろ』


 そう言うと、瞳孔から光を失いかけた澪音へ向けて、『澪音』は手を差し伸べ、こちら側へ来いと誘った。

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