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07 大魔法使いの名前

「あ」


 トリガーにかかったままの人差し指を動かす暇も与えられず、そのまま荷台から引きずり落とされた。

 宙に浮いたような感覚がしたかと思えば、そのまま馬に乗った男の手に宙づりにされていた。

 また宙づりか、と絶望的な思いを口に出す前に走っていた馬が止まって、地面へと無造作に落とされる。

 必死で受け身を取りながら地面を転がり、勢いを借りて起き上がり逃走に転じたが、目の前に立つ男にそれを阻まれた。


「身のこなしが素人じゃないな、お嬢ちゃんよ」

「素人じゃないって、このありさまで?」


 殺し屋といえば、殺し屋だけど、荒事専門とは程遠い。身のこなしって意味では素人なんだけど。

 いたるところをすりむいているし、落ちた時にどうやら腕を打ち付けてしまったようで、あちらこちらが痛い。プロだったらこんなのありえない。

 思わず顔を顰めながらも目の前の障害物を睨みつける。

 こいつを何とかしなきゃ。逃げることもできない。


「お嬢ちゃんは無傷で連れて来るように言われてるんだけどなあ」

「おい、余計なことをしゃべるな」


 もう一人運よく残った奴が、乗馬したまま男の横に並んで忠告してくる。

 さて、どっちを先に撃ち倒そうかと冷静にそう考えて右手に持ったままの銃をしっかりと握り直す。

 同じ組織の人間じゃない、とは思うけど、一応こいつらはあたしと同業者ってことになるのか。

 こんな風に無駄話をしている時点で、精鋭ってわけじゃなさそうだ。

 精鋭ではないからといって、舐めてかかっていい相手ではないことはわかっているつもり。


「連れていく? あたしを?」

「お貴族様がご所望だ。一体何をしたんだか。こんなガキ、何の価値があるんだろうなあ」

「毛色が珍しいんだろうよ」


 乗馬している奴が下品な笑いを浮かべながらもそんなことを言う。

 毛色、ってそのままの意味だろうか。珍しい黒髪だからって意味か。


「繁殖でもさせるつもりかよ」

「はっ、悪趣味すぎんだろ」


 うげ、聞きたくない単語が飛び出してきた。そんなの全拒否だし。

 そして、依頼人も何となくわかった。肉塊のシルエットが浮かんでそれ以上のイメージ想起は精神衛生上よくないと無理やりシャットアウトしておく。

 二人から目を逸らさないまま、握りしめた銃の銃口をこっそりと馬上の奴に向け――


「伏せろ!」


 突然割り込んできた怒鳴り声に、咄嗟に地面に這いつくばる。

 伏せたままほんの少し頭を上げて垣間見れば、びゅうと音を立てながら激しい風がその場に吹きすさぶ様が見えた。

 土埃が舞い上がり、視界が閉ざされてしまう。

 何がどうなっているのか全然わからなくなったが、目に砂が入るのは避けたい、慌てて顔を伏せて目を瞑った。


「うあ、な、なんだぁっ!」

「うわあああ」


 吹き飛ばされないようにと必死で、目を閉じていたから男たちの様子を見ることはできなかったが、何か悲鳴があがったのはわかった。

 遠ざかった二つの声から、二人とも吹っ飛ばされたんだろうな。


 ようやく風が収まったようで、辺りが静かになったので目を開け、恐る恐る体を起こせばあたしを庇うような立ち位置にあいつが立っているのがわかった。


「いつの間に」


 荷馬車を降りて駆けつけてくれたのだろうか。


「まあまあな感じの囮役だったな」

「……この、人でなし……!」


 力強く噛みしめすぎて奥歯がぎりっと音を立てた。

 わかっていたけど、やっぱりあたしは囮だったのか。

 「人でなし」と、心の底からその蔑称を口にしてしまう。絶対あたしを庇っているわけではないってわかってた、負け惜しみじゃない。


 今の風を巻き起こしたのもこいつなんだろう。――そういう魔法も使えるってことか。

 意外ではない。かなり魔法を使いこなしている雰囲気はあった。

 

「俺にちょっかいをかけるということがどういうことか、その身をもって教えてやろう」


 人でなし男はあたしの声など耳に入っていないかのようにそう告げて、いつの間にか手にしていた杖を構えた。

 まるで、その姿は子供の頃に見たことがある英雄譚の挿絵に描かれた魔法使いみたい。

 様になっているというか、この男の職業って魔法使いとかそっち系なのかも。


(いかづち)よ! 愚か者たちへと降り注げ!」


 あたしは、魔力というものをほんの少しだけ感知できる。

 そいつがその言葉を口にした途端、手にした杖から辺りに漂う魔力を巻き込んでまるで爆発するかのような勢いで魔力が増幅したのがわかった。

 同時に、どん、と地響きのような音がしたかと思えば、先ほど強風に吹き飛ばされた男たちに空から雷が降り注いだ。一度だけではない。二度、三度、繰り返して、ようやく止む。

 指先がびりびりとかすかに痺れた。


 雷が直撃した男たちは――直視しない方がよさそう。辺りが焦げ臭い。


「行くぞ、痴女」

「痴女って、呼ばないでよ」


 目を逸らしながら、抗議をする。

 一応、お年頃だ。何度言われてもその言葉には心を抉られている。

 本当にやめてほしい。


「だったら、人でなしって呼ぶな」

「だってあんた人でなしなんだもん」

「お前だって、痴女以外の何物でもないから痴女だ」

「呼ばないから、絶対呼ばないから、もう痴女呼ばわりはやめてよ」


 本気で懇願しながらも、いつのまにかへたりこんでいた体を立ち上がらせる。

 手にしていた銃をしまい込んで、止まっている荷馬車へと足を向けた。

 

「ねえ、あたしあんたの名前を知らないんだけど、教えてくれない?」

「ここで聞くか」


 呆れたような声音で言いながら男はあたしに背を向けた。

 荷馬車へと足を速める男に遅れまいとあたしも早足で後ろに続く。


「ブラッド=イーガー」

「は?」

「俺の名前」

「勿論偽名よね、それ」


 わかってはいたけれど、一応確かめておく。

 だってその名前は、子供向けの英雄物語に出て来る英雄の親友である大魔法使いの名前だ。架空の人物名。


「とーぜん」


 偉そうに答えられても脱力するだけで、もう何も言えない。

 どうせ、あたしには本当のことなんて教えてくれるつもりもないのだろう。

 そっちがその気ならば、もう何もいうつもりはない。口を噤んで荷馬車へ乗り込んだ。

 

 すぐに走らせるかと思ったが、何を思ったか男は一度荷馬車から降りて、どこかに行ってしまった。

 ややあって戻ってきた。その手には手綱だ。見れば馬を三頭を引き連れていた。

 さっきの襲撃者の馬を回収して来たみたい。


 どうするんだろう、と黙って様子を見ていれば三頭とも荷馬車に手早く繋いで再び御者台に飛び乗ってきた。

 

「全部の馬じゃないの、何で?」

「そんなに何とも面倒見きれるか。四頭でもギリギリアウトだ」

「アウトなんだ」


 馬は五頭いたはずなのになんで三頭? と思っていたらそんな答えだった。

 どうやらかなり難しいことをやろうとしているらしい。


「町か村に着いたら売り払う」

「追いはぎの発想」


 あたしは殺し屋だ。決して清廉潔白な人物なんかじゃない。

 でも、そんなあたしより、こいつの方が極悪非道だと思う。

 

「は? 先に手を出したのはあいつらだろうが」

「まあ、そうなんだけど」


 これ以上は何も言うまい。

 あたしが黙れば男も何を言うつもりはないらしく、鞭を振るって馬を走らせた。


 ん?


 がらがらがら……といい加減聞き飽きた車輪が回る音が聞こえてきてしばらく経って、ふと疑問が頭の中をもたげはじめる。


「ねえ!」


 舌を噛まないように気をつけながらも、御者台の男に呼びかける。

 反応が返らないから聞こえていない? 無視している?

 仕方ない、と何とか立ち上がりおぼつかない足取りで御者台へと歩みよった。


「人でなしが駄目で、偽名しか教えてくれないんじゃ、あんたのことなんて呼べばいいの? イーガーさんとでも呼べばいいの?」

「『ご主人様』だろ」


 かぶせるように言われた答えに言葉を失う。


「『ご主人様』だ」

「…………」


 何も答えず元の位置まで戻ると、再びしゃがみこんだ。

 絶対に嫌。誰が呼ぶか。何でご主人様なんて呼ばなきゃいけないの。

 反論しようと思えばいくらでも言葉は浮かんだが、何も言えなかった。


「気持ち悪っ……!」


 自分のことを『ご主人様』と呼べっていうその発想が気持ち悪い。

 本音を思わず吐露すれば、すぐに非難の声があがった。


「聞こえてんぞ、痴女」

「うるさい、人でなし!」


 もういい、こいつは人でなし。そして拗らせ貴族。それ以外の何者でもない。

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