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03 任務

 夜。

 宿のオーナー直々に特別室に行くように指示をされた。


「あたしに身売りをしろってことですか?」


 オーナーは『組織』の人間じゃない。

 だからあたしがここであのおっさ――お貴族様のところに行かされるのは『組織』の意向ではないはず。

 一応抗議しておく。

 気色悪いんだもん、あのおっさ――お貴族様。


「そういう意味じゃない。でもお貴族様に睨まれちゃ商売はできない。わかってくれサラ」


 このオーナーマジでヒドイ。

 あたしを犠牲にして宿の存続を選びやがった。

 いや、まあ、当然と言えば当然か。

 身寄りがない小娘一人守るわけないっちゃないけど。


 自分の無力さを覚えるけれど、世の中って大概そんなもんだ。


「わかりました」

「特別に手当てをつける! 天井のシミを数えているうちに終わるからっ!」


 そういう実践的な話、聞きたくなんてなかった。

 暗澹たる気分で、お貴族様ご所望のお茶セットを手に特別棟に向かう。


 そういえばあのお貴族様はなんの目的でここに滞在することになってんだろ。

 何かの仕事なんだろうか。

 それも『組織』が仕向けているのかな。


 そこに与しているが、あたしは『組織』のことを全然知らなかった。


 特別室の入り口扉をノックする。

 返事はない。もう一度ノックしながらも扉を開ける。

 開けた途端に感じた匂いに、『組織』が仕事をしているのだと理解した。


 眠りの香の匂いだ。

 特徴のある甘ったるい香りの中をお茶セットを手にしたまま棟内へと侵入する。

 ばたばたと倒れ伏している護衛たちと使用人たち。


 多分、お貴族様はまたあの寝室だろう。お茶を持ったまま寝室へと向かう。


 ベッドの上にはあの贅沢ボディーが横たわっている。

 サイドテーブルの上に持ってきたお茶セットをのせ素早くポケットに手を伸ばした。

 小さい針の存在を確認して、指に張り付けるように表に出す。

 針を目視で確認してベッドサイドへ歩みよった。

 

「よいしょっと、お貴族様、失礼しますね」


 贅沢ボディーは柔らかクッション……かと思いきや結構かたい。

 これから死後硬直したらもっと固くなるのか。

 見た目はふんわりなのに、結構残念。

 躰に馬乗りになり、ポケットから取り出した針を――

 

「ひっ!?」


 瞬間、太ももに這いずる回る手の感触を覚えて、思わず悲鳴を上げてしまった。

 見下ろせば、お貴族様が目を開けて下卑た笑みをたたえあたしを見つめていた。


「ずいぶん、積極的なんだね」

「……っ!」


 尻に伸びてきた手を左手で制しながらも、右手に持った針でお貴族様の首元を狙う。

 何でこんなに眠りの香が濃いのに眠っていないのだろうか。

 焦る気持ちを抑えつつも、任務を遂行させることを先決しようと決めた。


 針を確認して頸動脈をめがけて突き刺――そうとしたところで横から現れた人物に手首を抑えられ上へと引っ張られそのまま宙吊り状態になる。

 やばい、針、落とした!


「離せ!」


 腕をつかみ上げている人間を睨みつければ、例の秘書だ。涼しい顔であたしを見ている。むかつく。

 吊られたまま勢いをつけて蹴りを入れようとしたが届かない。

 別に手足が短いってわけじゃないのに……っ!

 あたしは顔は童顔だが、身長はちょっと小さめ程度だ。低身長じゃない。

 ……何だか、体がうまく動かない?


「離して!」

「貴様何をしている! その娘はわたしの――」

「うるさい」


 と、あたしを捕まえている男の手の中で何かが震えた。

 同時にお貴族様がもんどり打って倒れる。

 音の発生源をよく見れば、見覚えがあるものを秘書はあたしをとらえている手で握っていた。

 銃だ。


 この人、お貴族様に向けて銃をぶっ放したの!?


 鉛の塊が、火薬や魔法によって細長い銃身からすごい勢いで飛び出していき、対象を貫くもの、というのがあたしの持つ銃の知識だ。

 でもって、扱いづらい。火薬が暴発することもある。的に当てるのに一苦労とかなんとか。

 決してあたしを捉えている手で扱えるものではない。

 

 ただ例外があることも知ってる。

 火薬を使わずに魔法で制御するもの。

 見たことはないけれど。だけど、多分この男が持っているものはそれだ。


 撃たれたら確実に死ぬ、だろうな。

 倒れたままぴくりとも動かないお貴族様を一瞥してそう判断を下す。

 ここで死ぬか、それともこの男を殺すか、どちらかだ。


 抵抗を続けながらも、思い切り唇をかむ。

 あんまりこの手は使いたくないんだけど、手首をつかまれたときに針は落としてしまっているから奥の手だ。

 

 痛みは感じなかった。嚙み切った唇から流れるぬるりと生暖かい血を舌先で掬い口中へと含む。

 冷静になればその方法はわかる。手首を返すようにあたしを掴んでいる手から抜け出し、男に体当たりを仕掛けて後方に転がした。

 そのまま男の体の上にのしかかり、頬に手をかけ――本当はものすごくいやだけど!


 その唇に自分の唇を重ね、口中に含んだ血を送り込むように舌を男の口中に挿入する。

 そこで我に返ったのか男が抵抗してくるが、もう遅いわけで。

 変な体勢のまま、突き飛ばされて抗いもせず転がる。


 転がったままで、羞恥心にまみれたあたしは起き上がることさえままならない。

 盛りがついたままがっついた変態女みたいな挙動をしてしまった。

 純情な感情とかそういうの全部ほっぽり投げても恥でしかない。


 早く毒が全身に回って死なないかな。

 死者との口づけならばノーカンでいいよね。

 

「おい」


 転がったままのあたしの前に立ち、あたしを見下ろす男と目があった。

 まだ立っていられるとか!

 いや、これ、もしかして……失敗?


 そういえば、オーナーに呼び出されたのはイレギュラーだった。

 そのせいで、毒を服用してからここに来るまで想定よりだいぶ早かったってことを考えると、あたしの全身に猛毒が周りきっていない可能性があるぞ?


 でもって、この奥の手が使えないってことは、ここを切り抜けるのってほぼ無理なんじゃない?


「あーあ」

「いきなり何をする、この痴女め」


 人生はあきらめたけど、この言い方は若干傷つくな。


「いうなら『死の口づけ』ってやつ。失敗しちゃったけどね。でもしびれるぐらいはしてるんじゃないの」

「お前、何を?」

「あたしの血に猛毒が含まれてる――はずだったんだけど。服用が遅かったのか含まれてないみたい。命拾いしたわね」


 不遜な態度で笑ってやる。

 怖いから。


「服用? 毒をか?」

「あたし、毒が効かないの。そういう体質」


 だから猛毒を体に入れても死なない。

 だから血液を毒に変えることもできる。

 だから、毒針を直につかんでも平気。人を油断させるのはそういうところと、あとはこの童顔。


 あたしが殺し屋なんかをやれているのは、それだけだ。


「毒が効かない、だと? じゃあこの香も?」

「そう、体に何らかの影響があるものは全部効かない」


 そういう体質だからこそ、お金を稼げる。

 孤児なのに猫を飼うような優雅な生活が手に入る。


「……そんな、ばかげた話」

「あるのよね、これが」


 男は普通に立ってはいるが、口の端がやや痙攣しているのが見て取れた。やっぱりちょっとだけ毒の影響は受けている。

 

「くそ、手が思うように動かん! そういうことか!」

「……その程度で済むなんて、とんだ幸運だこと」


 眠りの香が効かなかったりしているからある程度耐性はあるのだろう。

 まあ、あの何種類かの毒を混ぜた猛毒が体に入ったら耐性があろうともその程度じゃすまなかっただろうけど。


 なんだろうな、この人も貴族だって護衛の人は言ってたけど。貴族という地位で、まあまあ見た目もいいし、おまけに運までいいなんて、世の中本当に不公平よね。

 親もいなくて、やりたくもない殺しをやり続けて、最後は貴族のおっさんに触られて、痴女呼ばわりされて死ぬあたしとは大違い。


 今度生まれるんだったら、絶対に貴族のお嬢様に生まれてやるわよ。

 それで、気苦労なく、素敵な旦那さんに連れ添って生きて死ぬ。そういう生き方をしたい。


「殺しなさいよ、手にしてる『それ』で」

「……ああ」


 絵でしかみたことのなかった銃の銃口があたしをとらえる。

 毒の影響か、ややおぼつかない風な動きだどね。


 未練――なんて、本当は持っちゃいけなかったの。

 ごめんねセレ。もう会えない。

 ごめんねミレイ。あれが本当に最期になっちゃうなんてね。


 じわりと涙でにじむ視界があたしがが見た最後の光景になった。





 と、思ったのに。

 

「生きてる?」


 天井が目に入る。

 あの世に天井なんてないだろうから、やはりあたしは死んでいなかったのだろう。

 

「あーあ……」


 生き延びたら生き延びたでまた面倒な気がしてきた。

 だいたいここはどこだろう。

 まあ、そんなに良いところなはずはないだろうけど。


 どちらにせよ、あたしはもうあそこには戻れない。

 セレにもミレイにも会えない。

 もしかしたら『組織』に消されるかもしれない。


 詰みだ。


 そろそろと起き上がってみて、自分が裸であることに気づく。

 ……事後? そんなありえないことを考えながら、もういちど布団の中に戻った。

 この状況で真っ裸で外に出ていけるほど、あたしは羞恥心を捨ててはいない。


 大丈夫だ。

 割とコンスタントに服用していた毒の影響で、あたしの血液のみならず体液全てに毒が含まれている、はず。

 もしそういう事態になったとしたら、相手に毒の耐性があろうとも粘膜の絡み合いをしたらただでは済まない。……あたしもただじゃ済まないけど。

 

 じゃ、なくって! そうじゃなくて、今危惧しなきゃいけないのはそっちじゃない。

 

「……ここは、どこ?」


 羽のように軽い掛布団の中響いたあたしの声は、自分で思っている以上に不安で溢れかえっていた。

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