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01 いつも通りの朝からはじまる

 ぐるぐると、誰かのいびきのような獣のうなり声のような音がどこからか響く。

 瞼も体も重い。ああ、まだ眠い。

 ちょんっと冷たい何かが鼻に触れる。


「起きるから……」


 かすれた声で抗議をすればぐるぐる音の音量はあがる。

 うるさい。かわいいけど、うるさい。そして、


「おもい」


 胸にずんとくる重さに抗議を重ねても重さと息苦しさからは逃れられなくて、


「重いってば!」


 跳ね起きると同時に重りを抱きしめる。愛しいけど重々しい白い猫だ。

 ニャーと批難するように鳴くが暴れはしない。


「セレ、また重くなったんじゃない?」


 あたしがそう言うと不服そうに鼻を鳴らして、セレは冷たい鼻をあたしの鼻にちょんと押しつけた。


 胸元(といいながらも首に近い)に乗りながら熱烈な鼻チューをお見舞いしてくれる白猫セレの目覚ましは毎朝。迷惑かわいくて仕方ない。


 セレを床に放ってキッチンに向かう。一人暮らしには十分の慎ましいキッチンには魔石コンロみたいな高価なものなどない。小型のガスバーナーに鍋がのせられる金具を取り付けただけという簡単な調理器具しかない。


 街の中に整備されているガスすら通していないのは、あたしの食事が勤め先(宿屋)のまかないで何とかなってしまっているからだ。


 今も唯一ある鍋の中にセレの食事用の鶏ささみしか入っていない。昨日帰ってきて熱を通したあと蓋をしておいただけの簡単調理だ。

 セレの皿に入れて軽くほぐして足下に置けば白猫は鶏にまっしぐらだ。


 さて、あたしはどうしよっかなっと。

 手ぐしで髪を整えながらベッドの横に置かれたハンガーラックへと向かい服を適当に探す。悩むほど数はない。

 いつものタートルネックのさっくりニットとタイトの膝丈スカートを手に取るとハンガーを外して手早く着替える。寝間着は帰ってきてからまた着よう。


 ハンガーラックの横に置いた姿見を見れば、変わり映えのしないいつものあたしの姿があった。

 やっぱり、子どもっぽいか。

 同僚で親友のオシャレ番長からのおすすめで買ったニットだが、なんていうか子どもが頑張って背伸びしてる風にしか見えない。

 いつかは大人っぽく見えると信じて鏡を覗いているのだが。化粧をすればいいのかな。


「……なんだか、大惨事の予感がする」


 こういう予感は当たる。自分の童顔が憎い。


 シャワールームで顔を洗い、せめてもの抵抗で保湿クリームとパールの入った白粉、色つきリップだけつけてよしとする。

 髪は横に流して一結びにする。研究の末、1番無理してないけど年齢が高く見える気がするスタイル完成。


 ご飯食べにいってこよっと。

 行ってくるねと食事中のセレに声をかけ玄関に向かえば


「サラ、いる?」


 タイミング良く外から声がかかる。と、一息おいて玄関の扉が勢いよく開かれた。

 こちらを覗くのは予想通りの顔。柔和な笑みをたたえあたしにひらひらと両手を振ってみせる。

 

「やっぱいた」

「ミレイ」

 

 名を呼ぶとずかずかと家に入り込んでくる。

 栗色の髪をまとめアップスタイルにしている細身の美人。いつもの仕事スタイルの同僚だ。

 夜勤明けだったはず。仕事が終わってその足で立ち寄った、というところだろうが。


「あ、大丈夫よ、鍵はかかってた。こじ開けただけだから心配しないで」


 美人なのに、こういうところが、なんだかなあ。思わず脱力してしまう。

 同じ宿で働くミレイの通常運転ぶりにいちいち反応するのもなんだかなあと言う感じで。


「直しておいてよ」

「うん? 壊してはないのよ」

「え、あっ、そう……」


 もうどんなリアクションとったらいいのかわからないよ。ミレイの夜勤明けハイは底なしだなあ、あはは、と笑うしかできない。


「そんなことより、朝ごはんまだでしょ?ご飯食べに行こっ!」




 ミレイと当たり前のように向かうのはいつものカフェだ。


 こんな朝早くから空いている店も限られる。朝まで営業の飲み屋か、変な時間に開いている行きつけか。

 うら若き娘二人が朝までのみ明かしている猛者どもの群れに飛び込む勇気はない。――いや、ミレイなら行けるかもしれないけど、夜勤帰りで酔っぱらいに絡まれるのも気の毒だし、選ぶのは飲み屋の従業員の集客を見込んで夜中から昼間まで営業するカフェだけである。

 これがなかなかお洒落で美味しくて値段もお手頃で使い勝手がよい。すっかり常連だ。


 いつもの奥まった席を陣取るとマスターに視線を送る。「いつもの」と。

 マスターは無言で頷いた。

 煩わしい注文伺いもさようなら、常連最高。


 看板娘のアイシャがすぐにアイスティーとホットコーヒーをトレーに載せてやって来たと思ったら目に見えぬほどの速度であたしたちのテーブルに置き、厨房へと引っ込んでいった。

 言葉はないが愛らしいスマイルは忘れない。流石看板娘。

 愛想がないとは言わせないぞという強い意思が透けて見える。

 「待たせてないからお待たせしてなくてすみません」みたいな感じか。

 

「はぁ、落ち着く」


 店内唯一のソファー席に体を沈め溶けてしまいそうな顔でミレイはそうこぼした。


「夜勤明けだしね。明日は休みだっけ?」

「ようやく休み~」


 よかったね、と労いの気持ちを込めて言えばミレイは更にふにゃふにゃした顔になった。このまま寝ちゃいそうだな。


 気持ちはわかる。

 ほんの一ヶ月前同僚の一人がやむを得ない事情でご退職されてしまったのに人員補充がされない状態が続いていたのだ。夜番からの早番という地獄シフトとか休みなし15連勤とか、よくやった自分! と自分で自分を誉め倒したい。

 かくいうあたしも、昨日の日勤が終わってようやく休みを満喫しようとしているところなのだ。


「新しい人入ってくれてよかったねえ」

「ほんとほんと、って言いたいけど急に三人も増やすってどういうことよ! もっともっと早く、早く…っ」


 ふにゃふにゃから泣き顔になるミレイにわかるわかるとうなずいてアイスティーを一口喉に流し込んだ。ほんとうによく頑張ったわ、あたしたち。


 二人で労いあっていると再び看板娘がやってきてケーキを二つ無言でテーブルにおいて去っていく。

 うん、ごめん、絡みづらいよね。チョコクリームケーキがミレイ。もうひとつがあたし。

 それぞれの前に注文のケーキ皿を動かしてあたしもため息を吐く。

 休みって素晴らしい。


「このケーキ超食べたかったぁ~」


 言いながらもミレイはフォークを手に取りパクパクとケーキをお腹に納めていく。いつもながらいい食べっぷり。

 あたしもフォークを手に取った。

 ミレイはいつものチョコクリームケーキだけど、あたしは日替わりケーキなので毎回違うケーキだ。今日はチーズケーキっぽい見た目だけど。一口食べる。


「あ、黒豆だ」


 これ前にも食べたことある。すごく美味しい。甘く煮た黒豆が入ったクリームチーズケーキだ。チーズの部分の甘さは控えめで、黒い豆の香ばしさと甘みが良い感じに交じり合った味。


「幸せ」

「幸せ」


 二人で言い合って笑う。朝ごはんからケーキが食べられるなんてまさしく幸せだ。し、夜勤明けのケーキが幸せなのも非常によくわかる。

 一度ミレイと目線を合わせて頷き合えば、後はケーキを食べることのみに全神経を注ぐ。

 二人でいてもこの時間を許してくれるのがミレイのいいところなのだ。


 ゆっくりゆっくり、大事にケーキを食べて、最後の一口を食べ終えて、一度ため息を漏らす。

 ああ、美味しかった。

 ミレイは既に食べ終えて、優雅にコーヒーを飲んでいる。美人がコーヒーカップを持っている様って、絵になるよね、とフォークをお皿の上にそっとのせながらこっそりと思った。


「美味しかった……!」


 いい朝ごはんだった。

 あたしもアイスティーを一口飲む。ストローを付けてくれないからグラスから直接だけれど。


「朝っぱらからケーキを食べるって背徳感、たまらないわ!」

「背徳感なの?」


 変なテンションのミレイにそう言ってあたし曖昧に笑った。

 ……でも確かに、朝ごはん代わりにケーキって背徳感だわ。


「そうそう、言い忘れてた」

「何?」


 ふにゃふにゃしていた笑顔を消してミレイは言った。


「サラ、仕事よ」

猫に鶏ささみは上げない方がよいです。

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