04 予言というか呪い
「おい、痴女」
どれぐらいそうしていたのか、布団の温かさに少しだけうとうとしかけていたところ、そんな低い声音に覚醒させられた。
頭だけ布団から出して、声の主を見上げてみる。
不機嫌そうなしかめっ面でこちらを見下ろす――秘書だと思っていたその男の姿があった。
腕組みをしてベッドサイドに立ち、あたしを睨みつけている。
「その態度はなんだ」
むかつく。
むかつくが口答えはしない。
「あたし、裸なんだけど」
「俺が脱がせたからな」
見られた。この男に、生まれたままの姿を見られた。
頭を殴りつけられたような衝撃をくらって、言葉を失った。
「お前、血液が毒なんだろう。傷の有無を確認しなければ俺が危険だ」
おっしゃる通り。
つまり何もされてはいないってことか。ただひん剥かれただけ。
もぞもぞと布団で裸体を隠しながら体を起こす。
改めて考える。このシチュエーションって一体何。
「何で生きてんのあたし」
「殺せないからだ」
何だか生温い言葉を口にしているが、男の顔は怒りで染まっている。
そんなに怒る理由なんてあった?
正直言えば、裸にされたあたしの方が怒りたいわけで。
「お前がやったことで、俺の人生は滅茶苦茶だ!!」
頭ごなしに怒鳴りつけられ、身が竦んだ。
男性の怒鳴り声は怖い。無防備な状況ならなおさらだ。
それでもなるべく弱みは見せなくない。懸命に男を睨み返す。
こっちだって命がかかっているんだから死に物狂いでやるしかなかった。
「そんなの、仕方ないでしょ」
男が何を言いたいのかさっぱりわからない。でもあたしには選べる手段が少ない。死なないために死力を尽くした結果がこの状況なんだからそれはもう仕方ないでしかない。
「他人事のように言うな!」
「だって他人だもん」
あんたの事情なんて慮る必要ないでしょ、という意味で言い放っておく。
いきなり怒鳴りつけてくる奴に思いやりを持てとか無理でしょ。
「もういいから、あたしを始末するか服をくれるかどっちかにしてよ」
現状この体勢から一歩も動くことはできないし。
これって任務放棄と見なされるんだろうし、そうしたら近々組織もあたしを追ってくるはず。口封じってやつだ。
「――責任をとれ」
「はあ?」
男が重々しく口を開いて出てきたその台詞に、思わず耳を疑った。
責任って何? 責任を課せられるようなことした覚えがない。
「お前が初めてを奪ったんだ! 責任をとれ!」
「は、はじめて?」
なにそれ、何でそんな乙女みたいなことを?
本当に言っている意味がわからず聞き返す、男は渋面を作った。
「キス」
「……は?」
「初めて唇を交わした相手と結婚をしなければならない呪いにかかっているんだよ! 俺は!!」
「は?」
もう「は?」しか出てこない。
何を言っているんだろう? このお兄さん、どう見たってあたしより年上でしょう?
「あんた年いくつよ?」
「24だ」
やっぱり年上じゃない。いい大人。
「24にもなって、誰ともそういうことをしてないの!?」
「ああ」
即答。
やばい。
こいつ、やばい! 拗らせ野郎だ!!
何? 大事にとっといたって感じ? 乙女でもないのに? 超純情すぎて笑う――笑うところだよね、これ?
「呪い?」
「生まれた時にそう予言された。初めて唇を交わした異性と婚姻をすることで子孫繁栄がもたらされると」
「それは呪いじゃなくて、『祝福』の類なんじゃないの」
「俺にとっては『呪い』だ」
「ちなみに、それを違えるとどうなるの」
「家は没落。妻選びを間違えたその瞬間に俺は死ぬらしい」
うえ、なにそれ、確かに『祝福』じゃなくて『呪い』だわ。間違いない。
でも、これだけは言っとかないと。
「事故! だから!」
あれは故意ではないし、そういう「はじめてのチュウ♡」とかいう可愛いものではない。
あたしの自爆であって攻撃の一種で、そう、事故だ。事故!
「妻選びを間違えたら、俺は死ぬし家は没落するんだぞ!!」
「そんなの知らないし!」
普通そんな『呪い』がかかってるなんて思いもしないでしょ。
だいたい適齢期っぽいお坊ちゃんが未経験であるってことも未だに信じられないし。
あたしだって血の通った人間だから、罪悪感もないわけじゃない。でも、こんなのどうやったら回避できた?
ちなみにあたしも初めてだったんだけど、もう、いいやって思うことにする。忘れてあげようっていうか忘れたい。
「あ、……あ、あたし、ま、まだ子どもだから!」
童顔なことを最大限利用してやる。
ほら、いやでしょ、特殊性癖って思われるの、ね? ね?
「お前、18歳だろう?」
ベッドの横に腰を下ろされて、ぞっとした。慌てて身を引いて距離を保つ。
「な、なんで!?」
「調べている。あの宿の従業員全員。そもそも、お前は休みの予定だったはず」
「そんなことまで!?」
「ソナーウィックの野郎は、最初からお前が目当てだったんだ」
はああ?
「というか、お前という餌に釣られてあの宿におびき寄せられたというのが正しいか」
「……なにそれ」
組織は、あのお貴族様を嵌めるためにあたしを利用した?
まあ、そうだろうな。使える者は何でも使うのが組織なんだろう。
それに対してあたしは文句なんて付けられるわけもなく。
「お前、あのおっさ――貴族野郎の好みのど真ん中なんだよ。どっからか調べ上げてきて、綿密に誘拐計画まで立ててやがって……。思い出すだけで気色悪ぃ」
駄目だ。
頭が理解することを放棄していた。
えーと、つまり、あたしは? あの肉――おっさ――お貴族様を殺ろうとしてたけど、実はヤラれる方だった? 違う違う!! 断じて拒否! そんなのは絶対おかしい!
「遭遇しないように手を回したが、それも無駄だったようだな。せっかく従業員まで増やしてやったのに」
「急に三人も人が増えたのってそのせい!?」
こっちはすんなり頭に入ってきた。
うん、何かおかしいと思った。あれだけどんなに募集しても全然集まらなかったのに、急に三人も増えるなんて、裏から手を回していたってこと?
そんなことができるこいつって――いや、もう怖くてこの話題もあんまり深く考えたくない。
「結局あたしは、誰かの手のひらの上で踊らされているだけなのか……」
わかってはいたけれど、何度目かわからないほどくらっていた突きつけを再びくらったような気分だった。
力というほどの力を持たないあたしはその手のひらから降りることすらできない。
「あの、おっさ――お貴族様は死んだの?」
「殺してない」
銃で撃ちぬいた本人に質問したらあっさりと首を横に振られてしまった。
……え?
「命中してたけど!」
「普通の銃なら死んでだろうが。あれは魔法の銃だ。弾丸は体の自由を奪う魔法。しばらくすれば魔法が切れて動けるようになる」
「う、そ……」
任務、失敗してたけど、あのおっさ――お貴族様だけは始末できたと思ってたのに。
手段をどうであれきちんと死んでいたのなら最悪なんとでも言い訳ができると思っていたけど、生きながらえてるんなら、『失敗は死あるのみ』だろう、多分。
「ねえ、やっぱ事故ってことにしかない? あたし、多分そんなに長くは生きられそうにない」
事故で初めての相手じゃないってことにしとけば、予言回避にならないだろうか。
そんな気持ちで男に目をやれば、男の顔があたしの顔を覗きこみ、素早く唇が触れあった。
……は……?
自分の身に起きたことが信じられなくて、近づいてきたのと同じ素早さで離れた男をまじまじと見てしまう。
こいつは今、何をしたんだ? おい?
「これで事故じゃなくなった」
「……馬っ鹿じゃないの!?」
何なの、あたしには乙女チックな思考も許されないの?
夢なんて見てなかったけれど、見てなかったんだけど!
こみあげてきた涙で視界がじわっと滲んだ。慌ててシーツに顔を押し付けてそれを隠した。
色々な感情がごちゃ混ぜになって、あふれ出した感じ。でも一番根底にある感情は、「悲しい」だ。
嗚咽は必死で飲み込む。
「困ったことに、こんな状況でも全く欲情しない」
思わず握りしめた拳を男の胸板めがけて繰り出していた。
されても嫌だが、されないのも何か腹立つ。
「これを貸してやる」
着る物とともに、男があたしにそれを差し出してきた。
「銃……? あたし使えないわよ」
「言っただろ、魔法の銃だから。対象に向かって引き金を引くだけで当たる。今は『麻痺』の魔法が詰めてあるから、撃てば対象の体の自由を奪える」
興味はあった。
へえ、と口にしながらも、服の上に置かれたそれを素早く手に取った。
そして男に照準を合わせて躊躇いなく引き金を引く。
かちっと手ごたえはあったが、何も起こらない。
「何にも起こらないじゃない」
「持ち主は俺だ。持ち主には発動しないっつー制約はかけてあるんだよ」
引きつった顔で男は懇切丁寧に説明をしてくれた。やはりいきなり銃口を向けられるのはいい気がしないのだろう。わかっていてやってみたんだけど。ついでに麻痺してくれたらこのまま逃げるのも有りかなとかちょっとだけ考えていたけど。無理か。
じゃあ、とあたしは自分のこめかみに銃口を向けて再び引き金を引いた。
今度はバチンと手ごたえがあって、銃口を押し付けているこめかみに何かが炸裂したような感覚はあった。
反動で軽く頭が飛ばされるような感じだった。
「びっくり、したあ……!」
「自分に向かって躊躇わず引き金を引く馬鹿は初めて見た」
男はあたしの奇行ともいえる行動に呆然とした様子だった。何となく勝った気になったのは気のせいじゃない。
「いや、それより麻痺してないのかよ?」
「言わなかった? あたしの体質。体に何らかの影響を与えるものは全部効かないの」
「まさか、魔法もなのか!?」
「みたいね」
試したことはなかったけれど、そんな予感はしていた。
でもこれは諸刃の剣だ。悪い影響だけじゃなくて、良い方の影響も効かないから。
あたしには薬の類も効かない。だから病にかかればひとたまりもないわけだ。
「そんなに有用な体質の人間を消しに来んのか?」
「”失敗した者死あるのみ”って言われているし」
あたしが接触していた組織の者はミレイとランドのみ。
その、ランドがよく言っていた言葉だ。
あれは、冗談の類じゃなかったと思う。いつもの冗談とは声のトーンが違っていた。
顔を上げれば引きつった顔の男と目が合った。
それ以上何も言うことはない。手に持っていた銃はサイドテーブルに載せて、用意してもらった衣服を手にして――
「着替えたいんだけど!」
全然動く気配のない男に向かってとりあえずそう告げる。
「着替えればいいだろ」
「何であんたの目の前で!?」
着替えるってことは、一旦シーツから出なきゃならないってことで、勿論シーツの下は裸体である。
脱がせたのがこいつってわかってはいるけど、自分から見せるってのは、一応人並みの羞恥心はあるのだ。絶対無理だし、そこは譲りたくない。
「今更だ」
「何がだ!」
再びの右ストレートが男の肩を直撃した。
こいつ本当に、本当に、拗らせているだけあって、デリカシーもないし、最悪、最低だ!
こんなのと子孫繁栄するなんて絶対絶対無理なんだから!