第六話 付喪神
隣からすうすうと気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。
台に突っ伏して寝ているのは御空くんだ。
「客がいないのに気を張り続けているのは疲れるからね。暇な時は好きなように過ごしていいから。いやー、帝都だったらこうはいかないね」
そう言った御空くん自身は本当に好きなように過ごしている。先程まで新聞を読んでいたはずなのに、いつの間に夢の中に旅立ったのだろうか。
自由気ままで御空くんらしいけど、とわたしは新聞を仕舞いながら小さく笑った。
初めてその様子を見た時、「お客さんがいないからっていくらなんでもこれは……」と呆れたが、それも直ぐに見慣れた光景になってしまった。
他の店の事情は知らないが、雑多屋は閑古鳥が鳴くことがしばしばある。
お客さんがいない間に商品の品出しをしたり、掃除をしたりしてもそれも限度があって。要するに、暇な時はとことん暇なのだ。
現にわたしも御空くんの隣で本を読んでいた。異国の童話について書かれている本だ。
そんなわたしの膝の上には兎姿の鈴ゑさんが乗っている。真っ白なもふもふの毛並みを堪能するかのように、片手で優しくその背を撫でれば、鈴ゑさんは気持ちよさそうに目を細めた。
カチカチと時計が鳴る音と本を捲る音。静かに穏やかに時間が流れるこの空間で眠くなってしまうのも頷ける。
ぴくり、と鈴ゑさんの耳が動く。
「鈴ゑさん、ちょっと失礼しますね」
わたしは断りを入れてから、鈴ゑさんを台の上に乗せた。
わたしが席を立ち、レジスタア近くの机の引き出しから薄手の膝掛けを取り出す。初めてそれを見つけた時、使い込まれたそれは明らかに商品ではなさそうだったので不思議に思った。だが、使い道はすぐにわかった。
寝ている御空くんに戸惑うことなく膝掛けを掛けようとすれば、それを眺めていた鈴ゑさんが口を開いた。
「相変わらず花夜ちゃんは優しいんだから。そんなもの掛けなくても何とかは風邪をひかないっていうんだし放っておけばいいのに。寧ろ何寝ているんだって叩き起こしてやりましょうよ」
「あはは……どうしても気になっちゃうんで……」
辛辣な物言いの鈴ゑさんに苦笑いを零す。相変わらずこの臨時のお手伝いさんは御空くんに対して手厳しいようだ。
――起こさないように、起こさないように。
慎重にそっと御空くんの肩にブランケットを掛ける。
御空くんは身動き一つせず、起きる気配は全くなくて。知らず、わたしはほっと息をついた。
わたしは物音を立てないように御空くんを眺める。
……うん、やっぱりしっくりくる。
起きていようが寝ていようが御空くんにとてもよく馴染んでいる。彼はこの店の店主代理なのだから当たり前と言えば当たり前のことなのだけれど。
「花夜ちゃん、どうかしたの?」
わたしの行動に鈴ゑさんが小首を傾げる。
わたしは眉尻を下げて答えた。
「当たり前のことなんですけど、御空くんも鈴ゑさんもこの店に凄く馴染んでいるなぁと思いまして……」
そりゃあ、商品の品出しとか一人でやっていくには大変だとは思うけど、わたしという存在がいなくても御空くんは十分にこの店を営んでいけると思う。
鈴ゑさんという頼もしい臨時のお手伝いさんもいるし、きっと自分の代わりなんて幾らでもいるだろう。
記憶喪失の人間なんて厄介以外の何者でもないはずだ。
それでも、御空くんや鈴ゑさんは記憶をなくした自分のことを見捨てずに、わからないことを律儀に教えてくれる。
何故、そこまでしてくれるのか。疑問に思ってはいるものの、訊ねるのが怖い。
いつもはあまり考えないようにしているけれど、こうして不安に襲われそうになるのはよくあることで。
――もし、要らないと思われてしまったら、わたしは何処に行けばいいんだろう。
わからない。わかりたくもない。できれば、ずっとここにいたい。
何もかも忘れてしまって何も持っていないそんな自分を受け入れてくれるこの場所に。
「あたしは花夜ちゃんあっての雑多屋だって思っているわよ」
鈴ゑさんが断言した。その声はとても力強かった。
「花夜ちゃんがいるとわたしたちも動きやすいしね」
「……ありがとうございます」
わたしがお礼を言ったその時、出入り口の格子戸が開いた。
ちりんちりんと鈴の音が店内に響く。どうやら、お客さんが来たらしい。
慌てて格子戸の方を向き、わたしは「いらっしゃいませ」と声を掛ける。御空くんや鈴ゑほど上手くはいかなくても、できる限り笑顔で出迎える。
入って来たのは、二本角の赤い小鬼だった。因みに、子どもの鬼ではなく、小型の鬼の意味の『小鬼』である。でも、その身長は子ども――小学生ほどであった。
小鬼さんはきょろきょろと店内を見回している。それは客としてはどうとでもない行動だ。しかし、小鬼さんは商品が並ぶ棚だけでなく、何かを確かめるように天井や壁の方も見ていた。
だが、わたしはその行動を特に気にしなかった。天井から吊されている商品もあるし、壁に掛かった商品もあるから、小鬼さんはそれを見ているのだと思ったのだ。
「あの、もし上の方にある物で気になる商品がありましたら取りますので」
わたしが声を掛ければ、小鬼さんはびくりと肩を震わせた。どうやら声を掛けられるとは思っていなかったらしい。
わたしも小柄ではあるが、小鬼さんよりは背が高い。
――脚立を使えば、頑張れば届くはず……。
店内に置いてある脚立は三段のものだが、裏にはもっと高さのある脚立がある。いざとなったらそれを持ってこればいい。でも、できれば自分の届く範囲であって欲しいとわたしが密かに考えていると、小鬼さんが口を開いた。
「……なあ、金棒ってあるか?」
「金棒、ですか……?」
「ああ。使っていた金棒がもうボロがきちまってな。新しいのがほしいんだ」
「……えっと、ちょっと待っていてくださいね」
――金棒なんてあったかな?
一通り商品の場所は覚えたものの、なんせここは雑多屋である。
わたしの知らぬ間に増えている物だってあるし、倉庫に置いてある物だともっとわからない。
記憶の中から思い出そうとしてみるが、金棒なんてあっただろうか……。
「何だあんた、店員のくせに何処にどんな商品があるのか把握もしてないのか?」
「す、すみません……」
図星を突かれて思わず謝る。
「謝罪は良いから、さっさとあるかどうか探して来いよ」
小鬼さんは口元に笑みを浮かべながら、煽るように言った。
これは明らかに馬鹿にされているな、とわたしは思った。けれど、小鬼さんが言っていることは事実なので言い返すこともできない。
少し泣きそうになりながらも、わたしは思考を巡らす。
――御空くん……はまだ寝ているし、鈴ゑさんに訊いたらわかるかな?
そう考え、鈴ゑさんに訊こうとしたわたしだったが、次の瞬間「ふぇっ!?」と小さく悲鳴を上げてしまった。
レジスタアの横にちょこんと座っている鈴ゑさんが目をつり上げていたからだ。
鈴ゑさんは何故か臨戦態勢に入っており、純白の体毛が逆上がっている気がする。
「す、鈴ゑさん……?」
声を掛けてみたが返答はない。
――わたしの接客がなってなくて怒っているのかも……。
内心でわたしが落ち込みかけたその時だった。
「ちょっとあんた、何してんのよ!」
鈴ゑさんの怒鳴り声が轟いた。
鬼の形相でこちらへ跳んできた鈴ゑさんに驚き、わたしは「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」と反射的に謝った。
が、鈴ゑさんはわたしの横を通り過ぎて行く。
あれ、とわたしが思った時には、「待ちなさいよこの盗人!」と鈴ゑさんの大きな声が耳に届いていた。
――盗人……盗人!?
言葉を咀嚼したわたしが慌てて鈴ゑさんの後に続く。
けれど、小鬼さん――盗人――は既に格子戸に手を掛けていた。
――このままじゃ逃げられちゃう!
最悪の事態がわたしの頭を過ぎる。
小鬼さんは思い切り戸を開け、外へ逃げようとした、のだが――
「何故だ!?何故開かん!」
外に出る以前に、そもそも戸が開かなかった。
小鬼さんが何度横に引いても戸はびくともしない。
バンッと悔しそうに戸を叩いた小鬼さんが思い切り振り返った。
「おい、そこの兎と小娘!この戸は一体どうなっているんだ!?」
「どうなっているんだ、と訊かれましても……」
――そんなのこっちが訊きたいです!
と、わたしは心中で叫んだ。
いや、本当にわからないのだ。格子戸に鍵を掛けた覚えなんて全然ないし、そもそもわたしは鍵なんて持っていないのだから。
「何でも良いからさっさと開けろ!」
「開けるわけないでしょ、この盗人!」
怒鳴り散らす小鬼さんに一切怯むことなく鈴ゑさんが小さな腕を組んで不機嫌そうに言い放った。
「よくもやらかしてくれたわね。ま、あんたがこの店に入ってきた時から何かやらかすとは思っていたんだけど」
「ぐっ……!」
鈴ゑさんの言葉に小鬼さんが声を詰まらせる。
そんな二人の様子を窺っていたわたしは「え、そうなんですか?」と口を開きかけて堪えた。
――ぜ、全然気づかなかった……。
小鬼さんが事を起こすまでその奇妙な様子に全く気づかなかった自分に――気づけなかった自分にわたしは落ち込んだ。
わたしが自己嫌悪に陥っている間にも、鈴ゑさんと小鬼さんの遣り取りは更に苛烈になっていた。
「客を帰らせもしないなんて酷い店だな!」
「盗人を客だなんて言わないわよ!というか、あんたこのままタダで帰れると思ってんの?」
「お前、たかが付喪神がオレに勝てるとでも思っているのか?」
「……たかが付喪神、ですって?」
口元をひくつかせて、それはそれは低い声で鈴ゑさんが言う。びくびくと肩を震わせているのは小鬼さんではなくわたしだ。
鈴ゑさんと御空くんが口喧嘩――主に怒っているのは鈴ゑさんで、御空くんはそれを飄々と受け流している――をすることは度々ある。けれど、それは二人にとっては一種の仲の良い(?)交流に過ぎなくて、本気で相手を嫌っている訳ではないだろう。
だから、こんなにも本気で怒りの感情を露わにし、本気で相手に嫌悪感を抱いている鈴ゑさんの声を聞いたことはなくて、わたしは戸惑っていた。
けれどもそんな鈴ゑさんに臆することなく、寧ろ馬鹿にするように小鬼さんは鼻で笑った。
「フンッ、名に『神』と付いていても所詮お前らなんてただの精霊。人間に使われて最後には捨てられるのがオチさ」
「……あんた、あたしたちをバカにしたわね?」
「ハッ!だから何だってんだよ。哀れな哀れな付喪神め!さっさとこの戸を開けろ!」
小鬼さんが出入り口付近にあった傘を手に取り、躊躇することなく鈴ゑさんにその先端を向ける。
――このままだと、鈴ゑさんが……!
「やめて!」
気づいた時にはわたしは鈴ゑさんへと手を伸ばし、足を踏み出していた。
間に合うとか間に合わないとかは何も考えず、ただただ鈴ゑさんを護りたい一心だった。
だが、伸ばした手が鈴ゑさんに触れることも、鈴ゑさんを庇うことも叶わなかった。
胴に腕を回され、前に出たはずの体が後方へと引っ張れる。
すぐに後ろから誰かに抱きしめられているのだと気がついた。
咄嗟に振り返れば――
「……み、御空くん!?」
目を瞠るわたしに御空くんがにこりと笑みを向ける。
――いつの間に起きたんだろう……って、そうじゃなくて!
わたしは切羽詰まった状況で的外れな考えをしてしまったが、すぐに我に返った。
腕の中でもがこうとするわたしに、御空くんが顔を近づける。それにより、二人の距離が更に縮まった。
「何も心配はいらないから、僕たちは大人しく見ていようね」
囁かれた言葉にわたしが疑問符を浮かべた時、「ぐえっ!?」と押し潰したような声が聞こえてきた。
え、と思ったわたしがそちらへと顔を向ける。
わたしは目の前の光景にぱちぱちと目を瞬かせた。
小鬼さんの体は床に伏せて――いや、伏せさせられていた。
武器として使われようとしていた傘も床に転がっている。
「黙って聞いていれば……全く、五月蝿い輩ですな」
その渋い声は嫌悪感を隠そうともしていない。
顔が水牛、体が人間、そして背広姿のあやかしが持っている杖でぐりぐりと小鬼の背中を押せば、小鬼さんが苦しそうに呻く。
小鬼さんが呻いているのはそれだけが原因ではなく――
「これでも喰らえっ!」
小鬼さんの背中の上で、手のひらぐらいの大きさの小さなあやかしが飛び跳ねている。頭からお猪口をすっぽりと被っているあやかしだ。彼は容赦なく小鬼の頭やら角やらをばしばしと叩いたり蹴ったりもしていた。
そんな彼の傍らで小鬼を冷ややかな目で見ているのは、これまた小さなあやかしである。可愛らしい小花柄の紅い着物を着たおかっぱ頭の女の子だ。
「みんな、おさえておいてくれてありがとう」
そんな彼らにお礼を述べつつ、鈴ゑさんが跳んで人間の姿に変化する。そして、小鬼さんを見下しながら楽しそうににやりと笑った。
「さーて、どうしてくれようかしら……」
「鈴ゑ殿。まずは我らに失礼なことをのたまったこの舌を引っこ抜くべきでは?」
「ねーねー、角折って薬屋に売ろうよ。本体は……どうしよう?」
「……火炙りにすれば?それとも川に流すとか」
悪どい笑みを浮かべる鈴ゑさんに、あやかしたちは嬉々として三者三様の意見を述べる。
けれどもその内容はわたしからしたら少しばかり……いや、かなり刺激が強過ぎた。
わたしは彼らの会話の内容をそのまま想像してしまった。顔から血の気が引き、めまいがした。尤も、御空くんに抱きしめられたままなので倒れることはなかったが。
「ちょっとみんな。花夜の前でそういうこと言わないでよ」
わたしの異変に気づいた御空くんがあやかしたちに声を掛ける。
御空くんはわたしに気を利かせてそう言ってくれたのだろう。だがその一言によって、物騒な会話をしていた連中の視線がわたしに集まった。
幾つもの視線を浴びてわたしは「ひえっ」と小さな悲鳴を零す。
そんなわたしに小あやかしさんたちは明るい声で問うてきた。
「お嬢!おいらたちの捕り物劇はどうだった?」
「……かっこよかった?」
「……えっと、あなたたちは?」
この面子の中で知っているのは鈴ゑさんだけで。正直言って、突如現れたあやかしさんたちにわたしは戸惑っていた。
――でも、何となく見覚えがあるような……?
首を傾げるわたしに水牛のあやかしさんが説明した。
「我らも鈴ゑ殿と同じ付喪神なのですよ。まあ、鈴ゑ殿と違って我らは商品に宿っているのですが」
「紹介するわね。水牛の角の杖のバフローさん、お猪口のちょこ男、手鏡のお鏡よ」
「……あ!」
鈴ゑさんの紹介で合点がいった。
艶やかに照り光る杖、美しい青海波模様のお猪口、背面の紅いちりめんが可愛らしい手鏡――全てこの店で売られている商品だ。
それなら見覚えがあって当然だな、とわたしは納得した。
「そう、おいらたちは雑多屋の愉快な付喪神たちなのさ!」
「……なのです」
ちょこ男さんとお鏡ちゃんが決め台詞の如く言う。すると、店の商品の一部ががたがたと大きく揺れた。
そんな彼らにわたしはぽかんと間の抜けた顔をし、鈴ゑさんは眉間をおさえ、バフローさんは深い溜息をつき、御空くんはくつくつと笑った。
わたしがそろりと店内を見回す。
「……もしかして、このお店には他にも付喪神さんがいるんですか?」
「いるね」
「いるわね」
「いるぞー」
「……いる」
「おります」
五者一様の答えにわたしは口元を引きつらせた。
黙り込んだわたしに対して、慌てて鈴ゑさんが口を開いた。
「でもでも、いるって言ってもみんな良い子たちばかりなのよ?大体寝ていたり空気を読んで出て来なかったり……まあ、一部例外もいるけど」
「おいおい姐さん!おいらは良い子ですよ!」
「……あたしも、良い子」
「見苦しいぞお前たち。本当のことだろう」
ちらりと見遣った鈴ゑさんにぶーぶーとちょこ男さんとお鏡ちゃんが不平不満を述べる。それを窘めるのはバフローさんだ。恐らく彼が二人のお目付役といったところだろう。
「花夜ちゃんがいてくれるおかげで、あたしたち付喪神はこうして伸び伸びとしていられるのよ」
「掃除なら任せてください!」
「そうだけど、そうじゃなくて……」
何か伝えたいような鈴ゑさんにわたしは首を傾げた。
――それにしても、付喪神にもいろんな子たちがいるんだなぁ……って、そうじゃなくて!
ちらりと後ろを見遣れば、青い瞳と目が合った。
へらりと笑う御空くんをじとりと睨みつつ不平不満を言う。
「御空くん、何で教えてくれなかったんですか」
「文句ならみんなに言ってよ。然るべき時が来るまで説明しないでくれって言われたから僕は黙っていただけさ」
「あんたこそ花夜ちゃんの反応を楽しみにしていたくせに、よくそんなぬけぬけと……!」
「黙っていた時点で鈴ゑも同罪だろ」
「くっ……!確かにその通りかもしれないけど!」
悔しそうに鈴ゑさんが地団駄を踏む。
二人の遣り取りを聞いたわたしは、先程と同じ質問を今度は付喪神さんたちにした。
「何で教えてくれなかったんですか?」
――もしかして、嫌われているのかも……。
不安に思ったわたしだったが、すぐにそれは払拭された。
「いやー、どうせなら盗人を捕まえてかっこいい所を見せようと思ってさー」
「……こうして不届き者が来るのを待っていたの」
素直に話した二人に鈴ゑさんとバフローさんは頭を抱え、御空くんは笑ってばかりで。
「……は?要するにオレってこんな奴らのカモにされたってこと!?」
素っ頓狂な声を張り上げたのは未だ杖の下にいる小鬼さんだった。その発言によって皆の視線が小鬼さんに集まった。
「あ、忘れていたわこいつのこと」
「そういえばいましたな」
「ちょっとそりゃないぜ!ヒトにこんな仕打ちをしといてよ!」
自身の存在を忘れ去られていたことに、小鬼さんは傷ついたような表情を浮かべた。
そんな小鬼さんに、付喪神さんたちが揃って面倒くさそうな表情を浮かべる。
「あんた何言ってんの?自業自得でしょ」
「加害者のくせに被害者面ぶるでない。それで、何故商品を盗もうなんてしたのだ?」
「それは……も、黙秘権を行使する!」
何言ってんだこいつと言わんばかりに、数多の冷ややかな眼差しが小鬼さんを射抜く。
それに怖気づきながらも、宣言通り小鬼さんは口を噤んで一向に話そうとしない。
「やはりもう少し痛い目に合わせるしかないようだな」
「そうね。己の罪をわからせるためにも、ね」
「よっしゃー!角折ろうぜ!」
「……火炙り、川流し」
「みんなー、花夜の前だっていうこと忘れないでねー。できる限り穏便に頼むよー」
再び物騒な会話をし出した付喪神さんたちに、御空くんからの注意の声が飛ぶ。
――そういう問題ではない気がするのだけれど……。
各々に了解の意を唱える付喪神さんたちは素直だと思う。だが、これから行われようとしていることを考えれば和んでなどいられない。
「あの、みなさん。どうか穏便にお願いします」
「花夜ちゃんの頼みなら仕方がないわね。お鏡、お願い」
「……わかった」
お鏡ちゃんが自身の着物の袖口に手を入れ、そこから何かを取り出した。
それは彼女の体と同じくらいの大きさの手鏡だった。
お鏡ちゃんはその手鏡を小鬼さんへと向ける。
手鏡に映ったのは勿論小鬼さんの姿で――
「こんな状況で『出来心でやりました』なんて言ったら絶対に角を折られる!ここは黙秘するに限るぜ!」
と、悪い顔をしてそう言ったのは、鏡の中に映る小鬼さんである。
対して、本物の小鬼は目を見開いて愕然とした。
「なっ、何だこれは!?」
「……これは、あなたが心の中で思っていることよ」
「お、オレはこんなこと少しも思ってなんか……」
「……そんな言い訳は通用しない。鏡はね、真実を映し出すのよ」
お鏡ちゃんが冷笑を浮かべる。その後ろで、ちょこ男さんが「こわー」とぶるぶると身を震わせた。
鏡を覗き込んでいた鈴ゑさんが鏡像から本物の小鬼さんに視線を移す。
「あー、馬鹿馬鹿しい。どうせこんなことだろうと思ったわ」
「悪かったよぉ……ちょっとした出来心だったんだよぉ……」
「あのねぇ、あんたにとってはちょっとした出来心だったとしても、こっちにとっては損害を被ることになるのよ?たとえ安い物であろうとも、それが繰り返されれば店が潰れることだってあるの」
「そ、それなら盗んだ物を返すからさぁ!それか、金を払えば良いんだろ!?」
小鬼さんが懐から盗んだ商品――装身具を取り出して最早自暴自棄に叫ぶ。
けれども、付喪神さんたちはますます冷めた眼差しになるばかりで。
「返す返さないとか、お金を払う払わないとか、そういう問題じゃないのよ。盗んだ時点であんたは罪を犯した。その事実は変わらない。罪を犯したらそれ相応の処罰を受ける。当然のことでしょ?」
鈴ゑさんの言葉に小鬼さんは黙った。何も言い返せないようだ。
盗人は犯罪。罪を犯したら罪を償わなければならない。人間もあやかしもその認識は変わらないのだなとわたしは思った。
「よし、そろそろ角折るか」
「……そうね」
「やめろっ!」
ちょこ男さんとお鏡ちゃんは小鬼さんの角を折る気満々らしい。思わずといった様子で小鬼さんが悲鳴を上げる。
「オレの魅惑の角を折ろうとするなんてお前らは鬼か!」
喚き散らす鬼にこの場にいる誰もが突っ込んだ。
鬼はお前だろ、と――。
自身の角を守るように両手で隠す小鬼さんの目には薄らと涙が浮かんでいる。
そんな小鬼を見ていたら、わたしは少し絆されそうになった。
――確かに盗人は犯罪だし、罪を償うのは当然のことだし、『鬼も角折る』ってことわざもあるけど……いや、この場合『鬼も角折られる』かな?……まあ、それは置いておいて、穏便に済ませるって流れじゃなかったっけ?
穏便とは、とわたしが考えていると、御空くんに話しかけられた。
「花夜。絆されちゃだめだよ?」
「……絆されませんよ」
「今の一瞬の間は何?」
「何でもありません!それより、そろそろはなしてほしいんですけど……」
「えー」
「はなしてください!」
こっちは真剣に頼んでいるというのに、御空くんは面白がってなかなかはなしてくれない。
わたしが何とか御空くんの腕の中から逃れようと奮闘していると、不意に小鬼さんと目が合った。
「おい、そこの小娘!オレを助けろ!」
「ええー……」
懇願というよりは命令口調のそれ。わたしは思わず露骨に嫌そうな顔を浮かべてしまった。
あ、しまったと思ったが時既に遅し。
わたしの態度に小鬼さんが憤怒した。
「何だその反応は!お前、角を折られそうになっているオレが可哀想だとは思わないのか!?」
「えーっと……少しやり過ぎかなとは思いますけど、可哀想だなとは思いません。痛そうだなぁとも思いますけど」
「何だとこの人でなし!」
「人でない小鬼さんにそれを言われるのはちょっと……」
眉尻を下げて困ったようにしつつも、わたしは抗議した。
そんなわたしの反応が予想外だったらしい。小鬼さんは冷や汗を掻いていた。
「ぼんやりとしていて頼りなさそうでちょっと涙を流せば絆されそうなくせに!」
「酷い……」
――わたしの印象酷過ぎない?
確かに付喪神さんたちに捕まってしまったものの、わたし一人からならきっと小鬼さんは逃げ切れていたことだろう。
「この小娘なら絶対に『角を折るなんてそんな酷いことダメです!』とか何とか言って付喪神たちを諫めてくれると思ったのに!この裏切り者!」
お鏡ちゃんがまた鏡で映した鏡の中の小鬼さんはそう叫んでいた。
「えっと……何でわたし貶されているんでしょうか?」
わたしの声には困惑と――そして、少しばかり不機嫌さが滲み出ていた。
不意にわたしを抱きしめていた腕の力が緩む。
あれ、と思い御空くんを見遣れば、言ってやれと言わんばかりに頷かれた。
わたしは頷き返し、次いで真っ直ぐ小鬼さんを見つめた。
「わたし、さっきも言いましたけど、あなたのことを可哀想だとは思えません」
「……オレが物を盗んだからか?」
「はい。でも、罪を犯したからだけじゃないです。あなたは、付喪神さんたちに失礼なことを言いました。それ以前に、物に対して失礼なことをしたからです」
「物に対して、だと?」
「どんな理由であろうとも、物を盗むというその行為自体が物を軽んじていることなのでないのかとわたしは思うのです」
道具が長い年月を経たことによって精霊が宿ったモノ――それが、付喪神だ。
物が盗まれるということは、付喪神さんたちにとって自分自身が盗まれるということを意味する訳で。物を軽んじる行為はすなわち物に宿る彼らたちを軽んじる行為という訳で。
「だから、付喪神さんたちが怒るのも致し方ないことかなぁ、と。物を盗もうとしたあなたが角を折られるのも仕方がないかなぁ、とも思います」
それに、と続ける。
「物だって、正しい使い方をしてくれるヒトや本当に必要としてくれるヒト、大切にしてくれるヒトのところへ行きたいはずです。……あと、傘は刺すものじゃなくて差すものです。……まあ、商品を盗まれかけて、みすみす盗人に逃げられそうになったわたしが偉そうに何かを言えた義理ではないのですが……」
だんだん言葉が尻すぼみになっていく。
「ちょっと、花夜ちゃん。何で最後付け加えたの?」
「だって、わたしの不注意で盗まれかけたのは事実ですし……」
「花夜ちゃんのせいじゃないわよ!うたた寝していたこの店主代理が悪いのよ!」
「うわー、とばっちりだー」
「事実でしょ!」
落ち込むわたしの傍らで鈴ゑさんと御空くんが言い合いを始めた。
鈴ゑさんに飄々と言葉を返しながらも、御空くんは慰めるように「よしよし」とわたしの頭を撫でてくる。
「いやぁ、お嬢流石だぜ!よくぞ言ってくれた!」
「……流石」
ちょこ男さんが嬉しそうに小躍りをし、お鏡ちゃんが無表情な顔を少し緩める。バフローさんもうんうんと満足そうに頷いている。
「……悪かったよ」
和やかな雰囲気に包まれている中、ぽつり、と小鬼さんが呟いた。
「悪かった。お前たちのことを馬鹿にして。軽くみてすまなかった」
この通りだと小鬼さんが頭を下げる。尤も、未だ床に突っ伏している状態なので体勢は変わっていないのだが、その声音からはちゃんと反省の色が窺えた。
鈴ゑさんとバフローさんが顔を見合わせて頷き合う。
小鬼さんの背中から漸く杖がどかされた。
どうやら丸く収まりそうで、わたしはほっと胸を撫で下ろした。
と、ここで高らかな声が二つ、店内に響いた。
「そうさ!おいらたちを馬鹿にしてもらっちゃ困るぜ!なんて言ったっておいらたちはこの店自慢の商品であり!」
「……この店自慢の警備員なの」
二人は自慢げに言い切って、続いて棚の商品ががたがたと大きく揺れた。
そんな彼らに御空くんが大袈裟に肩をすくめる。
「そして、売れ残りでもあるんだよなぁ」
「ちょっと、それは言わない約束っすよ主さん!」
「……売れ残りじゃないもん」
「はいはい。いつもありがとうね。みんなを必要としてくれるヒトたちが現れるまで、これからもよろしく頼むよ」
御空くんに言われて、不機嫌だった付喪神たちの機嫌が些か良くなる。
「合点承知の助さ!」
「……任せて」
その言葉の後にまたしてもがたがたと揺れる音がした。先ほどよりも大きな音にわたしはぎょっとした。
周りを見回りをして商品が床に落ちていないことを確認し、ほっと息をついた。
「商品が落ちなくて良かったです」
「まあ、落ちたら落ちた時さ。それで壊れたとしても僕たちは悪くない。揺れて落ちる方が悪い。それに、物は大切に扱っていたとしても、いつかは必ず壊れるものさ」
「む、無慈悲……」
ばっさりと言い捨てた御空くんにわたしは頭を抱えた。
――この人、本当に店主なんだよね……?でも、商品を雑に扱っている訳でもないしなぁ……。
何とも言えない顔を浮かべてしまっていると、おい、と声を掛けられた。
視線をやや下に向けると、そこにいたのは小鬼さんだった。
小鬼さんは暫し視線を彷徨わせた後、ぼそりと呟いた。
「その……あんたにも謝っておきたくてな。頼りないって思ってしまって悪かった」
「え?あ、いえ、別に謝らなくても……」
内心では「散々な言われようだなー……」と思いつつも、まあ、その通りかと思ってしまったため特に怒ることはせず、ぶんぶんと手を振って苦笑いを零しただけだった。
頼りなさそうというのは事実だし、自覚もしている。
こいつなら盗んでもばれることはない。こいつからなら盗んで逃げることも簡単だ。
そう思われたからこそ、更に悪く言うならばなめられていたからこそ、こういうことになってしまったのだろう。
――みんなの役に立ちたいのに……もっともっと、頑張らないと。
自分自身を戒める。何度も何度も心の中で呟く。
けれど、言葉と思いとは裏腹に、暗い気持ちになっていくのは何故だろう。
顔を俯かせたその時だった。
「はーはっはっは!お嬢のことをなめてもらっちゃ困るぜ!」
「……そうよそうよ」
わたしの耳に、ちょこ男さんとお鏡ちゃんの声が届いた。
はっとしてわたしが顔を上げれば、いつの間にか二人がわたしの両肩に乗っていた。
「お嬢はなー、おいらたちのことをそれはもう大事に扱ってくれているんだよ!店主代理さんと違ってな!」
「……掃除も丁寧だし、真面目だし……店主代理さんと違って」
ちょこ男さんとお鏡ちゃんがまるで自分のことのように自慢げに話す。
バフローさんと鈴ゑさんが二人に相槌を打つ。
「接客も頑張っておりますしな。何より、主殿よりも誠意が伝わってくる」
「そうそう。いつもへらへら笑っているこいつに爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだわ。いや、そんなこと絶対にさせないけどね」
「え、何で僕間接的に貶されてんの?」
付喪神さんたちからの散々な言われように、御空くんが「酷くない?」と頬を引き攣らせる。だが、付喪神さんたちに「本当のことだろう」と口を揃えて言われてしまい、わざとらしい程にしょんぼりと肩を落とした。
「まあ、僕のことは置いといて、だ。確かにわたしは見た目はか弱そうだし、実際に気弱なところもあるし、あまり自分の意見も言わないけど」
――わたし、御空くんにそんな風に思われていたのか……。
わたしは思わず御空くんをじっと見つめてしまった。
今日初めて会った小鬼さんよりも、いつも一緒にいる御空くんの言葉の方が胸に突き刺さるものがある。しかも、全て本当のことで否定のしようがない事実だ。
項垂れるわたしを見て、御空くんが微かに笑う。青い瞳は優しげに細められ、「でも」と口は声を発した。
「さっきみんなが言っていた通りさ。花夜は物を大事に扱ってくれるし、細かな気配りもできるし、任されたことも責任をもってこなしてくれる。いざという時は自分の意思をはっきりと言えるし、困っているヒトを放っておけない優しい子だよ。ただ、気を遣い過ぎるところが玉に瑕なんだけどね」
それがわたしの美点でもあり、欠点でもあるということを御空くんは知ってくれている。それだけで、何だか嬉しかった。
「兎にも角にも、花夜を侮るなかれ。なんたって、彼女は僕の大切な子だからね」
そっと抱き寄せられ、はっきりと告げられた言葉に、わたしの涙腺が緩んだ。
――自分のことを見てくれている人がいる。それだけでも嬉しいのに、そんなことまで言ってもらえるなんて。
「僕の、じゃなくて、雑多屋みんなの、でしょ」
「そうだそうだー」
「……そうよ」
「その通りですぞ」
御空くんの言葉に付喪神さんたちが抗議する。更に商品もがたがたと大きく震えた。
自分を認めてくれる空間が、みんなの存在が、ただただあたたかくて、心地よくて――。
ついにわたしの涙腺が崩壊した。
「うう……」
「えっ、ちょっ、何で花夜泣いているの!?」
「あー、泣かせてやんのー」
「最低ね」
「……さいてー」
「いやいや、僕だけのせいじゃないでしょ。そうだよね、花夜」
「ううぅ……」
「あー、ごめんごめん。泣かないで花夜ー」
付喪神さんたちから茶化されつつ、御空くんが慌ててわたしの涙をそっと手で拭う。
ぬくもりを受け入れ、小さな幸せを感じながら、わたしは願った。
――いつか別れが来るその時まで、みんなと一緒にいられますように。
ぽろぽろとたくさんの雫を零しながらも、わたしは蕾が綻ぶようにやわらかく微笑んだ。
そんなわたしたちを小鬼さんは眺めていた。何処か呆れたように、そして、何処か羨ましそうに。
「……騒がしい店だな」
「でも、良い店であろう?」
バフローさんの問いかけに、ああ、と小鬼さんが返答する。
バフローさんは満更でもなさそうな顔付きで首肯した。
「さて、それでは一段落がついたところで……」
御空くんは言葉と共に、小鬼さんの目の前にドスリ、とあるモノを置いた。
「……何だこれは?」
「金棒です」
「そんなこと見ればわかる」
胡乱げな視線を向けてきた小鬼さんに、御空くんがはっきりと告げる。
「お買い上げありがとうございます」
「……はあ!?」
「さっきお客様が言ったんですよね?『金を払えば良いんだろ!?』って。だから、お望み通り払わせてあげようと思いまして。それなら、お客様がご所望していた金棒がいいかなぁと思いまして」
御空くんはにっこりと営業用の笑顔をはりつけて、至極丁寧な言葉遣いで言った。
そんな御空くんの言葉に、わたしははっとした。
――もしかして御空くん、結構前から起きていたんじゃ……。
小鬼さんが金棒を欲しいと発言したのは来店してあまり時間が経っていない時のことだ。
一体いつから起きていたのだろうと思いつつも、触らぬ神に祟りなし。ここは何も訊かない方が良いだろうと結論付けて、わたしは口を噤み、事の成り行きを見守ることにした。
「あ、因みにこれ特別製だからちょっとお値段お高めなんだけどね」
「何でオレがそんな物買わなきゃいけないんだよ!」
「そんな物って言わないでよ。自分が欲しがっていた物でしょ?それに、ちゃんとあそこにも書いてあるし」
御空くんが指差した先――店内の壁には、一枚の紙がはられていて。そこにはこう記されていた。
『店内で問題を起こした場合、こちらが提示する商品を購入していただきます』
その文字を見た小鬼さんがあんぐりと口を開けた。
「いやー、君みたいに問題事を起こす客って時々いるんだよね。だから、それ相応にこちらも対応させてもらっているんだ」
対して、御空くんは至極楽しそうだ。
「という訳で、お買い上げありがとうございます。あ、一括払いができないなら、分割払いでも結構ですので」
満面の笑顔を浮かべる御空くんは、笑っているのに目の前の小鬼さんよりももっと恐ろしい鬼神のようで――。
「この店である意味一番厄介なのは御空なのよね」
「あははは……」
鈴ゑさんの呟きに他の付喪神さんたちは皆頷き、わたしは苦笑いを零す。
暫くして我に返った小鬼さんの断末魔が雑多屋に轟いたのだった。