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第九話 髪鬼

「ありがとうございましたー」

「ありがとうございました」


 手を振って去っていく客を二人で笑顔でお見送りする。

 ぱたん、と格子戸が閉まった後、御空くんが一つ手を叩いた。


「さてと、今日はここまでにしようか」

「はい」


 不定期営業の雑多屋にとって、店主代理の御空くんの言葉が店の開店・閉店の合図となる。

 朝起きたら突然「今日はお休み」なんて言われたり、まだ夕方前なのに「今日はここまで」なんて言われたりすることも多々あることで。

 その度に、よく潰れないなこのお店、とわたしは何度目かわからない溜息をついていたものの、今はそんなことをすることもなくなった。溜息をつくだけ無駄だと学習したからである。

 閉店作業は各々の作業をする。

 わたしは乱れた商品の整頓をし、床を軽く掃除する。その間、御空くんはお金の管理をしたり、商品が入った箱を運んだりする。明日出す商品を売り場前の廊下に置いておくのだ。尤も、明日店をちゃんと開店するかどうかは御空くんのその時の気分によるのだが。

 と、その前に必ずやっておかなければならないことがあって。


「看板片付けてきますね」

「よろしく」


 わたしが格子戸を開けて店の外に出る。

 辺りは既に夜の帳に包まれていた。

 わたしはぐぐっと背伸びを一つした後、軒先にある立て看板へと近寄った。

 店内の閉店作業をする前に先に看板を片付けておかないとお客さんが入ってくる可能性があるため、まず看板を片付けることになっている。

 つまり、この看板を片付けなくては、今日の雑多屋は終われないのだ。『雑多屋 営業中』と書かれた白文字をわたしは指でそっと撫でる。


「今日もお疲れ様でした」


 あたたかな眼差しで見つめ、労りの言葉を伝える。

 よいしょ、と掛け声とともに看板を持ち上げようとしたその時だった。


「……こんなところにいたのね」


 突如聞こえてきた声にわたしが振り返る。

 異国の人が着ているような洋装を身に纏った女性がそこにいた。

 さらりと零れ落ちたのは長い長い白髪。闇夜に染まりつつある中で、それは異様に目立っていた。

 長い髪に隠れて顔はよく見えない。だが、微かに覗くその肌の色は血の気がなく、髪と同じくらい白い。

 ――お客さん、かな?


「あの……ごめんなさい、もう閉店なんです」


 わたしは看板から手を離し、申し訳なく思いながらも頭を下げる。

 ――帰ってくれるかな……それとも怒られるかな……。

 お客さんの中には「折角来たのに」とぶつぶつ文句を言ってきたり、「少しぐらいいいだろ!」と怒ってきたりするヒトもいる。わたしはそういうヒトたちの対応が特に苦手で、いつも御空くんや鈴ゑさんが接客を買って出てくれている。

 涙が出そうになるのはお客さんに怒鳴られたからだけではなく、上手く対処できない自分が情けないと思うからだ。

 わたしはびくびくしながら恐る恐る顔を上げる。

 目の前の女の人は何も話さない。顔を俯けており、長い髪も相俟ってその表情は見えない。

 わたしが「あの……」と声を掛けるのと同時に、女の血色の悪い唇が動いた。


「……ねえ、貴女。お願いだから返してちょうだい?」


 その口から紡がれたのは、酷く掠れた声だった。嘆きと懇願、そして、微かに感じる怒り。

 噛み合っていない会話に戸惑いつつ、わたしは女の人の言葉を咀嚼する。けれども、わたしには何のことだかさっぱりだった。

 ――わたしとこのヒトは知り合いなの、かな……?さっき、「こんなところにいたのね」って言っていたし……。

 でも、わたしには記憶がない。この女の人が自分の知り合いなのかどうかもわからない。

 女の人の口振りや雰囲気からして、友好的ではなさそうだけども。

 ――『返して』ってことは、わたしはこのヒトから何かを奪ったってこと?わたしは、このヒトに何か酷いことをしたの?

 わからない。何もかもわからないし、覚えていない。

 だから、わたしは訊ねることしかできなくて。


「えっと……」


 ――返してって何をですか?

 わたしはそう訊ねようとした。でも、できなかった。

 風など吹いてもいないのに、女の髪がうねる。そして、突如その髪が伸び出した。逆立つ髪はまるで鬼の角のようだ。


「な、何……!?」


 目の前の光景にわたしが瞠目した、その時だった。


「花夜!」


 声が聞こえて来たかと思えば、御空くんがわたしを庇った。

 どんどん伸びる髪は意思を持っているかのように動き、そして、しゅるしゅると御空くんの体に巻き付いていく。

 御空くんが苦しそうに顔を歪めた。


「ずっとずっとずぅっと探していたのよ……だから、返してよ」


 女の人の言葉に呼応するかのように髪が蠢く。

 御空くんがもがけばもがく程締め付ける力は強くなっていようで。


「花夜、離れて!巻き込まれるから!」

「で、でも!」


 御空の足が地面から離れ、遂には体が宙に浮いた。

 より不安定な状態になり、髪から抜け出すことができない。


「悲しくて哀しくて寂しくて淋しくて辛くて辛くて辛くて!でもやっと!やっと会える!だから返してよ!」


 狂ったように女の人が叫ぶ。

 何とか御空くんから髪を引き剥がそうとしたができなくて。

 髪が、御空くんを覆っていく。どんどん伸びて、遂には店の壁まで伝い始めた。

 御空くんの顔色が悪くなっていく。御空くんは意識を失ってしまったようで、手が力なく垂れ下がった。

 じわじわと迫る命の危機に、背筋が凍っていく。

 ちりんちりんと激しく鈴が鳴り響いた。


「――花夜ちゃん!」


 辺りに凛とした声が引き渡った。そちらを向けば、鈴ゑさんが短刀を手に握っていて。


「これ!」


 投げられた短刀を掴む。

 ――御空くんを、店を……わたしの大切なものを守らないと!

 わたしは迷うことなく短刀を鞘から抜く。すると、短刀が光り輝いた。

 御空くんに絡みつく長い白髪へと短刀を向ける。

 短刀は美しい銀色の軌道を描きながら、獲物を――長い白髪だけを斬った。

 ざっくりと斬られた髪がはらはらと地面へと落ちる。それと共に、宙に浮いていた御空くんの体も崩れ落ちそうになったが、倒れ込む前に鈴ゑさんの助けも借りて何とか支えることができた。

 慌てて御空くんの様子を窺う。


「大丈夫、意識を失っているだけよ」

「よ、良かった……」


 ほっとしてじわりと涙が溢れた。

 御空くんの手の温もりに、徐々に落ち着きを取り戻していく。

 女の人が金切り声を上げた。


「邪魔しないでよ!私はただ、一緒にいたいだけなのに!」


 女の人が細い指で頭を掻きむしる。


「鈴ゑさん、御空くんをお願い」

「え?ええ……」


 恨みがましく睨みつけてくるその視線から二人を守るように前に立つ。


「それはこっちの台詞です」


 怒りも憎しみも何も感じられない声で、まるで自分の声じゃないようだった。

 先程まで騒いでいた女の人がぐっと怯んだ。


「どんな理由であれ、あなたはこの二人に危害を加えた。その事実は変わりません」

「わ、私はっ!彼を返して欲しいだけでっ!彼に会いたいだけでっ!」

「そんなことどうでもいいのです」


 女の人の言い分をわたしはばっさりと切り捨てた。

 短刀を拾握って、歩き出す。

 こつりこつりと足音が響く。

 女の人はまるで金縛りにあったかのようにその場から動かない……いや、動けないんだ。

 唇を戦慄かせ、「私は、私は……」と譫言のように呟いている。

 さして遠くもない距離を詰めて、女の人の眼前へと辿り着いた。


「あなたには、それ相応の報いを受けてもらいます」


 短刀を構えながら言う。夕日の光を受けて輝く短刀は美しかった。


「あの、御空くんを運ぶのを手伝ってもらえますか?」

「え、ええ」

「任せてください」

「了解」

「……了解」


 店の中へと入れば、バフロさんたちも運ぶのを手伝ってくれた。

 御空くんを布団に寝かせた後、鈴ゑさんたちには店の片づけの続きをお願いした。


「御空くん……」


 意識を手放してしまった御空くんが目を覚ます気配はない。けれど、ちゃんと呼吸もしている。触った頬もあたたかい。それは御空くんが生きていることを証明していて。思わずわたしの口から安堵の息が溢れ出た。

 わたしよりも大きな手を己の手で包み込みながら、じっと彼の顔を眺める。

 ――わたしを庇わなければ、御空くんがこんなことになることはなかった……。

 目を瞑る御空くんを見ていると何だかとても怖くなった。

 顔を伏せて彼の心臓に耳を傾ける。

 ――大丈夫、ちゃんと生きている。


「お願いだから、もっと自分のことを大切にして……」


 祈るようにわたしは囁く。

 その祈りを、願いを刷り込ませるように、呟いた。何度でも、何度でも。



   *



 あれから何時間経ったのかはわからない。

 ゆっくりと瞼が開かれ、青色の瞳が現れた。

 目覚めてすぐで頭が回っていないからだろうか、御空くんはぼうっと虚空を眺めていた。

 慌ててわたしは御空くんの顔を覗き込んだ。


「おはようございます、御空くん」

「……おはよう、花夜」


 御空くんの口から零れたのは掠れた声だった。

 御空くんが起き上がるのを手伝って、鈴ゑさんが用意してくれていた水を御空くんへ渡す。

 こくりこくりと彼の喉が鳴るのをただただ眺めていた。

 暫し沈黙が流れた後、御空くんがへらっと笑って言った。


「いやー、失敗失敗。油断しちゃった」

「……『油断しちゃった』じゃないですよ!し、死んじゃうんないかと思って……」

「心配してくれたんだ?」

「当たり前じゃないですか!」

「……当たり前、か。そうかー心配してくれたのかー……やっぱり嬉しいもんだね」


 笑っている御空くんが信じられなくてわたしは押し黙る。

 脳裏に過ったのは真新しい記憶で。

 締め付けられるていく体。

 抗っても抗っても解けない白い髪。

 力なく垂れる手足。

 それは、死への恐怖だった。

 その時の記憶や感情を思い出してしまい、さっと顔色が悪くなったのが自分でもわかった。顔が強張り、自然と体が震え出す。

 ――人間は、簡単に死んじゃうんだ。

 わたしは自身の体の震えを抑えるかのように胸の前でぎゅっと両手を握りしめる。けれども、震えは止まらない。

 視界が涙で滲んでいく。それでも何とか涙が流れないように堪えていると、不意に腕を引かれた。

 誰になんて言わずもがな。

 そのまま御空くんはわたしを己の膝の上に乗せた。

 わたしは未だ状況が飲み込めておらず、「え?え?」と頭に疑問符を浮かべる。

 そんなわたしの体を御空くんがそっと引き寄せる。そのままぎゅっとわたしを抱き締め、耳元で囁いた。


「でもね、そこまで心配しなくて大丈夫だよ。僕死なないから」


 一瞬言われた意味がわからなかった。


「それってどういう……?」

「言葉通りの意味。僕不死だから」


 何てことないように御空くんが言った。

 青い双眸と至近距離で目が合った。


「ちょっと昔話をしようか」


 御空くんはまるで内緒話をするようにわたしにそっと話し始めた。


「昔の僕は病弱でね。お金も仕事も家もなくして彷徨っていたんだ。医者からはあと数年生きられるかどうかって言われていてね。そうして途方もなく彷徨っていた時に、雑多屋の店主と出会ったんだ」


 当時を思い出したのか、御空くんがくすくすと笑う。


「ちょっと頼りない人でさ、でもとても聞き上手だったよ。思わず身の上話をしたら、寿命を延ばせるかもしれないって言われてさ」

「そんなこと、できるんですか……?」

「できたんだなぁこれが」


 僕も半信半疑だったんだけどね、と御空くんが言ってのけた。


「それからあれよあれよという間に雑多屋で働くことになってね。いろいろと教わって、何年か経った時にある日突然店主はいなくなったんだ。いつの間にか僕の見た目も歳を取らなくなってね、自分自身もう何歳になったのか覚えていないな。店主が弄った僕の寿命が何歳かまではわからないけれど、寿命が尽きるその時までそれまでは死なない体になっちゃったんだ」


 軽い口調で語られたそれらに何と声を掛けてよいのかわからなくて、わたしは口を閉ざした。

 そんなわたしの頭を撫でながら、御空くんが優しく微笑む。


「不死にしてもらって良かった。死なずにまた花夜の顔を見られることができたから」


 笑っているけれどその声は少し震えていて、何処か弱々しくて。

 でも、確かに耳に届いたその言葉に、わたしの目から遂にぽとりと大きな雫が零れた。

 宥めるように御空くんが背中を撫でてくる。それがあまりにも優しい手つきで、御空くんの腕の中があまりにも安心する空間で、余計にわたしの涙腺を緩める。


「思い切り泣いていいよ」


 御空くんのその言葉が合図だったかのように、わたしのたかが外れた。

 あれ程我慢していた涙が次から次へと零れ落ちていく。


「くるし、そうでっ……」

「うん」

「し、しんじゃうんじゃないかって、こわかった……」

「うん。僕も怖かった。不死でも死ぬのはやっぱり怖いね」


 しゃくり上げながらもぽつりぽつりと言葉を発するわたしに、穏やかに御空くんが相槌を打つ。

 心地よい温もりに包まれながら、わたしは泣き続けた。

   暫くの間泣き続けた後、御空くんが訊いてきた。


「どう?少しは落ち着いた?」

「はい……あの、その……服濡らしてしまってごめんなさい」

「役得だったし、こんなのどうってことないから。気にしない気にしない」

「ごめんなさい……あと、ありがとうございました」

「どういたしまして」


 泣き過ぎてわたしの目は真っ赤になっていることだろう。でも、先程よりも顔色は良くなったと思うし、表情も柔らかくなったと思う。

 少し余裕が出てきたようで、今自分が置かれている状況を認知して、わたしの顔が熱くなった。


「み、御空くん、そろそろおろしてください」

「嫌です」


 きっぱりと拒否されて、「ですよねぇ……」とわたしは独りごちる。

 些か……いや、かなり心臓に悪いから離して欲しいと思うその一方で、こうしていると安心できて何だかんだで離れ難い。

 わたしが矛盾する感情と葛藤していたその時、御空くんはあることが気に掛かったようだ。


「そういえば、あの女のヒトはその後どうなったの?」

一寸(ちょっと)やっちゃいまして……」

「花夜が?」

「……はい」

「へー、何したの?」


 面白そうに御空くんが訊いてくる。


「御空くんが本調子に戻るまでは説明しない方が良いかなぁて……」

「ふーん、店主代理の僕に説明はなし、と……」

「し、心配してのことですよ?」

「わかっているよ」


 そう言って御空くんなわたしに体重を掛けてきた。

 ――お、重い……。

 倒れないように何とか支える。鈴ゑさんたちに頼んで何とか運んでもらったぐらいだ。体格差を考えてほしい。


「それじゃあ、調子が戻るまで花夜に面倒見てもらおうっと」


 鼻歌まじりの言葉に、わたしは「いろんな意味で絶好調なのでは?」と密かに思うのだった。



   *



 御空くんに手を引かれてわたしは廊下を歩いていた。

 わたしの顔を覗き込み、御空くんが心配そうに訊ねてくる。


「大丈夫?怖くない?」

「怖くない……訳ではないですけど、もうそのヒト普通に話せる状態だって鈴ゑさんも言っていましたし……それなら、何でこんなことをしたのか本人から直接話を聞きたいです。訳もわからないままいきなり怖い目に遭わされて、理不尽過ぎてこれでも一応腹が立っているので」

「やっちゃったらしいしね」

「まあ……はい……」


 辿り着いた先は休憩室だ。そこに通してもらうように鈴ゑさんにお願いしてある。


「本当に大丈夫?」

「御空くんこそ大丈夫ですか?」

「僕はこの通りだよ。死にそうになったことにも慣れているし」

「そんなことに慣れないでください!」

「冗談だって」


 ――全くもって冗談で済まされる話じゃないでしょ!

 わたしは憤慨して、御空くんの背中を叩いた。「いててて」なんて御空くんは言っているが、たぶんいろんな意味で響いていなくて悔しい。

 わたしは落ち着くためにも一つ深呼吸をした。

 御空くんと顔を見合わせて頷く。

 御空くんがゆっくりと休憩室の扉を開け、二人で部屋の中へと足を踏み入れた。

 畳へと上がり、机を挟んでそのヒトと対峙する。

 わたしは俯けていた顔を意を決して上げたのだが――


「申し訳ございませんでしたっ!」


 次の瞬間、見事なまでの土下座を見た。

 これ程までに見事な土下座をわたしは見たことがない。尤も、わたしが覚えている限りでは、だが。

 土下座をするそのヒト――数日前、わたしを襲った白髪の女のヒトは、髪鬼かみおにというあやかしだった。

 何でも、嫉妬などの邪心が頭髪に籠ったあやかしらしく、切り落としてもその髪はどんどんと伸び続けるとのこと。


「うわー、見事なまでの土下座だ」

「え、そっち?」


 思わずわたしは突っ込んだ。

 ――もっと突っ込むことがあるのでは?

 狼狽えながらもわたしは返す。

 だって、髪鬼さんのあれ程までに長かった髪はばっさりと切られ、今では首元程の長さまで短くなっていたのだ。

 飄々と御空くんが訊ねる。


「心機一転されたんですか?」

「いえ違います。そちらの花夜さんに短刀で斬られたんです」

「へー、本当にやっちゃったんだね」

「……やっちゃいました」

「まあ、説明した通り、髪鬼は頭髪のあやかしだからね。力を弱めさせるために斬って良かったと思うよ」

「え?でも、髪は切り落とされてもすぐにまた伸び続けるんじゃなかったんでしたっけ?」

「それは花夜が斬ったからだろうね」

「わたし、斬っただけですよ?」

「あの短刀も特別製らしいから。……付喪神たちなら、首ごとを斬ってしまえって言いそうだけど」

「い、言いそう……」


 髪鬼さんにも聞こえたらしい。その体も、短くなった髪も、怯えるように震えていた。

 暫し沈黙が続いたが、場の空気を変えるためにも、わたしは一つ咳払いをして口を開いた。


「あの、その、髪鬼さんに訊きたいことがあるんですけど……」

「何でもお答えしますので何なりと」


 恭しく頭を下げられ、わたしは慌てて「顔を上げてください!」と声を張り上げた。


「えっと……まず、どうしてわたしたちを襲ったんですか?」

「それはその……私のさがといいますか……」

「さが?」

「私は元からとても嫉妬深い人間でした。その嫉妬心が髪にこもりにこもってあやかしと化してしまったのです」

「そうだったんですか……」

「ええ。そして私は、あることで貴方たちに嫉妬してしまいました。嫉妬に駆られた私は、我を忘れて初対面にもかかわらず貴女たちを襲ってしまったのです」


 髪鬼さんの『初対面』という言葉にわたしは少しだけ安堵した。

 自分の記憶がないだけで、髪鬼さんの気分を害してしまっていたかもしれないと考えていたから。

 でも、初対面だとしたら尚更嫉妬される原因に心当たりはない。

 眉根を寄せるわたしの前に、髪鬼さんはあるモノを取り出した。


「これって……」


 机の上に置かれたのは装身具(ペンダント)だった。

 だが、その装身具には見覚えがあった。

 それは御空くんが百貨店で買った物と同じだったからだ。

 わたしが訝しげに御空くんを見遣れば、彼は一瞬目を逸らした。だが、己から視線を外さないわたしに負けて、諦めたかのように説明をし始めた。


「これは僕が百貨店で買った代物だよ。ああいった市では、人間が持っているにはどうかなって代物が紛れ込んでいることもあってね」

「この装身具もその一つだったんですね」

「そうだよ。僕はそれらを回収して、持つべきヒトに、あるべき場所に返すってことも偶にしているんだ」

「……そんなこともしているなんて聞いていません」

「話していなかったです。ごめんなさい」


 頬を膨らませたわたしに、御空くんは素直に謝った。

 頭を下げる御空くんを一瞥して、ちょっと不機嫌になりながらもわたしは言う。


「それで、この装身具を持つべきヒトが髪鬼さんだったということですね?」

「そういうこと。話を聞いて、鈴ゑたちが渡しておいてくれたみたいだね。……それにしても、流石は花夜!察しが良いね!」


 あからさまにご機嫌とりをする御空くんからわたしは顔を逸らす。まだ怒っていますよと言外に示すためだ。

 でも、内心では別のことを考えていた。

 ――誰かに贈るために買ったんじゃなかったのか……。

 そのことに安堵する自分にわたしは首を傾げた。

 ――御空くんが誰に物を贈ろうと、御空くんの自由なのに……。

 すっきりしたはずなのに、何だかもやもやが残る。


「おーい、花夜さーん?」


 御空くんの声を聞いて、わたしははっとした。

 いけないいけない、と首を振って現実世界に戻ってこれば、未だばつが悪そうに御空くんがこちらを見ていた。

 何だか捨てられた子犬みたいだ。

 わたしは小さく笑って「もう怒っていませんよ」と言えば、御空くんが「よかった……」と肩の力を抜いた。

 そんなわたしたちの耳に届いたのは、軽やかな笑い声で。


「お二人は仲がよろしいのですね。……少し妬けますわね」


 髪鬼の言葉にばっとそちらを向く。

 また嫉妬で髪が伸びてくるんじゃないかとびくびくしているわたしに、髪鬼が苦笑した。


「私が言うのも何ですが、そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。今の私には力もありません。それに、何よりこのヒトとまた出会えたので今は心も穏やかですから」

「このヒト……?」

「花夜、よく見てごらん」


 御空くんが装身具を見るように促す。

 よくよく観察すれば、大振りの水晶の下に何かがあるような……。


「……髪?」

「そう。それも遺髪だね」

「い、遺髪!?」


 驚いて声が裏返ってしまった。


「昔から死者の骨や髪を納めた装飾品を身につけて、死者を悼む風習があるんだよ」

「そう、なんですか……」


 ――そんな風習があったなんて……この装身具を売っていた店の人は、これが遺髪が納められたモノだって知っていたのかな?

 と、わたしは少しだけ気になったが、確かめる術などない。

 髪鬼さんが装身具を手に取り、愛おしげに撫でる。


「これは、私の大切なヒトの遺髪なんです。あのヒトだと思って、大切に身につけていたのですが、ある出来事があってなくしてしまって……。それからずっとずぅっと探していました。私はこの店を見た瞬間わかりました。ああ、あのヒトはここにいるのだと」


 でも、と髪鬼さんの声が暗くなった。


「やっとあのヒトと会えると思った時、店から貴女が出てきて……あのヒトに私以外の別の女が触れたのかと思ったら、もう、いてもたってもいられなくなってしまって……。つい、嫉妬に駆られてあのようなことをしてしまったんです」

「それで、御空くんは殺されかけたってことでしょうか?」

「も、申し訳ございません……」

「因みに、僕はそのペンダントに触れたけど、花夜は一切触れていないよ」

「ほんっとうに申し訳ございませんでしたっ!」


 またもや平伏する髪鬼さんに、わたしは思った。

 ――つい、で御空くんは殺されかけたのか……女の嫉妬って怖い……。

 尤も、自分も女であるのだけれど。

 未だ頭を下げ続ける髪鬼さんをわたしはじっと見つめる。

 相手は自分たちを襲ったヒトだ。死を目の当たりにしかけた身からしたら、簡単には許せそうにない。

 でも、ずっとずっと大切なヒトを探していた髪鬼さんを憎いとは思えなくて。

 大切なヒトのことになると、少しのことでも嫉妬してしまう。それ程までに、大切なヒトのことを想える髪鬼さんがちょっとだけ羨ましくも思えて。

 勿論、だからといって何をしても良いとは思わないが。


「顔を上げてください髪鬼さん」


 そう言われた髪鬼さんが徐に顔を上げる。


「わたしは、凄く怖い思いをしました。だから、理由を知ったからといって髪鬼さんを簡単に許せそうにないです。ごめんなさい」

「貴女が謝ることなど何もありません!私はそれだけのことをしたのですから!だから、どんな罰でも受けます!どうか、罰をお与えください」

「え?えっと、罰、ですか?正直そこまで考えていませんでした……髪も斬っちゃいましたし……」


 髪鬼さんの気迫に、正直言ってわたしは思い切り引いていた。

 ――ど、どうすればいいの!?

 困り果てた末に、ちらちらと御空くんを見て助けを求めた。

 わたしの視線に気づいた御空くんが仕方がないなぁと助言する。


「そう深く考えずに、このヒトにしてもらいたいことを言えばいいんじゃないかな?」

「してもらいたいこと……」


 うーん、と暫し悩んだ後、わたしはゆっくりと髪鬼さんに告げた。


「それじゃあ、ちゃんとその装身具を身に着けていてください。」


 わたしの言葉に、髪鬼さんが「え?」と間の抜けた声を零した。


「もう二度と大切なヒトと離れないようにしてください。ずっとずっとそのヒトと一緒にいてください。髪鬼さんとそのヒトがずっと一緒なら、髪鬼さんの心は平穏でいられる。そうしたら、他人を襲うなんてことしないですよね?」

「た、多分……」

「多分じゃなくて誓ってください」

「ち、誓います!」


 さっきまで狼狽えていたのが嘘のようなわたしの姿に、髪鬼さんはたじたじのようだ。

 そんなわたしたちを見てふっと息を漏らした御空くんに、わたしが「笑わないでください!」と叱咤する。御空くんが「ごめんごめん」と謝ったが、その肩は震えていた。

 全くもうと悪態をつきつつも、わたしは髪鬼さんへと向き合う。

 祈るように言葉を紡ぐ。


「髪鬼さんと髪鬼さんの大切なヒトがずっと一緒にいられますように」


 その言葉を聞いた髪鬼さんはペンダントを握りしめ、その場に蹲った。

 静かな部屋に、すすり泣く音が響く。髪鬼さんの心の内をあらわすかのように彼女の白髪がさざめいている。

 わたしと御空くんは互いに顔を見合わせて微笑んだ。



   *



「……あれで良かったですか?」


 髪鬼さんが去った後、わたしは恐る恐る御空くんに訊ねた。

 今回の件で一番の被害者は御空くんだ。あの判断で良かったのかどうか気になった。


「良かったと思うよ。今回は花夜には怖い思いをさせちゃったけど、僕としては心配してもらえたし、まあ、悪くはなかったんじゃないかなって思っているから」

「命の危険にさらされたんですよ!?」

「そうだねぇ」

「笑い事じゃないですってば!」


 はははと笑う姿に思わず拳を握る。

 その手をそっと取られて、御空くんに見つめられた。


「それに、会いたかった気持ちとずっと一緒にいたいって気持ちいう髪鬼の気持ちはよくわかるしね」


 青い瞳にわたしが映っている。その瞳は澄んでいて、とても綺麗だった。


「という訳で、今日もよろしく頼ね、花夜」

「……はい」


 何だか丸め込まれた気がする。

 不服そうに頷けば、御空くんが笑った。それにつられて、わたしも笑みを零す。

 二人で雑多屋の中へと入っていく。

 そして、今日も雑多屋を開店するのだった。

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