02 仕事の話
仕事、か。
今日はのんびりする予定だったんだけど。
あからさまに顔を曇らせるあたしに、ミレイはお手本のような笑顔を見せた。
「ご指名なんですって」
「指名ってあたしを?」
「そう」
あたしを指名って、どういうことなんだろう。
ケーキは美味しかったのに、後味は悪い。
忘れたふりをしていたけど、食べ終わってからこの話を切り出したのはミレイなりの気遣いなのもわかる。
食べる前だったら気が重すぎてケーキを楽しむどころじゃなかっただろうし。
「とりあえず、行ってくる」
「気を付けてね」
残ったアイスティーを飲み干して、代金をミレイに託すと立ち上がる。
足を踏み出しかけて、ふと、ミレイに言っておかなければと思い立った。
「もしあたしが帰れなくなったら、セレのことお願いね」
「……バカなこと言わないの。でも了解。サラだと思って思いきり甘やかしてあげる」
窘めるようにミレイに言われてしまうが、そうは言っても生き物を飼うと言うことは責任がついて回るのだ。常に万が一のことを考えておかないと。
こうやって頼める相手がいるからこそ、あたしはあの白い猫との生活を許されているのだ。
「いつもありがと」
「最後みたいに言うな!」
ミレイに怒られてしまった。
あんまりしんみりするのは駄目らしい。
こんなこと言っているけど、あたしもこれが最後だなんて思ってもいない。駄目な時は駄目なんだろうけど、自分でも自分はしぶとい方だと思ってる。
「ごちそうさま」
と、看板娘に言って店を出る。
そのまま向かうのは街の中にある雑居住宅の中にある一室だ。
ノックもなしで無遠慮に中に入る。
「おう、サラじゃん」
こいつは確かあたしと同い年だったはず。
あたしと同じ、『組織』の末端。
「死神姉妹の妹か」
「姉!」
あたしが姉。ミレイが妹。
数か月だがそれは譲れない。
見た目からは絶対わからないことは承知の上である。
「へいへい、どうせ殺られるんだったら、ミレイの方がいいよなあ」
「贅沢な」
ミレイは、ああいう清楚美人系を気取っているが仕事の時は、もう何ていうか「凄惨」の一言だ。
最期の最後まで貪り尽くすというのか、逃げようとする足の健を切り、叫ぼうとする喉をつぶし、ありとあらゆる生への逃げ道を塞ぎ尽くして絶望を味わわせてからの――みたいな。あたしにはあそこまでやる執念はない。
尤もいくらミレイでもそこまでやるのは結構気に入った――というよりは愛した男だけだからこいつ相手じゃ適当にやって終わりな気がする。
愛しているからこそ、命も含めて全部欲しいというのがミレイの談。これ理解しちゃったらヤバいと思うから、あたしにはよくわかんないな。
「まあ、ランドじゃさくっと殺られて終わるんでしょうね」
「瞬殺か。苦しくなさそうで何よりだ」
そんな軽口をたたきながらもランドはあたしを奥の部屋に入るように促した。大人しくそれに従う。
なんの装飾もない部屋に、向かい合わせに座るテーブルと椅子が置かれたそれだけの部屋だ。
向かい合わせに座ってランドに視線をやった。
「対象は?」
「今回は大物だぞ」
「特別室の宿泊客?」
ランドが放り投げた資料をパラパラめくって確認する。
ソナーウィック侯爵? 爵位はよくわかんないけど、結構偉い人なんじゃないの?
「……やばくない?」
あたしで大丈夫なの? という意味でランドを見れば、ランドは愉快そうに目を細めている。
「サラが怖気づくとは」
「お貴族様に近づきたくないだけよ」
失敗したら命の保証なんてないし。まあそれはどんな『仕事』でも一緒だけど。
「……そういう趣味なんだ」
「趣味?」
意味がわからず聞き返せばランドはますます愉快そうな顔つきになる。
「少女趣味」
「うげ」
心からの声が漏れた。
年齢37歳の高貴な人間の趣味がそれか!?
「……あたし、『売り』はしてないけど」
「買う奴もいやしねえしな」
「そういうこという奴は、思い切って殺っちゃおうかな」
「待て、ジョークだよ。場を和ますやつ」
笑えそうにもないそれは決してジョークなんかじゃないでしょうが。
揶揄なのか、嘲りなのか。
「少女っていうにはトウが立ってるでしょうし」
「いーや、行ける行ける。自信持て」
「持ちたくないし、気持ち悪いし」
「断るなんて選択肢はないし」
そんなわかりきったことを言われたくはない。
『仕事』は渡されたら拒否はできない。
「でも、文句ぐらい言わせてよ。あんただって嫌でしょ。年下狂いのマダムが襲ってきたら」
「いやあ、ちょっとアリかもな。かわいがってくれるなら」
「かわいがられたくないの、あたしは! あんたに共感求めたあたしがバカだった」
資料をランドに返せば、ランドは手のひらの上に炎を出現させてそれを焼き尽くした。
「便利よね、それ。魔法なんだっけ」
「これっぽっちの火じゃ書類を焼くとか煙草に火をつけるとかその程度にしか使えないからな」
「ふうん。でも秘密文書の扱いには向いてるじゃない」
「全然嬉しくねえ」
あたしからすれば魔法を使えるだけですごい! なんだけど。
使えれば使えたでまた別の悩みが生じるのか。めんどいな。
「で、決行はいつ?」
「今夜」
何でこんなに突然なんだろう。
思わず脱力してしまう。久しぶりの休日だったというのに、泣きそう。
「はあ。わかった、じゃあ出勤してくる」
「早くない?」
「特別室、掃除しなきゃ」
あそこに客を迎えるの、どれぐらいぶりなんだろう。
本物の客が泊まることはほとんどない。
ターゲット専用に作られていると言っても過言ではない。
前回使ったのは、ミレイだったように記憶している。
「結構いい男だったから、思う存分やったわ」と笑っていたが、後始末が大変すぎて、さすがのミレイも上から怒られたらしい。
何か不気味で掃除も怠っていた自覚があるから、大変なことになっていそう。
お貴族様を迎え入れるためにピッカピカに磨かなきゃ。
とりあえず掃除だ。
掃除仕事は苦手でも嫌いでもない。きれいになれば嬉しいし。
気合を入れて立ち上がった。
特別室をピカピカに磨きあげ、準備は万端。
メイド服のような仕事着に着替えて『お客様』を待つ。
ドでかい馬車がやってきて、秘書と思われる若い男がまず表に出てきた。
宿泊の手続きのため、その男が本館に向かうのを案内する。
ここら辺じゃ珍しい黒髪の男だった。
あたしもその珍しい黒髪で黒目なので二人並ぶと結構目立つ。
だが、世間話や雑談は一言も発することなく、宿泊手続きを完了させて、再び特別室に。本館と結構離れているのでこの手続きがちょっと煩わしいかもしれない。
そうやって、ようやく馬車の扉が開かれ、お貴族様が現れた。
でっぷりと肉と脂の乗った体は、まあ贅沢でゴージャスな体形ですね、としか言えない。
秘書と並んで頭を下げているあたしの前に降り立って、顔を上げるように言われた。
逆らえるわけもない、と従えば、お貴族様と目が合った。
その目に浮かんだのは劣情じみた気持ちの悪い光。
かかった、と思った。
「わたしの世話をしなさい」
と言われて、思わず「無理です」と言いそうになったが、困ったような顔を作って視線を秘書の人に向けてみる。
「こちらで用意した使用人以外を入れるわけにはいきません」
それが当たり前の反応だけど。どうだろうな、このお貴族様は。
ここで立ち入り禁止を申し渡されたところで、忍び込むには忍び込むんだけどね。
「うるさい」
「安全のためです」
「ええい、来なさい」
お貴族様に手を引かれて特別室に連れ込まれる。
あれ、これやばいんじゃないの? と思った瞬間にはベッドの上に組み敷かれていた。
「怖くないからね」
怖いに決まってる!
っていうか、早すぎる。手慣れすぎてる! こいつ、常習犯か!
この状況、ここで、みんな見ている中で、こいつの好き勝手にされる、と?
誰が『買い手』がいないだっつーの! ものすごい勢いで熱望されてるじゃない!
金銭が発生しないから売り買いじゃないのか。
あたしは無料で働くのは嫌いだ。大っ嫌いだ!
「や、やめてくださいっ!!」
必死の抵抗を試みたという体で思い切りお貴族様の鳩尾向かって蹴りつける。
ぐふっとちょっとつらそうな声が漏れ出たが、聞こえないふりをしてなおも暴れてやる。
「や! やだぁあ! 誰か助けてぇえええ!!」
後は、適当に痛めつけながらも泣いてみる。
さすがに思うところがあったのか、秘書がお貴族様の体の下からあたしの体を引き抜くことで助けてくれた。
その場にへたりこんで、本気で泣いておく。演技のつもりだけど半分ぐらいは本物の涙なのかもしれない。
「早く行け」
秘書が忌々しそうに言ってくれるが、あたしはただ泣くだけである。
なんでこんなところで、複数の目にさらせながら、気持ち悪いおっさんに無料でやられなきゃならないの?
半分は演技だったはずなのに、情けないことに涙が止まらない。
「お嬢ちゃん、立てるか?」
護衛の一人が手を貸してくれたので掴まって立ち上がる。よかった立てた。
気色の悪い笑みを浮かべてこちらを見やる貴族様からあえて目をそらしたまま、護衛の人に引っ張られるように寝室を後にした。
本当に危ないところだった。
「……怖かっただろ。ご主人はわかりやすく悪人で、ああいう風に幼い娘をどこからか連れてきては潰していく悪癖がある。でも身分のせいで助けることもできないし」
「怖すぎです!!」
「お嬢ちゃんみたいに真面目に働いている子にはさすがにやりすぎと思ったよ。助けてもらえてよかったな」
「あの、秘書みたいな人……大丈夫なんですか?」
あの人が冷静に助けだしてくれたから、傷物になることから免れることができた。
でも身分がどうこう言うんだったら、あの人後からひどい目に合わされるんじゃ?
「あれもお貴族様だから近づかない方がいい」
「お貴族様が小間使いみたいなことをするんですか?」
素朴な疑問を口にすれば、護衛の人は少しだけあたしに近づいて、小さな声で耳打ちした。
「お目付け役として偉い人から派遣されてきたらしい」
「そう、なんです、か」
何やってんだ、ソナーウィック! お目付け役付けられるほど何をやらかしてんの!?
あ、でもあれだ、前科はある。女の、っていうか少女の敵だ。あいつ。
「なんにせよ、お貴族様たちの世話は使用人を連れてきているから、お嬢ちゃんは絶対に近づいちゃダメだぜ。さっきみたいな目に遭う」
「はあ」
「まだ幼いのに仕事してて偉いな。がんばれよ」
護衛の人、普通にいい人だった。あの秘書みたいな人も、まあいい人っぽい?
そしてあたしはやはり少女に見えてんのか。それならそれでやりやすいからいいけど。
特別室に戻っていく護衛の人をお辞儀して見送って、あたしは小さく息を漏らした。
ここからは『組織』の仕事だ。仕上げの一歩手前までは。
あたしの仕事はその仕上げ。