第五話 二龍松
今日も今日とて雑多屋の鈴が鳴る。それすなわち、店に客が来たことを告げている訳で――。
ちょうど出入り口付近の商品を整頓していたわたしは振り返って「いらっしゃいませ」と声を掛けた。
「こんにちはー」
「こんにちは」
同時に挨拶をしながら次々と中へ入って来たのは男の子と女の子だった。
深い緑色をした髪と薄茶色の瞳だけでなく、その目鼻立ちもそっくりで。何処からどう見てもこの二人は双子である。
「新しい店員さん?」
「花夜と申します」
「ちょっと、聞いてくれよ花夜ねーちゃん!この前トキミがさー」
「違うの花夜おねえさん!あれはトキワが悪いの!」
「……えっと」
親しげに話してくる二人にわたしは狼狽した。
どうやらこの双子は男の子がトキワくん、女の子がトキミちゃんという名前らしい。
友好的に話掛けられてどうしたら良いのかわからずに固まっていると、後方からパタン、と音がした。
わたしが振り返る前に、トキワくんとトキミちゃんがその姿を捉えた。
「こんにちは、御空にーちゃん!」
「こんにちは、御空おにいさん!」
「トキワもトキミもこんにちは。なるほど、道理で騒がしい訳だ」
「何それ御空にーちゃん酷い!」
「トキワのそういうところが騒がしいのよ」
「いや俺だけのせいじゃないだろ。トキミだって騒がしい時あるし」
「何ですって!?」
不貞腐れながらも自分の意見をはっきりと述べたトキワくんに、トキミちゃんが眉をつり上げて物申そうとする。
険悪な雰囲気になりつつある双子にはらはらと戸惑っていると、パンパンと手を叩く音がした。
皆の注目が御空くんに集まる。
「はい、そこまで。トキワとトキミは言い合いするためにここに来た訳じゃないだろ?」
「うっ……はい」
「……その通りです」
御空くんが言えば双子は萎縮する。
慣れた様子で仲裁に入ったことから、双子の言い合いはよくあることなのかなとわたしは推察した。
「いろいろ商品を追加しておいたから、まあ、ゆっくり見ていってよ」
「それじゃあ、見させてもらいまーす」
「失礼します」
双子が一目散に向かった先は文具が置かれている一角だった。いろいろな種類の紙や日本製の筆だけでなく、異国から取り入れた万年筆等が置かれている。
双子はいろんな文具を手に取っては、お互いに見せ合いっこをしたり、意見を言い合ったりしてはしゃぎ始めた。さっきの喧嘩(?)は一体何だったんだろうと言わんばかりの仲良しぶりである。
「トキミトキミ!見ろよこの万年筆!軸が透明になっている!」
「トキワトキワ!見てよこの色紙!色の入り方が綺麗!」
音楽もかかっていない店内に双子の声が響き渡る。その騒がしさに本来なら注意しなければならないだろうが、あまりにも楽しそうに文具を物色する双子を見ていると微笑ましさの方が勝ってしまい、わたしはくすりと小さく笑ってしまった。
「普通の店だったら注意するんだろうけどね。ここは『普通』じゃないし、それに今は他に客もいないし、二人の好きにさせてやって」
「わかりました」
ほんと騒がしいけど、と呆れつつも、御空くんが双子を見つめる眼差しは優しい。
――からかってくることもあるけど、基本御空くんは優しいんだよなぁ……。
にこにこと笑っていれば、「どうかした?」と御空くんに問われた。「何でもないです」と答えれば御空くんが訝しげに首を傾げた。
「さて、あの二人が文具選びに夢中になっている間にこっちも準備しようか」
「準備?」
「という訳で、準備してくるから店番よろしくー」
御空くんが声を発すれば、それに返事をするようにちりんちりんと鈴が鳴った。
――ああ、鈴ゑさんに店番を任せるのね。それなら安心だけど、『準備』って……?
御空くんに手を引かれて、売り場を後にする。
困惑するわたしが連れて来られたのは、一階の休憩室として使われている部屋だった。
途中に寄った物置から持ってきた物を言われた通りに机の上に並べていく。
――一体、これで何をするんだろう……。
用意された机の上を見れば何をするのかは一目瞭然だ。けれど、何のためにこれを用意したのかわたしにはその意図が全くわからなかった。
「御空にーちゃーん!」
「花夜おねえさーん!」
「はいはーい」
「今行きまーす」
売り場の方から大声で呼ばれ、御空くんと再び売り場へと戻った。
売り場に辿り着けば、双子と鈴ゑさんがお喋りをしていた。
わたしたちが戻ってきたことに気づいた双子が陽気にくるりと振り返った。
トキワくんの手には万年筆が握られている。軸が透明になっているので、中に入れた洋墨の色を見て楽しむことができる代物だ。
対して、トキミちゃんは紙を持っていた。光の反射によって色が変わる紙である。
いろいろと見たものの、何だかんだで二人とも最初に一目惚れした文具を選んだようだ。
美しい文具に負けないぐらいきらきらと瞳を輝かせる二人を見て、わたしは自然と微笑んでいた。
「二人とも、商品はそれでいいんだな?」
「うん」
「はい」
「よしよし。それじゃあ、代金を払ってもらおうかな」
そう言いつつも、御空くんはレジスタアから離れて行く。その後をトキワくんとトキミちゃんがついて行った。
わたしは訳がわからず、その場で突っ立っていると、扉から顔を覗かせた御空に「花夜行くよー」と手招きされた。
「ここはあたしに任せていってらっしゃい」
鈴ゑさんに背中をおされ、わたしは慌てて三人を追いかける。
廊下を歩きながら訊ねり。
「御空さん、何処行くんですか?」
「休憩室だよ。花夜も用意の手伝いをしてくれたじゃないか」
「確かにそうですけど……」
口を噤んだわたしを見て、双子は胡乱げに御空を見た。
「もしかして、御空おにいさん花夜おねえさんに何も説明していないんじゃ……」
「……そういえばしてなかったな」
「御空にーちゃんほんとそういうところだぞ……」
双子は呆れたようだが、対して御空くんは特に悪びれた様子はなかった。
御空くんの服の裾を引っ張れば、彼が「ん?」と振り返る。
わたしは精一杯背伸びをして、御空くんに顔を近づける。
「何が何だかさっぱりなので、できれば説明を要求します!」
「了解しました……」
「何か、御空にーちゃんと花夜ねーちゃんの力関係がわかった気がする」
「わかりやすいわね」
双子は楽しそうににまにまと笑っていた。
*
場所は休憩室。
静閑な座敷でトキワくんとトキミちゃんは正座していた。
双子の顔は真剣そのもので。店内であれほど騒いでいた姿が幻のように思えてくる。
二人の目の前の机の上には、わたしたちが用意しておいたもの――書道用具が置かれていた。
静かに墨を磨っていた双子だったが、筆を持って上質な紙に文字を書き始めた。
それはまるで神聖な儀式のようで。この空気を壊してはならない、小さな物音さえ立ててはならないと直感的に考え、思わず息をのむ。
双子はすらすらと紙に文字を書いて行く。そこに一切の迷いなどは窺えない。
何枚か書き終えた双子が筆を置く。何かを願うように数刻目を閉じ、そして――
「終わったぜ!」
「終わったよ!」
目を見開いてやり切ったと言わんばかりに大声を上げた。
ふぅ、と少し疲れたように息を吐きながらも、満ち足りた顔をしている。
「見てよ花夜ねーちゃん!俺たちの力作!」
「あっ、こらトキワ!」
立ち上がってこちらへとやって来たトキワくんがわたしの腕を掴んだ。
トキミちゃんが声を張り上げて窘めるものの、トキワくんは聞く耳を持たない。
されるがままトキワくんについて行こうとした時、トキワくんの頭に手刀が落とされた。
「痛っ!?」
トキワくんがわたしの腕をぱっと放し、痛みが走った頭を両手でおさえてその場に蹲る。
トキミちゃんはそれ見たことかと言わんばかりに片割れに冷たい視線を送る。
渦中のわたしはぱちぱちと目を瞬かせた。
「いってー!御空にーちゃん何すんだよ!?」
トキワくんが自身に手刀を落とした人物――御空くんを仰ぎ見る。
「勝手な御触りは禁止です」
御空くんがニコリと笑う。しかし、彼を纏う空気は冷え切っている。
その空気に怖気付きながらも、それでもトキワくんがぼそりと呟く。
「……独占欲が強い男は嫌われるって前に住職の奥さんが言っていたぞ」
「んー?何か言ったかトキワ?」
ポンっとトキワくんの頭の上に手が置かれて、そのままぐぐっと力が込められる。「何にも言っていません!」とトキワくんが叫んだ。
わたしが「ひえぇ……」と男二人の遣り取りを見ていると、「花夜おねえさん」とトキミちゃんに声を掛けられた。
「そっちよりもこっちを見て!」
男二人を華麗に流してトキミちゃんが手招く。「トキミちゃん強いな……」とわたしはいろんな意味で感心した。
机へと近づき、双子が書いたモノをそっと覗き込む。
紙に書かれた文字は達筆過ぎて何と書かれているのかわからない。でも、これが何なのか説明は受けている。
「これが『二龍松』の護符ですか……」
とある寺に生えている一対の松の大木。まるで二匹の龍のように見えるため、『二龍松』と呼ばれているらしい。
トキワくんとトキミちゃんはその松の精だという。
寺の人間といっても、二人の姿が視える人間はずっといなかった。
けれど、とある代の住職は視える人間だったらしい。
住職は双子の存在に驚き、双子は視える人間の存在に驚いた。
当時の状況を思い出しつつ、「側から見たらさぞ滑稽な光景だったんだろうなぁ」とは双子の弁である。
そして、先に我に返ったトキワくんとトキミちゃんはこれ幸いと言わんばかりにその住職に硯と筆と紙を求めたらしい。
「俺たちの姿が視えていなくても、寺のみんなは俺たちを――松の木をずっと大切にしてくれていたんだ」
「だからそのお礼に、お寺やお寺のみんなに災いが降りかからないようにって祈りを込めて紙に文章を書いたの」
その書き付けは今でも寺に大切に保管されているらしい。
今、寺にいる人たちの中に双子を視える人はいない。けれど、それでも双子は寺のみんなが大好きだから、ずっとずっと彼らが幸せでありますようにと願っているのだそうだ。
「とは言っても、ずっと厄除けの効果が続くわけじゃないからちょいちょい書き換えてはいるんだけどなー。これがまた全然気づかれていないんだよ」
「偶に首を傾げている人はいるけどね。お寺のみんなには悪いと思うけど、一寸面白いよね」
流石は双子。悪戯っぽく笑う顔はそっくりだ。
「二龍松の厄除けは『こっち』の界隈ではそこそこ有名な話だからね。だからこうして護符を書いてもらって、お金の代わりに商品と物々交換しているってわけ」
「御空にーちゃん、そこそこじゃなくて有名な話だっていつも言っているだろ!」
「訂正。一部では有名な話だからね」
「一部でもないったら!」
憤慨するトキワくんに対し、御空くんの口元は上がっている。完全にトキワくんをからかっているな……。
「あの二人はいつもあんな遣り取りをしているんですか?」
「残念ながらそうなの」
こそっと問えば、トキミちゃんは肩を竦めて答えた。
「トキワったら直ぐ調子に乗るし、挑発されたら直ぐに乗っちゃうの。ほんと、子どもなんだから」
「ふふっ。でも、御空さんも大人げないところがありますし」
「住職さんの奥さんがこう言っていたわ。『男は馬鹿な生き物だ』って。いつの時代でもそれは変わらないみたい」
トキミちゃんが目を細め冷ややかな眼差しで男二人を見つめる。
――きっとこの遣り取りもいつものことなんだろうなぁ。
わたしは小さく苦笑いを零した。
ふと、双子が書いた護符を見遣る。双子の話を思い出して考える。
――わたしも、二人みたいに大切な人たちと大切な場所を守れたらいいのになぁ。
「大切な人たちのために自分に何ができるのかを考えて、それを実行に移せるなんて、二人とも凄いですね」
尊敬と感心の眼差しが双子に向いた。
熱い眼差しを受け、双子はわたしからぱっと顔を逸らした。そして、そそくさと部屋の隅に移動して何やら話し出した。
そっくりな顔は同じように真っ赤に染まっていて。
「花夜ねーちゃんって……なぁ?」
「ねー」
こそこそと話す二人にわたしは小首を傾げる。
「御空くん。わたし、また何かおかしなこと言っちゃいました?」
「いや、何もおかしなことは言っていないよ。ただ、花夜のそういう人たらしなところが僕はいろんな意味でやっぱり心配だなぁ」
御空くんに言われた言葉の意味がわからなくて。
わたしはますます疑問符を頭に浮かべるのだった。